第224話 二度目の

 事件が起きたのはグラスターの街を発ってから二日目の日中だった。


「隊長、あれを!」


 騎士ロルフが何かに気付き、声を上げた。

 マシューは目を凝らして指し示された方角を見る。

 遥か前方に砂煙が上がっていた。

 ロルフに先行して様子を見てくるよう指示する。街道は周辺に森林が多い地域に差し掛かっており、野盗が身を潜めて待ち伏せするのに適した地形である。

 しばらくして戻ってきたロルフの報告は簡潔にして明瞭だった。


「隊商が野盗に襲われています」


「数は?」


「二十は下らないかと」


 その回答にマシューは思わず舌打ちした。思っていた以上に数が多い。

 隣国のダラム王国との小競り合いが長引いているせいで、住む土地や家を失った者が野盗に身をやつすことは少なくない。混乱に乗じて国境を越えてくる犯罪者も後を絶たず、そういった者たちが徒党を組み、大規模な野盗団を形成しているのだ。

 おそらく度重なる妖魔との戦いでグラスター騎士団が弱体化しているという噂を聞きつけてやってきた新興勢力だろう。


「助けるぞ」


「し、しかし……よろしいのですか?」


 ロルフが躊躇うような表情を見せた。

 今回の任務は領の存亡を左右するとまで言われている。ここで任務に支障をきたすような損害を被れば取り返しのつかないことになる。任務を優先するのならば見て見ぬふりをすべきではないか。彼は言外にそう言っているのだ。

 だが、マシューの中にその選択肢は最初から存在していなかった。

 グラスター領で活動する野盗どもは妖魔の仕業にみせかけて隊商や村落を襲う。そのやり口は残虐極まりないものが多く、放っておくことなどできるはずがなかった。


「目の前で民が襲われているのを見過ごすなど騎士のすることではない。ようは被害を出さずに野盗どもを殲滅すればいいだけの話だ。――できるか?」


 マシューは振り返って部下達に問いかけた。


「無論です!」


 騎士のひとりが力強く答えた。


「よし、ナヴィーン、ヘイグ、ボルグは俺に続け」


「はっ!」


「ロルフは後ろの奴らに状況を知らせてやれ」


「彼らにはいかが指示しますか?」


「契約外だ。状況だけ伝えて、後は好きにしろと言っておけ」


 マシューはそっけなく答えると、馬の腹を蹴って一気に駆け出した。




 前方に上がる砂煙は、後方にいる修介達にも見えていた。

 騎士ロルフから状況を聞いて、真っ先に「私も参ります」と声を上げたのはシーアだった。生命の神を信仰する彼女にとって人助けは当然の行為である。

 振り返ることなく馬を走らせようとするシーアを、修介は慌てて「待った!」と引き留めた。


「シーアさんは神聖魔法の使い手でしょう。万が一のことがあったら怪我人を治療できる人がいなくなります。ここは自重してください」


「しかし――」


「代わりに俺が行きますから。あと、一応俺がリーダーなんで、できれば指示に従ってください」


 それで納得したのか、シーアは大人しく引き下がった。

 すると、デーヴァンが無言のまま馬を横に並べてきた。イニアーもうんざりした顔をしながらもそれに続く。


「わ、私も行った方がいいかい?」


 ナーシェスがおずおずと聞いてきた。


「いやいい。他に野盗の仲間がいるかもしれないから、シーアさんと一緒に周囲を警戒しててくれ」


「わかった。頑張れ!」


「――ッしゃあ、いくぞッ!」


 修介は自らを鼓舞するように叫ぶと、馬に拍車を加え一気に駆け出した。


(……やれるのか、俺に?)


 疾走する馬に激しく揺られながら修介は自問する。

 相手は野盗――すなわち人間である。

 隊商を救う為には人間を斬る必要があるのだ。その事実が重く圧し掛かってくる。

 正義はこちらにあり、やらなければ罪もない人が殺される。

 それがわかっていても躊躇いを完全には捨てきれない。

 だが、ここに至って戦いを避けることは不可能だろう。こちらがいくら悩んだところで、向こうは躊躇いなく殺しにくるのだ。


(ええい、ままよ――)


 修介は考えることを放棄して、自らの生存本能に従うことにした。


「おい旦那! 素手で突っ込む気か!?」


 イニアーの声で修介は自分が両手で手綱を握っていることに気付いた。

 慌ててアレサを引き抜こうとしてバランスを崩しかけ、冷や汗をかく。馬上での戦闘など、訓練場で数回模擬戦を経験しただけだということを今更ながらに思い出した。


 先行していた騎士達はすでに野盗と激しい戦いを繰り広げていた。

 数人の野盗がこちらの存在に気付き、馬首を巡らして突っ込んでくる。


「――あいつらは俺らが受け持つ。旦那は適当なところで馬を降りてあっちの荷馬車に群がってる奴らを殺れッ!」


 イニアーが顎で指し示した場所では、馬を射殺されたのか、一台の荷馬車が止まっており、その周辺で護衛と思しき戦士と野盗が激しく切り結んでいた。

 修介はイニアーの指示に従い、街道を逸れて荷馬車を目指す。

 ちょうどその時、悲鳴が聞こえた。

 女性がひとり、野盗に追われていた。

 修介はアレサを引き抜き、馬を向かわせる。片手で手綱を握っているせいで苦労したが、よほど出来た馬なのか、乗り手の意思を汲んだかのように向かいたい方向へと進んでくれた。


 ぐんぐんと野盗の背が近づいてくる。

 振りかぶる必要はない。進路上に刃を置くだけでいい。後は馬の突進力が威力を補ってくれる――訓練場で学んだことが自然と頭の中に蘇る。無我夢中だったおかげで余計なことを考えずに済んだことも幸いした。

 野盗は修介の存在に気付いたが、もはや回避不可能なタイミングだった。

 アレサを持つ腕に衝撃が伝わる。

 断末魔の悲鳴と共に野盗は血煙を纏って地面を転がった。


 命を奪ったという確かな手応えが、修介の心にさまざまな感情を植え付けていく。だが、そのひとつひとつを吟味する余裕はなかった。

 ひゅん、という風切り音と共に目の前を矢が横切った。

 驚いた馬が身体を起こしたことで、修介は空中に投げ出された。視界いっぱいに青空が広がり、次いで背中に衝撃が走る。

 幸運にも下は柔らかい草地だった。

 修介はくらくらする頭を手で押さえながら体を起こす。

 視界の先にクロスボウに矢をつがえる野盗の姿があった。

 矢で射抜かれる恐怖が落馬の痛みを忘れさせた。

 修介はすかさず立ち上がり、アレサを構えて男に向かって突進した。

 野盗は猛然と迫る修介の姿を見て次矢の装填を諦め、弩を投げ捨てて剣を抜いた。


「死ねやあッ!」


 野盗が剣を振りかざしながら突っ込んでくる。


「うおおおおおぉぉぉッ!」


 修介は獣のように咆哮をあげて迎え撃つ。

 頭の中は妙に冷静だった。

 相手の剣の軌道を見極め、アレサで受け流す。そのまま体勢を入れ替えて三合ほど打ち合ったところで、修介は相手の剣の腕がたいしたことがないことに気付いた。

 繰り出された剣を払い、絡めとるように勢いよく弾き飛ばした。


「ひいぃっ!」


 武器を失った野盗は尻もちをついたまま後ずさった。

 修介は野盗の喉元にアレサを突き付ける。


「こ、殺さないでくれェッ!」


 懸命に命乞いをする男の姿に、この世界に来た日にホブゴブリンに殺されそうになった自分自身の姿が重なった。

 もうすでにひとり殺っている。かまうな、殺れッ――心の中の獣が激しく訴えてくる。

 だが、修介はアレサを振り下ろすことができなかった。


 ――次の瞬間、野盗の頭が西瓜のように弾け飛んだ。


 血しぶきを上げながら、頭を失った野盗が地面に横たわる。

 いつのまにか、すぐ近くに紫の衣を纏った男が立っていた。

 魔術師タイグだった。手にした木の棒は、たった今殺したばかりの男の血で赤く染め上げられている。

 彼は修介を一顧だにすることなく、すぐにその場を離れて行った。


「最近の冒険者は、坊やのような甘ちゃんでも務まるものなのですね」


 いきなり吐息混じりの甘ったるい声で囁かれ、修介はぎょっとして振り返る。

 魔術師マレイドがすぐ背後にいた。

 彼女は横たわっている野盗の死体に歩み寄ると、右腕を手に取って掲げてみせた。


「あ……」


 修介は思わず声を漏らした。

 死んだ男の手には短剣が握りしめられていた。後ろ手に隠し持っていたのだ。

 修介には男の命乞いが演技には見えなかった。だが、こちらが殺すことに躊躇いを覚えていたのに対し、男は追い詰められながらも強かに相手を殺すことを考えていたのだ。もし少しでも隙を見せていたら間違いなく短剣の餌食になっていただろう。

 その事実に修介は戦慄する。


「油断大敵。敵は殺せるときにしっかりと殺しておかないと駄目ですよ」


「そ、そんなことは言われなくてもわかってる……」


「それならば結構ですが……。なかなかの腕前なのに随分と初心な反応をするのですね」


 マレイドの口元には微笑が浮かんでいた。相手の動揺を見透かした上で、それを楽しんでいるかのような態度に、修介は嫌悪感を覚えた。


「ところで、ずいぶんと素敵な魔剣をお持ちですね。もしよろしければ見せていただけないかしら?」


「は?」


 信じられない提案に修介は耳を疑った。今は戦闘中なのだ。武器を手放す人間などいるはずがない。


「すいませんが、出会ったばかりの人に武器は渡すなってのが家訓でして」


 修介は精一杯の虚勢を張ってそう返した。


「あらそう、それは残念ですね」


 言いながらマレイドは修介の傍に寄り、指先で頬を撫でようとした。

 修介は反射的にその手を払った。払ってからしまったと思ったが、マレイドはまったく気にした様子を見せなかった。


「ごめんなさい、顔に返り血がついていたものですから」


「あ、ああ」


 修介は乱暴に袖で頬を拭った。


「次は油断しないように、ね」


 マレイドは顔を寄せて耳元で囁くと、まるでこれから社交界でダンスに赴くような優雅な足取りで立ち去っていった。


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