第235話 修介とイシルウェ

 洞窟の奥は陽の光が差し込まず、真っ暗で何も見えなかった。

 修介はいそいそと背負い袋からたいまつを取り出そうとして、思わず舌打ちした。川に落ちたせいで湿って使い物にならなくなっていたのだ。


「こんなことならマッキオさんの荷物からマナ灯を拝借しておけばよかったなぁ」


 さすがにあの巨大な背負い袋を持ち歩く気にはなれず、マッキオの背負い袋は川辺に放置したままにしていた。「場所を教えれば勝手に取りに行くだろう」とはイシルウェの発言である。


「ああっ、ついでに催涙袋もパク――借りておけばよかった」


 そうこぼす修介に向かって、イシルウェは蔑むような視線を向けた。


「はっ、他人の荷物を漁ろうなど、浅ましい人間の考えそうなことだな」


「いちいち突っかかってくるなよ……。それよりもたいまつ持ってない?」


「ない。仮に持っていたとしても貴様には貸さん」


 予想通りの返答に修介は肩をすくめた。

 とはいえ、灯りもなしに地下を探索するのはさすがに無理がある。

 今から川辺に戻ってマナ灯を取ってくるべきか思案を巡らせていると、唐突にイシルウェが手を前に翳して、歌うように言葉を口ずさんだ。

 すると、小さな光の玉が手のひらの上に現れ、まるで生きているかのようにふたりの頭上をゆらゆらと漂い始めた。


「……これって、もしかして光の精霊か?」


 その質問に対するイシルウェの返答はなかった。

 エルフにはドワーフと同じように暗視能力があるという。彼がこの光の精霊を誰の為に呼び出したのか、その理由は確認するまでもなかった。


「俺はお前と違って素直だからな、ちゃんと礼を言うぞ。ありがとう。助かる」


「ふん」


 イシルウェは鼻を鳴らすと、さっさと洞窟の奥へと向かっていった。


 洞窟はなだらかな下り坂となっているようだった。ごつごつとした剥き出しの岩肌は人の手が入っているようには見えない。

 しばらく進んだところで、地面が地滑りでも起きたかのような急斜面になった。

 イシルウェが光の精霊を飛ばしたが、斜面はかなり下の方まで続いているようで、底がどうなっているのかまではわからなかった。


「……間違って落ちたら確実に戻ってこられないだろうな」


 修介は下を覗き込みながらそう感想を口にする。


「なんだ、怯えているのか?」


「いや、普通に怖いだろ。もしかしたら下にとんでもない化け物が潜んでいるかもしれないだろうが」


 修介がそう本音を漏らすと、意外にもイシルウェは真面目な顔で頷いた。


「その考えはあながち間違ってない。おそらくこの下は巨大生物の巣だ。正確にはつい最近までそうだった、と言うべきか」


「巨大生物の巣?」


「貴様もこの地に住んでいるのなら魔獣ヴァルラダンのことは知っているはずだ」


 その名を聞いて修介は電撃で打たれたように固まった。


「……ここがヴァルラダンの巣だってのか?」


「確証はないがな。俺は元々、領主の息子に依頼されて、あの魔獣の行方を追っていた。奴のねぐらがヴィクロー山脈のどこかにあることまでは突き止めていたが、まさかこんなところにあったとはな……見てみろ」


 イシルウェの指し示した壁には巨大な爪で抉られたような跡があった。


「で、でも、ヴァルラダンの巣が魔術師の拠点にあるってことは、その魔術師となんらかの関係があるってことにならないか?」


「ヴァルラダンは古代魔法帝国時代の魔獣だ。無関係と考える方が不自然だろう」


「じゃ、じゃあ魔術師がヴァルラダンの飼い主だった可能性もあるってことか?」


「そんなことまで俺が知るわけないだろう。気になるならその魔術師を捕まえるなりして直接聞くんだな」


 イシルウェは興味ないとばかりに壁際に向かって歩き出す。向かう先には、岩を削って作られた下り階段があった。ちゃんと人間用に下りる手段があるという事実が、ここが魔術師の拠点である可能性をより一層高めた。


 修介はアレサを右手に持ち、左手を壁に這わせながら、慎重に階段を下りる。

 靴音が岩壁に反響してやけに大きく聞こえる。光の精霊といい、靴音といい、魔獣が潜んでいたらとっくに気付かれているだろう。

 魔獣ヴァルラダンは討伐されてもうこの世にいないことはわかっていても、なんと言っても一度殺されかけた相手である。緊張するなという方が無理な話だった。


 永遠に続くかと思われた下り階段だったが、終着点に到達するよりも先に、左手の壁に別の通路が現れた。しかも、その通路はこれまでの洞窟とは異なり、壁や天井がうっすらと光を放っていた。


「……どうするよ?」


 修介が問いかけると、イシルウェは何も言わずに通路へ入った。

 通路はあきらかに人間用に作られていた。つまり、その先にアイナリンドが捕らわれている可能性が高いということになる。修介としてもその選択に異議はなかった。

 そのまま五分ほど直進ところで、ふいにイシルウェが足を止めた。


「どうした?」


 修介はそう小声で問い掛けつつ、イシルウェの肩越しに前を見る。

 突き当りに鉄製の扉があった。

 だが、イシルウェが足を止めたのは扉が理由ではなかった。

 扉の前に二体の骸骨兵スケルトンが剣と盾を構えて立っていたのだ。


「門番ってわけか……。こいつは当たりだな」


「気を付けろ。あれはただの骸骨兵スケルトンじゃない。おそらく竜牙兵ドラゴン・トゥース・ウォリアーだ」


 イシルウェが緊張を滲ませた声で警告を発した。そのまま細身の剣を構えて一歩前に踏み出す。


「待った。ここは俺に任せてもらおうか」


 修介は人生で一度は言ってみたい台詞の第一位を口にすると、イシルウェの肩を掴んで無理やり後ろに下がらせた。「おい」という苦情の声が返ってきたが、当然のように無視する。

 どの道、狭い通路ではふたり並んで戦えるだけの幅はない。

 こちらの存在に気付いた竜牙兵が剣を振り上げて向かってくる。


「相手が悪かったな!」


 そう叫び、修介はアレサを上段に構えて突撃した。


 戦いはあっけなく終わった。

 いや、戦いにすらなっていなかった。

 わずか数秒で、二体の竜牙兵は大量の残骸を地面にばらまく羽目になった。

 修介は必要もないのにアレサを一度払ってから鞘に納めると、最高級のドヤ顔で振り返った。

 だが、期待に反してイシルウェはまるで不審者を見るような目で修介を見つめていた。


「な、なんだよ?」


「……さっきの領域魔法を物ともしなかったことといい、今の戦いといい、貴様はいったい何者だ?」


「何者って……ただの冒険者だが?」


 その言葉にイシルウェの表情が一層険しくなる。


「冗談だって。覚えてるか? 初めて会った時、お前の精霊魔法が俺に効かなかったことを」


「記憶にないな」


 その発言とは裏腹にイシルウェの顔はあきらかに心当たりがあると言っていた。

 修介は自身の体質のことを説明した。


「……なるほど、そういうことか」


 イシルウェも父親であるジュンの体質は知っているのだろう。一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、憮然とした態度は崩さなかった。


「な、俺がいて良かっただろ? 礼を言うなら聞いてやるぞ? ん?」


 満面の笑みで言う修介。


「互いを利用すると言ったのは貴様だ。そんな必要はない」


 イシルウェは素っ気なく答えると、通路の奥にある扉を調べ始めた。


「ったく可愛げがねぇなぁ」


 そう軽口を叩きつつ、修介はイシルウェの後を追うのだった。

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