第227話 偶然

 遺跡調査団はグラスターの街を発ってから四日後にクルガリの街に到着した。

 クルガリの街からヴィクロー山脈までは、徒歩で半日も掛からない距離である。もっとも、そこから目的地であるクルズ山の白い塔までは険しい山道を二日ほどかけて踏破せねばならない。

 さすがに案内人なしで進むのは自殺行為だということで、白い塔を発見したという二名の調査員と麓で合流する予定となっていた。

 ところが、いざ麓にたどり着いてみると待ち受けていた調査員はひとりだけだった。

 当然、マシューはどういうことかと声を荒げた。

 調査員の男は別段悪びれる様子もなく、それどころかマシューに向かって、いなくなったもう一人の調査員の悪口を並べ立て始めた。

 その様子を遠巻きに見ていた修介は深々と溜息を吐いた。


「なにしてんねん、あの人は……」


 探索者マッキオ――それが調査員の正体だった。

 よくよく考えてみれば、古代魔法帝国の遺跡調査に彼が絡んでいないはずがないのだ。

 そのマッキオも途中で修介の存在に気付いたようだが、さすがに怒れるマシューを無視するほど無謀ではないようで、話しかけてはこなかった。

 ふたりが言葉を交わしたのは山に入って数時間後、最初の休憩を取っている時だった。


「やぁ久しぶりだねぇ。元気に地下に潜ってるかい?」


 やってきたマッキオが人懐こい笑顔を浮かべて挨拶を寄こした。


「マッキオさんも、お元気そうで。俺は探索者じゃないので、あれから地下には潜ってませんよ」


「だよねぇ。まさか君が調査団に参加しているとは思わなかったよ。その気があるなら最初から僕に声を掛けてくれればいいのに。一緒に地下遺跡を探索した仲じゃないか」


 そう言いながら、マッキオは近くの岩に腰を下ろした。

 ふくよかな体格をしているが、マッキオの運動能力は恐ろしく高く、今も修介がへばっているのに対し、疲れている様子はほとんどなかった。


「まさかとは思ってましたけど、セオドニー様の言っていた調査員ってマッキオさんだったんですね」


 修介の言葉にマッキオは満面の笑みで頷いた。


「君達と一緒に調査した地下遺跡の件がきっかけで僕に興味を持ったようでね。今回の調査も是非にとお声がけくださったんだよ。やっぱり何事も実績ってのは大事だね。おかげで僕は強力な後ろ盾を得ることができたってわけさ」


「後ろ盾?」


「ほら、前に王都の北の平原に巨大な地下迷宮があるって話をしただろ? あそこに入るには魔法学院か上級貴族の推薦が必要なんだよ。僕は魔法学院は出禁扱いにされちゃってるからね」


「ああなるほど、だからか」


 基本ソロ活動のマッキオがこうして大規模な調査団に協力しているのは、今後に向けての実績作りの一環でもあるのだ。


「セオドニー様は有能な者に対しては惜しみなく財と労力を投入してくれるからね。若いのにたいしたもんだよ」


「……そうっすね」


 自分のことを迷わず有能認定するマッキオの性格も大概だが、「利用価値がある」と認めた者に対して積極的に絡んでいくという点において、セオドニーとマッキオは案外相性が良いのかもしれなかった。


「けど、セオドニー様から支援してもらえているのなら、そのお金で魔法学院の借金を返せばいいじゃないですか。そうすれば出禁も解かれるでしょうに」


「何を言ってるんだい? 僕が金を借りるときは踏み倒す気満々で借りてるんだ。当然、貸した側もそれ相応の覚悟で取り立てに来てくれないと返す必要性を感じないじゃないか」


「マッキオさんのそういうところマジですげーなって思うよ……」


 修介は呆れ顔で言ったが、マッキオは意に介した様子もなく話題を変えた。


「そんなことよりも、参加者の中には紫衣者しいしゃまでいるみたいじゃないか。僕の本命はあくまで北の地下迷宮なわけだけど、彼らが出張って来てるとなると今回の調査には学院側もかなり本気ってことだろうから、嫌が上でも期待値が上がるね」


「でも、あいつらの目的って違法な魔術師の取り締まりですよね?」


「そんなの口実に決まってるじゃないか。本当の目的は白い塔の魔術師が抱えている知識だよ」


「ってことはマッキオさんにとっては競争相手ってことになるんですかね?」


「まぁそうなるのかな」


「ここに来る前にあいつらが戦うところ見ましたけど、結構やばそうな奴らでしたよ? 邪魔したら陰でこっそり消されたりするんじゃないっすかね」


 修介は少し声を落として言った。野盗との戦闘での彼らの容赦ない戦いぶりを思い出すと、ありえないことではないように思えた。


「グラスター辺境伯の名において行われる調査なんだ。彼らだってさすがにそんな無茶な真似はしないはずさ。もちろん、気を付けるつもりではいるけどね」


「でも、白い塔には他にもサテュロスとか動く死体とかがいるって話じゃないですか。マッキオさん、戦闘は苦手でしたよね? 大丈夫なんすか?」


「そういう荒事は君達に任せるよ。せいぜいしっかりと働いてくれたまえ」


 この人は相変わらずぶれないな、と修介は感心する。きっとこの地に隕石が降って来てもマッキオとゴキブリだけは生き残るに違いなかった。


「そういえば、君のパーティは随分と面子が変わったみたいだね。ベラ・フィンドレイの孫娘や、あのおっかない金髪の女戦士はどうしたんだい?」


 マッキオが近くで休んでいるパーティメンバーに目を向けながら言った。

 それで初めて修介は今回のパーティにマッキオと共に地下遺跡を探索した時のメンバーが自分以外に誰もいないことに気付いた。

 依頼ごとにパーティのメンバーが変わることは珍しいことではないが、相棒であるヴァレイラまでいないとなれば、マッキオが不自然に思うのは当然だった。


 修介はマッキオにサラやヴァレイラの身に起こったこと、攫われた仲間を連れ戻すのが今回の旅の目的であることなどを説明した。

 基本的に人の話を聞かないマッキオだが、さすがに茶々を入れずに真面目な顔で最後まで話を聞いていた。


「なるほどねぇ……遺跡にたいして興味なさそうな君が参加しているから妙だなぁとは思ってたんだけど、そんな事情があったのかぁ。それはなんというか、大変だねぇ」


 マッキオの感想は完全に他人事だったが、それは無理からぬ話である。彼の目的はあくまでも遺跡に眠る古代魔法帝国の知識なのだ。修介としても、こちらの都合を他人に押し付けるつもりはなかった。


「それにしても、その犯人はなんで君の仲間を攫ったんだろうね? 一緒にいたサラ君や金髪女は連れて行かれなかったんでしょ? 攫われた人はなにか特別な立場の人だったりするのかい? 特殊な才能を持っているとか、王家の血筋の者だったりとか」


「そんなことないと思いますけど……」


 修介はとにかくアイナリンドを連れ戻すことしか頭になかったので、なぜ犯人が彼女を連れ去ったのかという理由については完全に放置していた。

 唯一心当たりがあるとすればアイナリンドがエルフであるということだったが、それについてはあまり触れられたくなかったので、強引に話題を変えることにした。


「あ、そうだ。マッキオさんにお願いがあるんだった」


「お願い? 僕の助手になりたいっていうならいつでも歓迎するよ」


 マッキオはそう言うと、おいでとばかりに両手を広げた。


「いや、それはないっす。そうじゃなくて、前に売ってもらった催涙袋あったじゃないっすか。あれをまた譲ってほしいんですよ」


「えっ!? 譲ってあげた分、全部使っちゃったのかい? そんなに使う機会ある?」


「まぁ色々とありまして……」


「前にも言ったけど、あれはあまり人前で使っちゃダメだよ? グラスターの人達は卑怯な手段を嫌うからね」


「わ、わかってますよ」


 グラスターの人々は騎士を筆頭に正々堂々と戦うことを信念とする者が多い。

 これは戦いの神を信仰している者が多いからという側面もあるが、それ以上にこの地に住まう人々の気質がそうさせているのだ。

 グラスターの民は三百年に渡って妖魔と戦い続けている。

 人と妖魔の決定的な違いはなにか――その問いに対する多くのグラスターの民の答えは『誇り』なのだという。

 妖魔という問答無用で人を喰らう異世界起源の生命体と戦っているからこそ、人間としての誇りを失ってはならないと考えているのだ。

 無論、全ての者がそう考えているわけではない。

 戦いとは所詮は殺し合いである。妖魔相手にどんな卑怯な手を使おうが問題ない。負ければ妖魔に全てを奪われるのだ。勝たなければ意味がない。そう考える者がいるのも事実である。

 これはどちらが正しいとか、間違っているとかではないのだろう。

 修介自身、振り返ってみると不意打ちや騙し討ちといった手を多用してきたこともあって、考え方はどちらかといえば後者に近い。

 ただ、最期の瞬間まで己に恥じることなく正々堂々と戦い抜き、胸を張って神の元へ赴きたい――そう願う戦士たちの気持ちは、一度死んで人生をやり直しているだけに、修介にもなんとなくわかる気がした。


「うーん、譲ってあげたいのは山々なんだけどねぇ」


 マッキオにしては珍しく歯切れの悪い言葉が返ってきた。


「なにか問題でも?」


「実のところ先日、背負い袋を紛失してしまってねぇ……」


「え?」


 言われて修介はマッキオがトレードマークとも言うべき巨大な背負い袋を持っていないことに気付いた。あの袋の中には魔法学院から借りているマナ灯を始め、いくつもの貴重な資料や魔道具が入っていたはずである。マッキオにしてみれば、それこそ命よりも大切にしていたものなのだ。それをなくしたというのはにわかに信じがたい話だった。


「まぁ紛失っていうか、人の命には代えられなかったというか……。最初に白い塔を発見した時に僕らがサテュロスに襲われたって話は聞いてるかい?」


 修介は黙って頷いた。


「あの時に相棒が負傷しちゃってね。彼を担いで逃げるのに、背負い袋を置いて行かざるを得なかったんだよね……」


「マジっすか……」


 修介は今日一で驚いていた。

 あのマッキオが他人を助けるために大事な背負い袋を手放したのだ。完全に偏見ではあるが、そういうことをする人間だとは思っていなかったのである。


「ほんとに大変だったんだよ。崖から川に落っこちた相棒を探し回って、ようやく見つけたと思ったらまたサテュロスに追っかけ回されて……」


「よく逃げ切れましたね?」


「ふふん、逃げることに関しては誰にも負けない自信があるからね」


 マッキオがここぞとばかりに胸を反らした。

 それは誇れることなのか、と修介は疑問に思ったが、負傷した仲間を担いで無事に逃げおおせたのはたしかに凄い事ではあった。


「にしても、どうやって逃げ切ったんです?」


「そりゃもちろん催涙袋のおかげさ。あれはね、考えなしにただ投げるだけじゃ駄目なんだよ。相手がただの妖魔ならそれでもいいけど、多少知恵のある奴には前後の状況作りが大事になってくるのさ」


「というと?」


「そんなに難しいことじゃないさ。まずは必死に逃げるだろ? これは別に演技する必要はないよね。で、追い付かれたら今度は近くに落ちてる石とか枝とかを滅茶苦茶に投げつけるんだ。人間は追い詰められると、近くにある物を手当たり次第投げつける習性があるからね。この時に尻もちついて後ずさりしながらやると必死さが演出できていい感じになる」


 修介はふんふんと真面目くさった顔で頷きながら話に聞き入る。


「――で、投げる物の中にさりげなく催涙袋を混ぜるのさ。いきなり投げても警戒されるけど、相手に自分が絶対的な優位に立っていると認識させることで油断を誘うのさ。あのサテュロスは腕っぷしに相当自信があるみたいだったからね。そういう輩は余裕ぶっていちいち躱したりしないからほぼ間違いなく当たるって寸法さ」


「せこっ!」


「せこくていいんだよ。こっちは生き残れさえすればいいんだから」


 実際それで逃げ切ったのだから効果的なのは間違いないだろう。自分がその方法を使うかどうかはさておき、追い詰められても冷静さを失わないマッキオの姿勢は見習うべきだと修介は思った。


「ところで、その相棒とやらはどうしたんです? さっきのマシュー団長とのやり取りを聞いてた感じだとひとりでどっか行っちゃったみたいですけど」


 相棒の話に触れた途端、マッキオは眉をひそめた。


「彼にはねぇ、僕も手を焼いてるんだ。とにかく人間嫌いでね。おまけに集団行動が苦手だから、僕が止める間もなく勝手に山に入っちゃったんだよねぇ……」


 この場合、本当に人間嫌いなのか、単にマッキオが嫌われているだけなのか判別が難しいところである。


「よくそんな自分勝手な奴とコンビ組んでられますね」


 修介が自分のことを棚に上げて言うと、マッキオは口に手を寄せて声を潜めた。


「実はあまり大きな声じゃ言えないんだけど、僕の相棒ってのはエルフなんだ」


「ふーん、そうなんすか」と、修介はあっさり流したが、すぐに事の重大さに気付いて大声を上げた。


「ちょ、エルフってマジ――本当っすか!?」


「ちょっとちょっと声が大きいってば」


「す、すいません!」


 修介は反射的に謝ったが、頭の中はそれどころではなかった。

 人間とエルフは滅多に交流がないとはいえ、アイナリンドやイシルウェ以外にも人間社会で活動しているエルフがいたとしても何もおかしくはない。

 しかし、こんな偶然があるだろうか。

 まさかという思いが抑えきれず、修介は決定的な質問を口にしていた。


「そのエルフの名前って、イシルウェ、だったりします?」


 今度はマッキオが驚く番だった。


「ええっ!? 君、彼のこと知ってるのかい?」


「知ってるというか、さっき俺が話した攫われた仲間ってのが、そのイシルウェの姉なんですよ」


「ちょ、ちょっと待って。頭が混乱してるから、少し整理をさせてくれ」


 マッキオは額に手を当てて唸り始めた。

 修介もこの偶然をどう扱ったらいいのかわからず、思わず天に向かって嘆息した。

 攫われたアイナリンドの救出に向かった先に、たまたま弟がいた。単にそれだけの話だが、あまりにも出来すぎている。

 一瞬、セオドニーがそれを知っていてイシルウェを派遣したのかとも思ったが、時系列を考えればその可能性はないだろう。

 いずれにせよ、やるべきことが変わるわけではないと、修介は頭を切り替えることにした。


「アイナ――姉さんが攫われたってことをイシルは知らないですよね?」


「そのはずだよ。そんな素振りは一切見せなかったし、知ってたらさすがにあんな落ち着いていないと思うよ。姉弟の仲が悪いってのなら話は別だけど」


「少なくとも姉の方は弟をとても大切に思ってますよ」


「姉弟の仲が良いのは素晴らしいことだね。僕にも三人の姉がいるんだけど、そりゃもう仲が悪くてね、人のことを豚だのなんだのと――」


「まったくもって興味ないっす」


 容赦ない返しにマッキオは咳ばらいをひとつする。


「ま、僕たちがここで頭を悩ませたところで事態は何も変わらない。彼の姉さんが無事であることを願いつつ、僕たちは僕たちにできることをやろう」


 とてもマッキオの口から出たとは思えない真っ当な意見に、修介は戸惑いながらも頷くのだった。


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