第234話 結界
イシルウェと行動を共にすると決めた修介だったが、早くもその背中を見失いつつあった。
すでに川沿いを離れ、木々が生い茂る森の中へと足を踏み入れている。念のためいくつか目印を残してはいたが、はぐれたら最後、高確率で遭難してしまうだろう。
だが、イシルウェは後ろから付いてくる修介をいないものとして扱うと決めたようで、一度も振り返ることなくどんどん先に進んでいく。
エルフの身軽さは修介もよく知っていたが、こうも遠慮なく進まれると付いていくことさえ困難だった。
「おいこら、ちょっと待てって」
修介はたまらず声をかけるも、イシルウェに止まる気配はない。
「ちょ、頼む、止まって、イシルくん!」
情けない声をあげたところで、ようやくイシルウェは足を止めた。舌打ちと蔑む視線のおまけ付きではあったが。
「気安く声を掛けるな。あとイシルと呼ぶな」
「わかったから、もうちょっとだけ速度を落としてくれない? お前と違って俺は風の精霊の加護がないんだからさ」
「あのデブはなんなくついてきたがな」
あのデブとは確認するまでもなくマッキオのことだろう。彼の尋常ではない運動能力はこの世界の七不思議のひとつに違いないと修介は割と本気で思っていた。
「あの人と一緒にすんな! 普通の人間はあんな軽快には動けないんだよ」
「知るか。そもそも、なぜついてくる? さっさと仲間のところに戻ればいいだろう」
「さっきも言っただろ、俺の目的もアイナを助けることなんだから、一緒に行ったって別にいいじゃないか」
「姉さんをアイナと呼ぶな! そう呼んでいいのは家族だけだ」
「お前、そればっかりだな……」
「うるさい! とにかく貴様がいると邪魔だ。ついてくるな」
「そう言うなって。一人よりも二人の方がいいに決まってるじゃないか」
「貴様がいたところでたいして役に立つとは思えんがな」
「そんな偉そうなこと言ってるけど、お前この山で一回殺されかけたんだろ? マッキオさんから聞いたぞ」
「あのデブ……」
イシルウェは忌々しそうに吐き捨てた。
「別に仲良くしようって言ってるわけじゃない。俺は自分の目的の為にお前を利用するから、お前もそうしろってだけの話だ。お前のそのチンケなプライドと姉さんの命、どっちが大事か考えるまでもないだろう?」
「……ふん」
イシルウェは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、何も言わず背を向けて歩き出した。
それ以降、彼の歩く速度は少しだけ緩やかになった。
森を抜けた先にあった光景は、修介が想像していたものとはかなり異なっていた。
切り立った岩壁にドラゴンを丸々と飲み込めそうなほどに大きく口を開けた洞窟の入口があったのだ。
「あれがお前の言っていた洞窟か? 前に地下遺跡の入口は幻覚の術で隠されているって聞いたけど、あんな堂々と入口を晒してるってことは違うんじゃないのか?」
「行けばわかる」
イシルウェは先に行けとばかりに顎をしゃくった。その顔色が優れないことに修介は気付いた。よく見ると額に汗も滲んでいる。
「おい、どうした? なんか顔色が悪いぞ」
「いいからさっさと行け」
修介は釈然としないまま洞窟の入口に向かってゆっくりと歩き出した。洞窟までは百歩ほど距離がある。見た限りでは見張りはいないようだった。
半分ほど進んだところで、どろっとした液体が体にまとわりついてくるような不快感を覚えた。
だが、特に体に異変が生じることもなく、そのまま入口へたどり着く。洞窟の端から中を覗き込んでみたが、何かが出てくるような気配は感じなかった。
「全然普通に行けたじゃん」
拍子抜けしつつ、修介は振り返ってイシルウェを手招きした。
「お前もさっさと来いよ」
その声に応じてイシルウェが歩き出す。
ところが、その歩みは半分を過ぎたあたりでぴたりと止まった。
「おい、なにやってんだ。もしかしてビビってんのか?」
そう言えば憤慨してすぐに来るだろうという予想に反して、イシルウェはよろよろとその場に蹲ってしまった。
「お、おい!?」
修介は慌てて駆け寄り、顔を覗き込んだ。その表情は苦痛に歪み、血の気が完全に引いていた。呼吸も荒く、今にも泡を吹いて倒れそうだった。
「大丈夫か!? しっかりしろ!」
修介は狼狽えながらも、すぐにこの場から離れた方がいいと判断し、イシルウェを抱え起こし、洞窟から離れようとした。
だが、イシルウェは首を横に振ってそれを拒否した。
「だ、駄目だ、戻るな……このまま俺を抱えて入口まで行け」
「いや、でも――」
「頼む」
イシルウェが人間に向かって絶対に言わないであろう一言だった。
そこに並々ならぬ決意を感じ取り、修介は彼の身体を抱えて洞窟の入口へ向かう。
「い、いいか、俺に何があっても絶対に引き返すな」
イシルウェが苦しそうな声で言う。
「ど、どういうことだよ?」
その疑問の答えはすぐにわかった。洞窟の入口が近づくにつれ、イシルウェの様子がどんどんおかしくなっていったのだ。途中からは「離せ!」「やめろ!」と悲鳴を上げ、気が狂ったように暴れ出す始末だった。
わけがわからないまま、修介は最初の指示通りイシルウェを無理やり引きずって進み、最後は投げ捨てるように洞窟の中へと放り込んだ。
「はぁはぁ……マジでなんなんだよ……」
修介は膝に手をついて呼吸を整えながら吐き捨てた。
洞窟に入った途端にイシルウェは大人しくなっていた。仰向けに倒れたまま動かないが、胸がかすかに上下に動いているので、少なくとも死んではいないようだった。
無理に起こすのも危険な気がしたので、近くに座って目覚めるのを待つ。
しばらくすると、イシルウェは何事もなかったかのようにむくりと上体を起こした。
「もう大丈夫なのか?」
「……ああ」
醜態を晒したことを恥じているのか、イシルウェは気まずそうに目をそらした。
「それで、なにがあったんだ?」
「この洞窟の入口周辺には強力な結界が張られている。それに引っ掛かったんだ」
「結界……?」
「俺は古代語魔法には詳しくないが、おそらく精神に干渉する類の領域魔法だろう。洞窟に近づけば近づくほど、恐怖と悪寒で身体が言うことを聞かなくなった。最初にここを発見した時に、なにかしらかの魔法が仕掛けられていることには気づいていたが、正直ここまで強力だとは予想していなかった……」
己の能力によほど自信があったのか、イシルウェは悔しそうに俯いている。
領域魔法とは一定の時間、一定の範囲に効果を発揮する魔力場を形成する魔法である。修介は以前にサラからそう教わっていた。
精神に干渉する魔法と言えば、真っ先に思い出されるのは魔獣ヴァルラダンの咆哮である。あの咆哮でほとんどの兵士が動けなくなったのだ。それと似たような効果を持つ魔法が掛けられていたとすれば、イシルウェが動けなくなったことも、自分に効果がなかったことも納得のいく話だった。
山の中には野生動物や妖魔が多く生息している。これだけ大きな洞窟だと、幻覚の術で隠しても、ひょんなことで入られてしまう可能性がある。だからこうして結界を張って近づかせないようにしていたのだろう。
「この洞窟を発見した時は平気だったのか?」
修介の問いに、イシルウェは頷いた。
「その時は無理に近づこうとはしなかったからな」
「なんで?」
「俺をあのデブと一緒にするな。意味もなく得体の知れない洞窟に入るような無謀な真似をするはずがないだろう」
「ひとりで行こうとしていたお前が言ってもな……」
「うるさい黙れ」
言葉ほど語気は強くなかった。
「なんにせよ、ここが魔術師の拠点で間違いなさそうだな」
修介は洞窟の入口に目を向けながら言った。わざわざ入口に領域魔法をかけて侵入者に備えているという事実が、なによりの証拠だった。
「とりあえず先に進もう。ほら、さっさと立て。姉さんを助けるんだろう?」
そう言って修介は座ったままのイシルウェに手を差し伸べる。
「貴様に言われるまでもない」
イシルウェはその手を掴むことなく立ち上がると、ひとりでさっさと洞窟の奥へ向かうのだった。
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