第243話 合流

 サテュロスという強敵を倒した直後とあって、修介は完全に油断していた。それに加えて気が急いていたということもあっただろう。

 牢獄の入口にある鉄製の扉。その蝶番に手を伸ばす直前まで、扉の外にいる人の気配に気づくことができなかった。

 目の前で勢いよく扉が開かれる。

 修介は驚いて飛び退ろうとしたが、それよりも先に飛び込んできた相手に組みつかれ、あっというまに床に倒された。そのまま後ろに手を回され、首根っこを押さえつけられる。あまりの早業に、ろくに抵抗もできずに身動きできない状態にされていた。


「……あれ、旦那じゃないっすか」


 聞きなれた声が頭上から注がれる。

 修介はなんとか首を動かして襲撃者の顔を見た。


「イニアー!」


「驚いた。ホントに生きてやがったぜ……」


 イニアーは振り返って、「おい、旦那を捕獲したぞ」と呼びかけた。そこにはナーシェスやデ―ヴァン、そしてシーアの姿があった。


「みんな……」


 予想だにしていなかった再会に、声が震える。

 古代魔法帝国の魔法が見せる幻覚かと思ったが、頭をわしわしと撫でてくるデーヴァンの手の感触は間違いなく本物だった。

 だが、再会を喜んでいる余裕はなかった。

 修介はすぐにデーヴァンの手から逃れると、背後を指さした。


「あっちに怪我人がいるんだ!」


 言い終わるよりも先にシーアは走り出していた。ナーシェスも心得たとばかりに頷き、後を追う。

 その様子を見て、修介は彼らに任せておけば大丈夫だと胸をなでおろした。





「――で、旦那はどうして俺らと合流せずに、こんなところにいるんだ?」


 そう問いかけてきたイニアーの口調は、咎めているというよりは、純粋に疑問に思っているような口調だった。

 修介はここに至るまでの事情を順を追って説明した。


「なるほど、エルフの嬢ちゃんの弟ねぇ……。それにしても、こっちは旦那が崖から落ちて大騒ぎだったというのに、まさかたったふたりで敵の本拠地に乗り込むなんて無茶な真似をしていたとはね」


「すまん……」


「ま、旦那の暴走は今に始まったことじゃないからな。俺や兄貴は別にいいが、あのふたりにはちゃんと詫び入れとけよ?」


 イニアーが治療を行っているナーシェスたちの方を見ながら言った。


「わかってる、あとでちゃんと謝るよ……ところで、あの人獣ライカンスロープはどうなった? 倒したのか?」


「調査団の連中が駆け付けたのを見て尻尾捲いて逃げてったよ。かなりの深手を負わせたからその辺で野垂れ死んでるかもな」


「そうか……とにかく、みんなが無事でよかったよ。ずっと心配してたんだ」


 修介としては素直な心情を吐露したつもりだったが、対するイニアーはたちまち呆れ顔になった。


「そう思ってるなら素直に戻ってきてほしいところだがな。だいたい崖から落っこちた奴に心配されるいわれはねぇよ。立場が逆だろうが」


「だから悪かったって……。けど、なんでみんながここにいるんだ?」


「そりゃ旦那を追いかけてきたからに決まってるだろう」


「いやそれはわかるけど、あの状況で俺が生きてるって普通思わなくない?」


「まー普通はそう思うよなぁ」


 イニアーは同意だとばかりに頷いた。


「残念ながら兄貴を筆頭に他の連中はそう考えなかったようでな。旦那は生きているに違いないから探しに行くってきかなかったんだよ。まったく、付き合わされるこっちの身にもなってもらいたいもんだ」


 イニアーの咎めるような視線を受けたデーヴァンは、なぜか誇らしげに胸を反らしていた。


「そうだったのか、ありがとうな、デーヴァン」


「ああ」


 嬉しそうに頷いたデーヴァンが再び頭を撫でようと手を伸ばしてくる。「だから髪には触るなって」と抵抗していると、ふと頭に疑問が浮かんだ。


「でも、どうして俺がここにいるってわかったんだ? いくらなんでも見つけ出すの早くない?」


「それについてはナーシェスに感謝するんだな。あいつ、旦那が落ちるってわかった時に、咄嗟に旦那の鎧に魔力を付与したんだとよ。俺らはその痕跡を追ってきたってわけ。道中には目印もあったし、洞窟に入ってからは竜牙兵の残骸がこれでもかと転がってたからな、後を追うのは簡単だったよ」


 修介は心の底からナーシェスに感謝した。それと同時に、彼は魔力が弱いだけで魔法の使い方や判断力に優れていることをあらためて実感した。


「ん、でも待てよ? たしか洞窟の入口には強力な結界があったはずだよな」


「あー、あれね……」とイニアーは苦い顔を浮かべた。


「あれはたしかにやばかったな。あんなやばい魔法を受けたのは俺も初めてだ」


「だろ? どうやってあれを突破したんだ?」


 問われたイニアーはシーアへと視線を向けた。


「あそこの神官様のおかげだよ。俺らは神聖魔法で加護を授けてもらったおかげで正気を失わずに済んだんだ。もっとも、兄貴は暴れて大変だったけどな。な、兄貴?」


 デーヴァンはさっきまでとは打って変わって「うう……」と申し訳なさそうに肩を落とした。


「そうか、シーアさんの神聖魔法か……」


 修介は魔獣ヴァルラダンとの戦いを思い出していた。あの時、魔獣の咆哮に耐えられたのは戦いの神の槍を持っていたハジュマとランドルフだけだった。

 シーアの神聖魔法にはそれに匹敵するだけの力があるのだ。どうやら彼女は修介が思っている以上に優秀な神聖魔法の使い手なのかもしれなかった。


「いや正味な話、あの神官様はたいしたタマだぜ。俺らは加護があったからなんとか耐えられたが、あの神官様は『私の覚悟が試されているのです』とか言い出して、自分には魔法をかけずに突破しちまったんだからな」


「マジで?」


「神官連中は頭の固い奴ばかりだってのは知ってたが、あそこまで突き抜けられると、いっそ清々しいくらいだ。お見事としか言いようがない」


 イニアーにしては珍しく手放しの称賛である。

 その気持ちは修介にも理解できた。

 姉を救わんとするイシルウェですら単独では突破できなかったあの結界を、彼女は信仰の力で打ち破ってみせたのだ。

 何かを成そうとする人の意志には、時に魔法さえも凌駕するような奇跡を起こす力があるのかもしれない。

 修介はそれを体現してみせたシーアに敬意を抱いた。


 しばらくすると、そのシーアが治療を終えて戻ってきた。荒い息遣いから、かなりの魔法を使ったことが伝わってくる。


「おふたりとも命に別状はありません。すぐに動くことはできないでしょうが、安静にしていれば快方に向かうはずです」


「よかった……。シーアさん、ありがとうございます」


 修介は安堵のため息をはきつつ、頭を下げた。


「礼は不要です。私は生命の神に仕える信徒として当然のことをしただけですから」


 いつもと変わらない台詞をいつもと変わらない澄まし顔で言うシーアに、どことなくアレサと似た空気を感じて修介は思わず苦笑しそうになった。


「それでも来てくれて本当に助かりました」


「やめてください。仲間なんですから助けにいくのは当たり前でしょう? それに礼を言うべきは私の方です。あなたがいなければ崖から落ちていたのは私でした。今、私がこうしていられるのは信仰のおかげではなく、あなたのおかげです」


 今度はシーアが深々と頭を下げた。


「いや、あれは咄嗟に身体が動いただけというか……。なんにせよ、シーアさんが無事だったのならよかったです」


 修介がそう言うと、シーアは少し困ったような顔をしながら居住まいを正した。


「シュウスケさんにはとても感謝しています。ですが、ひとつだけ言わせてください」


「な、なんでしょう?」


 修介は思わず身構えた。


「あなたの自己犠牲の精神はとても尊いものだと思います。ですが、シュウスケさんは少しご自身の命を軽く扱いすぎているように私には思えます」


「そ、そんなことは――」


 ない、とは言い切れなかった。

 実際、輸送部隊の護衛依頼で、修介は仲間を逃がす為に単独でグイ・レンダーに挑んだ挙句、隊に戻らず方々に迷惑を掛けた。おそらくシーアはその時のことも含めて言っているのだろう。

 それでなくとも、アレサからも同様の指摘を度々されている。

 修介自身、決して死に急いでいるつもりはないのだが、そう思われても仕方ないだけの無茶を繰り返している自覚はあった。

 その根底には、二度目の生だからこそ無茶をしてでも自分が誇れる生き方を全うしたい、という衝動にも近い想いがある。

 そしてそれは、修介にとっての戦う意味そのものなのだ。


「……迷惑を掛けたことは本当に申し訳ないと思っています。けど、俺は同じ場面に遭遇したら、きっとまた身体が勝手に動くと思います」


「私の考えをあなたに押し付けるつもりはありません。ただ、シュウスケさんはもう少しご自身の命を大切にしてください。あなたの無事を願っている人がいるということを、頭の片隅に留めておいてほしいのです」


 修介の脳裏にサラの顔が浮かぶ。もし彼女がこの場にいたら「そんなだから考えなしって言われるのよ」くらいは言われたかもしれない。


「……わかりました。肝に銘じておきます」


 重々しく頷くと、シーアは途端に申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「すみません。あなたに命を救われた私が言えた義理ではないのは重々承知しているのですが、どうしても言わずにはいられませんでした」


 すると、傍でやり取りを見ていたイニアーが突然、声を上げて笑い出した。


「旦那、そこの神官様は今でこそそんな澄まし顔してるがな、旦那が落ちた時はそりゃもうガキみたいに取り乱して大変だったんだぜ」


 途端にシーアの顔が真っ赤に染まる。


「そ、そんなことはありません! そう言うあなたこそ、別行動を取るとマシュー殿に伝えた際には、言い合いになってまで説得を手伝ってくださったではないですか!」


「……そうなの?」


「いや、記憶にないな」


 イニアーは真顔で答えた。


「ってかやっぱり揉めたの?」


「そりゃ揉めるだろう」


「そっか、そうだよな……あらためてすまん……」


 おそらく依頼を放棄したと見なされただろう。にもかかわらず、彼らは捜索に赴いてくれたのだ。

 あらためて今回取った行動が依頼を受けた冒険者として許されない独断専行だったことを修介は自覚した。

 ただ、もう一度同じ状況に遭遇したとしても、やはり同じ決断をするだろう。こればかりは反省しても変えられそうにない。

 なれば、せめて他のところで失地を挽回できるよう頑張るしかなかった。


「それで、その辺りも含めて、シュウ君はこれからどうするつもりだい?」


 会話が途切れるタイミングを見計らっていたかのようにナーシェスが口を挟んだ。


「……とりあえず今からでも調査団と合流したいところだな」


 少し考えてから修介は答えた。


「予定通りなら調査団は白い塔の調査を行っているはずだけど……そこで収穫がなければ地下に下りてくるかもしれないね」


 ナーシェスの言葉に、イニアーが頷いた。


「あの隊長なら間違いなくそうするだろうぜ。俺の見立てじゃ、ありゃ典型的な引くことを知らないタイプの騎士だ」


「だとしたらまずいかも……洞窟の入口からここまでの竜牙兵はだいたい片づけたはずだけど、上の階層は手付かずだ」


「なら急いだほうがよさそうだね」


 ナーシェスがそう言うと、デーヴァンは何も言わずにイシルウェをお姫様抱っこのように抱え上げた。大男のデーヴァンがそれをやると、小柄なイシルウェは完全に女子にしか見えない。本人に意識があったら間違いなく暴れていたことだろう。


「それじゃ俺は嬢ちゃんの方を……」


 イニアーがいそいそとアイナリンドの元へ向かおうとしたところ、シーアが厳しい顔でその前に立ちはだかった。


「その必要はありません。彼女は私が連れて行きます」


「いやいや、あんたじゃ荷が重いだろう?」


「ご心配いただかなくても、普段から鍛えていますので」


 シーアは宣言通りに軽々とアイナリンドを背負うと、呆気に取られるイニアーの横を澄まし顔で通り抜けていくのであった。


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