第259話 闖入者
意識を取り戻した修介が最初に認識したのは、地面を通して伝わってくる地響きのような震動音だった。
目を開くと視界の端に音の発生源である魔力炉が映る。その中心で煌々と輝きを放つ
「なんてこった……」
『マスター、気が付きましたか?』
修介はアレサの声を無視して急いで体を起こそうとしたが、激痛に見舞われて地面に突っ伏した。
「……くそっ、なんで俺は気を失う前に魔力炉を止めなかったんだ!」
『落ち着いてください、マスター』
「これが落ち着いていられるか! 俺はどれくらい気を失ってた!?」
『十五分程度です。正確には十五分十八秒です』
「マジかよ……」
意識を失っていた間にどれだけ犠牲者が増えたのか、考えただけでも卒倒モノだった。
『マスター、大丈夫です。あの魔術師を倒した時点で仕掛けられていた魔法のほとんどが無力化されています』
「え……、じゃあ竜牙兵は?」
『すべて機能停止しているはずです』
その言葉に修介は「よかったぁ」と盛大に安堵のため息を吐いた。
『それで、マスターはこれからどうするおつもりですか?』
「どうするって……やることやったんだから、みんなのところに戻るに決まってるだろ」
言いながら修介はゆっくりと上半身を起こす。なるべく見ないようにしたつもりだったが、血まみれの太ももや皮膚がめくれて爛れた腕が目に入って「うわっ」と声を上げる。一度意識してしまうと余計に痛みが酷くなっていくのはどうしようもなかった。
とりあえず腰のポーチから包帯を取り出し、ズボンの上からきつめに巻いた。
「……この傷、魔法で治るのかなぁ?」
『そんなことよりも魔力炉はあのままでよろしいのですか?』
「そんなことって……少しは労わりとかないのかよ。けど、たしかにそうだな……」
修介は未だ稼働中の魔力炉に視線を向ける。
この時代の魔術師にとって魔力炉はロストテクノロジーであり、垂涎ものの魔法技術が詰まっている。これひとつで今の魔法技術を飛躍的に進歩させるだろう。その影響力の大きさは魔法の素養がない修介でさえ理解できた。
魔力炉を手に入れた人々が過去の教訓を生かしてより良い未来の為に役立てるかもしれないし、魔法帝国と同じ轍を踏んで滅びの道を歩むのかもしれない。
いずれにせよ、ここでの判断はこの世界の未来を大きく左右することになるのは間違いなかった。
「荷が重すぎる……」
厄介な物を残しておくんじゃねぇよ。というのが修介の本音であった。
「なぁ、あの魔力炉ってさ、ここで俺が止めても再起動とかってできるのか?」
『サービスタイムは終了しました。その質問には回答できかねます』
「そう言うと思ったよ」
そう吐き捨ててから、修介は一度大きく深呼吸する。
迷宮の最奥に到達し、魔術師を倒すことができたのは、マナがないという特異な体質以上に、アレサの力によるところが大きい。
過去に魔法帝国が滅んだのは異世界からやってきた魔神によるものであって、圧政に苦しんだ人々が革命を起こしたわけではない。今の時代の人々に魔力炉の力を持った魔術師を打倒するのは不可能なのではないか。
そう考えると、魔力炉をこのままにしておくのはよくないような気がした。
「とりあえず当初の予定通り止めるか……後のことは知らん」
半ば自棄になってそう決めると、修介はアレサを杖代わりして立ち上がり、足を引きずりながら魔力炉へ向かう。
と、空洞の入口の方で物音がした。
驚いて振り返ると、ちょうど入口に人影が現れたところだった。見慣れた灰色のローブを纏ったその男を修介が見間違うはずがなかった。
「ナーシェス!」
喜び勇んで歩み寄ろうとして、思わず足を止める。
現れたのはナーシェスだけでなかった。そのすぐ後ろに
「これは驚きました。竜牙兵が止まったのでもしやとは思いましたが、あなたの仕業だったのですか。どうりでお見掛けしなかったわけです」
マレイドが感心したように言った。
「あなたがそこの魔術師を倒したのですか?」
女魔術師の視線は地面に横たわっているルーファスの死体に向けられていた。
修介は一瞬判断に迷ったが、嘘を吐く意味もないので素直に答えることにした。
「……そうだ」
「素晴らしいですわ」
マレイドは手を叩きながら称賛の言葉を口にした。タイグもそれに追随するように無表情のまま手を叩く。
だが、ナーシェスだけは無反応だった。
その態度に修介は違和感を覚える。そもそも彼が紫衣者と行動を共にしているという状況が理解不能だった。
「そんなことよりも、なんであんたらがここにいるんだ?」
修介の疑問に、マレイドは心外そうな顔をした。
「おや、違法魔術師の逮捕が我々の任務なのですから、ここに来るのは当然のことではありませんか。もっとも、私たちがここに来られたのは、あなたがそこの魔術師を倒してくれたおかげなので、あまり偉そうなことは言えませんが……」
「そうじゃない。なんであんたらだけなんだ。他の調査団の連中はどうしたんだ?」
「心配ですか?」
「当たり前だろう」
「心配しているのは調査団ではなく、あなたのお友達のことではなくって?」
「……」
本音を突かれた修介は咄嗟に何も返せなかった。
マレイドはその反応に満足したように笑みを浮かべた。
「ご安心なさい。調査団は健在です。私の知る限りではあなたのお友達も全員無事のようでした。ただ、大量の竜牙兵にあわやというところまで追い詰められましたからね。多数の負傷者が出ているので、今はその手当てに追われています」
その返答は修介に安堵と、それ以上の不安をもたらした。
ただ、負傷者が多数いる状況で治療にもっとも必要な人材であるナーシェスがこの場にいるというのはどう考えても不自然だった。
「なんであんたらがナーシェスと一緒に行動してるんだ」
「さぁ、私に聞かれても困りますわ。ここに向かう途中で偶然お見かけしたので、ご一緒しただけですから」
「ナーシェス、本当なのか?」
その質問にナーシェスは答えない。まるで意思のない人形のように佇んでいるだけで、目も虚ろである。どう見ても様子がおかしかった。
「お前ら、ナーシェスに何をした?」
修介はさりげなく体勢を整えながらマレイドを睨んだ。
「これは人聞きの悪い。少しばかり魔法で意識を奪っただけですわ」
あまりにもさらりと言われたので修介は一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「……どういうことだ?」
「もちろん、人質として利用する為です」
「お前ら、ひょっとしてこいつの手下だったのか?」
修介はルーファスの死体を指しながら問いだたした。
「まさか、違いますわ。どうしてそうなるのですか」
「だったらなんでナーシェスを人質に取る必要があるんだ! 同じ調査団だろ。俺は別にお前らと敵対するつもりはない! 魔力炉を調べたいなら好きすればいいじゃないか!」
「この状況でそんな呑気な発言が飛び出すとは……相変わらずの甘ちゃんですね」
マレイドが小馬鹿にしたように笑う。
「もちろん魔力炉は調べさせてもらいますが、私たちの目的は別にあります」
そう言うと、マレイドはタイグに目配せをした。
タイグはまるで体重を感じさせない身のこなしで移動を開始する。ただ、向かった先は魔力炉ではなく、ルーファスの死体だった。その指にはめられている指輪を抜き取り、忠犬よろしく来た時と同じ速さでマレイドの元へと戻っていった。
「まさか本当に実在するとは……実に素晴らしいですわ」
指輪を受け取ったマレイドは、それを魔力炉の放つ光にかざしながら、うっとりとした声で呟いた。
「その指輪がなんだっていうんだ?」
「知識とは形のない宝石のようなもの……聞けばなんでも教えてもらえるとは思わないことです」
マレイドはしたり顔で言い、指輪を大切そうに懐にしまう。
「とはいえ、あなたには感謝しています。この迷宮の主の力は私たちの想像以上でした。正直、とても敵いそうになかったので調査も半ば諦めていたくらいです。ですから、たったひとりで迷宮の主を討ち取ったあなたに心からの敬意を表します」
マレイドは修介に向かって優雅に一礼してみせる。ただ、再び顔を上げたとき、その全身からは殺気が漂っていた。
「――ですが、それはそれで別の懸念が生じることになってしまいました」
「懸念?」
「あなたですよ。あなたはこの迷宮の主と直接接触している。つまり古代魔法帝国の重要な知識を得てしまった可能性がある、ということです。その状況を我々は善しとしません。私たちがここに来た目的はふたつ。ひとつは指輪の回収。そしてもうひとつは……あなたを始末することです」
なんとなくそうなる予感があった修介は、少なくとも表面上は取り乱さずに済んだ。
「……俺はこの魔術師から何も聞いてないし、仮に何か聞いてたとしても言いふらしたりするつもりなんてない」
「この際あなたの意思は関係ありません。生きた人間と物言わぬ死体ならば、後者の方が信用できる。そうは思いませんか?」
「思わねーよ! そんな理由で殺されてたまるか!」
「抵抗すれば、あなたの大切なお友達が死ぬことになります。そのことをよく考えて行動を選択することですね」
マレイドの目に危険な光が宿る。この女は平然と人を殺せる。そのことを修介はよくわかっていた。言うことを聞かなければナーシェスが殺されるのは確実だった。
「くそが……」
修介は必死に頭を回転させる。そもそも、この怪我ではまともに戦えない。仮に五体満足だったとしても、紫衣者ふたりを相手に勝つことなど到底不可能だろう。ナーシェスが人質を取られているとなれば、なおさらである。
となれば、採れる選択肢はひとつだけだった。
「今の俺を殺すのに人質なんていらないだろうが!」
修介はこの怪我を見ろとばかりに両手を広げてみせた。
「とんでもない。当然の備えですわ。正直に言って私はあなたを恐れています」
「笑わせんな。どう考えても俺がそこのいかつい野郎に勝てるはずないだろ」
修介は石像のようにじっとしているタイグを睨みつけながら言った。
「その通りです。私の見立てでも、あなたの実力はタイグの足元にも及ばない。ましてや負傷している今のあなたでは万に一つの勝ち目もないでしょう。ですが――」
マレイドが困ったように眉をひそめる。
「どういうわけか、そんなあなたが迷宮の主を倒してしまった。ただの冒険者にそんなことができるはずがありません。つまり、あなたには我々の知らない特別な力があるということです。それがどういうものかわからない以上、人質くらい用意しなければとても戦う気になんてなれませんわ」
「だったら大人しく引き下がってくれ。俺の能力が暴走する前にな」
修介のはったりに、紫衣者の女は含むように笑った。
「少なくとも上手に嘘を吐く能力ではなさそうですね」
「……こんな真似をして俺の仲間や調査団の連中があんたらを見過ごすと思うか?」
「ここは古代魔法帝国の地下遺跡です。冒険者のひとりやふたりが行方不明になったところで誰も不審には思いません。ですがご安心なさい。今回に限っては、あなたがその身を犠牲にして悪の魔術師を倒したと報告しておきます。きっと多くの吟遊詩人があなたの
「ふざけんな。他人の飯のタネになるつもりはねぇ」
「それは残念……。さて、あなたの時間稼ぎにこれ以上付き合うつもりはありません。調査団の方々が来る前にさっさと終わらせましょう。さすがに殺害現場を目撃されては言い逃れできませんからね」
マレイドが話は終わりだとばかりに手にした杖で地面を突いた。それを合図にタイグが一歩前に進み出る。
「……俺が大人しく死ねば、ナーシェスを殺さないと約束できるのか?」
修介の問いかけに、マレイドは鷹揚に頷いた。
「もちろんです。彼は殺さないと約束しましょう」
「本当か?」
「本当です。私を信じてください」
マレイドは自身の胸に手を当てて言った。その口元に薄い笑みが浮かんでいるのを見て、修介はそれが嘘だと確信した。
(すまん、ナーシェス……たぶん俺もすぐにいくことになるから許してくれ)
心の中で友に詫びを入れ、修介はアレサの柄を強く握りしめた。
「――殺しなさい」
マレイドの命令と同時にタイグが地面を蹴った。
おそらく身体強化の魔法を使っているのだろう。その動きは完全に人間離れしていた。一瞬で距離を詰め、修介の頭部目掛けて棒状の武器を振り下ろす。
修介はなんとかその一撃をアレサで受ける。が、太ももに激痛が走り、堪えることができずに遥か後方へと吹き飛ばされた。
そのまま転がるように距離を取り、素早く体勢を立て直す。
「そう簡単に俺を殺せると思うなよッ!」
修介はアレサを構え、腹の底から気力をふりしぼるように叫んだ。
タイグが再び棍棒を振り上げて突っ込んでくる。
そのときだった――
突然、空洞の入口から凄まじい勢いで獣のような影が飛び込んできた。
影はマレイドの背後に音もなく降り立つと、獣のような手で彼女の頭を掴んだ。そして無造作にそれを捻る。ぐき、という嫌な音を立てて首が直角に折れ曲がった。
一瞬の出来事だった。
おそらく何が起こったのか最期の瞬間まで把握できていなかっただろう。
紫衣者マレイドは、口元に笑みを張りつかせたまま絶命した。
「グオオオオオォォッ!」
影が吼えた。そして邪魔だと言わんばかりに腕を振り、マレイドの身体を傍にいたナーシェスもろとも吹き飛ばした。
「あ、あいつは……」
そこにいたのは、半身を血で染めた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます