第226話 愚痴
全ての後始末を終えて行軍を再開した頃には日が傾きかけていた。
結局、予定していた宿場町にはたどり着けず、一行は街道の傍で夜営をすることになった。
騎士も冒険者も経験豊富な者が揃っているだけあって、手際よく夜営の準備が行われる。例によって騎士と冒険者の間には微妙な距離ができていたが、味方に犠牲者を出すことなく野盗を討伐できたこともあって、夜営地の雰囲気は悪くなかった。
修介は軽い夕食を摂り終えた後、近くの木の幹にもたれ掛かってアレサの手入れをしながら、見張りの順番がくるまでの時間をのんびりと過ごしていた。
焚き火を挟んだ向こう側では、デーヴァンとシーアが親指ゲームに興じている。
お堅い神官もゲームとかするんだな、と妙なところで感心しながら眺めていると、近寄ってきたイニアーに声をかけられた。
「なんだ、旦那はああいった女が好みなのか? サラ嬢ちゃんがいないからって浮気するのはどうかと思いますがね」
「なんでそうなるんだよ」
「そりゃあ、あの酒場での一件を見せられた後じゃねぇ……」
それがサラとシンシアにサンドイッチにされた時のことを言っているのは聞くまでもなかった。あの一件以来、修介はイニアーから『スケコマシ』という不名誉極まりない称号を与えられていた。
「そういうイニアーはどうなんだよ。俺が言うのもなんだけど、シーアさんはイニアー好みの美人じゃないか」
「たしかにあの神官様は美人だが、俺はあの手のお堅い女とは、とにかく相性が悪いんでね。やっぱり女は気楽に付き合えるのがいい」
「ヴァルみたいにか?」
ここぞとばかりに修介はやり返した。
「猛獣の調教は俺の領分じゃないんで、そいつも旦那に任せるよ」
「浮気はダメなんだろ?」
「本気なら構わないと思いますぜ。大事なのは甲斐性っすよ、甲斐性」
言いながらイニアーは手にした水袋を修介に向かって放った。
修介はそれをキャッチすると、そのまま口を付けて一気にあおる。中身は水ではなく、酒だった。
「お隣からちょいと分けてもらいましてね」
「抜け目ないなぁ」
イニアーは初日から高い社交性を発揮して他の冒険者達と積極的に交流を図り、良好な関係を築いていた。昼間の諍いについても、彼が間に入って上手く立ち回ってくれたおかげで関係がこじれずに済んだようなものである。
その如才のなさこそが、イニアーという男を一流の傭兵たらしめている要因だと修介は思っていた。
だが、そう感心してばかりもいられない。本来であれば他のパーティとの折衝はリーダーの仕事なのだ。自分のことで手一杯でそこまで気が回らなかった、というのは言い訳にすらならないだろう。
「にしても、あの神官様も人が良いな。よくもまぁ延々とアレに付き合えるもんだ」
イニアーが遊んでいるふたりを見て、呆れたように言った。
修介も釣られて視線を向ける。いい大人が親指ゲームを真剣に遊ぶ姿はシュール以外の何物でもないが、楽しそうにしているデーヴァンの姿を見ているとなぜか幸せな気分になれるのだから不思議だった。
「イニアーは付き合わなくていいのか?」
修介が意地悪く言うと、イニアーは冗談じゃないとばかりに首を振った。
「勘弁してくれ。一度アレに捕まると、おちおち酒も飲んでられねぇ。ああして神官様が兄貴の相手をしてくれるおかげでこっちは大助かりだ」
たしかに、かれこれ三十分はやっているだろう。親指ゲームは単純ゆえに飽きられるのも早い。長時間のプレイに耐えられるのはデ―ヴァンくらいなものである。そういう意味では嫌な顔ひとつせずにそれに付き合えるシーアの精神力は相当なものと言えた。
「デーヴァンは随分とシーアさんに心を開いているよな。俺は前に輸送部隊で一時的にパーティを組んだだけだけど、お前らはあれからシーアさんと一緒に依頼を受けたりとかしたのか?」
修介の問いに、イニアーは再び首を横に振った。
「いや、組んでないっすね」
「やっぱ前に怪我を治療してもらったことを恩義に感じているからなのかね」
「まぁそれもあるだろうが……。兄貴は人の本質というか、本性を見抜くのが妙に得意でな。特に相手の好意や悪意といった感情には敏感で、俺もこれまで何度かそれに助けられたことがある。だから、兄貴がああして心を許して遊んでいるのは、あの神官様が信用できる奴だってことが直感的にわかってるんだろうな」
「へぇ……」
いかにも眉唾な話だが、デーヴァンにはそれを信じさせてくれるだけの不思議な魅力があるのはたしかだった。
「俺の時は仲良くなるまでに結構時間が掛かったけどな」
「そりゃ旦那が打算で兄貴に近づいたからだろ」
ぐうの音も出ず、修介は頭を掻いて誤魔化すにとどめた。
ただ、今の話でデーヴァンがシーアを信用するのは納得できても、イニアーまでもが一緒になって信用しているのは意外に感じていた。
イニアーは優秀な傭兵である。状況判断に優れ、常に冷静に立ち回ることができる。考え方もドライで、他人への警戒を決して怠らない。カシェルナ平原での戦いでも、それでだいぶ助けられた。
ところが、ことデ―ヴァンが絡むと人が変わったように思考停止してしまうのだ。
あらためて考えてみると、ふたりの絆の強さは、多くの戦場を共にしてきたということを差し引いても、普通の兄弟のそれとは一線を画しているように思える。
イニアーは傭兵時代の面白い小話は無限に話してくれるが、自分自身やデ―ヴァンの生い立ちについては何も語らない。そこに無言の圧力を感じて、興味本位で聞くことがなんとなく躊躇われるのだ。
「そんなことよりも旦那。ここで俺とくっちゃべるよりも、他にやるべきことがあるんじゃないか?」
イニアーが唐突に話題を変えた。
「やるべきこと?」
首を傾げる修介に、イニアーは言葉ではなく親指で答えを指し示した。
指先の向こうには下を向いて座っているナーシェスの姿があった。
「パーティメンバーのメンタルケアもリーダーの仕事ですぜ」
「……わかってる」
「それならけっこう」
イニアーはそう言うと、軽快な足取りで立ち去っていった。
ナーシェスの様子については、修介もずっと気になっていた。
昼間の一件以来、彼は普段通りに振舞っているように見えて、ふいに物憂げな表情を見せることが何度もあった。今もまるで話しかけられるのを拒むように皆から距離を置いている。
正直に言えば声をかけづらいし、しばらくそっとしておいた方がいいのではと思わなくもなかったが、リーダーとしての責任感が容赦なく背中を押してきた。
修介はわざと足音を立ててナーシェスの元へと歩み寄る。
足音に気付いたナーシェスが顔を上げた。その顔はやはりどこか物憂げだった。
「よっ、今日は大活躍だったな」
修介はあえて陽気に話しかけた。台詞の軽さの割に声が固いことを自覚する。
「よしてくれよ、活躍したのはシーア女史で、私は彼女を手伝っただけさ」
返ってきたのは自嘲気味な言葉と苦笑いだった。
「いやいや、ナーシェスのおかげで多くの人の命が救われたんだ。胸を張れって」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどね……」
ナーシェスはそう言うと、再び下を向いてしまった。
「……やっぱり昼間の件を気にしているのか?」
修介は近くに腰を下ろしながら、やや躊躇いがちに尋ねた。
「まぁ、気にしていないと言えば嘘になるね。実際、私は戦闘ではなんの役にも立っていなかったから」
「別に戦闘がすべてってわけじゃないだろ」
「もちろん、それはわかってる。前に君が言ってくれたように、私には私にしかできないことがある。魔力が弱くてもきっと役に立てることがある。そう思っているからこそ、こうして君達と一緒に来ているんだからね」
「だったら――」
「けどね、やっぱり魔術師としては魔法で役に立ちたいと思うわけさ」
ナーシェスは遮るように言うと、傍に立て掛けてあった杖を手に取った。
「私はこれまで魔術師として何かを成し遂げたことがないんだ。いつも誰かの後ろにくっついて、必要な時にマナを提供するだけ。今日の一件で、私が必要とされているのはこの身体にある大量のマナだけで、私の魔法は誰からも必要とされていないんだってあらためて思い知らされたよ。シュウ君だって、本気で私の魔術師としての力をあてにしているわけじゃないだろう?」
「それは……」
修介は言葉に詰まった。
「すまない、嫌な言い方をしてしまったね、謝るよ」
「いや……」
「大丈夫。似たようなことはこれまでにも何度かあったんだ。だから、言うほど気にしているわけじゃない。まぁ、あそこまで面と向かって言われたのは初めてだったから、けっこう心に来るものはあったけどね……」
「やっぱり今からでも二、三発ぶん殴ってこようか?」
そう言って修介は腰を浮かせた。
「やめなって。せっかくイニアーさんが間に入って取り成してくれたんだから、彼の努力を無駄にしちゃだめだよ」
「冗談だって」
修介は地面に座り直すと、先ほどイニアーから手渡された酒入り水袋を掲げて「飲むか?」と目で問いかけた。
ナーシェスは静かに首を横に振った。
それからしばらく沈黙が続いた。
自身のやりたいことと、求められることの齟齬。才能に恵まれなかったがゆえの挫折。それらの現実は本人の意志とは無関係に、生きていくなかで当たり前のように突きつけられる。
修介自身もつい先日、心が折れかけたばかりである。ナーシェスの苦悩は多少なりともわかるつもりだった。
修介は小さく深呼吸してから口を開いた。
「……俺さ、こないだのカシェルナ平原の戦いに傭兵として参加しただろ?」
「ああ、君がみんなに何も言わずに行っちゃったやつね」
「う……」
修介は一瞬言葉に詰まるが、気を取り直して言葉を続ける。
「そこでさ、マナのない体質の限界ってやつを思い知らされたんだ」
上位妖魔サリス・ダーの圧倒的な強さ。その化け物を相手に魔法の援護を受けたランドルフとデーヴァンが互角の勝負を演じたこと。そして、魔法の援護が受けられないせいで自分がその戦いに加われなかったこと。
修介は戦場で起きた出来事をすべて語った。
そして気が付けば愚痴を零していた。
「――冗談じゃねぇっての。仮に死ぬほど努力してデーヴァンやランドルフと同等の実力を身につけたとしても、魔法の加護ひとつであいつらは手の届かない領域にいっちまうんだ。そんなの俺にはどうすることもできないじゃん! いくらなんでも理不尽だと思わないか?」
「そ、そうだね」
「この体質が一長一短だってのはわかってるさ。ヴァルラダンの咆哮が効かなかったのも、イリシッド相手に無双できたのもこの体質のおかげだしな。だけど、魔法の援護が受けられない俺は戦士としてはやっぱり欠陥品なんだ。正直、それを突きつけられて滅茶苦茶ショックだったよ……」
「でも、シュウ君は立ち直ってこうして前を向いているじゃないか」
「立ち直ってねーよ。今も絶賛もやもや中だっての」
修介は八つ当たり気味に地面の雑草を引き抜いて投げ捨てた。
「……けど、ある奴に言われたんだ。お前は魔剣の力に頼ってばかりの三流雑魚剣士なんだから、上ばかり見てんじゃねーってな」
「それは……結構辛辣だね」
「ま、まぁそこまで言葉は汚くなかったかもしれんが……」
抗議のつもりか、ガタガタ震え始めたアレサを修介は慌てて押さえつける。
「――でも、たしかにその通りだなとは思ったんだ。落ち込んだって現実が変わるわけじゃないし、今の俺にはそれを嘆く前にまだまだやれることがある。実際、俺の剣の腕なんて一流には程遠いし、学ばなきゃならないことなんていくらでもあるからな。だから、とりあえずそのことについては考えるのをやめて、今は目の前のことに集中することにしたんだ。現実逃避だと言われたら、その通りなのかもしれないけどな」
「なるほどね……つまり私も余計なことは考えずに目の前のことに集中しろってことが言いたいのかい?」
「え? いや、そういうわけじゃないんだ。そんなの人によるだろうしな。つまりだな……えーと、結局俺は何が言いたかったんだ? ああ、そうそう! 魔法で大活躍したいってお前の気持ちはわかるって言いたかったんだよ。俺だって魔法の援護を受けて上位妖魔を倒せたらさぞかし爽快だろうなって思うし」
修介は言いながら何度もうんうんと頷いた。
「……それだけかい?」
「え、そうだけど?」
修介は真顔でそう返したが、拍子抜けしたような顔をしているナーシェスを見て、自分がただ愚痴を零しただけで問題解決になんら寄与していないことに気付き、慌てて言葉を続ける。
「あとは……強いて言うなら、たしかに俺はナーシェスの魔法を戦力として数えてはいないけど、別のところで頼りにしているってことかな」
「別のところって?」
「頭が切れるところだ」
修介は間髪容れずに答えた。
「俺は考えるのがあんまし得意じゃないからな。おまけにすぐ冷静さを失うし、判断力にも自信がない。その点、ナーシェスは俺と違って知識も豊富だし、頭の回転も速い。ナーシェスが望んでいることとは違うだろうが、俺は割と本気で頼りにしてる。だから、一緒に付いていくって言ってくれた時、マジで嬉しかったんだ」
「……」
「悪いな。もっと気の利いたことが言えればいいんだろうけど、あいにくそういうのは俺には向いてないみたいだ」
修介は気まずさを覆い隠すように手のひらで顔を撫でた。
「……いや、そんなことはないよ」
ナーシェスはゆっくりと首を振った。
「シュウ君はまだ十八かそこらだろう? 年下の君にそこまで言われたら、さすがにいつまでも落ち込んでばかりはいられないよ」
実際は四十三歳なんだけどな、と修介は心の中で嘆息した。
あるいは前世でもっと様々な経験を積んで、たくさんの人と関わりを持っていれば、もっと気の利いた言葉や、適切な助言が出てきたのかもしれない。
人間の肉体は年月と共に成長していくが、心は違う。
多くの人に対して責任を持ち、重荷を背負って前に進むことで、初めて人は精神的に成長できるのだと今更ながらに思う。
面倒事を避け、責任から逃げて生きている者は、それらしく振舞うことはできたとしても、いざという時に簡単にメッキが剥がれてしまう。
この世界に来てから、修介は自分がいかに未熟な人間であるかを痛感させられてばかりだった。
「……そうだね。ないものねだりしたところで仕方がない。ここはパーティリーダーであるシュウ君に倣って、とりあえず私も目の前のことに集中することにしようかな」
そう言ってナーシェスは両手で杖を握りしめた。
「頼りにしてるぜ、魔術師殿」
修介はあえてそう呼んだ。
「こちらこそ、戦士殿」
ふたりは互いに顔を見合わせ、どちらからともなく笑いあった。その笑い声に、ちょうどゲームに勝って喜ぶデーヴァンの雄叫びが重なるのだった。
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