第257話 愚直
デーヴァンの廃嫡が領内を騒がせていた頃、イニアーは父からもののついでとばかりに領地追放を言い渡されていた。
これまでの素行や今回の経緯を考えれば当然の措置であろう。むしろ今まで放置されていたのが不思議なくらいだった。
何人かの使用人から聞いた話では、素行の悪いイニアーを追放しようとする父を、次兄ジェリアムが必死に宥めていたのだという。そのことについて話す使用人が揃いも揃って「ジェリアム様の優しさを無下にしやがって」という目をしていたことがイニアーには滑稽だった。
ジェリアムのそれが兄弟愛などではないことは明白である。あの男は最初から愚かな末弟を利用するつもりで領内に留めておいたに過ぎないのだ。
真実がどうであれ、元々イニアーにこれ以上領内に留まるつもりはなかった。屋敷に居場所など最初からなかったし、家族への情も未練もない。胸糞悪い次兄が治める領地で生きていくなど願い下げだった。
追放を言い渡されたその日の夜、イニアーは誰にも何も告げずに街を出た。
これからどうするかはあまり考えていなかった。
金が尽きるまではあてもなく旅をして、その後は適当に傭兵か野盗にでもなるか、くらいの腹積もりであった。
それから数日後の夜、街道沿いにある宿場町の宿に泊まっていたイニアーは、宿の主人から客人が訪ねてきていると告げられた。
一瞬追手かと警戒したが、追手が正面から堂々と尋ねてくるはずがないし、そもそも追手を差し向けられる理由もない。
だた、宿の主人があきらかに怯えた様子なのが気になった。
(まさか……)
嫌な予感がしつつ、イニアーはその客人に会うべく宿の受付に向かった。
そして待ち受けていた巨漢の男を見て深々とため息を吐いた。
(なるほど、そりゃびびるわな……)
デーヴァンが宿の入口を塞ぐように立っていた。巨体を縮こませておどおどしている様子はどう考えても不審人物だった。宿の主人もよく案内しようという気になったものである。
「ああっ!」
弟の姿を発見した途端、デーヴァンの顔がぱあっと明るくなった。
その反応を見てイニアーは納得した。こんなところで偶然出会うはずがない。この大男はわざわざ後を追ってきたのだ。腰に巨大な
「何の用だ」
わかっていながら、イニアーはあえて冷たく問いかけた。
デーヴァンは「おれも、いく」と予想通りの答えを返してきた。
もちろん、イニアーは首を縦には降らなかった。
「いらねぇから帰れ」
仮にも命の恩人に対する物言いではないという自覚はあったが、得体の知れない不快感がイニアーの声をさらに冷たくした。
だが、デーヴァンは頑なに「いっしょに、いく」と繰り返し、決して立ち去ろうとはしなかった。その頑固さは常軌を逸していた。
「……だったら答えろ。なんであの時、俺を助けに来た?」
イニアーの問いに、デーヴァンは胸を張って答えた。
「おとうと、まもる、あたりまえ」
「ふざけるな!」
イニアーは思わず怒鳴っていた。
幼い頃から共に過ごしていた兄弟ならまだわかる。だが、これまで一度も会話を交わしたことすらない赤の他人のような関係だったのだ。そこに情など存在するはずがない。そんな答えで到底納得できるはずがなかった。
当のデーヴァンは「なんで怒るの?」とでも言いたげに首を傾げている。
「俺は別にお前を兄貴だなんて思ってねぇ。お前の弟はジェリアムの糞野郎だろうが」
「もう、きょうだい、ちがう、いわれた……」
一転してデーヴァンは悲しそうな顔になった。
廃嫡に伴って兄弟の縁を切られた、といったところだろう。イニアーからすればあんなクズ野郎と縁が切れるのは歓迎すべき事柄だが、この兄は本気で悲しそうにしているのだから始末に悪かった。
「それで仕方なくもうひとりの弟のところへ来たってか? 俺をあの糞野郎の代わりにしようってんならなおさらお断りだ!」
「ちがう。いにあー、いちばんしたのおとうと、いちばんまもる」
「はぁ?」
「それに、じぇりあむ、みんな、いる。でも、いにあー、ひとりぼっち、かわいそう」
「お前にだけは言われたくねぇよ! だいたいなんでそんなに弟を守ることに拘るんだ。ほっといて好きに生きればいいだろうが」
「それはだめ」
と、デーヴァンはぶんぶんと大きく首を横に振った。
そこから「帰れ」「それはだめ」の押し問答が兄弟の間で延々と繰り返された。
先に根負けしたのはイニアーだった。仕方なく、デーヴァンのたどたどしい説明に根気強く耳を傾け、時おり質問を挟みながら、なんとか兄の考えを理解しようと努めた。
やたらと時間が掛かった割に、話の内容は至極単純だった。
要約すると、デーヴァンは母の遺言に従っていただけだというのだ。
デーヴァンの母はジェリアムを生んですぐに病で亡くなっている。
その母が亡くなる少し前に、赤子のジェリアムを抱きかかえながらデーヴァンに向かってこう言い残したのだという。
「デーヴァン、あなたはお兄ちゃんなんだから何があっても弟を守るのよ」
まだ幼く根が素直なデーヴァンは母のその言葉を心に刻み込み、守ると誓った。
そして彼の弟の定義には、まだこの世に生まれてきてもいない腹違いの弟も当然のように含まれていたのである。
「おとうと、まもる」
デーヴァンは大真面目な顔であらためて宣言した。
宣言されたイニアーは、あまりの馬鹿げた話に開いた口が塞がらなかった。
この男は母親との約束を守る為に、自らの命を捨てるような真似をしたのだ。
弟を助けた理由に本人の意思があったわけではなく、ただ約束に縛られているだけ。しかも約束をした当人がもうこの世にいないという、言ってしまえば永遠に解かれることのない呪いみたいなものである。
もし、今ここでデーヴァンに「お前はジェリアムに陥れられたんだ」と告げたら、どうなるのか。
怒り狂ってジェリアムを殺すのだろうか。
そうはならないだろう。この兄は真実を知ってなお、母親との約束を守る為にその身を犠牲にしてでも弟を守ろうとする。そうイニアーには確信できた。
なんという愚かな男なのか。
こんな男がこの世に存在するすることが、にわかには信じられなかった。
だが、まともな人間なら到底至らないであろうデーヴァンの愚直さは、今のイニアーには他の何よりも信頼に足るように思えた。現にその愚直さによって、命を救われたのだから。
このままデーヴァンが領地に戻れば、そう遠からず謀殺されるだろう。あのジェリアムが将来の禍根となるデーヴァンを生かしておくはずがない。
(俺には関係ない)
そう割り切ることは、イニアーにはできなかった。
貴族としての輝かしい未来が閉ざされてしまったにもかかわらず、デーヴァンはその切っ掛けとなった弟を一切責めようとはしなかった。周囲の悪評を気する素振りもなく、それどころか弟を守れたことを誇っているかのような節さえあった。
そんな底抜けのお人好しを平然と見捨てられるほど、性根は腐ってはいないつもりだった。
「……気に入らなかったらすぐに追い返すからな」
こうしてイニアーは渋々ながらも兄の同行を許したのである。
その後、ふたりは食い扶持を稼ぐ為に傭兵となった。
面倒な交渉事はイニアーが担い、戦闘はデーヴァンが持ち前の武力で無双する。凹凸が上手く噛み合い、ふたりの旅は順調な滑り出しを切った……かに見えた。
残念ながら、上手くいったのは最初だけだった。
片や極度の人見知りで、片やならず者である。それまで一言も口を利かなかった者同士が、いきなり心を開いて兄弟ごっこなどできるはずもなく、イニアーはまともに会話が成立しない兄に苛立ち、きつく当たった。
それに対してデーヴァンは何も言い返さず、弟の顔色を窺ってばかりだった。その卑屈な態度が余計にイニアーを苛立たせるという負のスパイラルに陥り、ふたりの関係はあっという間にぎくしゃくしたものになった。
イニアーは当初、デーヴァンのことを『都合の良い護衛役』くらいにしか思っていなかった。
デーヴァンの恵まれた体躯と持って生まれた戦闘センスはどちらも一級品であり、その強さは若くして領内に並ぶ者なく、歴戦の騎士ですら軽くあしらわれるほどである。これで人間性がまともであれば、間違いなく名のある将軍となって王国の歴史にその名を残したことだろう。
そんな最強の男が、『母親との約束』という理解不能な使命感で命懸けで守ってくれるのだから、これほど都合の良い事はなかった。
ところが、その考えが甘かったことをイニアーはすぐに思い知る羽目になった。
戦場でのデーヴァンは意識の大部分を弟を守ることに割いてしまっているせいで、自分の身を守ることに関しておそろしく無頓着だったのだ。
兄が倒れれば自分自身の身が危険に晒されるイニアーは、死に物狂いで兄の背中を守らざるをえなくなった。
なんとも間抜けな話である。
だが、結果としてそれが功を奏した。
双方が必死にお互いを守り合っているうちに、当人達の意思とは無関係に連携が磨かれていったのである。
ふたりは戦場へ出るたびに手柄をあげた。
「おそろしく腕の立つ兄弟がいる」という噂は瞬く間に同業者のあいだに広まり、その噂が真実であることを証明するかのごとく兄弟は戦場で暴れ回った。
そして、その成功体験がふたりの仲を取り持ち、気が付けば『傭兵兄弟』という異名で呼ばれるほどのコンビになっていたのである。
そうして旅を続けていくなかで、イニアーは少しずつデーヴァンという男を理解していった。
最初はただ母親との約束を守っているだけだと思っていたが、それだけではないと気付くのに、さほど時間はかからなかった。
デーヴァンは情に厚い男だった。
戦場で受けた恩は絶対に忘れず、撤退戦では必ず最後尾で味方を守った。
戦場の外では終始穏やかで、いつも空を見上げてぼうっとしているが、人の話を聞いていないわけではなく、口下手なだけで人間嫌いというわけでもない。
常に相手を気にかけ、思いやる優しさを持ち、過度な干渉はしない。それでいて一度心を許せば、どこまでも受け入れてくれる懐の深さがあった。
無論、良いところばかりではない。
しつこく遊べとせがんでくる様は図体のデカい子犬みたいなもので、イニアーも酒場で女を口説いている時にそれをやられて何度も閉口させられた。自己主張はしないくせに一度言い出したら絶対に折れない頑固なところや、むやみやたらに人を信用し過ぎるお人好しな性格には何度も苛立たせられた。馬鹿みたいに食うから食費はかさむわ、屁はとてつもなく臭いわで、気に食わないところをあげればきりがない。
それでも、いつしかイニアーにとってデーヴァンと過ごす時間はかけがえのないものとなっていた。兄から真っすぐに向けられる信頼には「応えてやらねば」という気に自然とさせられた。
家族の誰からも愛されなかったイニアーと、恐ろしい風貌と数々の奇行のせいで孤独な幼少期を過ごしたデーヴァン……傍から見たらただの傷の舐め合いとも言えるふたりの関係は、それゆえに時間が経つほどに結びつきを強くしていったのである。
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