第228話 使い魔ふたり
ヴィクロー山脈に連なる山のひとつ、クルス山。その頂上付近に立つ白い塔が、魔術師ルーファスによって建てられたものであることを知る者は限られている。
その限られた者のひとりである
もっとも、彼が今いる場所は白い塔ではなかった。
魔法帝国の魔術師は地上ではなく地下奥深くに拠点を作る。
それは彼の主も例外ではない。
白い塔の真下にある、幾重にも連なる巨大な地下迷宮こそが、魔術師ルーファスの拠点だった。
キリアンは複雑に入り組んだ通路を迷うことなく進んでいく。最下層にたどり着いたところで、嘲笑するような声に出迎えられた。
「なんの音沙汰もねぇからてっきりその辺で野垂れ死んだんだとばかり思ってたぜ」
軽快な蹄の音と共に姿を現したのは、デヴァーロという名のサテュロス族の男だった。キリアンにとっては不本意な事実だが、共にルーファスに仕える使い魔同士という間柄である。
ちなみに使い魔同士はある程度の距離ならば互いの居場所を認識できる。その特性を考えれば、先ほどのデヴァーロの台詞は白々しさの極致と言えた。
「おいおい、久々に戻ってきたと思ったら片腕になっちまってるじゃねぇか! まさか人間相手に不覚を取ったのか? こいつは傑作だ!」
腹を抱えて笑うデヴァーロ。
キリアンはそれを無視して脇を通り抜けようとした。
「――まぁ待てって。久々に会ったんだ。ちったぁ旧交を温め合おうぜ」
伸ばされた手が行く手を遮る。
キリアンは非友好的な視線を同僚に向けた。
「邪魔だ、どけ」
手を払おうとしたところで、デヴァーロが脇に何かを抱えていることに気付いた。人間の子供のようだった。
視線に気づいたデヴァーロが抱えていたものを掲げてみせる。
「ん? ああ、これか? 主の儀式に使われたエルフの女さ」
そう言われて、キリアンはその少女がルーファスが攫ってきたエルフと同一人物であることに思い至る。ただ、以前に見かけた時と違い、少女からは生気がまったく感じられなかった。
「……死んでいるのか?」
「いや、辛うじて生きてるぜ」
その言葉にキリアンは目を見張る。これまで魔力炉の起動に使われた生贄が生きていた例はない。それほどまでに『
「主が言うには、こいつはどうやら特別らしい。生かしたまま捕えておけとのご命令だ。たぶん
「なら、俺に構ってないでさっさと行け。俺は主の元へ行く」
「おっと、残念ながら主はご不在だぜ。儀式を終えてしばらくしたらどっかに行っちまったよ」
「……どこへ向かわれた?」
「さぁな、俺様は何も聞かされてねぇ」
主は使い魔の状態や居場所をいつでも把握できるが、その逆はない。隷属の術とは主にとって一方的に有利な術なのだ。そして、ルーファスは使い魔に必要最低限の情報しか与えない主だった。
「ところでよぉ、片腕のままじゃ不便なんじゃねぇのか?」
デヴァーロがキリアンの失われた右腕の部分を見て、にやりと笑った。
「……貴様には関係ない」
「なんなら俺様が新しい腕を調達してきてやろうか? オーガの腕なんてどうだ?」
「必要ない」
「いいのか? 片腕のあんたなら簡単に殺せちまいそうだ」
安っぽい挑発だった。
「……そう思うのなら試してみるといい」
キリアンは左拳を前に出し容赦なく殺気を放った。いい加減、このうっとおしいサテュロスの相手をするのも面倒になっていた。
「おっと、冗談だって」
デヴァーロは空いている片手を上げて降参のポーズを取った。
「使い魔同士の私闘はご法度だ。バーラングの野郎も死んじまって、残った使い魔は俺らだけなんだ。せいぜい仲良くしようや」
「そう思うのならば、せいぜい言葉には気を付けるんだな」
「へいへい」
同じ使い魔として隷属を強いられる立場ではあったが、キリアンはデヴァーロをまったく信用していなかった。
そもそも、キリアンが妖魔の群れを率いて領主の軍と戦うことになったのも、この男の失態のせいだった。
デヴァーロはルーファスから儀式に必要な人間を調達するという命令を受けていた。
その際、あまり派手にやると領主に気取られる心配があることから、村や集落に住む人間ではなく、旅人や冒険者といった、いなくなったことがすぐに知れ渡らないであろう人間を攫うよう指示を受けていた。
だが、デヴァーロはそれを無視して村に手を出した。
その結果、事件が明るみに出ることになり、領主が軍を動かす事態を招いたのだ。
いかにルーファスでも、儀式が完了する前に大軍に攻められれば勝ち目はない。
だからキリアンは時間稼ぎの為にわざわざ大森林でサリス・ダーを調伏し、大侵攻を引き起こすことで領主の目を南に向けさせたのだ。
結果的にルーファスは儀式を完了させることができたが、デヴァーロの失態が窮地を招いたのは事実である。それなのに当人に悪びれた様子は一切なかった。
(この男は狂人だ)
キリアンは目の前のサテュロスをそう評価していた。
己の命すら安い賭け事のチップとして平然と差し出してしまうような、そんな危うさを持った男だった。それが元々の性格なのか、長い時を使い魔として過ごしたことによる弊害なのかはわからない。
ひとつはっきりしているのは、キリアンがルーファスに純粋な忠誠心を抱いていないのと同様に、このデヴァーロという男も盲目的に主に従っているだけの男ではないということだった。
もっとも、使い魔のなかで自ら進んで忠誠を誓っていたのは死んだバーラングくらいなものだが。
「……主が不在ならば俺は好きにさせてもらう」
キリアンはそう言って踵を返そうとした。
「待てよ、どこへ行くつもりだ?」
「貴様に言う必要はない」
「主からここを守るよう命令を受けてないのかよ?」
「……さてな。俺は何も聞いていない」
その答えにデヴァーロは舌打ちした。
「主が言うには武装した人間の一団がここに向かってるって話だ。数はそれほど多くねぇみたいだが、おそらく前に取り逃がした奴が援軍を引き連れて戻ってきたってところだろうな」
「……」
「俺様はこう見えても忙しいからよ、なんならあんたが行って対処してくれたっていいんだぜ?」
「知ったことか」
キリアンは素っ気なく答えると、デヴァーロに背を向け、来た道を戻る。
魔力炉が稼働した今、たとえ万の軍勢で攻め込んだとしても、この拠点を落とすことは不可能だろう。現に彼はここに来る途中で何百という数の
それもただの
魔獣ヴァルラダンの牙を素材として作られた
(武装した人間の一団、か……)
口では無関心を装いはしたが、その話はキリアンの心を鷲掴みにしていた。
脳裏にカシェルナ平原で戦った黒髪の戦士の顔が浮かぶ。
あの戦士との戦いは、久々に心を揺り動かされた。
肉体を傷つけられたことで壊死していた心が蘇ったとでもいうのだろうか。
くだらない。以前ならばそう一笑に付すこともできたが、今のキリアンにはそうすることはできなかった。
本気で挑み、殺しきれなかった。それどころか右腕を斬り飛ばされた。
その屈辱を晴らす方法は今も昔も変わらない。
相手を殺す。ただそれだけである。
久々に己の意思で殺したいと思える相手に出会えた。
今はもう、あの黒髪の戦士ともう一度戦うことだけが望みだった。
右腕の傷口が疼く。
その一団に黒髪の戦士がいる――それは予感というよりも、確信に近かった。
「……面白い」
キリアンの表情には、抑えきれない愉悦の感情があふれ出ていた。
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