第230話 山の中で
ヴィクロー山脈に入って二日目。
遺跡調査団は探索者マッキオを先頭に険しい山道を進んでいた。
ヴィクロー山脈はグラスター領の西から南にかけてそびえる自然の要害である。
連綿と続く険しい山々は、それほど標高の高い山はないが、急斜面の森が続く複雑な地形と、数多の妖魔や魔獣が生息していることから滅多に人が立ち入ることがない魔境である。
グラスター領が西方の国の干渉を気にせずにいられるのは、まさしくヴィクロー山脈のおかげと言えた。
修介は足を止め、額の汗を拭いながら前方を見た。
ごつごつとした岩場が続いている。左側は急な斜面となっており、足を滑らせようものなら戻るのに相当な労力を要するだろう。
マッキオの話では、目的の白い塔はこの長く続く岩場を越えた先にあるという。
先を行く騎士達の姿がゴマ粒のように小さく見える。
騎士は金属鎧を身に付けている分、この山道は相当つらいはずである。それでも脱落する者がいないのはさすがだった。
修介は
振り返ってパーティの様子を窺う。
パーティの仲間たちも、だいぶ辛そうにしていた。
なかでもナーシェスは見た目通りの虚弱さを発揮して、パーティが遅れている原因となってしまっていた。荷物のほとんどをデーヴァンに持ってもらっているにもかかわらず、今も全体重を魔法の杖に寄りかかるようにして歩いており、杖が折れてしまうのではとはらはらさせられた。
「がんばれ、ナーシェス」
そう声を掛けると、ナーシェスは声を出すのも億劫なのか、ゾンビのような唸り声を出した。
その場で彼が追い付くのを待つ。この世界に来たばかりの頃なら間違いなく同じ運命を辿っていたであろうことを考えると、真面目に鍛えてきて良かったと心から思う修介であった。
「と、ところでシュウ君……ひとつ……気付いたことが……あるんだけど……」
ようやく追い付いたナーシェスが息も絶え絶えに言った。
「なんだ?」
修介は足を止めてナーシェスに先を続けるよう促した。ここまで遅れていたらもはや大した違いはないだろうと開き直っていた。
「私たちはこの先にあるという白い塔を目指しているんだよね?」
「何を今さら」
「ところがだね、私の使い魔の気配はそっちからは感じないんだ」
「は? どういうことだよ?」
「場所的にはこの山にいるのは間違いないんだけど……。使い魔の気配は下の方から感じるんだ」
ナーシェスはそう言って自身の足元に指先を向けた。
「下……? 地面の中ってことか?」
「それはわからないけど、少なくとも山頂付近にいないのはたしかだ」
「単に殺されて埋められちまったんじゃないのか?」
横合いからイニアーが縁起でもないことを言ったが、ナーシェスはすぐさまそれを否定した。
「使い魔が死んだら主にはすぐにわかるよ」
「っていうか、もっと早く言えよ」
そう文句を言う修介に、ナーシェスは口を尖らせる。
「そんなこと言われても、みんなに付いて行くので精一杯だったし、元々なんとなく気配がわかる程度でそこまで正確に位置を把握できるわけじゃないんだ。特にこの山に入ってからはなぜか気配を感じ取るのも難しくなっていて、ここまで近づいてようやくわかったんだよ」
そう言われてしまっては修介もそれ以上の追及はできなかった。
「で、どうすんだ? こいつの言葉を信じて今から下山するか?」
イニアーがやれやれと言いたげに近くの岩に腰を下ろした。
修介は以前にマッキオから聞かされた「古代魔法帝国の魔術師が地下に都市を作って暮らしていた」という話を思い出していた。
白い塔とやらが本当に古代魔法帝国時代に建てられた物だとすれば、地下に通じる通路があったとしてもおかしくはない。山の中を当てもなく探し回って遭難するリスクを考慮すれば、調査団と別行動をとるのは得策とはいえないだろう。
「いや、このまま進もう。むやみに山の中を探し回るよりも、白い塔にいる魔術師をとっ捕まえてアイナの居場所を吐かせた方が確実だろ」
「魔術師と対峙する方が俺にはリスクが高そうに思えるけどな」
イニアーが渋い顔で言った。
「どのみち敵の拠点に侵入する時点で戦いは避けられないんだ。今さらな心配だろ。とにかく、調査団と離れすぎるとやばいから、もうひと頑張りしよう。この岩場を越えたら休憩できる場所があるってマッキオさんも言ってたし」
修介は励ますようにナーシェスの肩を叩き、彼の後ろに回り込んで背中を押しながら行軍を再開した。
――その直後だった。
視界の端に黒い影が飛び込んでくるのが見えた。
ほぼ同時に「シュウスケさんッ!」というシーアの叫び声が耳に刺さる。
反射的にナーシェスを突き飛ばし、アレサの柄に手に掛けようとしたところで黒い影に激突された。
がらがらと派手な音を立てて黒い影ともつれるように斜面を滑り落ちる。
勢いが衰えたところで、修介は渾身の力で黒い影を蹴り飛ばし、転がるようにして距離を取った。
襲ってきた黒い影を見て、修介は思わず「あっ」と声を上げた。
全身が灰色の体毛に覆われた人型の獣――
肘から先が失われた右腕が、カシェルナ平原で戦った人獣と同一人物であることを教えてくれた。
「お前、あの時の――」
言い終わるよりも先に人獣は動いていた。
繰り出された左の拳が腹部に突き刺さる。
「ぐはッ!」
修介は軽々と吹き飛ばされ、再び斜面を転がり落ちる。かなりの距離を転がったところで、岩に引っかかってようやく止まった。
パーティのいた場所からだいぶ離れてしまっていた。人獣の目的が仲間と引き離すことだとしたら、その目論見は成功したと言えるだろう。
修介は全身を襲う痛みに喘ぎながら立ち上がり、アレサを鞘から引き抜いた。
「……右腕を斬られた恨みを晴らしに来たってか?」
隙なくアレサを構えながらそう問いかける。
だが、人獣はまるで言葉そのものが不要だと言わんばかりに無言で突進してきた。
突き出される左拳をアレサで弾き、返す剣で胴体を狙う――修介は頭の中で素早く戦い方を組み立て、それを実行しようとした。
だが、間合いに入った瞬間、人獣の姿が忽然と消えた。
次の瞬間、右の脇腹に強い衝撃が走る。
修介はもんどりうって地面を転がった。自分が蹴り飛ばされたのだと理解したのは、先ほどまでいた場所に、人獣が蹴りを放った体勢で立っていたからだった。
先ほどの拳打といい今の蹴りといい、鎧に当たっていなかったら間違いなく内臓をやられていただろう。それでもダメージはかなりのものだった。吐き出した唾に血が混じっている。
その後も人獣は一言も発することなく、目で追いきれないほどの素早い攻撃を次々と繰り出してきた。
剣の間合いの外から一瞬で距離を詰め、攻撃し、そして離れる。そんな単純な動作も人獣特有の俊敏性によってとてつもない脅威と化していた。
防御に徹して後退を続けているうちに、修介は切り立った崖まで追い込まれていた。
図らずも、そこはイシルウェがデヴァーロに落された場所だったが、当然そのことを戦っている当人達は知る由もない。
修介は再び斜面の上へと視線を向ける。イニアー達がこちらに向かって走ってきているのが見えた。
最初から一対一で勝てる相手だとは思っていない。
だから、仲間が来るまでのわずかな時間を持ちこたえればいい。情けないとか格好悪いといった感情は、生き残った者だけが持つことを許される贅沢品である。
己の分をわきまえ、最善を尽くす――呪文のように心の中で繰り返し、修介は目の前の敵に全神経を集中させた。
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