第254話 戦士と魔術師

 見守る者が誰もいない地下空洞で、魔力炉から漏れる光が目まぐるしく動き回る二つの影を追い続ける。

 修介とルーファス……戦士と魔術師の戦いは、様々な要因が折り重なった結果、魔剣と魔剣がぶつかり合う近接戦へと移行していた。


 修介は勢いよく振り下ろされる魔剣をアレサで受け流し、返す剣で相手の腰を狙って斬りつけた。軽く振るうだけの、相手の反応を見る為の攻撃である。

 その一撃にルーファスは過剰なまでに反応し、大きく飛び退った。


(やっぱりそうか……)


 その動きを見て、修介は確信した。

 この魔術師は肉体を使った戦闘に関しては完全な素人だった。動きは直線的で攻防の切り替えも遅く、足技やフェイントを使う気配もない。なにより魔剣を手にして以降「剣で斬る」という考えに固執していることからも、それがよくわかる。

 いくら上位妖魔並の身体能力を持っていたとしても、ただ力任せに剣を振り回すだけの攻撃に対処するのはさほど難しくない。グイ・レンダーやサリス・ダーといった上位妖魔と対峙した経験のある修介にとってはなおさらだった。


 そこから修介は無理に攻撃には出ず、繰り出される攻撃をいなしながら、相手の体勢が崩れたときだけを狙って反撃に転じた。

 技量の差が優劣を鮮明にした。

 ルーファスの剛剣が虚しく空を斬る一方で、修介の攻撃は正確に相手を捉え続けた。

 斬りつけた回数はすでに二桁にのぼっていた。

 だが、よほど強力な防護の術がかかっているのか、浅く斬りつけた程度では肉体に傷ひとつ付けられなかった。


(どうする、宇田修介……)


 修介は心の中で自問自答する。

 このままでは時間と体力が失われていくだけだった。

 それだけではない。マナのない体質は魔法に対して無敵というわけではない。攻撃魔法のダメージが大きいというリスクがあるのは当然として、体内にマナを注入されれば、状態異常系の魔法も効果が発揮される。それはマナ譲渡の術と癒しの術の合わせ技が有効であることからもわかる。

 この魔術師ならば、戦いが長引けばいずれその事実に気付くだろう。


(やるしかない!)


 これは負けない為の戦いではなく、絶対に勝たねばならない戦いなのだ。

 リスクを承知で踏み込まなければ勝利など得られるはずがなかった。


 そこから修介は一転して攻めに出た。

 この時ばかりは慎重さをかなぐり捨てた。いつも以上に大胆に間合いを詰め、獣のように咆哮し、闘志をむき出しにして攻撃を繰り出す。

 それでいて、心は妙に落ち着いていた。

 怒りや憎しみに囚われることなく、目の前の敵に意識を集中できている。

 感覚がおそろしく研ぎ澄まされ、切っ先の向こう側にいる敵の一挙手一投足が手に取るようにわかる。目が顔にではなく剣先にあるような、そんな不思議な感覚だった。


 修介の捨て身の猛攻は相手の虚を突くことに成功した。

 たちまち防戦一方へと追いやられたルーファスは、剣の戦いでは不利と悟ったのか、後方に跳び退りながら手を前に翳した。

 直後に放たれた五本の電弧が猛禽類の爪のように修介に向かって襲い掛かる。


(――攻撃魔法ッ!?)


 修介は反射的にアレサを前方に翳した。

 すると電撃はアレサの刀身に吸い込まれるように消失した。

 それを見たルーファスの表情が驚愕に歪む。

 だが、驚いたのは修介も同じだった。このタイミングで攻撃魔法が飛んでくるとは思っていなかったのだ。

 気が付けば、魔力炉から随分と離れていた。


(この野郎、押されてるフリして俺を誘い出したってのか!)


 それがわかっても修介は攻撃の手を緩めなかった。

 苦し紛れに放った魔法であることは、魔術師の余裕のない顔を見ればわかる。事前にアレサが『反応さえしてくれれば、攻撃魔法は私が処理します』と言ってくれていたことも後押しした。

 再び放たれた電撃をアレサが完封すると、修介はそのままの勢いで一気に相手の懐へと飛び込み、鋭い突きを繰り出した。

 魔剣の魔力と防護の術の魔力がぶつかり合い、青白い光が火花のように弾け飛んだ。


「ぐぅっ!」


 ルーファスが片手で肩を押さえながら苦痛の呻き声を漏らす。指の隙間から血が滴り落ちているのが見えた。


(いける――!)


 修介は気勢をあげて一気に攻め立てた。

 ルーファスはその猛攻を辛うじて凌いだが、体勢を崩して尻もちをついた。


「――取ったぁッ!」


 振り下ろす剣が、ルーファスの頭部を捉えようとした、その時だった。

 周囲の音が一斉に消えた。


『駄目です、マスター!』


 というアレサの警告も修介の耳には届かなかった。

 空気と共に引き寄せられるような妙な感覚――いつのまにか魔術師の足元を中心に魔法陣が展開されていた。

 修介はその中に飛び込む形となった。

 魔法陣が放つ光に飲み込まれる。

 次の瞬間、凄まじい衝撃が全身を襲った。


 何が起こったのか、修介は咄嗟に理解できなかった。

 気付いた時には仰向けに倒れていた。

 全身の神経を抜き取られたかのように感覚がない。

 ただ、視界の先にアレサが転がっているのが見えた。


「ア、アレサ……」


 その呼びかけに、アレサはなんの反応も示さない。声を発することも、振動することもなく、ただの剣のように床に転がっている。

 修介はなんとか身体を転がすと、芋虫のように這ってアレサの元に向かおうとした。


「まだ息があるとはな」


 声と同時にアレサが蹴り飛ばされ、乾いた音を立てて手の届かないところへと転がっていった。


「ア、アレサッ!」


 なおもアレサの元へ向かおうとする修介だったが、強い力で無理やり引き起こされる。魔術師の紅い瞳が胸元へと向けられていた。


真銀ミスリル……。なるほど、それで即死を免れたか。家畜には過ぎた品だな」


 ルーファスは修介の胸倉を掴むと、そのまま片手で軽々と宙に釣り上げた。


「ぐあぁっ!?」


 全身が引き裂かれるような激痛に修介の口から意思とは無関係に悲鳴が漏れる。

 だが、その痛みが朦朧としていた意識を覚醒させてくれた。

 魔術師の全身から白い煙が立ちのぼっていた。

 それを見て、修介はようやく状況を理解した。

 この魔術師は、自身を巻き込んで攻撃魔法を使ったのだ。

 魔法のダメージは魔力を高めることで軽減することができる。圧倒的な魔力を持つ魔術師と、魔力のない修介……今の状況はその差が生んだ当然の結果だった。


「は、離しやがれ、このクソ野郎……!」


 戦士としての矜持が修介にそう言わせた。

 だが、その代償は高くついた。


「あぐぁっ!?」


 灼熱のような激痛が全身を駆け巡る。魔剣の切っ先が左の太ももに食い込んでいた。

 ルーファスは表情ひとつ変えずに、二度、三度と同じことを繰り返す。そしてそれが終わると、今度は血が滴る魔剣の切っ先を、ゆっくりと顔へ向けた。

 次は目を抉る――言葉にされなくても、そうするつもりなのがわかった。


(くそっ……くそっ……!)


 修介は天を仰ぎ、慟哭する。

 絶対に勝たねばならない戦いだった。敗北は自分だけでなく、仲間の死を意味するのだ。だからこそアレサの力まで借りたというのに、またしても勝てなかった。

 痛みと情けなさで涙が止まらない。

 抵抗したくても、自分の身体ではないかのように力が入らない。

 修介にはこの状況を打破できるような機転も、一発逆転の秘策も、何もなかった。

 心が絶望の坂を転がり落ちていく。


 ――マスター……。


 その時、アレサの声が聴こえた気がした。

 修介ははっとして意識を集中する。


 ――マスター、時間を稼いでください。


 それは幻聴だったかもしれない。

 床に転がったままのアレサに、動く気配はまるでない。

 修介は魔獣ヴァルラダンとの戦いでアレサが折れた時のことを思い出した。背筋をぞっとするような戦慄が駆け抜ける。

 あの時はしばらくしたら再起動したが、今回も同じとは限らない。

 それでも修介はアレサを信じた。

 たとえ幻聴だったとしても、信頼する相棒の声は、折れかけていた心を奮い立たせるに十分だった。


 身体が動かなくても、口を動かすことはできる。

 アレサが時間を稼げと言うのなら、どんな手段を使ってでも稼ぐ。

 ここにきてまでアレサに頼ってしまう不甲斐なさは、とりあえず脇に置く。目の前に藁があるのなら死に物狂いでしがみ付く。わずかにでも勝てる可能性があるのなら、その方法にはこだわらない。

 勝って自分と仲間の命を救う。ただそれだけだった。


 修介は目を見開くと、向けられている魔剣の切っ先を恐れず、その先にある魔術師の顔を睨みつけた。


「……なんですぐに俺を殺さなかった」


「なに?」


 ぴたりと、ルーファスの動きが止まった。


「……攻撃魔法が効くのはわかったんだ……近づかなくても止めはさせるだろ……なんですぐに殺さずにわざわざ俺に近づいてきた?」


「……」


「当ててやろうか……気になってるんだろ? 俺に魔法が効かなかったことが。その理由を知りたくて近づいてきた……違うか?」


「粋がるな。お前の身体にマナがないことはもうわかっている」


「けど、マナがない理由まではわからない」


「死体を調べればわかることだ」


「それだと俺が何者なのかまではわからないだろ」


「お前の正体になど興味はない」


 ルーファスは冷めた口調で言うと、再び魔剣の切っ先を修介に向けた。


「……いいのか? ここで俺を殺してしまったら後々困るんじゃないのか? 俺と同じ能力を持った奴がまだ他にもいるかもしれない。そう思ったから、すぐに俺を殺さなかったんだろ?」


「お前程度の人間が何人いようが脅威ではない。現にお前はこうして俺に敗北したではないか」


「それは単に俺が雑魚だったからだ。だが、俺が言いたいのはそういうことじゃない。俺の正体を知れば、あんたは絶対、俺に興味を持つ」


 そして一呼吸置いてから、修介は言い放った。


「――俺は異世界人だ」


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