第248話 援軍

「後退だ! 神殿の入口を守れ!」


 ブルームの怒号が響き渡る。

 外壁が破られたことで、敷地内はすでに無数の魔動人形ゴーレムの侵入を許してしまっていた。

 兵士達は正門を放棄して神殿の入口まで下がった。当然、下がった分だけ魔動人形ゴーレムが敷地内になだれ込んでくる。

 もはや進退窮まったと言えたが、それでも諦める者は誰もなく、兵士達は互いに庇いあいながら神殿の入口を死守しようと奮戦する。


「なんだあれは!?」


 兵士のひとりが魔動人形ゴーレムの一体を指さして叫んだ。

 それは二つの頭を持ったオーガだった。


 ――合成獣キメラ

 かつて古代魔法帝国では様々な生物を組み合わせて新種の生物を生み出す研究が盛んに行われており、それらの遺産は今も地下遺跡に残っているという。以前に修介達が戦ったマンティコアなどはその代表例である。


「なんてことを……」


 サラはそのオーガを見て、あまりのおぞましさに吐き気を覚えた。

 首の根元から生えているもうひとつの頭は、オーガではなく人間のものだった。これを作った魔術師は、よりにもよって妖魔と人間を掛け合わせたのだ。


 二つ頭のオーガは、手にした棍棒を振り上げ、神殿の入口目掛けて地響きを鳴らしながら突っ込んでくる。

 ふたりの勇敢な兵士がそれを阻止しようとしたが、雑に振り回された棍棒によって軽々と吹き飛ばされてしまった。

 住民のひとりが「ひいぃ」と尻もちを付く。

 オーガはその悲鳴に反応して再び棍棒を振り上げた。


「下がっておれッ!」


 ノルガドがオーガの前に立ちはだかる。そして繰り出された棍棒を、戦斧の刃の部分で受け止めた。

 だが、おそらく魔法で強化されているであろうオーガの膂力は、ノルガドの予測を遥かに超えていた。一撃目こそドワーフ族特有の強靭さで耐えられたが、二撃目はさすがに無理だった。

 戦斧が弾かれる甲高い音が響く。

 勢いよく地面に叩きつけられたノルガドは、そのまま地面を転がり、ぴくりとも動かなくなった。

 オーガは止めを刺そうと倒れたドワーフの方へと巨体を揺らして向かっていく。首から生えた人間の顔には、嗜虐の笑みが張り付いていた。


「ノルガドッ!」


「よせ! お前が行ってもどうにもならねぇ!」


 駆け寄ろうとするサラを、ヴァレイラが抱えるようにして止めた。


「でも、ノルガドが、ノルガドがッ!」


「あたしが行くからお前は下がってろ!!」


 ヴァレイラが駆け出そうとした、その時だった。

 オーガの頭部が爆発四散した。まるで果実を棒切れで思い切り叩いた時のように、肉の破片と血しぶきが派手に飛び散る。

 頭部を失ったオーガはそのまま二歩、三歩と足を進ませたところで地響きを立てて崩れ落ちた。

 すると、周辺でも立て続けに爆発が起こり、近くにいた魔動人形ゴーレムの頭が次々と吹き飛んでいった。


「い、いったいなんだ?」


 ヴァレイラはサラを抱えたまま呆然と呟く。


「――おばあさまっ!?」


 そう叫んだサラの視線を追う。

 神殿の屋根……そこには白いローブを纏った三人の魔術師の姿があった。




「やれやれ、どうやら間に合ったみたいだね……」


 魔術師ベラは掲げていた杖を下ろし、ふう、と息を吐き出した。


「我が師よ、ここが街中であることをお忘れですか」


 ベラの横に立っている白いローブを纏った男が咎めるような口調で言った。細い顎と切れ長の目が印象的な男である。


「わかってるさ。だからちゃんと人のいないところを狙ったろう」


 老魔術師は悪びれもせず言い返す。


「こちとら孫に会いに来ただけなのに、こんな騒ぎに巻き込まれて迷惑してるんだ。ちょっと魔法を使ったくらいで文句を言われる筋合いはないさね」


「神殿の関係者には十分筋合いがあると思われますが」


「いちいち細かい男だねぇ。そんなだからあんたはモテないんだよ、ラルフォン」


「ご心配なく、異性に積極的に好かれたいとは思っておりません」


 男の言葉に、ベラは「はんっ」と鼻を鳴らした。


「で、でも、お師匠様、生命の神の神殿の敷地内……しかもこんな目立つ場所で破壊の魔法を使うのはさすがにまずいのでは……」


 もうひとりの魔術師がおずおずといった態度で会話に割り込んだ。フードにすっぽりと覆われているせいで顔は見えないが、声は女性のものだった。背が高く、男よりもさらに頭一つ分は高い。


「マーラ、あんたまで何を言ってるんだい! まったく背と尻はでかいくせに、相変わらず肝っ玉は小さいままだね!」


 ベラはそう言って女魔術師の尻を杖で軽く叩く。


「いいかい、マーラ。この世の中には規則よりも大切なものなんていくらでも転がっているんだよ。目の前で人が襲われているんだ。それを助けるのに何を躊躇う必要があるって言うんだい」


「うう……でもぉ……」


 マーラと呼ばれた魔術師は、叩かれた尻を撫でながら情けない声をあげる。


「とにかく、細かいことは後回しにして、ちゃっちゃと魔動人形ゴーレムどもを始末するよ!」


 ベラの号令でふたりの高弟は魔法の詠唱を再開した。矢継ぎ早に放たれる破壊の魔法が、着実に魔動人形ゴーレムの数を減らしていく。

 だが、出来た隙間を埋めるように、魔動人形ゴーレムは次から次へと押し寄せてくる。


「……こいつはきりがないねぇ」


 ベラは鞄からマナ回復薬を取り出して弟子たちに手渡すと、自身もそれを口に含んだ。

 ただでさえ、ここへ来るのに変化の術で鳥に姿を変えて飛んできた為、マナをかなり消耗しているのだ。これだけの数の魔動人形ゴーレムを全てを倒しきるには、手持ちのマナ回復薬をすべて使い切っても追いつかないだろう。


(仕方がないね……)


 ベラはひとつの決断を下した。


「ラルフォン、あんたの残ったマナを全部あたしにお寄こし! マーラ、あんたは下の連中に伏せるよう伝えて、目一杯の不可視の盾を展開するんだ!」


「お師匠様、いくらなんでもそれは!」


 師の意図に気付いて、マーラは思わず声を上げた。


「心配しなくても範囲は限界まで絞るつもりさ」


「でも――」


「いいからさっさとお行き! 下の連中を見殺しにする気かい!?」


 怒鳴りながらも、ベラはすでに術の詠唱動作に入っていた。

 それは学院で禁呪指定されている広範囲の破壊魔法だった。膨大な魔力が老魔術師の全身から放たれているのが、空気を通して伝わってくる。

 師が止まらないと悟ったマーラは転がるように下に飛び降りた。


 いきなり頭上から飛び降りてきた謎の魔術師に、神殿の前にいた誰もが唖然とする。

 唯一、サラが「マーラ、なんであなたがここに!?」という声を上げたが、マーラはそれを無視してその場にいる全員に伏せるよう大声で叫んだ。

 そして、残ったマナのすべてを注ぎ込んで不可視の盾の術を詠唱する。

 見えざる障壁が神殿を守るように展開されていく。

 辛うじて術が間に合った。

 目の前で光の爆発が起こったのはそのわずか数秒後だった。

 強烈な光が世界を白く染め上げる。凄まじい衝撃音と、嵐のような爆風。魔法の盾で守っていなければ、この場の全員が吹き飛ばされていただろう。

 マーラは盾を維持する為に、全神経と魔力を一点に集中し続けた。


 ……やがて潮が引くように光の奔流がゆっくりと収まると、神殿の敷地内にいた魔動人形ゴーレムはほとんどが跡形もなく消滅していた。

 マーラの奮闘の甲斐あって犠牲者こそ出なかったが、代わりに中庭は見るも無残な姿を晒していた。大切に育てられていた草花、美しいと評判だった女神の彫像、それらすべてが消し飛んでしまったのだ。


(さすがに少し派手にやりすぎたかもしれないねぇ……)


 ベラは呼吸を整えながら自省した。

 人命救助の為とはいえ、禁呪指定の破壊魔法を使用したことは後々大きな問題となるのは明白だった。

 それ以上に、一瞬で魔動人形ゴーレムを吹き飛ばした魔法の威力に、人々はあらためて魔法の脅威を思い出し、恐怖したはずである。


 かつて魔術師たちは大きな過ちを犯した。人の命を顧みず、欲望のままに魔法を行使し、世界に破滅をもたらした。その事実が歴史から勝手に消えることはない。魔術師が世間から白い目で見られるのは当然のことなのだ。

 弟子たちは普段からベラが魔術師の立場を少しでも良くしようと心を砕いていることを知っているからこそ、人前で破壊の魔法を使うことで、白の魔術師の名に傷がつかないかを心配してくれたのだ。

 だが、たとえベラが破壊の魔法を使わなかったとしても、今の街の惨状が魔術師の手によって引き起こされたことはいずれ世間に知れ渡るだろう。

 信頼という名の苗木は育つまでに多くの時間を必要とするが、燃えてなくなるのは一瞬である。それを知っているだけにやり切れない思いだった。


(まったく、とんでもないことをしでかしてくれたもんだね……)


 ベラは恨めし気な視線を領主の屋敷の方へ向けた。

 魔動人形ゴーレムを操っている術者が、そこにいることに彼女は気付いていた。

 術者を倒せば、魔動人形ゴーレムを止めることができる。

 それがわかっていても、近づこうとは思わなかった。

 否、近づけなかった。

 行けば確実に殺される。百戦錬磨の彼女にそう思わせるほどの存在がそこにいる。

 城門を破壊した赤い閃光、そして街全体を覆う強大な魔力場……あの魔獣ヴァルラダンですら、これほどの魔力場は展開できないだろう。その魔力量はもはや彼女の理解の範疇に収まるものではなかった。


「わが師よ、あれを」


 ラルフォンの指し示した先に、神殿に向かって押し寄せてくる新手の魔動人形ゴーレムの一団が見えた。一度や二度の魔法で全滅させられるような数ではない。この騒動を引き起こした魔術師は、一体どれだけの数の魔動人形ゴーレムを使役できるというのか。


「いかがいたしますか?」


 弟子の問いかけに、ベラはゆっくりと首を振った。


「あたしにできるのはここまでだね。白の魔術師だの賢者だのと大層な名で呼ばれていても、孫を救い出すだけで精一杯とはなんとも情けない話さ……」


 ラルフォンは返事の代わりに目を閉じ、耳を澄ます仕草をした。


「……では、後は彼らに任せるとしましょう」


 その発言の直後に、馬の蹄が石畳を叩く音が聞こえてきた。


 グントラムとランドルフ、ふたりの勇者に率いられた騎兵隊が東西の門から突入してきたのは、まさにその時であった。


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