第219話 一緒に

 デーヴァンとイニアーという強力な助っ人を得た修介は、旅立つ前にサラとヴァレイラに挨拶しておこうと、ひとりで生命の神殿に赴いた。

 それを見送るイニアーが「旦那、成長したっすね……」と感慨深げに言えば、ナーシェスもわざとらしくローブの袖で涙をぬぐう仕草をしたものである。


 三度目の訪問にして初めて正門の女神像に頭を下げると、修介はサラのいる宿舎の部屋へと向かった。


「ちゃんとノルガドから受け取ったみたいね」


 部屋に入ってきた修介を見て、サラは開口一番にそう言った。顔色はあまり良くなかったが、昨日に比べてだいぶ落ち着いた様子だった。

 修介は近くの椅子に腰かけながら頷いた。


「ああ、ありがたく使わせてもらうよ」


「念のために言っておくけど、それってかなりの希少品だから、むやみやたらに人に見せびらかしちゃダメよ」


「俺は子供か! そんなことしないっての。……ちなみに参考までに聞くが、実際にいくらくらいするもんなの?」


「そうねぇ……郊外に小さな屋敷が買えるくらい?」


「マジか……」


「それでなくてもあなたは魔剣持ちなんだから、十分に注意しなさいよね」


「……わ、わかった」


 修介は神妙に頷いた。

 魔剣といい、真銀製の鎖帷子ミスリルチェインメイルといい、その価値を考えれば殺してでも奪おうとする輩がいたとしてもおかしくない代物である。

 それ以前に、この真銀製の鎖帷子ミスリルチェインメイルはサラが祖母から贈られた大切な品なのだから金額の問題ではない。

 この旅が終わったらすぐに返そう。そう心に誓う修介であった。


「それにしても、出発前に顔を出すなんてあなたにしては珍しいこともあるものね」


「そ、そうか? そんなことないだろ」


 痛いところを突かれた修介は居心地が悪そうに椅子に座り直しつつ、隣のベッドで寝ているヴァレイラの方へと視線を向けた。


「ヴァルは相変わらず眠ったままなのか?」


「ええ」


「そうか……」


「大丈夫。治療の後遺症で眠ってるだけだから」


 不安を先取りするようにサラが言った。


「たぶん、もう二、三日もすれば目を覚ますはずよ」


「それじゃ挨拶は無理か……」


 出発前に話せないのは残念だったが、起きていたら起きていたで「あたしも行くぞ」と言い出しかねないので、このままでいいと割り切ることにした。


「そ、そうだ。今回はちゃんと出発前に顔を出したぞって、ヴァルに言っておいてくれよ?」


「なんの心配をしてるのよ」


「いや、そこをはっきりしておかないとやばいんだって。ヴァルのやつは同じミスを二回繰り返すとめちゃくちゃ怒るんだよ」


 コンビを組んで戦っている時に、それで何度も罵倒された経験のある修介としては、そこは譲れない一線だった。


「さてね、私って忘れっぽいから約束はできないかな。あなたが帰ってくる頃にはきっとヴァルも元気になってるはずだから、せいぜい覚悟しておくことね」


 サラは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

 胸に鈍い痛みが走る。

 ヴァレイラに関してはそうなのだろう。でもサラは……そんな思いが顔に出そうになり、修介は慌てて話題を変えることにした。


「そうそう、依頼の件ありがとうな。正直助かった」


「ああでもしないと、あなたひとりで行くつもりでいたでしょ?」


「そ、そんなことないって」


「どうだか……」


 白い目を向けられて修介は苦笑する。


「いくら俺でもそんな無謀なことはしないって。ナーシェスと、あとデーヴァンとイニアーも力を貸してくれることになったから」


「そう。それなら少しは安心ね」


 安堵の表情を浮かべるサラだったが、すぐにその顔は真剣なものに変わった。


「――少しだけ忠告させて」


「お、おう」


「相手は普通の魔術師じゃないわ。ほとんど詠唱なしで魔法を使うから、正面から向かって行っては絶対にダメよ。あと自分の体質を過信しないように。魔術師と戦う時の注意点はこれに書いておいたから後で読んでおいて」


 そう言ってサラは枕元にあった紙の束を修介に押し付けた。


「それから、なんでもひとりで抱え込まないように。なにかあったらちゃんと仲間に相談するのよ。魔法に関してはナーシェスが頼りになるわ。彼は魔力は弱いけど、その分だけ試行錯誤を繰り返しているから知識は相当なものよ。あとは――」


 サラは延々としゃべり続けた。言葉の端々に共に行くことができない彼女の悔しさが伝わってくる。

 修介はひとつひとつのアドバイスに頷き、心にしっかり刻み込んだ。


「ふぅ……」


 一気にしゃべり過ぎて疲れたのか、サラはゆっくりとベッドに横になった。


「そんなに心配しなくてもアイナは必ず連れ戻すから、サラは大船に乗ったつもりで待っててくれ」


「泥船の間違いじゃなくて?」


「あのなぁ……」


 それが見送る奴の言う台詞か、と修介は文句を言った。

 すると、サラがおもむろに頬に手を伸ばしてきた。ひんやりとした手のひらの感触が思いのほか心地よく、なすがままにされる。


「……実はね、アイナの冒険者登録が済んだら、彼女の初めての依頼を何にするか、もう決めていたの」


「そうなのか?」


「ほら、奪われたあの水晶玉。前にあれを王都のおばあさまの所に運ぶのを手伝ってほしいって、あなたに頼んだことあったでしょ?」


「そ、そういえばそんなこと言ってたな……」


「やっぱり忘れてた」


 それまで優しかった指先がいきなり頬を引っ張った。


「ひゅ、ひゅまん……」


「まぁいいわ」


 サラはあっさり引き下がると、もう一度頬を撫でてから手を離した。


「それでね、せっかくだからアイナにその依頼を受けてもらって、あなたやヴァルとパーティを組んで、みんなで王都に行こうかなって考えてたのよ。あなたも王都には行ったことないでしょ?」


 そんなことを考えていたのか、と修介は驚く。

 わざわざ自腹を切ってギルドに依頼を出さなくても、アイナリンドなら頼めば喜んで付いて来てくれるだろう。ただの甘やかしにも思えるが、旅の予定について語るサラの言葉の端々から「みんなで一緒に行く」という部分に重きを置いているのが伝わってくる。


「だったら、ついでにその水晶玉も取り返さないとだな」


 修介の言葉に、サラは首を横に振った。


「……水晶玉はもういいの。それよりも、アイナのことをお願い」


「わかってる。任せろ」


 修介はサラの目を見てはっきりと答えた。


「でも、みんなで王都に行くってのは本当にいいな。別に用事がないと行っちゃいけない場所ってわけでもないんだから、依頼とか関係なく帰ってきたらみんなで行こうぜ?」


「そうね、楽しみにしているわ」


 そう答えると、サラはゆっくりと手を伸ばしてきた。

 修介はその手をしっかりと握りしめる。

 しばし見つめ合った後、どちらからともなく手を離した。


「……それじゃあ行ってくる」


「いってらっしゃい」


 修介は後ろ髪を引かれつつ部屋を後にした。

 結局、サラの身体については触れなかった。彼女がそれを望まないのなら、自分は知らないままいつも通りに接した方がいいと思ったのだ。

 なにより、今はアイナリンドを無事に連れて帰ることがサラにとっての一番の薬になると信じていたからだった。





「――シュウスケさん」


 神殿の正門を出たところで、修介は女性の声に呼び止められた。

 声の主はシーアだった。いつもの神官衣を身に纏っているが、じゃらじゃらと音が聞こえることから、下に鎖帷子を身に着けているのがわかる。腰には戦槌ウォーハンマーを下げ、左手には円形の盾を持っており、さらに大き目の背負い袋を背負ったその姿は、完全に旅に出る者の姿だった。


「シーアさんもどこかへ行かれるのですか?」


「はい」


「そうですか、お気をつけて」


 修介は軽く頭を下げてシーアの前を素通りしようとした。


「――待ってください!」


 予想外の強い口調で引き留められる。


「なんですか?」


「私も同行させてください」


 修介がその言葉の意味をかみ砕くのにゆうに五秒かかった。


「……本気ですか?」


 口にしてから神職に就いている人に対して失礼な物言いだったと気付いたが、シーアは特に気にした様子もなく頷いた。


「はい。昨晩遅くにノルガドさんが神殿に来られて、その時にお話を伺いました」


「もしかして、おやっさ――ノルガドに頼まれたんですか?」


「いいえ、お話を聞いただけです。私は自分の意思であなたの力になると決めました」


「どうして?」


「私は生命の神の信徒です。救うべき命があるのなら、それに手を差し伸べるのが私の務めだからです」


 シーアの口調は穏やかながらも、力強さを感じさせるものだった。


「……でも、本当にいいんですか?」


「大丈夫です。神官長の許可は取ってあります」


「いや、そうじゃなくてですね……その、俺が助けようとしているのって、エルフなんですけど、それでも一緒に来てくれるんですか?」


 修介は一瞬迷ったが、あえてそれを口にした。真実を伝えないまま命を懸けさせるのはフェアではないと思ったからだ。


「生命の神はこの地で生まれ育った命に等しく手を差し伸べられます。それが答えでは不足ですか?」


「……いいえ」


 修介は信仰とは無縁の生活を送ってきた。はっきり言えばシーアの動機は理解できなかったが、彼女には彼女なりの譲れない何かがあるのだろう。

 無関係と言っていいシーアを巻き込むことに躊躇いはあったが、その手の価値観の押し付けをいい加減にやめようと修介は思うようになっていた。

 自らの意思で行くというのなら、その申し出を断る理由はなかった。


「シーアさん、ありがとうございます」


 修介は深々と頭を下げた。


「困った時はお互いさまですから」


 シーアは柔らかく微笑んだ。

 その姿が、修介には正門にある女神像と重なって見えたのだった。

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