第216話 鎖帷子
修介はナーシェスを連れて街の北西にある市場を訪れていた。
討伐軍勝利の報が伝わったからか、市場にはたくさんの露店が並び、以前と変わらぬ活気に満ちあふれている。
決して手放しで喜べない犠牲の上で手にした勝利だとしても、日常を取り戻そうと全力で前を向く。市場の喧騒はそんな人間の強さの表れであるように感じられた。
「今更だけど、どこへ向かってるんだい?」
隣を歩くナーシェスがそう声をかけてくる。
「知り合いのドワーフのところだ。ほら、前にナーシェスが俺の治療を手伝ってくれた時にドワーフの神官戦士がいただろ? あの人に治療をお願いしに行くんだよ」
「ああ、ノルガドさんね」
ナーシェスが、ぽんっと手を叩く。
「なるほど、たしかに彼ならば適任だ」
「だろ?」
頼れる神官戦士ノルガドは、修介の体質を知る数少ない神聖魔法の使い手である。豊富なマナを持つナーシェスの協力があれば、折れた腕の治療も可能だと判断しての今回のノルガド宅訪問だった。
「それで悪いんだけど、治療の時にまた手伝ってもらいたいんだが……」
「別にそれくらいはお安い御用だよ。でも、それならわざわざノルガドさんの手を煩わせなくても、私のポーションで治療すればよくないかい?」
「う……。できればあの激痛は二度と味わいたくないんでな」
修介は苦い顔で答える。それほどまでにポーション治療の激痛は耐え難いものだったのだ。思い出しただけで太ももに薄く残った傷跡が疼くくらいである。
そんな修介を見て、ナーシェスは咎めるような表情を浮かべた。
「言っておくけど、ポーションって本来は飲み薬だからね? 普通は傷口にぶっかけるなんて非常識な使い方はしないものなんだよ」
「え、そうなの?」
「普通のポーションには外傷に対する即効性はそれほどないんだ。それを解消するために改良を加えたのがサラ君のポーションだよ。たしかに緊急時の治療法としては有効ではあるけど、ご存知の通り即効性がある分、治療の際に激痛が発生するから戦闘中にはとても使えない代物さ。あれを好んで使う人は滅多にいないよ」
「そ、そうだったのか……」
「それにあれは日持ちの悪さに加え、作る手間とコストを考えると採算が合わないからね。作ってるのはサラ君くらいじゃないかな」
他の冒険者がポーション治療を行っているところを見たことがなかったのには、そういう事情があったのだ。
おそらくサラは負傷することの多いヴァレイラや修介の為に採算度外視であの激痛ポーションを用意して持ち歩いてくれていたのだろう。
その気遣いに、修介の口元は自然と綻んでいた。
「まぁ、
「お前な、そういうのは思ってても口に出すなよ……」
もちろん修介はきちんとノルガドに謝礼を渡すつもりでいた。もっとも、間違いなく受け取ってはくれないだろうが。
「……ところで今回の件、ノルガドさんに同行してもらうわけにはいかないのかい? 彼はかなり頼りになりそうだし、きっと力になってくれるんじゃないかな」
ナーシェスの提案に、修介は少し考えてから首を横に振った。
「いや、そのつもりはないよ」
「なぜだい?」
「アイナ救出は俺個人の問題だからだ。ギルドから依頼があったわけでもないのに、無関係なおやっさんを巻き込むわけにはいかないだろ」
「でも、彼はサラ君とは近しい間柄なんだろう? 怪我をしたサラ君の仇を討ちたいと考えているかもしれないじゃないか」
ドワーフ族は同胞を大切にすることで有名である。身内同然のサラを傷つけられて黙っているとは、たしかに考えにくい。
ただ、ノルガドがサラの傍を離れることはないだろうと修介は考えていた。
以前に聞いた話では、ノルガドはかつての冒険者仲間であるサラの祖母から、サラを守るよう直接頼まれているのだという。
襲撃犯の目的は例の水晶玉だとサラは言っていたが、それはあくまでも彼女の憶測に過ぎない。再び襲ってこないという保証はどこにもないのだ。そのことはノルガドもよくわかっているはずである。
そんな状況下で同行を頼めば、確実にノルガドを困らせることになる。それは修介にとって本意ではなかった。
なにより、ノルガドがサラを守ってくれていると思えばこそ、安心してアイナ救出に赴くことができるというものだった。
「――というわけだから、おやっさんを頼るつもりはないよ」
修介の説明に、ナーシェスは「なるほどね」と答えただけで、以降はその話題に触れることはなかった。
見慣れた看板の店に到着すると、修介は遠慮なく入口の扉をくぐった。ナーシェスも「お邪魔します」と後に続く。
店内ではノルガドが作業台に向かって黙々と金槌を振っていた。いつも見る光景だが、どこか重苦しい空気が漂っているようにも感じられた。
「……おやっさん」
一転して修介は遠慮がちに声を掛けた。
「なんじゃ坊主か……」
振り返ったノルガドの表情はいつもと変わらないように見えた。
だが、修介はノルガドの手が小刻みに震えているのを見逃さなかった。それは彼が必死に感情を押し殺しているなによりの証拠だった。
サラの件は当然ノルガドも知っているだろう。彼女のことを孫のように思っているノルガドにしてみれば、冷静でいられない出来事なのは想像に難くなかった。
それでもノルガドは、修介が来訪の目的を告げると、表情ひとつ変えず、また何を言うでもなく、求められるがままに癒しの術で折れた左腕の治療を行ってくれた。
「……どうじゃ、動くか?」
修介は左腕を動かしてみる。痛みはなくなっていた。若干の違和感は残っていたが、それは数日動かしていなかった為に筋肉がこり固まっているせいだろう。
「大丈夫みたいだ。ありがとう、おやっさん」
「怪我をするということは、まだまだ未熟という証拠じゃ」
ノルガドはつまらなそうに言うと、再び背を向けて作業を再開する。
すると、ナーシェスが一歩前に出てその背中に声を掛けた。
「ノルガドさん、実は仲間のひとりが襲撃犯に連れ去られてしまったんです。我々はこれから仲間の救出に向かうつもりでいます」
「ちょ、おま――」
修介が声を上げようとするのを、ナーシェスは手で制して強引に話を続ける。
「いかがでしょう。できればあなたにも協力していただきたいのですが……」
ノルガドは黙ったまま手を動かし続けている。無視しているわけではなく、思案しているようだった。
「おい、どういうつもりだ。さっき事情は説明しただろう?」
修介はナーシェスの腕を引っ張って小声で文句を言った。
「だってあれは全部君の推測だろう? こういうことは直接本人の意思を確認したほうがお互いに変な誤解をせずに済むじゃないか。話を聞いて困るのも悩むのも、本人に任せるべきだよ」
ナーシェスはしれっとした顔でそう答えた。
「それはたしかにそうだけどさ……」
咄嗟に反論が思いつかず、修介は押し黙った。
「……事情はだいたい聞いておる」
ようやくノルガドが口を開いた。
「すまんが、わしはおぬしらに付いて行くことはできん」
予想通りの回答だった。
「わかりました。無理を言ってすいませんでした」
ナーシェスは特に理由を尋ねることなくあっさりと引き下がった。先ほどの言葉通り、あくまでも意思を確認しただけということなのだろう。
「シュウ君、悪いけど私は少し寄るところができたから先に行ってるよ。あとで中央広場で落ち合おう」
「お、おい――」
修介が引き留める間もなく、ナーシェスは店の外へと出て行ってしまった。
開かれたままの扉から穏やかな風が流れ込んでくる。
そのおかげか、重苦しい空気がすこしだけ和らいだような気がした。
ノルガドは気難しい顔のまま作業台に向かって一心に手を動かしている。
「……おやっさんはさっきから何を作ってるのさ」
修介の問いに、ノルガドは何も言わずに作業台の上にある物を両手で掲げてみせた。
室内の明かりを受けて眩い光を放つそれは、以前にサラが身に着けていた
「それって……」
「おぬしが着られるように手直してるところじゃ」
「俺に?」
「サラのやつにそう頼まれたからの」
「サラが? なんで?」
「そんなことまでわしは知らん。おぬしが直接あやつに訊くといい」
ノルガドの口調はいつになく素っ気ない。だが、彼はそういう口の利き方をする時ほど相手を気遣っていることを修介はよく知っていた。
「……わしから言えることは、あやつはあやつなりにいつもおぬしのことを気に掛けておるということじゃ。特におぬしの体質についてはおぬし以上に気にしているやもしれん。
「マジ、かよ……」
なぜサラがそこまでしてくれるのか。その答えがわからないほど修介は愚かではないつもりだった。
危険だから行くな、という彼女の言葉も偽りのない本心なのだろう。
それでもサラは修介がアイナリンドの救出に赴くと確信していた。だからこそ、事前にノルガドに鎖帷子の手直しを依頼していたのだ。
背中を押してもらったような、そんな気がした。
「もうすぐ終わる。そこで大人しく待っておれ」
言われた通り、修介は部屋の隅に移動してノルガドの作業を見守った。
ミスリルでできた小さな輪を編み込んでいる真っ最中らしく、かなり集中しているのが窺える。ドワーフの太い指で細かい作業が行えるのか疑問だったが、ノルガドは信じられない速度で、その作業をこなしていた。指先にさらに小さな指でも生えているのではと疑いたくなるほどだった。
「わしは連れ去られたというおぬしの仲間のことはよく知らんが……」
おもむろにノルガドが口を開いた。
「おぬしやサラにとっては大切な友なんじゃろう?」
「……ああ」
「ならば助けに行ってやれ。それがおぬしの成すべきことじゃ。サラのことはわしに任せておけ」
そう言いながら、ノルガドは出来上がった鎖帷子を差し出した。
それを受け取り、胸に強く抱きしめる。
絆とは、人の持つ優しさや思いやりといった感情を循環させるエネルギーの輪だと修介は思っていた。
その大切な輪を、自分のところで断ち切るわけにはいかなかった。
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