第233話 崖の下で

 崖から落ちた修介は、幸か不幸か落下途中で気を失っていた。

 たとえ下が川であろうと、一定の高さから落ちれば激突時の衝撃は人体を破壊するのに十分である。ましてや下で待ち受けていたのは川ではなく岩だった。

 もしそのまま落ちれば、修介の短い異世界人生は終止符を打たれていただろう。

 そうならずに済んだのは、頼れる相棒アレサのおかげだった。

 アレサは浮遊の術が切れて真っ逆さまに落ちる修介を無理やり引っ張って、川へ落ちるようにコースを変えたのである。それも十分に落下速度を低減させて。

 ある意味では修介の「死んでもアレサは手放さない」という執念が彼の命を長らえさせたとも言えた。


 無事に川へ着水した修介だったが、川に落ちたら落ちたで、今度は溺れ死ぬという未来が待ち受けていた。

 それを救ったのは、偶然その場に居合わせたエルフの少年――イシルウェであった。

 彼は人間嫌いではあったが、目の前で濁流に流されていく者を見捨てるほど薄情ではなかった。水の精霊を操って修介を川から引き上げると、火を起こし、手足の傷に丁寧に包帯を巻いて手当てした。

 こうして修介は本人のあずかり知らぬところで、ナーシェス、アレサ、イシルウェの三名によって命を救われたのだった。




 そして現在、修介とイシルウェは焚き火を挟んで向かい合って座っていた。

 実にハース村近くの森で遭遇して以来の再会である。

 修介が目を覚ましたのは、ほんの数分前。

 今でこそふたりとも落ち着いているが、元々が良好な関係とは言い難いふたりである。そうなる前には激しい罵詈雑言の応酬があった。


 一番の原因は、イシルウェが修介のことを忘れていたことだった。

 アイナリンドとの交流の中で何度も名前を耳にしていた修介と違い、イシルウェにとって修介は一度会っただけの赤の他人である。人間嫌いも相まって、友好的に接する理由があろうはずもなかった。

 おまけに、イシルウェがアレサを手にしていたことが事態を悪化させた。

 イシルウェの立場からすれば、素性の知れない人間の武器を取り上げるのは当然の措置である。

 修介とてその理屈を理解できないほど馬鹿ではないのだが、アレサの事になると見境をなくす彼は、色々な過程をすっ飛ばして、アレサを返すよう迫った。

 当然、それを拒否したイシルウェと壮絶な罵り合いとなり、あわや一触即発の空気となった。

 結局、修介が己が命を救われた立場であることを思い出して冷静になり、素直に非を認めて謝罪したことで、なんとかその場は収まったのである。




「……なるほど、あの男の知り合いか」


 イシルウェが端正な顔を歪めて言った。セオドニーの要請を受けて調査団に協力しているという修介の説明を聞いての反応である。


「それで、イシルはなんでひとりで山に入ったんだ? マッキオさん困ってたぞ」


 修介の言葉に、イシルウェは眉を上げる。


「気安くイシルと呼ぶな。人間にそう呼ばれると虫唾が走る」


「じゃあなんて呼べばいいんだよ?」


「呼ぶ必要はない。俺に話しかけるな。二度とな」


 愛想というものを母親の体内に置いてきてしまったのではないかと疑いたくなるほどの塩対応である。

 修介がやれやれと首を振ると、少し離れた岩場の陰に見覚えのある大きな背負い袋が置かれていることに気付いた。


「なぁ、あれってマッキオさんの背負い袋じゃないか?」


 言った傍から声を掛けられ、イシルウェは舌打ちした。


「その辺に落ちていたのをたまたま見つけたから回収しただけだ」


「たまたま、ねぇ……」


 相手の感情を読み取れるエルフは基本的に嘘を吐かないと言われている。今のイシルウェの反応は、あきらかに嘘を吐き慣れていない者のそれだった。


「案外いいところがあるじゃないか」


 修介はにやにやと笑ってそう感想を口にした。


「なんのことだ?」


「いや、別になんでもない」


「気味の悪い奴め」


 イシルウェはそう吐き捨てると立ち上がった。


「どっか行くのか?」


「意識が戻ったのならもう面倒を見る必要はないだろう。後は俺の目の届かないところで勝手に野垂れ死ね」


 辛辣という言葉を擬人化したらこんな感じになるんだろうなぁ、と修介が半ば感心していると、イシルウェはそのまま背を向けて歩き出していた。


「ちょ、ちょっと待った!」


 修介は慌てて呼び止める。一番肝心なことをまだ伝えていないのだから当然だった。

 言うまでもなくアイナリンドのことである。彼女が白い塔の魔術師に攫われた事実を弟であるイシルウェに告げないわけにはいかなかった。


「お前、双子の姉さんがいるだろ?」


 そう問いかけた直後のイシルウェの反応は、修介の予想の斜め上をいった。

 一瞬で間合いを詰められ、喉元に剣の切っ先が突きつけられていた。


「なぜ貴様が姉さんのことを知っている?」


 身震いしそうになるほどの鋭い眼光で睨まれ、修介は思わず両手を上げていた。


「ちゃ、ちゃんと説明するから、とりあえず剣を引いてくれ」


 そのままの体勢で五秒ほど睨み合ったあと、イシルウェは剣を引いた。

 修介はデヴォン鉱山の森でアイナリンドと初めて出会ってから現在に至るまでの出来事をかいつまんで話した。

 話が進むにつれて、ただでさえ険しかったイシルウェの顔は、もはやいつ手にした剣をいつ突き出してもおかしくないほど鬼気迫るものになっていた。


「――というわけで、俺がここに来た目的は遺跡の調査じゃなく、お前の姉さんを助ける為なんだ」


 話が終わるや否や、イシルウェは空いた手で修介の胸倉を乱暴に掴んだ。


「貴様が姉さんをたぶらかしたのかッ!」


 違う――そう言いかけて、修介は口を噤んだ。

 事件に直接関与していないとはいえ、修介がアイナリンドを街まで連れて行き、サラに託したのは事実である。


「お前の姉さんを巻き込んでしまったことは本当にすまないと思ってる」


「くそッ! これだから人間に関わると碌なことにならない!」


 イシルウェは修介を乱暴に突き放すと、そのまま走り出そうとした。


「待て、どこへ行くつもりだ!?」


「貴様には関係ない!」


「ある! アイナは俺の仲間だ! さっき言っただろう、俺の目的もアイナを助けることだって!」


「仲間だと!? 人間風情がふざけた口をきくな!」


「ふざけてねぇ! 彼女は俺の命の恩人なんだ。助けたいという気持ちに嘘はない!」


「なら勝手にしろ。だが、俺の邪魔はするな!」


「目的は同じなんだ。ここは互いに協力し合うべきだろう!」


「誰が貴様の手など借りるか!」


「お前ひとりで行ってどうすんだよ! 相手は恐ろしい力を持った魔術師なんだぞ。助けるどころか殺されるのがオチだ。近くまで調査団が来てるんだ。それに俺の仲間だっている。協力すればきっと助けられる。だからひとりで行くなんてアホな真似はよせ」


 言葉のチョイスはともかく、修介としては精一杯の誠意を込めて言ったつもりである。

 だが、返ってきた反応は期待していたものとは異なった。


「……言いたいことはそれだけか?」


 イシルウェの目には視線だけで人を殺せるのではないかと思わされるほどの怒気が漲っていた。

 だが、修介は負けじと睨み返す。

 緊迫した時間が流れる。川のせせらぎの音がやけに大きく聞こえた。

 やがて、イシルウェは絞り出すように言った。


「貴様ら人間の力など必要ない。姉さんは俺ひとりで助ける」


 このわからずや、と怒鳴りつけそうになるのを修介は堪えた。

 冷静に考えれば、一緒に行こうが行くまいが目的地は同じなのだ。ここから白い塔までたどり着くのには相応の時間が掛かる。むしろその間に調査団の方が先に到着しているだろう。そういう意味ではこの問答自体が時間の無駄と言えた。


 修介が何も言わないのを良いことに、イシルウェはさっさと移動を開始していた。ただ、その足は白い塔の方角ではなく川の下流の方に向いていた。


「おい、白い塔はそっちじゃないぞ」


 イシルウェは修介の声を無視してずんずん歩いていく。

 森の妖精と言われるエルフが山の中で方向感覚を失うはずがない。

 アイナリンドを助けに行くのに、なぜ白い塔を目指さないのか。その疑問を払拭しないまま行かせるわけにはいかないと、修介は全力疾走で追いかけ、イシルウェの肩を乱暴に掴んだ。


「待てって! どこへ行くつもりだよ!?」


 イシルウェは「俺に触るな!」と邪険に手を払う。


「アイナを助けにいくんだろ!? なんで山を下りるんだよ!」


「貴様には関係ない。どけ」


「どこに行くつもりなのか言うまでは通さねぇ」


 修介は両手を広げてイシルウェの前に立ちはだかった。

 互いの視線が見えない刃となって火花を散らす。

 先に折れたのはイシルウェだった。観念したように息を吐き出すと、白い塔がある方角へ視線を向けた。


「……あの白い塔は魔術師の拠点じゃない」


「え?」


「ここ数日、歩き回ってわかった。この山は周辺の山とは明らかに違う。地下深くに膨大なマナが流れている。この一帯を覆っている霧も一見ただの霧に見えるが、地下から漏れ出ているマナの影響によるものだ」


「それがなんだっていうんだよ?」


「貴様もあのデブの知り合いなら聞いたことくらいあるだろう。古代魔法帝国の魔術師の拠点は必ず地下にある」


「でも、アイナを攫った魔術師は別に古代魔法帝国の魔術師ってわけじゃない。普通に白い塔を拠点に活動している可能性だってあるだろ」


「そう思うなら白い塔へ行けばいい。その程度の魔術師であれば、それこそ調査団だけで事は足りる」


 イシルウェはあくまでも地下を目指すべきだと主張した。

 サラを上回る実力を持ち、大量の魔動人形ゴーレムを操る魔術師。それほどの魔術師がこの山で活動していて、地下にある大量のマナに気付かないはずがない。

 彼の主張には一定以上の説得力があるように修介には思えた。

 なにより、ナーシェスの「使い魔の気配は下の方から感じる」という言葉がそれを裏付けていた。


「……この山の麓に一か所、強い魔力を感じる洞窟があった。そこが拠点の入口である可能性が高い。だから俺はそっちに行く」


「なんでその洞窟が拠点の入口だってわかるんだよ?」


 その疑問に対する答えは返ってこなかった。

 イシルウェは修介の腕を払いのけて強引に横を通り抜けていった。


(……どうする?)


 修介は決断を迫られていた。

 イシルウェの後を追うか、それとも仲間との合流を優先するか。

 人獣ライカンスロープとの戦いの最中に戦線を離脱してしまったのだ。一刻も早く仲間たちの元へ戻って無事を確かめたいという思いは、時間が経つにつれてどんどん強くなっていた。

 だが、このままイシルウェをひとりで行かせることには強い抵抗があった。これまでの態度から、彼がアイナリンドのことを大切に思っているのは疑いようもない。おそらく命と引き換えにしてでも姉を救い出そうとするだろう。

 自分を助けるために弟が命を落としたと知れば、アイナリンドは深い悲しみに囚われることになる。


 修介は初めてアイナリンドと出会った日のことを思い出していた。

 さすがは彼女の弟と言うべきか。人間嫌いにもかかわらず、生きているかどうかもわからない人間をわざわざ川から拾い上げ、怪我の手当てまでする程のお人好しである。

 その恩人がひとりで死地に赴こうとしているのを黙って見過ごすことなどできるはずがなかった。


(ごめん、みんな……俺はやっぱりこいつのことを放っておけない)


 修介は葛藤の末に、目の前の恩人を選んだ。

 心の中にずっと抱えている「姉弟を再会させたい」という思いは、実際に会ったことでより一層強くなっていた。


 仲間たちが自分の捜索の為に調査団と別行動を取っていることを知らないまま、修介はイシルウェの後を追って走り出すのだった。


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