第242話 執念
デヴァーロは腹部に突き刺さった剣をまじまじと見つめる。
帝国時代、ルーファスに仕える使い魔として幾度となく魔剣持ちの剣士と死闘を繰り広げてきた。にもかかわらず、相手が手にしている得物が魔剣であったことを完全に見落としていたのだ。
六百年にわたる封印で勘が鈍っていたのか。それとも自身の戦闘力を過信して相手を侮ったからか。どちらにせよ、これでは片腕を失ったキリアンを笑えない。
だが、デヴァーロは後悔も反省もしなかった。そういう後ろ向きな行為は彼が最も嫌うことだった。欲望の赴くまま、常に前だけを向いて生きるのが彼のスタンスだった。
そもそも、この程度の傷では魔法によって強化された肉体を死に至らしめることなどできはしない。
「わりぃな……この程度で死んでたら奴の使い魔は務まらねぇんだわ」
口の周りを血に染めたサテュロスが歯茎をむき出しにして笑った。
修介は背筋にぞっとするものを感じ、慌ててアレサを引き抜こうとしたが、先に手首を押さえられる。それと同時に空いているもう片方の手が首に伸びてきた。
「ぐっ!?」
首を締め上げられ、呼吸ができなくなる。
引き剥がそうにも、サテュロスの手は万力で固定されているかのようにぴくりとも動かない。とても重傷を負っているとは思えぬ怪力で締め上げてくる。
「舐めた詫びに、きっちり首をへし折って殺してやるぜ」
殺意に彩られた獣のような目が向けられる。
修介は手足をばたつかせて抵抗したが、サテュロスの身体は小動もしなかった。
(く、くそっ――)
油断はしていなかった。容赦なく殺しにいった。それでも想定外の事態が起こりうるのが殺し合いなのだ。
視界が徐々に闇に染まり、全身から力が抜けていく。
このまま諦めれば楽になれる……そんな誘惑が心の底からせり上がってくる。
だが、修介はその誘惑を意志の力でねじ伏せた。
(諦めてたまるか! 俺は勝つ! 勝つんだッ!)
そう心の中で叫んだ、直後だった。
「――ごふっ!?」
再びサテュロスの口から血の塊が吐き出される。
その胸元から、アレサとは異なる剣の切っ先が突き出ていた。
「て、てめぇ……いつのまに……」
首だけで振り返りながら、サテュロスが呪詛の声を漏らした。
その後ろにイシルウェがいた。おそらく姿隠しの魔法を使って忍び寄っていたのだろう。そして背後から剣で背中を突き刺したのだ。
「う、後ろからとは卑怯じゃねぇか……」
「人語を喋るな獣野郎」
イシルウェがそう吐き捨てた直後、剣から炎が噴き出し、またたくまにサテュロスの上半身を包み込んだ。
デヴァーロは凄まじい悲鳴とともに地面をのたうち回った。
炎に身を焼かれながら、彼は初めて己の死を意識していた。
彼がルーファスの使い魔になった経緯はキリアンと大差なかった。一族を皆殺しにされ、彼だけが生き延びた。違いがあったとすれば、デヴァーロは復讐など微塵も考えず、自ら望んで使い魔になったことか。
そんな彼の考え方は至ってシンプルだった。
常に勝利する側に立つ。それだけである。
そういう意味ではルーファスは実に理想的な主人と言えた。
魔術師としての実力は言うに及ばず、魔法に対する尽きない欲望や、生に対する異常なまでの執着と執念は、同じ我が道を行く者としてどこか相通じるものがあった。
その執念が実を結んだ結果、帝国が魔神によって滅ぼされた後もしぶとく生き延び、こうして今の時代に復活して再び力を取り戻してみせたのだ。
魔神のいなくなった世界にルーファスを倒せる者など存在しない。
デヴァーロは魔法王の使い魔として、未来永劫あらゆる快楽を楽しみ尽くすつもりだった。
ゆえに、死は彼にとってもっとも遠くに存在していなければならないのだ。
「お、俺様は……こんな、ところで、死ぬつもりは、ねぇッ!」
次に起きた出来事は修介の心胆を寒からしめた。
全身を焼かれながら地面をのたうち回っていたサテュロスが突如として跳ね起き、イシルウェに襲い掛かったのだ。
凄まじい執念である。
だが、それ以上に醜かった。
他人の命は平然と奪うくせに、自分の生に対しては異常なまでの執着をみせる。その身勝手さと醜悪さに、修介は怒りを爆発させた。
「死ねやぁぁッ!」
絶叫しながらアレサを一閃する。
獣のような咆哮が響き渡った。
間違いなく断末魔の叫びだった。
背中を斬られたサテュロスが大きく仰け反る。そのまま数秒硬直した後、火の粉をまき散らしながらゆっくりと仰向けに倒れた。
今度こそ、命を絶ったという手応えがあった。
それでも修介は油断なくアレサを構え、完全に燃え尽きるまで、その場を一歩も動かなかった。これで再び立ち上がってきたら、この世のすべての生命に対する冒涜だとさえ思っていた。
幸いなことに、サテュロスが起き上がって来ることは二度となかった。
「姉さんッ!」
イシルウェが叫びながら奥の扉へ走り、ほとんど蹴破る勢いで中に飛び込んだ。
サテュロスの死体を呆然と見つめていた修介も我に返って後を追う。
中は石造りの狭い部屋だった。
奥の壁際に仰向けで倒れているアイナリンドの姿があった。
イシルウェはもう一度「姉さん!」と叫び、姉の元へ駆け寄る。
これだけ騒がしくしたのに、ぴくりとも反応しない。抱え起こされてもぐったりとしたままで、その顔はまるで死人のように真っ白だった。
「だ、大丈夫そうか?」
修介はおそるおそる問いかける。
アレサからアイナリンドが生きていると聞かされていても、目を覚まさない限りはとても安心などできなかった。
「……息はある」
そう答えたイシルウェだったが、ほっとしたような様子は微塵もなかった。
そのまま姉の胸に片手を置き、ぼそぼそと聞きなれない言葉を呟き始める。
なにをしているのかわからなかったが、修介は黙ってその様子を見守ることにした。
アイナリンドの身体には特に外傷はなさそうだった。着衣の乱れもなく、顔色を除けばただ眠っているだけに見えなくもない。
「なぁ、どうなんだよ?」
結局、我慢できずに修介は尋ねてしまった。
「……生命力がほとんど感じられない」
イシルウェは険しい顔で言うと、アイナリンドを背負って立ち上がった。
「動かして大丈夫なのかよ?」
「大丈夫なわけないだろう。だが、ここでは手の施しようがない。地上に戻れば森の精霊に生命力をわけてもらえる。それに賭けるしかない」
「わ、わかった」
修介は先導するべく入口の扉へ向かう。
だが、その直後に、どさり、と背後で音がした。振り返るとイシルウェがアイナリンドを背負ったままうつ伏せに倒れていた。
「お、おいっ!」
修介は慌てて駆け戻る。
顔を覗き込むとイシルウェは口の端から血を流し、完全に意識を失っていた。呼吸音があきらかにおかしい。
「お前まさか、さっきあいつに蹴られた時に……」
負傷していたのだ。あれだけ派手に蹴り飛ばされて無事でいられるはずがない。そんな状態で精霊魔法を使った挙句、人ひとりを担いで移動しようとしたのだから、こうなるのも当然だった。
「くそっ、どうすれば……」
さすがにふたりを抱えて地上に戻るのは無理があった。そもそも内臓に深刻なダメージがある可能性を考えると、おいそれと動かすわけにはいかないだろう。
イシルウェに意識があれば、「俺はいいから姉さんを連れていけ」と言いそうだが、修介に彼を置き去りにする選択肢はなかった。この姉弟を無事に再会させなければ意味がないのだ。
「地上に戻って助けを呼んでくるしかないか……」
白い塔に出現したとされるサテュロスがここにいたということは、この地下迷宮と白い塔が繋がっている可能性が高いということである。上手くすれば、そう時間を掛けずに調査団と合流できるかもしれない。調査団にはシーアやナーシェスがいる。彼らならばふたりを助けることができるだろう。
意識のないふたりをこの場に残していくことに抵抗はあったが、それ以外にこの状況を打開できる手はなさそうだった。
修介は姉弟をそっと並べて寝かせると、「すぐに戻ってくるから」と声をかけ、地上を目指して走り出した。
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