第247話 貴族の青年と魔法王
逃げ惑う人間の心地よい悲鳴が耳に届く。
街が混乱と叫喚に溢れるなか、ルーファスは悠然と空から屋敷の中庭に降り立った。
近くにいた二人の衛兵がすぐさま「何奴だ!」と駆け寄ってくる。
ルーファスは無言のまま衛兵のひとりに手を翳す。それだけで衛兵は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「貴様ッ!」
同僚が倒れたのを見て、もうひとりがルーファスに掴みかかる。が、その身体は途中で蝋で固められたように動かなくなっていた。
「くっ、これはいったい……貴様いったい何を――ッ!?」
衛兵は最後まで言い切ることができずに失神した。
ルーファスは倒れた衛兵には目もくれず、中庭の中央にゆっくりと歩いて向かう。外の騒ぎに気を取られているのか、他に寄ってくる衛兵はいないようだった。
「ここか……」
街の中心地――屋敷のほぼ真正面にたどり着くと、ルーファスは地面に手をつき、詠唱を開始した。
詠唱がすすむにつれて巨大な魔法陣が次々と浮かび上がっては、地面に吸い込まれるように消えていく。
何か劇的な変化が起こるようなことはない。
彼がいる場所を中心に音もなく魔力場が展開されていく。その魔力が街全体を覆い尽くすに至ったところで、ルーファスは詠唱を止めた。
これで目的は果たされた。あとは術を発動すれば、この街の人間は魔力炉にマナを提供する為の家畜となる。
こうも簡単に事が成就するのは拍子抜けだが、この時代の人間に魔法への対策を施せという方が無理と言うものだろう。
「さて……」
ルーファスは屋敷へと足を向けた。
これから起こる出来事と、己の立場を領主に理解させる為である。もっとも、理解しようがしまいが運命は変えられないのだが。
ルーファスが屋敷の正面にある段差に足を掛けたところで、入口の扉が大きな音を立てて開いた。
現れたのは複数の兵士と、彼らに囲まれた貴族の青年――セオドニーだった。
互いに予期せぬ邂逅であったが、どちらも表情は一切変わらなかった。
「セオドニー様、お下がりください!」
代わりに血相を変えた兵士達が主を守るように素早く前に出て武器を構える。
ルーファスは、今度は手すら翳さなかった。
見えざる魔力の触手が居並ぶ兵士達に伸びる。彼らは何をされたのかわからないまま、主人の前で無様に泡を吹いて卒倒した。
だが、その惨状を見てもセオドニーは眉ひとつ動かさなかった。
「……状況から察するに、君が今回の騒乱を引き起こした犯人だと思われるけど、どうだい?」
「お前がこの街の領主か?」
互いに質問をぶつけあう形となったが、先に折れたのはセオドニーだった。
「僕は領主ではないよ。僕の名はセオドニー。この地を治める領主、グントラム・ライセット辺境伯の不肖の息子だ」
「ならばお前に用はない。領主の元へ案内してもらおう」
「残念ながら父は不在なんだ。今は僕が留守を預かっている」
「不在?」
ルーファスは眉をひそめた。
「南で大量発生した妖魔の対処に追われていてね」
「領主自ら軍を率いて向かったというのか」
領地を統べる者が率先して命を危険に晒すなど、少なくともイステール帝国ではありえないことだった。
「このグラスター領ではさほど珍しいことじゃないさ。――さて、次はこちらの質問にも答えてもらおうか。今街を襲っている
「そうだ」
「とりあえず、やめてもらってもいいかな?」
そのあまりに率直な物言いは、ルーファスの意表を突くことに成功した。
「……やめる理由がないな」
「そりゃごもっともだね。では、そちらの要求を聞こう」
「お前たちの服従だ」
「なるほど、それは実にわかりやすい」
セオドニーは声を出して笑ったが、目は一切笑っていなかった。
「ところで、君はあれだけの数の
「答える必要はない」
「それもごもっともだけどさ、それだけの力があるなら、わざわざこんな辺境の地を狙わなくても、他に豊かな土地などいくらでもあるじゃないか。ちょっと北に行けば王都だってあるわけだし。このグラスター領でなければならない理由がなにかあるのかい?」
「この地が我が領土だからだ」
その言葉に、セオドニーのただでさえ細い目が糸のように細まる。
「おやおや、このグラスター領はルセリア王国の王によって僕の父、グントラム・ライセットが治めるものと定められた地だ。君のような魔術師のものだったというのは寡聞にして知らないね」
「……」
「そもそも服従だの我が領土だの、さっきから随分と上からな物言いだけど、君はいったい何者だい?」
本来、その質問に答える義理はルーファスにはなかったが、目の前の男がどういった反応を示すのか興味をそそられた。
「我が名はルーファス。イステール帝国十二人の魔法王のひとりにして、このグラスターの地を治める王だ」
それまで張り付いたような笑みを崩さなかった青年の顔が一瞬だけ真顔に戻った。
「……それはそれは、また大きく出たね。今まで多くの奇人変人を見てきたけど、魔法王を名乗ったのは君が初めてだよ。まさか六百年前に滅びた国の王を名乗るとはね。だとしたら、君は見た目よりも随分と歳を取っているということになる」
「信じる信じないはお前の好きにしろ」
「そうさせてもらおう。その方が精神衛生上よさそうだ」
セオドニーは妙に演技がかった感じで肩をすくめて見せた。
「――それで、自称魔法王陛下はご自身の領土を取り戻す為に、我々に対して戦争を吹っ掛けてきた、という認識でよろしいですかな?」
まさか、とルーファスは鼻で笑った。
「俺とお前らとでは戦いになりえない。それは今の街の惨状を見れば赤子でもわかるだろう」
「だから一方的な服従を要求する、と。なるほどね」
セオドニーはひとり納得したように頷いた。
「古代魔法帝国では強大な魔法の力で地上の民を支配していたと伝え聞いたことがあるけど、君もそうするつもりなのかい?」
「だとしたらどうする?」
「もちろん、そういうことなら悪いけど君を逮捕させてもらうよ。罪状は……わざわざ言う必要ないだろう?」
セオドニーがそう言うや否や、周囲の木や植え込みから複数の人間が飛び出し、一瞬でルーファスを取り囲んでいた。
人数は六人。戦士風の恰好をした者が五人とローブを纏った者がひとり。
飛び出してから取り囲むまでの一連の動作で、彼らが一流の戦士であることがわかる。おまけに全員が魔力を帯びた武器や防具を身に着けていた。
「……これがお前の切札か?」
ルーファスは冷めた目で闖入者たちを見やった。
何か企んでいるであろうと見越して、時間稼ぎの会話に付き合った結果がこれだとすれば興覚めも甚だしかった。
「彼らは王都でも名を馳せている冒険者だ。全員に古代魔法帝国産の強力な対魔法用の
「なるほど、随分と手回しのいいことだ」
「身の安全には人一倍気を使うタチでね」
ふたりが会話を続けている間にも、冒険者たちはじりじりと距離を詰めていく。
彼らの剣が間合いに入ろうかというところで、包囲の外にいるローブを纏った男が魔法の詠唱を開始した。
それを見て、ルーファスは薄く笑った。
帝国時代の魔術師は戦いにおいて魔法の詠唱を行うことは滅多にない。
なぜなら、その前の段階で互いの優劣がはっきりとわかるからである。
魔力の強さは、そのまま魔力場の強さに比例する。魔法を詠唱するよりも先に相手が展開している魔力場を自分の魔力場で飲み込んでしまえば、それで決着がつくのだ。
この時代の魔術師は魔力場を展開するどころか、自身が魔力場に捕らわれていることに気付けるかどうかさえ怪しい。その程度の下級魔術師が何人いようが脅威になどなるはずがない。それは他の戦士も同様である。強力な対魔法用の
ようするに次元が違うのだ。
ルーファスは展開している魔力場に魔力を送り込んだ。
それで終わりだった。
先ほどの兵士同様、取り囲んでいた冒険者達は一斉に意識を失い、その場に崩れ落ちた。唯一、魔術師だけは懸命に抵抗しようとしていたが、それも長くはもたなかった。
魔術師は杖を構えたまま、泡を吹いて仰向けに倒れた。
「他にはもういないのか?」
嘲るようにルーファスは問いかけた。
「ご期待に沿えず申し訳ないが、今ので打ち止めだよ」
表情一つ変えることなく貴族の青年が答えた。
この時、ルーファスは初めて目の前の男の態度に違和感を覚えた。
切札を潰され、自身の命が危険に晒されているいうのに、慌てるどころか怯える素振りすら見せていない。
豪胆な性格、というのとは違う。
現状をまるで他人事のようにとらえているような、そんな態度だった。
「……お前、何者だ?」
「おや、自己紹介は先ほど済ませたつもりだけど?」
人を食った回答だった。
言葉でのやり取りに意味はない。操心の術で精神を支配し、口を割らせればいいだけである。ルーファスはそれを実行すべく、右手を翳した。
その直後だった。
街の南側から大気を引き裂くような爆発音が轟いた。
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