第232話 理由

「おい、旦那は!?」


 イニアーは先ほどと同じ体勢のまま固まっているナーシェスに声を掛けた。


「すまない……」


 ナーシェスは杖を下ろし、力なく首を横に振った。


「おいおい、まさか下に落ちたってのか? さっき使ってた魔法で引き上げてやらなかったのかよ!?」


「私の浮遊の術はゆっくりと下ろすことができるだけで、浮上させたり、移動させたりはできないんだ」


「だったら最後まで下ろしてやれよ!」


「そんなこと言われても、あの術は対象を視認できている状態じゃないと発動できないんだ。下の方は霧が立ち込めていて視界が悪かったから……」


「途中で見失ったってことか?」


 その問いに、ナーシェスは申し訳なさそうに頷いた。


「おいおい勘弁してくれ」


 イニアーは天を仰ぐ。そして、崖下を覗き込んだ。

 ナーシェスの言う通り、濃い霧が立ち込めていた。その下がどうなっているのかわからないが、修介の生存は絶望的なように思えた。


「結構な高さがあるし、こりゃ死んでるな……」


「き、聞いた話だとこの崖の下は大きな川が流れているらしい。数日前の大雨で水かさが増しているって言うし、助かってる可能性は十分にある……と思う。かなり下の方まで術は保てていたし……」


 ナーシェスが自信なさげに言った。


「やれやれ面倒なことになったな」


 そう言ってイニアーは頭を掻きむしった。

 何もなしに落ちたのであれば「残念だったな」の一言で済むところが、中途半端に希望が残ったせいで見捨てる判断をした場合の後味の悪さは相当なものである。

 それに修介の救出に向かうにしても、マシューがそれを認めるとは到底思えなかった。よしんば説得できたとして、別行動している最中にまたあの人獣に襲われる可能性だってあるだろう。


「さて、どうするよ?」


 いつもであれば、そうやって雑に振れば修介が悩んだ末に結論を出してくれるところだが、肝心の当人が谷底である。

 なので、イニアーの視線は当事者である生命の神の神官に向けられていた。


 シーアは唇まで真っ青になって震えていた。自分のせいで修介が落ちたと責任を感じているのだろう。

 もう一度同じ質問をぶつけると、彼女はようやく口を開いた。


「急いでシュウスケさんを助けに行かないと……」


「旦那が生きてるって確証でもあんのか?」


「それは……ありません。ですが、可能性がある以上は助けにいくべきです」


「一応聞かせてくれ。そいつは教義か? それともただの自責の念か?」


「……両方、です」


 正直すぎる答えにイニアーは鼻を鳴らした。


「旦那を助けに行くってことは、調査団とは別行動を取るってことだ。調査団の目的は一応は攫われた村人の捜索ってことになってる。ついでに言えば、俺達が引き受けた依頼もエルフの嬢ちゃんの救出だ。より多くの命を救うって意味じゃ、このまま調査団に協力すべきだと思うが?」


「そ、それは……」


「それに旦那なら、自分のことは構わずエルフの嬢ちゃんを助けに行ってくれって言うと思うぜ? もっとも、そのエルフの嬢ちゃんもとっくに死んじまってる可能性はあるけどな」


 イニアーの言葉を受け、シーアは唇を噛みしめて下を向いた。

 生命の神に仕える神官に向かって「救う命を選べ」と迫るのは悪趣味にもほどがあったが、イニアーは傭兵としての長年の経験から、こういう場合に感情に任せて動くことが最も悪手であると考えていた。

 特に騎士や神官といった輩は視野が狭い人間が多く、一度こうだと思い込むと、周囲を巻き込んで猛進する傾向が強い。自責の念があるのなら尚更である。そうやって死への坂道を転がり落ちていく者を戦場で数えきれないほど見てきた。

 だから、イニアーはどんなに正解だと思える物事に対しても、あえて反対意見を述べることで、相手に立ち止まって考えさせるきっかけを作るようにしていた。そうすることで生き延びてきたという自負もあった。

 そういう意味では、シーアは思惑通りに悩んでくれていると言える。今にも泣きだしそうな顔で考え込んでいる姿は、普段の毅然とした彼女とはまるで別人のようだった。


 しばらくして答えが出たのか、シーアはゆっくりと顔を上げた。

 その表情は覚悟を決めた者のそれだった。


「……やはりシュウスケさんを助けに行きます。彼を助けることが、より多くの人の命を救うことに繋がると思えてならないのです」


「神の啓示ってやつか?」


「違います。私自身の判断です」


「そうかい」


 イニアーは素っ気なく答えたが、心の中では少しこの女神官を見直していた。

 てっきり信仰を理由にすると思っていたのだ。

 おそらくこれまでに何度も似たような決断を迫られ、その都度、迷い、苦悩しながら答えを導き出してきたのだろう。彼女の瞳からは揺るがぬ決意が感じ取れた。


「私もシュウ君を助けに行くよ」


 続いてそう声を上げたのはナーシェスだった。


「私の場合は個人的な感情がほとんどだけど、一応は大義名分もあるよ」


「ほう、聞かせてもらおうじゃないか」


 イニアーは目を細めてナーシェスを見た。


「なぜセオドニー様がわざわざシュウ君を名指しで調査団に協力させたのか。その答えが理由さ。対魔術師戦においてシュウ君は切札なんだ。生きている可能性があるのなら回収に向かうべきだと思う」


「……なるほどね」


 先に感情論だと口にしておいてから、あえて修介を物のように扱っていることに、イニアーはナーシェスという男の底意地の悪さを見た気がした。

 なんにせよ、これでナーシェスも救出に向かうことが決まった。


(ま、こうなることはとっくにわかっていたんだけどな……)


 イニアーはため息交じりに崖の方へと視線を向ける。

 案の定、デーヴァンが今にも崖下に飛び降りそうな体勢で立っていた。

 いくら止めたところで、兄は間違いなく修介の救出に向かうだろう。どういう理屈なのか、兄には修介が生きていることがわかっているのだ。なにか明確な根拠があるわけではない。ただ、これまでの経験則からイニアーはそれを疑わなかった。

 兄の意向はすべてにおいて優先される。

 兄が行くと言えば、たとえそれが死地であろうと自分も共に行く。

 それが、イニアーが己に課した誓いだった。


「……あの、どうかしましたか?」


 シーアの呼びかけで、イニアーは自分が笑みを浮かべていることに気付いた。

 いくら理屈をこねたところで、兄に盲目的に従う生き方を選んでいる時点で、他人の事をとやかく言える資格などあるはずがなかった。


「いや、あんたらの決意がそこまで固いなら、俺から言うことは何もねぇよ。みんなで仲良くシュウスケの旦那を助けにいこうじゃないか」


 突然の変心に、シーアは戸惑ったような表情を浮かべた。

 そんな反応もイニアーにとってはいつものことだった。


「まったく、旦那も罪な男だな」


 イニアーはそうぼやいてみせると、別行動する旨を告げるべくマシューの元へと向かうのであった。

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