第255話 異世界人

「――俺は異世界人だ」


 修介が放ったその一言は、ルーファスの気を引くことに成功した。


「……気でも触れたか?」


「正気だ。俺はこの世界の人間じゃない。こことは異なる世界から転移してきたんだ」


「お前は自分を魔神だとでも言い張るつもりか?」


「違う。俺はれっきとした人間だ。ただし別世界のな。俺が前にいた世界にはマナも魔法も存在しなかった。だから俺の身体にもマナがないんだ」


 修介もまさか自分が異世界から来たことを敵の魔術師に告げることになるとは思ってもいなかった。

 今の発言はどちらかと言えば自棄に近い。魔術師は好奇心の強い者が多い、という眉唾な話に縋っただけで、相手が信じるかどうかは問題にしていなかった。


 だが、ルーファスには修介の話を荒唐無稽と笑い飛ばすことができなかった。

 魔法帝国イステールは、一四〇〇年にわたったマナを研究し続けてきた。

 マナが万物の根源と呼ばれるのは、世界のすべての物質に宿っているからである。ゆえにマナを持たない人間など、この世には存在しない。それが世界の理である。

 しかし、それが異世界の人間となれば話は別だった。

 異世界は存在する。なんといっても、帝国は異界の門を開いて召喚した異世界の魔神によって滅ぼされているのだ。そしてルーファスはその歴史の生き証人なのだ。


「……お前はそれを証明できるのか?」


(喰いついた!)


 修介は心の中で喝采した。


「この身体が何よりの証拠だろ。あんた凄い魔術師なんだろ? そのあんたが俺に苦戦したのは、他に似た特性を持った人間を知らないからだ。違うか?」


 相手が質問に答える気がなさそうなので、修介はそのまま話を続ける。


「俺がいた世界には魔法は存在しない。けど、その代わりに科学によって生み出された数々の技術がある。それこそお前らの魔法なんざ遠く及ばないほどのな。自動車とか飛行機とか知らないだろ? 次にあんたを狙う刺客は、とんでもない兵器を持ってやってくるかもしれないぜ?」


 目の前の魔術師から完全に殺気が消えていた。顔は思索に沈んでおり、間違いなく興味を抱いていることがわかる。

 あとはひたすら異世界の知識――現代科学技術の話――を並べ立てて時間を稼げばいい。修介はそう考え、そして実行した。


 ところが、そう上手く事は運ばなかった。

 修介が教育機関で学んだはずの知識は、数十年という時を経て、そのほとんどが脳から零れ落ちてしまっていた。電気や火薬の仕組みも、核融合の知識も、すべてがあやふやで、まともに仕組みを説明できない。そもそも全身の痛みに耐えながら専門外の知識を語ろうというのが、あまりに無茶な挑戦だった。

 どんなに科学技術が素晴らしかろうと、語り部が理路整然とそれを説明できなければ何も伝わらない。

 話が進むにつれ、ルーファスの顔に失望の色が浮かんでいった。


「――もういい」


 無慈悲な声が話を遮った。

 魔術師が手にした魔剣の切っ先を再び修介に向ける。


「ちょ、待てって! まだ話は終わってないから! 次はスマホっていう便利な――」


「黙れ」


 修介は思わず口を閉ざしてしまった。沈黙が死刑執行を意味するとわかっていても、魔術師が放つ異様な迫力に逆らえなかったのだ。


「仮にお前が異世界人であったとしても、俺にとってはどうでもいいことだ。お前の言うカガクとやらがいかに優れていようが、俺の魔法に敵うはずがないのだからな」


 そしてルーファスは高らかに言い放つ。


「魔法こそ万物を統べる力だ。俺は魔神の王や天上の神々すら凌駕する力を手にし、皇帝ですらなし得なかった魔道の頂点を極める!」


「……その為には人の命を踏みにじってもいいっていうのか?」


 修介の問いかけに、ルーファスは悠然と頷いた。


「当然だ。地上の人間など魔力炉にマナを供給する為の家畜にすぎん。それ以外にはなんの価値もない」


「てめぇ……ッ!」


 修介の脳裏に傷ついたサラやヴァレイラの姿、今も戦っているであろうパーティの仲間たちの姿が浮かんだ。その光景が心の奥底に押し込んであった怒りを強制的に解き放った。


「魔道の頂点を極めるだ? そんなことの為に、てめぇは俺の仲間を傷つけたってのかッ!?」


 気付いた時にはすでに叫んでいた。


「それだけじゃねぇ! アイナを攫って儀式に利用しやがって! 俺はてめぇを絶対に許さねぇからなッ!」


「復讐か? いかにも下等な人間の考えそうなことだ。異世界人といっても中身にそう違いはないようだな」


 修介の怒りなど意に介した様子もなく、ルーファスは鼻で嗤った。


「いいだろう、哀れな異世界人よ。魔力を持たぬお前がいかに矮小な存在であるか、俺が教えてやろう」


 ルーファスは魔剣を地面に突き刺すと、空いた手を修介の鳩尾あたりに当てた。

 触れられた箇所から生暖かい何かが入り込んでくるのが修介にはわかった。ナーシェスにマナを譲渡されるときの感覚とまったく同じだった。

 だが、流れ込んでくるマナの量が尋常ではない。

 その意味に気付いて、修介は愕然とした。いくら器に穴が開いていようが、零れ落ちていくマナを供給が上回れば、器は常に満たされた状態になる。そして、この魔術師にはそれが可能なだけのマナがあるのだ。


「――お前に本当の魔法というものを見せてやる」


 その宣言と同時にルーファスの紅い瞳が怪しく光った。


 次の瞬間、修介は見知らぬ場所にひとり佇んでいた。

 何もない、ただの白い空間だった。

 わけがわからず、修介は当たりをきょろきょろと見回す。

 すると突然、足元から何かが這い出てきた。百足のような虫だった。虫はそこかしこから出現し、わらわらと足元に群がってくる。

 修介はぞっとして逃げようとしたが、足の裏が地面に張り付いたように動かない。

 無数の多足生物が足を這いあがってくる。そのあまりのおぞましさに、修介は声にならない悲鳴をあげた。

 顔に到達した虫が口や耳から体内に入り込もうとしたところで、突然チャンネルを切り替えたかのように視界が切り替わった。

 目の前には、さきほどと同じ表情で修介を見つめる魔術師がいた。


「俺が生み出す幻覚は五感を完全に支配する。さぁ、次はどんな幻覚が望みだ?」


 修介に答えられる余裕などあるはずがなかった。ただ幻を見るだけの幻覚の術とはまるで次元が違う。虫が全身を這いまわる感覚は間違いなく本物だった。


「答えられぬか。ならばこんなのはどうだ?」


 修介は目を合わせないよう反射的に目を閉じた。

 が、無意味だった。

 再び何もない白い空間に立たされる。

 今度は身体が動いた。修介は何が起きてもいいように体勢を低くする。

 すると、突然左腕が意思に反して真横に伸ばされた。そのまま見えない何かに引っ張られるように少しずつ捩じり上げられていく。


「お、おい待て、まさか――」


 そのまさかだった。

 人体の可動域を逸脱したところで左肩から先が千切れとんだ。この世のものとは思えぬ激痛に、修介は絶叫しながら地面を転げ回る。

 悪夢はそこで終わらない。次は右腕、その次は左脚、そして最後に右脚と容赦なくもがれていった。四肢のすべてを失い、為すすべもなく床に打ち捨てられたところで、再び現実世界へと戻ってきた。

 腕も脚も元通りになっていたが、耐え難いほどの激痛は残ったままだった。


「はぁ……ッ、はぁ……ッ!」


「どうした異世界人。カガクとやらの力でこの窮地を脱したらどうだ?」


 息も絶え絶えといった修介を見て、ルーファスは嘲笑した。


「幻覚の素晴らしいところは何度でも絶望が味わえることだ。現実だと一度しか体験できないからな。せっかくだ、もう一度味わっておくか?」


「……も、もう、やめで……ぐれ……」


 修介は顔から出せる液体という液体をすべて垂れ流しながら懇願した。

 だが、ルーファスにそれに応じる気などあるはずがなく、それどころかさらにおぞましい案を口にした。


「次は……そうだな、お前の記憶をすべて消し、まったくの別人にしてやろう。もっとも、マナを持たないお前は、俺がマナを与え続けなければただの廃人になるだけだろうがな」


 修介は全身が凍てつくほどの恐怖を覚えた。

 それはすなわち、前の世界の記憶だけでなく、この世界で積み重ねてきたたくさんの思い出をすべて失うということだった。


「そ、そんなことをしてみろ……俺は何があっても絶対にてめぇを殺すからな……」


「この状況でよく言えたものだな」


 ルーファスが嗜虐の笑みを浮かべた。

 直後にすべての感覚が遮断された。頭の中に何かが侵入してくる。脳みそをスプーンで掻き回されるような感覚に修介は絶望する。

 本当に記憶が消されようとしているのだ。

 だが、抗うことは不可能だった。魔法に抵抗するには魔力が必要なのだ。魔力を持たない修介にはどうすることもできなかった。


(いやだっ、いやだぁーッ!)


 大切なものが、頭の中から泡沫のようにはじけて消えていく……。


『マスター!』


 その時、聞こえるはずのない声が、耳に届いた。

 意識が一気に覚醒する。目を開くと、床に転がっていたはずのアレサが、眩い光を放ちながら宙に浮いていた。

 まさしく待ち望んでいた瞬間だった。


「――アレサ、こいッ!」


 修介は無我夢中で叫んだ。

 事前に打ち合わせをしていたわけではない。むしろ、そんな機能がないことは、初めて出会った時に確認している。

 それでも、そう言えばアレサはきてくれると、修介は確信していた。

 そして次の瞬間には、アレサは修介の右手に収まっていた。


「なにッ!?」


 魔法に意識を集中していたルーファスは完全に対処が遅れた。

 修介は導かれるようにアレサを握る右手を突き出した。あまりにも滑らかで、無駄のない動きだった。

 ルーファスの腹部に突き刺さった刃は、その途中にある魔門を正確に貫き、そのまま背中まで貫通していた。


「がはっ!?」


 大量の血が床にまき散らされる。


『私のマスターを傷つけたお前を、この程度で許すと思うか?』


 アレサの抑揚のない声が無慈悲に告げた。

 直後に、ルーファスの体内で爆発が起こった。アレサがこれまで刃で吸収してきた魔力を別エネルギーに変換して一気に放出したのだ。

 ルーファスは信じられないという目で己の腹部を見つめる。胴体に風穴が空いていた。

 それでも、古代魔法帝国の魔術師は死に至らなかった。よろよろと後ろへ下がりながら、血まみれの手を前にかざす。

 だが、その手から魔法が放たれることはなかった。いかに魔法王といえど、魔門を失った肉体で魔力をコントロールすることは不可能だった。


 ルーファスの口から再び大量の血が吐き出される。

 その眼前に、幽鬼のような青白い顔の修介が足を引きずりながらやってきた。


「……てめぇの敗因は、アレサ――俺の相棒をただの魔剣と舐めたことだ」


 そう静かに呟くと、修介はゆっくりとアレサを上段に構えた。

 ルーファスの顔が絶望に染まる。


「ばかな……俺は……魔法王ルーファスだ……こんな、こんなところで――」


「知るか! 俺は地球から来た異世界人、宇田修介だッ!」


 修介は最後の力を振り絞り、全身を投げ打つようにしてアレサを振り下ろした。

 頭部を撃砕されたルーファスは、鮮血をほとばしらせながら、まるで舞を踊るかのように二回、三回と回転し、そして倒れた。




 それからどれくらいの時間が経ったか、放心状態だった修介は、『マスター』というアレサの呼びかけでようやく我に返った。


「や、やった……のか?」


 足元に倒れている魔術師を見つめながら、呆然と呟く。

 戦いが終わったことがにわかには信じられなかった。

 再び立ち上がってきたとしても今さら驚きはしない。自分はいまだに幻覚の魔法に囚われたままなのではないか、そんな疑惑まで頭をもたげてきた。


『大丈夫です。この魔術師の生命活動は完全に停止しています』


 その言葉を聞いた途端、修介は膝から崩れ落ちた。張りつめていた緊張の糸が切れたからか、それとも血を流し過ぎたからか、急速に遠のいていく意識を繋ぎとめておくことはできそうになった。


『マスター?』


「すまん、ちょ、ちょっとだけ休ませてくれ……さすがに、もう、限界……」


 結局、最初から最後までお前に頼りっぱなしだったな――そう心の中でアレサに詫びつつ、修介は意識を手放した。


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