第253話 光
「あああああああああぁぁッ!」
デーヴァンの悲痛な叫び声が響き渡った。
そこへ複数の竜牙兵が刃を突き立てようと一斉に殺到した。
「デーヴァン、逃げてッ!」
シーアは叫びながら反射的に走っていた。どう考えても間に合うはずがない。それでも逆らいがたき感情が彼女を突き動かした。
突然、目の前で炎が吹き上がった。炎は瞬く間に蜥蜴のような形に姿を変えると、竜牙兵の行く手に立ち塞がった。
「な、なに……あれ……」
「下がってください!」
その声に振り返ると、エルフの少女――アイナリンドが手を前に突き出した状態で立っていた。近くにいる探索者が持っている松明の炎がやたらと大きく揺らめいている。おそらくあの炎から精霊を召喚したのだ。
「なにをしているのッ!?」
シーアは思わず叫んでいた。
一命こそ取りとめはしたが、彼女はほんの少し前まで死にかけていたのだ。とても魔法が使えるような状態ではない。
「はやくデーヴァンさんとイニアーさんを!」
アイナリンドの声に反応したかのように、竜牙兵が一斉に炎の精霊に襲い掛かる。
だが、実体をもたない精霊に剣での攻撃は無意味だった。繰り出される斬撃はむなしく精霊の身体を通り過ぎていく。それでも竜牙兵は攻撃することをやめない。表情を変えずに剣を振るい続ける姿は滑稽ですらあった。
炎の精霊が威嚇するように体勢を低くした。その身体が膨張したと思った直後、口と思しき部位から炎のブレスを吐き出した。
嵐のような熱風が吹き荒び、一瞬にして群がる竜牙兵を吹き飛ばした。
「今のうちに後退してください! 私では火の精霊を長くは操れません。奥に牢獄に使われている大部屋があります。そこへ!」
アイナリンドが苦悶の表情を浮かべながら叫んだ。
その声にいち早く反応したのはマッキオだった。壁にもたれ掛かっているイシルウェを背負うと、一目散に逃げだした。それにつられるように探索者たちも通路の奥へ駆けていく。
マシューも一瞬の逡巡の後、兵士たちに撤退の指示を出した。
だが、肝心のデーヴァンが動こうとしない。
イニアーの身体を抱えたまま呆然と座り込んでいる。
「しっかりしなさい、デーヴァン! あなたが諦めてどうするの!? 早くイニアーを安全な所へ運ぶのよ!」
シーアはデーヴァンの背中を思い切り引っ叩くと、奥へと追い立てた。そして、今にも倒れそうなアイナリンドを抱えて懸命に走り、最後は転がり込むようにして牢獄部屋に逃げ込んだ。
兵士達が扉を閉めると、マレイドが扉に魔法をかけて固く閉ざした。
すぐに扉を破壊しようとする不規則な打撃音が鳴り始める。「この調子だと、そう長くはもちそうにないですね」というマレイドの言葉に反応できる者は誰もいなかった。
シーアは息つく間もなく横たえられたイニアーの元へ駆け寄った。
幸い、まだ息はあった。
だが、傷口を確認した瞬間、全身の血が凍るような錯覚に陥った。
傷は鎖骨から胸のあたりにまで達していた。
シーアはこれまで治療師としてあらゆる怪我をその目で見てきた。多くの傷を癒し、それと同じくらいの死を看取ってきた。それゆえに、傷の状態を見ただけで助かるか助からないかがある程度わかる。
イニアーの傷は後者だった。
シーアはちらりとデーヴァンに視線を向ける。
目から大粒の涙をぼろぼろと零して子供のように泣いていた。
この兄弟がどれだけ強い絆で結ばれているのか、どれだけ互いを必要としているのか、短い付き合いながらも理解しているつもりだった。
彼らはふたりでひとりなのだ。
だから、絶対に諦めるわけにはいかなかった。
シーアはイニアーの身体に触れ、癒しの術の詠唱を開始する。
限界まで高めた魔力が、白い光となってイニアーの身体を包み込む。
間違いなく、今の彼女に出来る最高の術だった。
しかし、彼女の全力の癒しの術は期待通りの効果を発揮することはなかった。
(お願い、いかないでッ!)
シーアは心の中で叫びながら、何度も何度も癒しの術を唱えた。
それでも傷口は一向に塞がらない。
もう術を受け入れられるだけの体力が残っていないのだ。
「……ごめんなさい……私の力では……」
シーアは力なく項垂れた。
「ああああああぁぁッ!」
再びデーヴァンの口から絶叫がほとばしった。弟の肉体から魂が抜けていくのを防ごうとするかのように縋りつき、泣き叫ぶ。
普段の穏やかな姿からは想像もつかない激しい慟哭……。
シーアは己の無力さに打ちひしがれ、拳を地面に叩きつけた。
そこへ追い打ちをかけるように扉が打ち破られる音が重なった。
竜牙兵が室内に殺到してくる。
マシューら騎士達が迎え撃ち、たちまち乱戦となった。
「だ、団長、これ以上はもう――!」
兵士のひとりが悲鳴に近い叫び声をあげた。
「諦めるな! 諦めた者に戦いの神の加護が与えられることは決してない! 命が尽きる瞬間まで諦めずに戦えッ!」
マシューが剣を振るいながら懸命に味方を鼓舞するが、事態が好転する要素はどこにも見当たらない。状況は絶望的だった。
「くそっ、シュウスケ君はなにをやってるんだ!」
マッキオが感情を露わにして叫んだ。
「――待ってください! なにか聞こえませんか? それに精霊たちの様子が……」
その声にシーアは顔を上げた。
すぐ近くでアイナリンドが耳を澄ませていた。
それに釣られるようにシーアも周囲の音に集中する。
たしかに、なにか音が聞こえた。
それは細かい金属の破片が地面に散らばるような甲高い音だった。それでいて不快ではなく、小川のせせらぎのように心安らぐ、穏やかで優しい音色……。
「まさか……」
その音にシーアは聞き覚えがあった。
彼女の生涯で決して忘れることのできない音……。
その音に合わせてデーヴァンの身体から淡い光の粒子が次々と浮かび上がってきた。光の粒子はどんどん数を増やし、やがてイニアーの全身をも包み込んだ。
デーヴァンが天を仰ぎ、ひときわ大きく雄叫びをあげる。
次の瞬間、眩い光が周囲の景色を白く塗りつぶした――。
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