第222話 虜囚
目覚めたとき、アイナリンドは壁に寄りかかるようにして床に座らされていた。
ずっと眠っていたはずなのに、瞼が異様に重く、頭が回らない。魔法で眠らされた時とよく似た症状だった。
アイナリンドは自身の身に何が起こったのか記憶を掘り起こす。
たしか中庭でヴァレイラの剣の稽古を見ていたはずだった。
すると屋敷の中から大きな物音が聞こえてきて、見知らぬ男にサラが襲われていた。咄嗟に姿隠しの魔法を使って奇襲を試みたが失敗し、逆に魔法によって意識を失わされたのだ。
動転していて魔力場に気付けず、無警戒で近づいてしまったのが敗因だった。気付けてさえいれば、まだ他にやりようはあったかもしれないのに。
だが、今となっては後の祭りである。
床に手をつくと、ジャラ、という金属音が鳴った。手首に錠が嵌められ、金属製の鎖で壁に繋がれていた。それでようやく自分が捕らわれの身であることを自覚した。
ここはどこなのか。連れて来られたのは自分ひとりだけなのか。サラやヴァレイラは無事なのか。様々な疑問が頭に浮かんだが、この状況下では確認のしようもなかった。
アイナリンドは大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
命があるのならばやれることはきっとある。そう考え、手始めに周囲を観察することにした。
石造りの狭い部屋は床も壁も剥き出しになっており、壁際に小さな明かりを灯すランプがあるだけで、部屋というよりは牢獄といった印象を抱く。奥に重そうな鉄製の扉があるが、十中八九鍵が掛かっているだろう。
精霊に頼んで外の様子を調べられないか、そう思案したところで、扉の向こうに人の気配を感じた。
鍵を外す音がした後、扉がゆっくりと開かれる。
現れたのは自分を拉致した魔術師ではなく、人の上半身と山羊の脚を持つ、サテュロスと呼ばれる種族の男だった。
「ようやくお目覚めのようだな」
蹄を鳴らしながらサテュロスが室内に入って来る。
独特な獣臭が鼻につく。
アイナリンドは武器になりそうなものがないか周囲を見渡したが、期待に応えてくれそうなものは何もなかった。
「……ここはどこですか?」
「見りゃわかるだろ。牢獄だよ。あんたを閉じ込めておくためのな」
「なぜ私をここへ連れてきたのですか?」
「俺が攫ったわけじゃないから知らねぇな」
「あなたがたの目的はなんですか?」
「おいおい、立場を弁えろよ。俺はあんたの疑問を解消するためにここに来たんじゃねぇんだからよ」
サテュロスはいやらしい笑みを浮かべ、舐めるようにアイナリンドの全身を見回す。その視線が顔で止まった。
「あん? よく見るとお前の顔、どっかで見たことあるな……」
サテュロスが無遠慮に顔を近づけてくる。
アイナリンドは顔を背けようとしたが、顎に手を掛けられ強引に前を向かされた。
「……そういや、前に取り逃がしたエルフとそっくりなツラしてるな。兄弟かなんかか? それともエルフってのはどいつも似たような顔してんのか?」
アイナリンドは驚きが顔に出ないようにするのに全神経を使った。
(私とそっくりなエルフ……?)
もしそのエルフが弟のイシルウェだとしたら、この男と何かしらかの関わりを持っているということになる。「取り逃がした」という言葉から少なくとも友好的な関係ではないだろう。
ここで動揺してイシルウェとの関係を悟られるわけにはいかないと、アイナリンドはあえて強い口調で言い放つ。
「いい加減に離してください!」
「おっと、顔に似合わず威勢がいいな。気の強いメスは嫌いじゃねぇぜ。お互いこんな辛気臭ぇ地下にいるんだ。連れないことを言わずにちったぁ仲良くしようや」
「そう思うのなら、少しは私の質問にまともに答えてください」
その言葉にサテュロスは肩をすくめると、一転して「いいぜ、なんでも聞いてくれ」と気安く応じた。
「私はこれからどうなるのですか?」
「さぁな、なんかの儀式に使われるって話だぜ」
「儀式……?」
「主が言うには、あんたは暖炉にくべる薪として優秀なんだってよ。まぁあんたが、と言うよりはエルフが、と言うべきか」
「……どういう意味ですか?」
「詳しいことは俺も知らねぇ。ただ、主がこれからやろうとしていることには、本来なら多くの人間が必要になるらしい。それがエルフだとひとりで済むんだとさ」
主というのはおそらくサラの屋敷を襲撃してきた魔術師のことだろうとアイナリンドは当たりを付けた。
「あなたの主は何をしようとしているのですか?」
「詳しいことは知らねぇって言っただろ。そもそも俺は興味がないんでね。俺としては人間を攫ってくるなんて面倒な仕事から解放されたんで、あんたには感謝してるくらいさ。もっとも、今じゃ死体でできた
「私以外にもここに連れて来られた人がいるのですか?」
「いるぜ。今では全員仲良く
それを聞いてアイナリンドは蒼白になる。だが、態度に出せば男の思うつぼだと思い、精一杯の強気な表情を保った。
「――さて、そっちの質問にはちゃんと答えたんだ。こっちの要望にも応えてもらわねぇと割に合わねぇよな?」
サテュロスが下卑た笑みを浮かべた。
「華奢なエルフは好みじゃねぇが、この際贅沢は言ってらんねぇわな。こちとら毎日死体に囲まれてうんざりしてんだ。せいぜい楽しませてくれよ?」
サテュロスが邪な感情を抱いていることは、精霊に頼るまでもなくアイナリンドにはわかっていた。サテュロス族の男性は性欲が強く、美しいと認めた者に対しては性別や種族を超えて欲情するのだという。以前に父から貰った書物で得た知識だった。
「近寄らないでください!」
「そう言われて離れる奴はいねぇよ」
サテュロスの手が肩に触れようとした、その時だった。
「なにをしている」
部屋の入口から冷ややかな声が響いた。
振り返ったサテュロスが「げっ」と声を上げて固まる。
いつのまにか、扉の前に黒いローブを纏った男が立っていた。
「ル、ルーファス様……」
サテュロスは慌ててアイナリンドの傍から離れた。
「デヴァーロ、そのエルフには手を出すなと言っておいたはずだが?」
ルーファスと呼ばれた魔術師が氷のように冷たい視線をサテュロスに向ける。
「も、もちろん、承知してますって。ただ、毎日死体の相手ばかりさせられてちょっと気が滅入ってたもんでして……」
「もういい。下がれ」
その命令にサテュロスは露骨に不満を露わにするも、結局は何も言わずに大人しく部屋を出て行った。
再び沈黙が訪れる。
魔術師は入口の前に立ったまま動かない。
ローブの袖から覗く病的なまでの白い肌。そして燃え盛る炎のような紅い瞳……。間違いなく、サラの屋敷を襲撃した魔術師だった。
アイナリンドは魔術師の周囲にいる精霊へと意識を向けた。
「――ッ!?」
てっきりサテュロスと同じように邪な欲望を抱いていると思っていたが、魔術師の周囲にいる精霊たちは、どの感情にも染まることもできず、戸惑ったように漂っていた。
「満足したか?」
魔術師が酷薄な笑みを浮かべて言った。その笑みも、どこか狂気じみていた。
「……ここはどこですか? どうして私をここへ連れてきたのですか?」
アイナリンドは恐怖に飲まれぬよう、精一杯の虚勢を張って訊いた。
だが、魔術師は質問に答えることなく、ゆっくりと近づいて来る。
(精霊よ――)
アイナリンドは精神を集中し、心の中で精霊に呼びかける。
精霊使いは特定の精霊と強い結びつきを持つことで、詠唱することなく魔法を行使することができる。アイナリンドには幼い頃から常に一緒にいる精霊がいた。
魔力を込めて強く呼びかければ、その精霊はいつでも応じてくれる――はずだった。
「無駄だ。俺の前で魔法を使うことはできない」
全てを見透かしたような口調だった。
魔術師はアイナリンドの手首の錠を外すと、「ついてこい」と言い、背を向けて部屋を出ていった。
アイナリンドはしばし逡巡したが、結局は男の言葉に従った。
部屋を出ると、そこは鉄格子のある小さな部屋が並んだ、牢獄のような場所だった。
そのまま男の後に続いて通路に出る。
窓ひとつない通路は薄暗く、先が見通せないほどに長い。先ほどのサテュロスの言葉に嘘がないとしたら地下通路ということになる。
アイナリンドは男の後ろを歩きながら隙あらば逃げ出だそうと機会を窺ったが、それを実行に移すことはできなかった。
魔術師は自身を中心に、かなりの広範囲にわたって魔力場を展開していた。
おそらく逃げようとすれば瞬時に察知され、無力化されてしまうだろう。
つまり、この魔術師にとって一人のエルフなど、なんら警戒するに値しないのだ。
魔力場――魔術師が作り出す、魔力を帯びた力場。その範囲内にいる者は、術者の魔力の影響を必然的に受けることになる。精霊魔法が使えなかったのも、魔力場の中に囚われているからだった。
アイナリンドはこれまでの旅で幾人かの魔術師と出会ったが、魔力場を常時展開できる者はいなかった。サラでさえ、これほどの魔力場を形成し、あまつさえそれを長時間維持することなど不可能だろう。
それだけ目の前の魔術師が恐るべき力を持っているということだった。
やがてたどり着いた場所は、岩肌が剥き出しになった巨大な空洞だった。壁全体がぼんやりと光ってはいるが、あまりにも広いせいで端が見えない。
その広大な空間の中央に、複雑な形をした建造物が立っていた。
正面に大きく口を開けた部分があり、一見すると巨大な炉のようだが、周辺の地面に巨大な魔法陣が描かれていることから、ただの炉でないことは明白だった。
呆然と立ち竦むアイナリンドの耳に魔法を詠唱する声が聴こえてきた。
すると身体が金縛りにあったように動けなくなる。
「――ッ! なにを!?」
混乱するアイナリンドをよそに、魔術師は懐から何かを取り出した。
それがサラの部屋にあった水晶玉であることにアイナリンドはすぐに気付いた。
「お前には感謝しているぞ」
魔術師は無表情のまま言った。
「おかげで予定より早く魔力炉を稼働させることができる」
「魔力炉……?」
聞き覚えのない単語に、アイナリンドの混乱はより一層深まった。
「そうか、あれから六百年経っているのだったな。お前のような若木が知らぬのも無理はない。イステール帝国ではエルフ族は生命エネルギーの供給源として重宝されていたのだ」
「どういうことですか……?」
「この水晶玉は魔力炉を動かす為の
突然、水晶玉から強烈な光が放たれる。
アイナリンドは思わず目を閉じ、顔を背けた。
しばらくして瞼の裏の白い世界が元に戻る。ゆっくりと目を開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
水晶玉が、まるで水飴のようにどろどろと溶けて魔術師の手と混じり合っていたのだ。
そこには、とてつもない量のマナが渦巻いていた。おそらく、あの水晶玉はマナが極限にまで圧縮された結晶体のような物だったのだ。
「そ、それをどうするつもりですか?」
魔術師はその質問には答えず、水晶玉と一体となった手をゆっくりとアイナリンドの腹部に伸ばしてくる。
(まさか……)
最悪な未来から逃れようとアイナリンドは懸命に抵抗したが、魔法で拘束された身体はぴくりとも動いてくれなかった。
魔術師の手が腹部に触れた。
すると、まるで布が染色されていくかのように、触れられた箇所が魔術師の手と同化していく。手首まで埋まった腹部を見て、アイナリンドは思わず「うっ」とえずいた。
いつのまにか魔術師の口から術を詠唱する声がもれていた。その声は次第に大きくなり、やがて直接頭の中に響いてきた。
次の瞬間、体内ですさまじい爆発が起こった。
内側からの衝撃が全身を貫き、眩い光が視界を白く塗りつぶす。
(イシル――!)
アイナリンドは無意識に弟の名を叫んでいた。
それを最後に、彼女の意識は光のなかへと吸い込まれていった。
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