第229話 危急存亡

 西日に照らされたあぜ道に、複数の騎馬が長い影を作っている。

 騎士ランドルフと、その配下の騎士達である。

 彼らは妖魔掃討の任を帯び、カシェルナ平原の西側へと赴いていた。

 グラスター領のほぼ中央に位置するカシェルナ平原は、ソルズリー平原と並ぶ穀倉地帯として知られている。本来であればこの時期は多くの民が畑仕事に精を出しているはずだが、今は人っ子ひとり見当たらない。


(人々が元の暮らしに戻るまで、どれほどの時間がかかるのだろうか……)


 あぜ道の両側に広がっている田畑を眺めながら、ランドルフは暗い気持ちになる。

 妖魔の大侵攻の影響は領地の奥深くにまで及んでいた。

 南で暮らす領民の多くはグラスターの街への避難が間に合った為、人的な被害はそこまで大きくはない。それでも、いくつかの村や集落は妖魔の襲撃を受けて全滅し、残された田畑は妖魔に荒らされ放題となっていた。


「おのれ妖魔め……」


 騎士のひとりが怒りを露わにした。


「怒るのは構わんが、冷静さは失うな。ゴブリンは狡猾な奴らだ。どこに潜んでいるかわからん。油断するな」


 ランドルフはそう言って若い騎士を窘めた。


「……それにしても、本当に人獣ライカンスロープが妖魔の群れを率いていたのでしょうか?」


 副官のサームが馬を寄せながらランドルフに問いかけた。

 先の戦いで上位妖魔サリス・ダーの討伐は果たしたが、実際に妖魔の群れを指揮していたとされる人獣ライカンスロープは未だ見つかっていなかった。彼らがこうして西に向かって馬を進めているのも、人獣らしき人影が西に走り去っていくのを見たという情報があったからだった。


「報告を聞いた限りではそういうことになっているな」


「しかし、人獣ライカンスロープなんて遥か昔に絶滅した伝説上の存在ですよ。新種の妖魔だと言われたほうがまだ納得がいきます」


「実際に戦場で獣人化するのを見たという者がいるのだから間違いないだろう。おまけに幾人かはそいつが人の言葉を話しているところを見たそうだ。人語を操る新種の妖魔が出現したというのなら、私にはそっちの方が脅威だよ」


「恐ろしいことを言わんでください……」


 サームは露骨に顔をしかめた。

 妖魔は人の言葉を喋らない。それは高い知能を持つとされる種族でさえ例外ではなかった。有史以来、人と妖魔の間で言葉による意思の疎通が行われたことは一度もないとされている。もし妖魔が人の言葉を喋るようなことがあれば、歴史をひっくり返すような大事件となるのは間違いなかった。


「正体がなんであれ、その人獣が今回の大侵攻に深く関わっていることだけはたしかだ。細かいことは捕えた後に尋問すればいい」


「そうですね」


「人獣を捕えることも大事だが、そういつまでもこの地に留まってはいないだろう。それよりも、今はこの地域から妖魔ども駆逐することが先決だ」


 ランドルフは自分自身に言い聞かせるように言った。

 今回の大侵攻には不可解な点が多すぎた。人獣の存在はそのひとつに過ぎない。

 むしろ彼が最も気にしているのは、人獣が手にしていたという錫杖だった。

 以前に討伐したレギルゴブリンが持っていた錫杖と、報告にあった人獣が持っていたという錫杖の特徴が、ほぼ合致していたのだ。

 レギルゴブリンの錫杖はクルガリの街で何者かによって盗まれていた。

 そのことを思い出した時、ランドルフはろくに調べもせずに錫杖を放置してしまったことを悔いた。

 無論、大侵攻と錫杖に直接的な関係があるのかは不明だが、錫杖の正体がわかっていれば、あるいは盗まれていなければ、今回の大侵攻は未然に防げた可能性だってあったかもしれないのだ。

 現状では錫杖の正体も、敵の目的も、なにもかもが不明だった。人獣が単独で動いていたのか、背後になんらかの組織が絡んでいるのか、それすらもわかっていない。

 こうしている間にも、知らないところで取り返しのつかない事態が進行しているのではないか。ランドルフはそんな不安にずっと苛まれていた。


「ところで隊長、馬が疲れています。そろそろ日暮れですし、どこかで夜営を行った方がよろしいかと思われますが」


 サームの提案に、ランドルフは振り返って部隊の様子を窺った。

 たしかに馬だけではなく兵にも疲労の色が見えた。

 ランドルフの部隊はつい先ほども妖魔の一団と遭遇して戦闘を行ったばかりだった。仮に人獣を見つけ出すことができたとして、疲弊した今の状態で戦うのは得策ではない。

 ランドルフは自身の戦士としての実力にはそれなりの自信を持っていたが、指揮官としての能力を過信してはいなかった。特に戦いにおいては自分を基準に行動を決める悪癖があり、しばしば部下に無理を強いることがあった。

 その点、副官のサームは状況分析に長け、一歩引いた考え方をする為、ランドルフも彼の意見にはなるべく耳を傾けるようにしていた。


「そうだな……その方がいいだろう。どこか候補はあるか?」


「この先に街に避難して現在は無人となっている村があります。心苦しくはありますが、そこで空いている家屋を拝借させてもらいましょう」


 おそらく事前にこの辺りの地理を確認していたのだろう。よどみなく答えるサームに、ランドルフは頷き返した。


「何人か先行させて安全を確認しろ。委細は卿に任せる」


「はっ」


 サームはかしこまって答えると、すぐさま馬首を返して離れて行った。





 翌朝、ランドルフは馬のいななきで目を覚ました。

 鎧を着たまま横になっていたせいか、体の節々が痛んだ。それでも野宿に比べれば疲労の回復度合いは天と地ほどの差があった。

 村では大きめの家屋ふたつを臨時の拠点とし、ランドルフはそのうちのひとつ、おそらく村長の家であろう家屋を使わせてもらっていた。

 窓を見ると外はまだ暗かった。変な時間に目覚めてしまったのかと思ったが、どうやら夜が明けていないのではなく、霧が立ち込めているようだった。


 ランドルフは井戸水で顔を洗おうと外へ向かう。

 扉を開けた途端、すさまじい異臭が鼻を突き、近くの茂みで音が鳴った。


 何かがいる――。


 そう思った直後、茂みから何者かが飛び出してきた。

 ランドルフは素早く剣を抜いて斬り捨てようとしたが、村人である可能性が頭を過り、咄嗟に剣の平で殴るにとどめた。

 殴られた襲撃者は声すら上げずに地面を転がった。

 よろよろと起き上がってくるその姿を見て、ランドルフは目を疑った。

 襲撃者の正体は村人ではなく、ゴブリンだった。

 ただ、そのゴブリンは普通ではなかった。

 頭の半分がスプーンで掬ったようになくなっていた。

 そんな状態で生きていられる生物をランドルフは知らない。

 ようするに死体が動いているのだ。

 再び飛び掛かってくるゴブリンに、ランドルフは今度こそ剣を振り下ろし、残った半分の頭部を叩き割った。


「なんだこいつは……」


 動かなくなったゴブリンの死体を見下ろして呆然と呟く。

 やや間があって、騎士のひとりが血相を変えて駆けこんできた。目の前に転がっているゴブリンの死体を見ても特に驚いた様子を見せなかったことから、ランドルフは次に騎士が言うであろう言葉の予想がついた。


「隊長、村の外に妖魔の群れが!」


 ランドルフは騎士に他の兵達を起こすよう指示すると、自身は村の外へ走った。

 柵を越えたところで数十体の妖魔がぞろぞろと歩いているのが見えた。

 だが、その足取りはふらふらとおぼつかず、自らの意思で歩いているというよりは、誰かに操られているようだった。なかには酷く損壊している個体もいる。


「隊長、あれはいったい……」


 兵士達を引き連れてきたサームが唖然とした様子で言った。


「……おそらく魔動人形ゴーレムだ」


 上位妖魔サリス・ダーが死に瀕した妖魔を暴徒化させていたが、これはそういった現象とは根本が異なっているように感じられた。

 そうなると、可能性として浮上するのはやはり魔法である。

 ヴィクロー山脈で発見された白い塔に、動く妖魔の死体が出現したという報告はランドルフも受けていた。状況からしてまったくの無関係ということはありえないだろう。


「しかし、これほどの数の死体を一度に操ることができる魔術師など現実に存在するものなのでしょうか?」


「考えられるとしたら白の魔術師ベラ・フィンドレイ伯爵夫人くらいか……」


「まさか! あの方がこのようなことをするとは――」


「私もそんなことは思っていない。それに、これはどう考えてもひとりの魔術師が行使できる魔法の範疇を超えている」


「そ、それはたしかに……。ですが、それではいったい何者が?」


「わからん。王都の魔法学院には確認すべきだろうが、それは後回しだ。このまま奴らの後を追うぞ」


「討伐しないのですか?」


「倒すだけならいつでもできる。それよりも、やつらがどこへ向かうつもりなのかが知りたい」


 ランドルフは数人の部下に馬を連れてくるよう指示し、自身は残った兵と共に妖魔の後を追いはじめた。




 妖魔の数は時間を追うごとに増えていった。風に乗って漂ってくる腐臭は、もはや耐え難いほどになっている。


「隊長、あれを見てください」


 涙目のサームが片手で鼻をつまんだまま群れの後方を指さした。

 視線を向けると、群れの中にあきらかに妖魔ではない個体が混じっていた。

 目を凝らして見る。その正体に気付いて、ランドルフは絶句した。

 身に付けている鎧にグラスター騎士団の紋章が刻まれていたのだ。


「なんということを……!」


 同胞の悲惨な末路を目の当たりにして、兵士達の間から次々と怒りの声が上がる。

 だが、彼らの怒りは、妖魔の群れが決戦の地となったカシェルナ平原中央部に到達する頃には恐怖と混乱に変わっていた。

 追っていた群れが何処からか現れた他の群れと合流し、一気に数を増やしたのである。

 その後も、まるで幹川に合流する支流のように次々と他の群れを取り込んでいき、その規模はあっという間に千を超えるまでになっていた。


「隊長、このままではまずいことになります」


 サームが緊張を湛えた声で言った。


「……わかっている」


 カシェルナ平原の戦いの後、妖魔の死体は戦場に放置されたままだった。戦後処理よりも妖魔の追撃を優先したからである。

 もしそれらの放置された死体がすべて動き出したのだとしたら、その数はいずれ数千にまで達することになる。

 さらに最悪なことに、死体の群れは北――つまりグラスターの街の方へと進路を取っていた。

 今のグラスターの街にこれだけの魔動人形ゴーレムの侵攻を食い止められるだけの兵力は残っていない。

 討伐軍は妖魔を掃討する為に各地に散っており、それを再集結させるだけでもかなりの時間を擁するだろう。

 そこまで考えたところで、ランドルフは息をのんだ。

 この事態を生み出した何者かは、大量の魔動人形ゴーレムの材料を得る為に妖魔の大侵攻を企てたのではないか。そして、妖魔の群れを方々に散らせたのは、討伐軍がこの状況に対処できなくする為だったのではないか。


 その時、魔動人形ゴーレムの群れに異変が生じた。

 なんと、一斉に走り出したのだ。

 数千の魔動人形ゴーレムが大地を踏み鳴らす音が大気を揺らす。

 手足に欠損のある個体がバランスを崩して倒れるが、後続はそれを容赦なく踏みつぶしていく。それは言葉では言い表せられない、不気味で不愉快な光景だった。


「……魔動人形ゴーレムも疲れたりするのかな?」


 若い騎士のひとりがぼそりと呟いた。なんとも緊迫感のない発言だったが、聞いた者の背筋を凍り付かせるには十分だった。

 ここからグラスターの街までは徒歩で二日ほどの距離である。

 だが、もしこのまま魔動人形ゴーレムが休むことなく走り続けたとしたら、一日も掛からずにグラスターの街に殺到することになるのだ。


「た、隊長……」


 そう声を掛けてきた騎士の唇が震えていた。


「落ち着け。卿は元気な馬を選んで街へ走れ。なんとしても奴らより先に街にたどり着き、この状況を騎士団本部に伝えるんだ。サームは本隊へ向かい、カーティス団長に報告しろ」


 ランドルフは矢継ぎ早に指示を出していく。成すべきことを明示されたことで騎士達は落ち着きを取り戻し、素早く行動を開始した。


「よし、残った者は私と来い。とにかく軍の再集結が最優先だ。急ぐぞ!」


「はっ!」


 朝靄がかかる草原を騎兵隊が慌ただしく駆け抜けて行く。

 だが、その遥か頭上で、黒いローブを纏った男が悠然とグラスターの街の方角へ飛び去って行ったことに気付いた者は、誰もいなかった。


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