第241話 闘志

 グラスターの街が混乱を極めている頃、修介とイシルウェは魔術師の拠点の深部へと足を踏み入れていた。

 そこはまさしく迷宮だった。

 通路は蜘蛛の巣のように細かく枝分かれしており、それが何層にも連なっている。

 巨大な立方体の石を規則正しく並べていったような作りは、以前に修介が探索した地下遺跡よりもさらに無機質な印象を受ける。

 そして道中には、これでもかと言わんばかりに竜牙兵ドラゴン・トゥース・ウォリアーが至るところで待ち構えていた。


 だが、この地下迷宮にとって修介は許しがたき侵入者だった。

 竜牙兵がいくら強いといっても、反応しないのであればただの人形と変わらない。

 修介は自身の特性を活かして棒立ちの竜牙兵を容赦なく叩き壊していった。イシルウェの精霊を使った索敵のおかげで先手を打てたことも大きかっただろう。

 さらにどういう風の吹き回しか、アレサが分かれ道に差し掛かる度に振動を使ってさりげなく向かうべき方角を教えてくれたおかげで、ほとんど迷うことなく正しいルートを進むことができたのである。

 当然イシルウェは不審がったが、修介が自信満々に進んだ先に下へ降りる階段が現れるといったことが続いたことで、途中からは何も言わなくなっていた。


 そうして何層にもわたる地下迷宮を下へ下へと突き進み、いくつもの分かれ道や広間を抜けたところで、頑丈そうな鉄製の扉が姿を現した。

 扉は片側が少しだけ開かれていた。

 修介は音をたてないよう慎重に扉に近づき、隙間から中を覗き込んだ。

 やたらと奥行きのある大部屋だった。壁には珍しくたいまつも掛けられており、ゆらめく炎に照らされた部屋の奥には、またしても扉がある。

 だが、扉よりも目を引いたのは、左右にずらりと並んでいる鉄格子だった。


(ひょっとして牢獄か?)


 だとすれば、アイナリンドがここに捕らわれている可能性が高い。

 修介は逸る心を抑え、もう一度中の様子を窺う。

 誰もいない。少なくとも人の気配は感じなかった。

 それならば、と扉をくぐろうとしたところで、イシルウェが押しのけるようにして中へ入って行った。「このやろう」と心の中で文句を言いつつ、修介も後に続いた。


 手分けして順番に鉄格子の中を覗き込んでいく。

 だが、どれももぬけの殻で、アイナリンドの姿は見当たらなかった。

 もしかしてアイナはもう……そんな不吉な考えが修介の脳裏をよぎる。

 その時、いきなり軋むような音を立てて奥の扉が開いた。

 空気が一瞬で凍り付く。周辺に身を隠せるような遮蔽物はなく、修介たちは出てきた男と正面から相対する羽目になった。


「だ、誰だっ、ここで何をしている!」


 叫んだのは修介だった。口にしてから己の間抜けさに気付く。不法侵入しているのはどう考えても自分達の方だった。


「あん? なんだぁてめぇらは」


 男は特に驚いた様子もなく、間延びした声で言った。

 見た目はあきらかに人間ではなかった。額の両側にある曲がりくねった角。人の上半身に山羊のような脚……。事前に聞いていたサテュロスの特徴と合致していた。つまり白い塔の魔術師の仲間である可能性が高いということだった。


「おかしいなぁ……ここにくるまでには結構な数の竜牙兵がいたはずだ。どうやってこんなところまで入り込みやがった」


 修介とイシルウェは質問には答えず、無言のまま武器を構えた。


「答える気はないってか。まぁいいさ」


 サテュロスは手にした槍を肩に担ぎながら前に進み出ると、値踏みするような目でふたりを見た。

 その視線がイシルウェのところで止まる。


「ん? てめぇのその面……ひょっとしてあの時のエルフか! こいつは驚いた。わざわざ戻ってきたのかよ!」


 サテュロスが声を上げて笑う。


「ひょっとしてお仲間を取り戻しに来たのか? エルフってのは随分と同族思いなんだな」


 同族、という単語を聞いてイシルウェの眉が上がる。


「姉さんがここにいるのかッ!」


 わかりやすい反応にサテュロスの口元が愉悦に歪んだ。


「身内か? そうだろうと思ったぜ。なんせ顔がそっくりだからな。そうかそうか、姉さんを助けに来たのか。泣かせる話じゃねぇか……。だが残念だったな、てめぇの姉さんはついさっき死んじまったよ」


 その言葉にイシルウェの身体がびくっと震えた。


「わりぃな、つい興が乗って壊しちまったんだ。もっと楽しませてもらおうと思っていたんだがなぁ、エルフってのは華奢で困る」


「貴様ぁッ!」


 激昂したイシルウェが猛然と突っ込む。

 サテュロスはその攻撃を軽く身を捻っただけで躱すと、すれ違いざまに蹄でイシルウェの身体を蹴り飛ばした。


「がはっ!?」


 吹き飛ばされたイシルウェは鉄格子に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。


「前に言わなかったか? このデヴァーロ様を倒そうなんざ六百年早いってな。……さて、そっちの兄ちゃんはどうするよ。お仲間はやられちまったぜ?」


 サテュロスは嗜虐に満ちた笑顔でもうひとりの侵入者に向かって問いかけた。

 だが、修介の耳にその声は届いていなかった。


「アイナが、死んだ……?」


 口から無意識に絶望の言葉がこぼれ落ちる。

 あの花が咲いたようなアイナリンドの笑顔をもう二度と見ることができない。その事実を受け入れることを脳が拒否していた。あまりの喪失感に、敵が目の前にいるというのに気力が身体中から抜け落ちていくのがわかる。


『マスター、安易に敵の言葉を信じないでください』


「アレサ!?」


『エルフ娘はまだ生きています』


 アレサが発したその一言が、一瞬で心に活力を取り戻させた。修介にとってアレサの言葉は常に全幅の信頼が置けるもので、真偽の確認をする必要すらなかった。

 まだ手遅れではないのなら、やることは単純だった。

 修介は湧き起こる怒りを叩きつけるように目の前のサテュロスを睨んだ。


「おうおう、いい目をするじゃねぇか。少しは楽しませてくれるんだろうなぁ」


 のんびりとした口調とは真逆に、サテュロスは言い終わると同時に突進し、手にした長槍を突き出してきた。

 修介はその攻撃を横っ飛びで躱すと、起き上がりざまに反撃の一撃を見舞う。だが、その攻撃は長槍であっさりと防がれた。


 槍使い相手の戦い方は修介も訓練場で学んでいた。間合の異なる武器同士の戦いでは、いかに自分に有利な間合いを取れるかが重要である。

 修介はとにかく相手の懐に飛び込もうとした。

 だが、サテュロスの強靭な脚部から生み出されるフットワークは尋常ではなく、間合いを詰めるどころか動きに付いて行くだけで精一杯だった。

 そして差があるのは身体能力だけではなかった。

 技量にも絶望的な差があった。

 サテュロスは長大な槍を身体の一部のように扱っており、すべての攻撃がいとも容易く弾かれた。

 鋭い切れ味を誇るアレサの斬撃を受けても傷ひとつつかないことから、手にしている槍はアレサと同等の魔力を帯びている可能性が高かった。


「悪くはねぇんだが……てめぇ程度の奴は闘技場で腐るほど見てきたからなぁ。ちょいとばかし物足りねぇな」


 落胆を隠そうともせず、サテュロスが言った。

 そこからは完全に攻守が逆転した。

 恐ろしく鋭い突きが次々と繰り出される。

 当然、反撃などできるはずもなく、修介は右へ左へと転がされた。


「そうやって地べたを這いずりまわる姿はまるで蟻んこだな!」


「避けるしか能がねぇ雑魚が!」


「逃げ回ったところで誰も助けちゃくれねぇぜ!」


 一突きごとに罵声が浴びせられる。

 修介は何も言い返さなかった。

 サテュロスの言っていることは何も間違っていない。

 自分が雑魚であることなど言われるまでもなくわかっていた。いつだってアレサや仲間に助けられてばかりで、独力で成し遂げられたことなどないに等しい。

 ジュードの時も、グイ・レンダーの時も、人獣ライカンスロープの時も、いつだって無様に逃げ回っているだけだった。そうしていれば誰かがなんとかしてくれる……そんな甘えが心のどこかにあった。


(けど、それじゃ駄目なんだ!)


 己の力で道を切り開く為に、これまで懸命に戦ってきたのだ。

 もういい加減、誰かに守られてばかりの情けない自分と決別しなければならない。


(今度こそ、俺は勝つ!)


 修介は心の中で吼えた。

 だが、気持ちだけで勝てるほど現実は甘くない。

 ならばどうするか。

 自分が高みにいけないのならば、相手に下りて来てもらうしかない。

 勝つ為のヒントは、マッキオとの会話からすでに得ていた。


 修介は燃え盛る闘志を封じ込め、「ひいぃ」と情けない声を上げながら、これまで以上に逃げに徹する。

 その姿に嗜虐心を刺激されたのか、サテュロスはさらに勢いを増して槍を繰り出してくる。


 傍から見れば無様に逃げ回っているようにしか見えないだろう。実際、修介は演技ではなく本気で逃げ回っていた。

 だが、これまでとは明確に違う点があった。

 それは目だった。

 修介の目は冷静にサテュロスの動きを捉え続けていた。


「ぐっ!」


 ついに躱しきれずに、槍の穂先が修介の太ももを掠めた。

 バランスを崩した獲物を見て、サテュロスが大きく槍を引いた。

 その顔には溢れんばかりの愉悦の感情が浮かんでいた。

 サテュロスにとってこれは戦いではなく狩りなのだ。

 自分だけが一方的に獲物を狩る権利を持っている。圧倒的に自分が優位に立っている――そう思い込んでいる者の顔だった。


(ここだッ!)


 修介は足を止め、正面から攻撃を迎え撃った。

 これまでの攻撃パターンから突きが来ることはわかっていた。

 繰り出された槍をぎりぎりのところで金属製の籠手で弾く。

 逸れた穂先が頬を掠めるが、修介は意に介さず右手に握ったアレサを突き出した。

 極限まで研ぎ澄まされた集中力が、一連の動きを成功に導いた。

 ずぶり、と肉を貫く感触がアレサの柄を通して伝わってくる。

 魔力を帯びた刀身は易々とサテュロスの腹部を貫いていた。

 致命傷を与えたという手応えがあった。

 だが、修介はそこからアレサを掴む手に力を加え、容赦なく捩じり上げた。


「ごふっ!」


 サテュロスの口から大量の血が吐き出される。手からこぼれ落ちた槍が乾いた音を立てて床を転がった。

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