第237話 大火

 その日、領都グラスターの南西地区にある生命の神の神殿には、領主の一人娘シンシアが訪れていた。

 カシェルナ平原の戦いから帰還した傷病兵を慰問する為である。

 それ自体は特に珍しいことではない。最近のシンシアは以前にもまして精力的に外に出て街の人々とふれあうようになっていた。

 珍しいことがあるとすれば、彼女に付き従っている護衛の騎士がランドルフ卿ではないことだった。


 ランドルフの扱いはかねてより上層部で議論の的となっていたが、今回の妖魔の大侵攻を受けて正式に前線への復帰が決まったのである。騎士団の戦力低下が深刻な現状で、最強の騎士を後方に置いておく余裕などあるはずもなく、騎士団長カーティスが渋るグントラムを説得したのだという。

 そして、ランドルフの後任として護衛に選ばれたのが、神聖騎士ブルームだった。


 任命されたブルームは「なんで俺が……」と嘆いた。

 前線で戦えないランドルフの苦悩は間近で見ていて知っていたし、性格的に貴人の護衛などという堅苦しい任務が向いていないという自覚もあった。

 そもそもシンシア嬢の護衛は、優秀と認められた騎士のみが就くことのできる名誉ある役職である。昼間から酒を飲み歩く絵にかいたような不良騎士である自分が選ばれるはずがないと高を括っていたのだ。

 ただ、後になって騎士団長から、この人選がシンシアとランドルフ両名の強い要望があったからだと聞かされて、思わず納得した。


 話は降神祭が開催された三月にまで遡る。

 シンシアが冒険者一行と酒場で宴を催したあの日、ブルームも冒険者と一緒になって大いに盛り上がった。

 それが失敗だった。

 宴の途中で、鬼のような形相をしたランドルフが店に入ってきたのだ。

 盛大に酔っぱらっていたブルームは真っ青な顔をした修介を見て他人事のように笑ったが、むしろランドルフの怒りの矛先は、お嬢様の暴走を止めなかった神聖騎士に向けられた。そのまま衛兵に両脇を抱えられて詰め所に連行され、牢の冷たい床で一夜を過ごす羽目になった。

 シンシアのとりなしのおかげで上に報告されることだけは免れたが、結果としてブルームはランドルフに対して大きな借りを作ってしまったのである。


「あいつめ、俺が断れないとわかっていて押し付けやがったな……」


 ランドルフがそんな男ではないとわかっていても、そう言わずにはいられなかった。




 そういうわけで、神聖騎士ブルームは同僚の騎士と共に、シンシア嬢が慰問を行っている部屋の前で直立不動の姿勢を取っている真っ最中だった。


「これも神より課せられし試練というものか……」


 思わず漏れた愚痴に、同僚の騎士が眉をひそめる。


「不心得者め。真面目にやれ」


「やっているとも。ただ、どうもじっとしているのは性に合わん」


「気を引き締めろ。つい先日、フィンドレイ家の屋敷が襲撃されたのを忘れたか。それでなくとも領内では不穏な事件が立て続けに起こっているんだ。神殿の敷地内だからといって油断はできんぞ」


「わかっている。……ったく騎士の鑑みたいな発言をしおって。おぬしはランドルフか」


「騎士にとってそれは最高の誉め言葉だ。ありがたく受け取っておこう」


「ふん……」


 ブルームは鼻を鳴らしたが、同僚の発言はまさしく正論なので大人しく引き下がった。

 たしかに、ここ最近のグラスター領は様々な事件に見舞われていた。

 それらの出来事は大いなる災厄の前触れなのではないか。そんな噂が市中に出回っているほどである。無論、本気でそれを信じている者などいないだろう。

 ただ、ブルームにはなんとなくグラスターの各地で小火が発生し、その煙が領地全体を覆っているような、そんな嫌な感覚があった。


「おい、入口の方が騒がしくないか?」


 同僚の言葉にブルームは「む」と唸って耳を澄ます。

 複数の人間が言い争うような声が聴こえてきた。

 ここは本殿から少し離れた場所に建てられた宿舎である。主に長期間の治療が必要な人を受け入れる施設の為、一般の信者がここを訪れることは滅多にない。

 ブルームは同僚にこの場にいるよう頼み、様子を見に向かった。


 入口の前では衛兵と二人組の男がなにやら言い争いをしているようだった。


「何を騒いでいる」


 ブルームが声を掛けると衛兵は慌てて直立不動の姿勢を取った。


「はっ、怪しげな二人組が中に入り込もうとしたので、止めておりました」


 ブルームはその二人組とやらに視線を向けた。

 まだ少年と言っていい年頃の若者だった。恰好からして冒険者だろう。


「この建物は現在シンシアお嬢様が負傷兵の慰問をされている最中でな、終わるまで一般の者は立ち入り禁止となっているんだ。すまんが後でまた来てくれ」


 ブルームはとりあえず宥めるような口調で言ってみた。


「それはさっきそこの衛兵から聞いたっての。こっちだって知り合いの見舞いに来てるんだ。あんたらに邪魔されるいわれはないはずだろ!」


 若者のひとりが威勢の良く食ってかかってきた。活発そうな少年だった。


「いわれがあるから言ってるんだ!」


 そう気色ばむ衛兵をブルームは手で制した。


「慰問はあと少しで終わる。すまんが、少しだけ待っていてくれ」


「急いでるんだ。通してくれよ」


 少年は引き下がらない。


「クナル、大人しく待ってようよ」


 もう一人の少年がおどおどした様子でクナルと呼んだ少年の袖を引いた。


「邪魔すんなよ、トッド。お前だってアイナが無事かどうか気になるだろ?」


「それはそうだけど……」


「サラさんの屋敷があんなことになってたんだぞ!? 絶対に何かやばいことがあったに決まってるだろ!」


 なにやらふたりで会話を始めた少年たちだったが、会話の中に「サラ」という名前が出たことにブルームは興味を引かれた。


「なぁ、サラというのはあのフィンドレイ家のサラ嬢のことか?」


「そうにきまってるだろ!」


 会話を邪魔された少年は噛みつくように言った。


「馬鹿を言うな。フィンドレイ家と言えば上級貴族だぞ。お前らみたいな薄汚い小僧どもが知り合いのはずがないだろう!」


 懲りずに衛兵が口を挟んできたので、ブルームは黙るよう睨みつけた。それで衛兵はすごすごと後ろへ下がった。


 ブルームは憤る少年たちを宥めすかしながら、あらためて彼らの身分と来訪の目的を問いただした。

 彼らはこの街の冒険者ギルドに所属する冒険者だった。サラ嬢とは彼女の屋敷に下宿しているという共通の友人を通して知り合ったのだという。

 サラ嬢の屋敷が襲撃を受けたという話を聞いて、その友人の安否をたしかめようとしたところ、どういうわけかどこからも情報を得ることができなかった。そこで確実に事情を知っているであろうサラ嬢本人に確認する為にここに来たということだった。


「襲撃事件は何日も前のことだろう。なぜ今さら騒いでいるんだ?」


「依頼でしばらく街を出てたんだよ! それで戻ってきたらアイナ――友達がいなくなっていたんだ!」


 ふむ、とブルームは顎ひげに手を這わせる。

 襲撃事件のことは知っていたが、事件の詳細までは聞いていない。たしかに上級貴族の屋敷が襲撃を受けたという大事件のわりに世間ではあまり騒がれていない印象があった。

 情報があまり出回っていないのは上が情報統制をしているのか、それとも単に人手不足で捜査が進んでいないだけなのか、判別の難しいところである。


「わかっただろ!? 頼むから通してくれよ!」


「事情はわかったが、やはり通すことはできんな」


 クナル少年の要求をブルームははっきりと拒絶した。

 実のところ今シンシアが見舞っているのが、まさにそのサラ・フィンドレイ嬢なので、話を通すのは簡単なのだが、それとこれとは話が別である。


「なんでだよ!?」


「なんでもなにも、ここで、はいどうぞ、と通す護衛がいるほうが問題だろう」


「別に悪いことはしないっての!」


「そういう問題ではない」


「このわからずや! 頭の中に石でも詰まってんじゃないのか!?」


「クナル、そんな言い方したらダメだってば」


 トッド少年が荒ぶる相方を宥める。その視線がブルームの方を向いた。


「あの、中にノルガドという名のドワーフがいるはずですから、せめてその方をここに呼んでいただくことはできませんか?」


「ふむ……」


 トッド少年の礼儀正しい物言いにブルームは聞く耳を持つ気になった。この少年たちの関係はさしずめ暴れ馬と騎手といったところか。悪くないコンビである。少なくとも大それた悪事を働くような連中には見えなかった。


「いいだろう。連れてきてやるから、ここで大人しく待っているんだぞ」


 そう言い含め、ブルームは踵を返した。


 その時、一騎の騎馬が正門を抜けて駆け込んできた。

 騎士はブルームの元へ駆け寄ると、馬から降りずに早口でまくし立てた。


「セオドニー様より慰問を中止して至急屋敷に戻れとのご命令です!」


「中止? どういうことだ?」


「詳しいことはなにも。ただ早急に戻れ、とだけ……」


 あまりにも要領を得ない命令だった。

 ただ、伝令にきたのが衛兵ではなくセオドニー直下の騎士というのが気になった。

 ここは素直に従った方がいい。そうブルームは判断した。


 だが、それをあざ笑うかのように正門から別の兵士が飛び込んできた。


「た、大変です! 南門に妖魔の……妖魔の大軍が!」


「なんだと!? そんなばかなッ!」


 衛兵が叫んだ。

 当然の反応だった。カシェルナ平原の戦いは討伐軍が勝利したはずなのだ。妖魔の大軍が攻めてくることなどあるはずがない。

 ブルームは走って神殿の正門を出る。

 街の様子はいつもと変わりがないように見えた。だが、南の方から風に乗って人々の悲鳴や怒号が聞こえてくる。

 そして、夕刻でもないのに空が赤く染まりつつあった。


「なんだ……なにが起ころうとしている?」


 ブルームは空を見上げながら呆然と呟く。

 ――小火が大火に変わった瞬間だった。


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