第225話 マナ貯蔵庫

 ごっ、という鈍い音と共に頭を叩き割られた野盗が地面に転がった。

 似たような運命を辿ったのはこれで三人目。

 やったのは魔術師タイグだった。彼は手にした身の丈ほどもある棒状の武器を自在に操り、次々と野盗どもを打ち倒していく。

 ただの木の棒で鋼鉄の剣を弾き返し、一撃で頭蓋を叩き割る。そんなことが可能なのは魔法によって木の棒が強化されているからである。さらに、彼の身体からは身体強化魔法特有の薄っすらとした光が放たれていた。

 魔法による武器と身体能力の強化。

 それが魔術師タイグを尋常ならざる戦士へと変貌させているのだ。


 だが、真に驚嘆すべきはもう一方の魔術師、マレイドであろう。

 彼女は野盗の攻撃を華麗な身のこなしで躱しながら、素早く宙に魔法文字を描いているのだ。

 戦いながら魔法を詠唱する――身体と魔力のコントロールを同時にこなすことがどれだけ至難か、魔法を学んだ者であれば誰もが知る事実である。

 マレイドはそれを平然と行っていた。魔法で野盗どもを昏倒させ、離れて戦うタイグに強化魔法を掛ける。彼女は戦士の援護がなければ魔法が使えないという魔術師の常識を覆す存在だった。


「――っと、感心してる場合じゃねぇ」


 ふたりの戦いぶりを呆然と眺めていた修介は、すぐに己の置かれた状況を思い出して周囲を見渡した。

 あちこちで未だに激しい戦闘が続いている。どこから湧いてきたのか、野盗の数は予想よりも遥かに多かった。

 それでも、他の冒険者達が駆け付けてくれたことで形勢は有利だった。修介達が先行したのを見て後に続いてくれたのだろう。同業者は見捨てないという冒険者の不文律を彼らも守ってくれたのだ。

 その近くでは、いつの間にかやってきていたシーアとナーシェスが魔法による支援を行っていた。

 数人の野盗がふたりに近づこうとしているのが見えた。

 修介はふたりを守るべく、野盗の前に立ち塞がる。

 己の甘さや一瞬の油断が自身や仲間の命を奪うことになりかねない。それを身をもって知ってしまったからには、もはや敵を斬ることに躊躇いはなかった。

 斬るのは人ではなく敵だ――そう自らに言い聞かせ、がむしゃらに剣を振るった。




 その後、戦闘はわずかな時間で終了した。

 野盗のほとんどは討ち取られ、わずかに生き残った者も武器を捨てて投降したが、任務遂行中に捕えた野盗を連れて歩く余裕などあるはずなく、騎士達によってその場で斬首された。


「ふぅ……」


 刑の執行を遠目から見ていた修介は、事が済んだことを確認すると、背を向けて大きく息を吐き出した。

 街に連行したところでどのみち死刑になるのだ。人を殺して財産を奪う。それを行った者の末路が悲惨でなければ、平気で同じことをしようする者が現れる。残酷なようだが当然の報いである。

 そう頭ではわかっていても、やはり見ていて気分のいいものではなかった。


 ただ、初めて命を奪った時と比べて自分があまり人の死に動揺していないことに、修介は気付いていた。

 一度目を経験しているおかげで、二度目のハードルを越えるのは楽だった。いくら取り繕ったところで、そう考えてしまう己の心は偽れない。

 このまま自分は、人を殺しても何も思わない人間になってしまうのだろうか。

 そうなるのが恐ろしかった。

 悪人だから殺しても構わない。そう割り切れればどれだけ楽か。こんなことを考えてしまう心の弱さは、戦士として唾棄すべきものなのかもしれない。

 だが、人の命を奪うことに何も感じなくなれば、それはただの外道である。

 弱き者には決して剣を向けない――初めて人を殺した時、そう誓った。

 その誓いを守ってさえいれば自分は善良な人間でいられる。あるいはそう思い込むことで、心の平穏を保とうとしているだけなのかもしれない。

 それでも、前の世界で培われたこの価値観だけは決して捨ててはならないと、修介はあらためて思うのだった。


「――てめぇ、ふざけてんじゃねぇぞッ!」


 男の怒声で修介の思考は現実へと引き戻された。

 声のした方を向くと、ナーシェスが冒険者のひとりに襟首を締め上げられていた。


「ふざけてなどいない。私は私にできる全力で君たちを援護した。力が及ばなかった点については謝罪するけど、誓って手を抜いてなどいない!」


 ナーシェスは苦しそうに顔を歪めながらも、真っ向から言い返した。


「じゃあなんだ!? 全力で魔法を使ってあのざまだったってことか!?」


「そ、そうだ」


「なめてんじゃねぇ!」


 男は激昂してナーシェスを突き飛ばした。戦闘直後ということもあってか、男の興奮はそれだけでは収まらないようで、すぐさまナーシェスの胸倉を掴んで引き起こし、拳を振り上げる。


「ちょっ、なにやってんだ!」


 修介は慌ててふたりの間に割って入った。


「邪魔すんじゃねぇ、どけッ!」


「彼はうちのパーティメンバーだ。手を出されて黙って見過ごせるかよ」


 修介は一歩も引かぬ構えで男を睨み返した。


「てめぇがリーダーか? だったらそいつを今すぐメンバーから外せ!」


「は? ふざけんな。なんであんたにそんなこと言われなきゃなんねーんだよ!」


「ふざけてんのはそこの魔術師だろうが! 俺らが何人の野盗どもを相手にしていたと思ってんだ!? なのにそいつはあからさまに手を抜いて魔法を使っていやがった。おかげでこっちは仲間のひとりが大怪我したんだぞ!」


「だから手は抜いてないって言っているじゃないか!」


 珍しくナーシェスが感情的になっていた。

 今のやり取りで、修介はだいたいの事情を察した。

 パーティが異なるとはいえ、数的不利な状況で互いに協力し合うのは当然である。冒険者達はナーシェスに魔法の支援を求めた。ところが、ナーシェスには彼らの期待に応えられるだけの魔力がなかった。

 マレイドとタイグの凄まじい戦いぶりを先に見ていただけに、他の冒険者達の目には余計にナーシェスが手を抜いていたように見えたのだろう。

 完全に誤解である。ならばそれを解けばいいだけの話なのだが、パーティ外の人間にメンバーから外せなどと言われては修介も黙っていられなかった。


「あんたの仲間が怪我したことには同情するが、その原因をこっちのせいにするのは話が違うだろう」


「あ? こっちは身体張って戦ってんだぞ! 魔術師なんざ後ろでちょろちょろと魔法を使うくらいしか能がないくせに、その魔法が使い物にならないってんじゃあ、そっちの方が話がちげぇだろうがよ!」


「なるほど、つまり自分達は魔法の援護がないから苦戦した雑魚ですって、そう言いたいのか?」


「なんだとてめぇ!」


 激昂した男の手が修介の襟を掴もうと伸ばされる。


「いい加減にしてください! くだらない言い合いをするよりも、怪我人の手当てが先でしょう!」


 そう割って入ったのはシーアだった。

 掴みかかろうとしていた男はそのままの姿勢で固まった。

 戦場で神聖魔法の使い手には逆らうな、というのは傭兵や冒険者のあいだではよく耳にする標語である。神聖魔法の使い手の機嫌を損ねれば、いざという時に助けてもらえないかもしれないという恐怖があるからである。

 もっとも、今回の場合は少し事情が違った。さすが神職と言うべきか、止めに入ったシーアには逆らい難い迫力があり、男はその迫力に圧倒されているようだった。


「ナーシェスさん、私と一緒に来てください」


 シーアは男を無視してナーシェスに向かって言った。

 言われるがまま、ナーシェスはシーアの後に付いていく。

 修介と冒険者の男も互いに目を見合わせてから、気まずさを誤魔化すようにふたりの後を追った。


 今回の調査団には生命の神の信徒であるシーアと、戦いの神の信徒であるボルグという名の若い神聖騎士が神聖魔法の使い手として参加していた。

 隊商は五十人ほどの規模だったらしく、死者も少なからずでていたが、それ以上に怪我人が多かった。

 人ひとりが持つマナには当然限りがある。すべての怪我人をふたりだけで癒すのは現実的に不可能である。

 だが、『マナ貯蔵庫』と呼ばれるナーシェスの存在がそれを可能にした。彼は癒しの術を使うふたりの背に手をあてて、マナ譲渡の術を使い続けた。

 修介がその様子をぼけっと眺めていると、それを見咎めたナーシェスに手招きされ、鞄を手渡された。


「中にいくつかポーションが入ってるから、青色の液体のやつを比較的軽傷な人たちに一口ずつ飲ませてあげてくれ」


 どんな効果があるのか気になったが、修介は何も聞かずに言われた通りにした。

 本来のポーションに即効性はあまりない、というナーシェスの言葉通り、飲ませたポーションは癒しの術のように目に見えて傷が癒えていくことはなかったものの、苦痛を和らげる効果があるのか、飲んだ人はだいぶ楽になったようだった。よほど不味いのか、全員が一様に顔をしかめていたが。


 やがて、すべての怪我人の治療を終えたシーアが額の汗を拭いながら先ほどの男に視線を向けた。


「あなたは先ほどナーシェスさんのことを使い物にならないとおっしゃっていましたが、彼の協力がなければ、これだけの怪我人を癒すことはできませんでした。それでもまだ彼に向かって同じことが言えますか?」


 男は気まずそうに俯いた後、ナーシェスの方に向き直り、謝罪の言葉と、仲間の治療に対する礼を口にした。

 ナーシェスがそれを受け入れたことで、とりあえず事態は終息したようだった。


「ありがとうございます。それと、すみません……」


 修介はシーアの傍に寄って頭を下げた。

 それに対し、シーアは小さく首を横に振った。別に意図してやったわけではありません――彼女の目はそう言っているように見えた。

 修介はもう一度礼を言ってから、ナーシェスの元へ向かった。


「おつかれさん」


 預かっていた鞄を差し出しながらそう声を掛けた。

 だが、ナーシェスは地面を見つめたまま反応を返さなかった。


「ナーシェス?」


 もう一度声を掛けると、彼は慌てたように顔を上げた。


「あ、ああ、どうしたんだい?」


「なんかぼーっとしてたけど、大丈夫か?」


「さすがにちょっとマナを使い過ぎたみたいだ。でも大丈夫、心配はいらない」


 その時のナーシェスの表情に、修介は違和感を覚えた。どことなく彼の目が暗く淀んでいるように見えたのだ。

 その小さな違和感は心の片隅にこびり付いたまま、しばらくのあいだ消えることはなかった。

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