第214話 学ばない男

「――シュウスケさん」


 部屋を出てすぐに声をかけられ、修介は振り返る。ちょうど隣の部屋からシーアが出てきたところだった。


「サラさんは?」


「今は眠ってます。サラたちのこと、よろしく頼みます」


 そう言って足早に横を通り過ぎようとする修介を、シーアは慌てて引き留める。


「待ってください! この後どうするおつもりですか?」


「そんなの仲間を探しに行くに決まってるでしょう」


 振り返って言う修介に、シーアは深く溜息を吐いた。


「あなたが行かなくても、今回の件はすでに騎士団が動いています」


 領内に滞在している貴族――しかもこの領地では絶大な人気を誇るベラ・フィンドレイ伯爵夫人の孫娘が襲撃を受けたのだ。騎士団が動くのは当然と言える。

 だが、修介はこの件について騎士団任せにするつもりは微塵もなかった。

 今の騎士団は妖魔の軍勢との戦いでほとんどの騎士が出払っており、捜査に割ける人員は残っていない。そんな状況下で必死になって動いてくれると考えるほど楽観主義者にはなれなかった。


「……騎士団だけには任せておけません」


「攫われた方の捜索は、あなたでなくともできるはずです。ですが、今のサラさんにはあなたの支えがきっと必要になります。捜索は騎士団に任せて、あなたはサラさんの傍にいてあげてください」


 思いがけないシーアの言葉に修介は目を剥く。


「冗談じゃない! こっちは仲間を傷つけられた挙句、ひとりは攫われてるんですよ!? このまま何もしないで待ってろって言うんですか!?」


 激した修介を前にしても、シーアに動じる様子はなかった。それどころか、その瞳には深い悲しみの色が湛えられていた。


「……やっぱりサラさんは言わなかったのね……」


 そう独り言のように呟くと、修介をじっと見つめる。


「サラさんはご自分の容態についてなんと言ってましたか?」


 その問いかけに、修介の胸の内にあった不安が一気に膨れ上がった。


「えっと……無理をし過ぎて身体がまいっているとかなんとか……」


「あなたはそれを信じたのですか? ヴァレイラさんがあれだけの大怪我を負ったのに、サラさんだけが無傷で済んだと本気で思っているのですか?」


「そ、それは……でも、本人は平気だって――」


「あなたを心配させたくないからに決まってるでしょう!」


 ピシャリと言われ、修介は押し黙った。

 サラの態度に違和感があったことは修介もとっくに気付いていた。気付いていて直視しようとしなかったのだ。

 アイナリンドの救出に向かうと伝えた時のサラの反応……普段の彼女ならば、犯人の魔術師がどれだけ恐ろしい力を持っていたとしても、アイナリンドの救出を諦めたりはしない。なにがなんでも助けに行こうとするだろう。その彼女の口から「私も行く」という言葉が出てこなかったことが、そもそもおかしいのだ。


「……サラの身に一体なにがあったんですか?」


 おそるおそる問いかける修介に、シーアは静かに告げた。


「おそらく何かしらかの魔法を受けたのでしょう。サラさんの魔門に深刻な損傷が見受けられます」


「魔門……?」


 聞きなれない単語に修介は思わず反芻する。


「マナや魔力を司る器官です。サラさんの魔門は機能不全に陥っています。私の癒しの術では癒すことができませんでした」


「……それってつまりどういうことですか?」


 これ以上聞きたくないという思いに反して、修介は半ば無意識にその質問を口にしていた。

 シーアの顔が悲しみに染まる。彼女の口から語られた言葉は、予想以上に残酷なものだった。


「……彼女はもう二度と魔法が使えないかもしれないということです」





 その後のことを、修介はよく覚えていなかった。

 シーアといくつか言葉を交わしたような気もするが、内容はまったく頭に入っていなかった。

 気が付けば神殿を飛び出してふらふらと路地を彷徨っていた。

 こんなことをしている場合じゃないと頭ではわかっていても、思考がぐちゃぐちゃでどうすればいいのかわからなくなっていた。


「――ってぇな! 気を付けろ馬鹿野郎が!」


 すれ違いざまにぶつかった男から罵声を浴びせられる。そのままよろよろと建物の壁に寄りかかり、ずり落ちるように座り込んだ。

 見上げると、憎たらしいくらいの青空が広がっていた。


 ――彼女はもう二度と魔法が使えないかもしれないということです。


 シーアの言葉が脳内でずっとリフレインしている。

 魔法はサラの自信の源であり、生き甲斐そのものなのだ。そして、自分と彼女を繋いでくれている大切な糸でもあった。

 マナがないという体質が結んでくれた奇妙な縁だった。

 冒険者ギルドで偶然同じ依頼を受け、共に戦った。その後も、一緒に行動することが多くなった。

 初めて人を殺して精神的に参っていた時に支えてくれたのも、体質に思い悩み、冒険者を続けるかどうか悩んでいた時に手を差し伸べてくれたのも、彼女だった。


 修介は魔法について語る時のサラの輝くような笑顔が好きだった。

 あの魔法大好きっ子が魔法を使えなくなる――それを考えただけで胸が張り裂けそうだった。


 俺はどこで間違えたのだろうか――。


 大切な人たちが傷つく姿を見たくなかった。ロイのように理不尽に夢を奪われる人をもう見たくなかった。だから戦に赴き、死に物狂いで戦った。

 なのに、結局誰も守れていない。

 どうして? なぜ? そんな言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。今まで選んできた選択肢がすべて間違っていたのではないか、そう思えてならなかった。

 上位妖魔サリス・ダーとの戦いで己の限界を思い知らされたばかりのところに、アイナリンドが攫われた。それだけでも飽和しているのに、さらなる追い打ちで心が折れそうだった。




『――マスター、いつまでそうしているおつもりですか?』


 唐突にアレサが声を発した。


『マスターにはやらなければならないことがあるはずです。こんなところに座り込んでいる暇はないと思いますが』


「……言われなくても、そんなことはわかってる」


 その言葉とは裏腹に、修介は頭を抱え込んで膝に埋めた。


『脆弱なマスターの心が折れかかっているのは理解していますが、まさか本当にそのまま折れてしまうおつもりですか?』


「……」


『そもそも、今回の件でマスターが心を痛める必要はありません。遺跡から水晶玉を持ち出したのは魔術娘です。いわば彼女の自業自得です』


「なっ――」


『ついでに言わせていただくなら、仮にマスターがその場に居合わせたとしても犯人の凶行を止めることはできなかったでしょう。むしろ巻き込まれずに済んで良かったと考えるべきです』


「アレサ、お前っ!」


『怒ったのですか?』


「当たり前だ!」


 修介が声を荒らげると、アレサは負けじと大きく震えた。


『だからダメなのです。毎度毎度、目の前の感情に振り回されてばかりで、先の戦いで得た経験をまったく活かせていないではないですか。いい加減に学習してください』


 修介は咄嗟に言い返すことができずに黙り込んだ。

 アレサの指摘は正鵠を射ていた。やるべきことは見定まっているのに、感情が視界と思考を曇らせる。いつも通りすぎて返す言葉などあるはずがなかった。


『それに、マスターはまだ完全に失ったわけではないでしょう』


「え?」


『エルフ娘は連れ去られたというだけで殺されたわけではありません。そして、魔術娘は魔法が使えなくなる可能性があるというだけで、まだ使えなくなったと決まったわけではありません。マスターはどちらも早々に諦めるおつもりなのですか?』


「アレサ……」


『人は正しい選択肢だけを選んで生きていくことはできません。たとえ間違えようとも後悔のない選択肢を選ぶ。マスターはそう誓ったのではないのですか? 少なくともここで悲嘆にくれることが正しい選択だとは私には思えません』


 いつも通りの平坦なアレサの声。彼女は声に抑揚がない分、振動を使って感情を表現する。今の振動パターンは相当怒っている時のそれだった。


『だいたいマスターは上ばかりを見すぎです。私から見ればマスターの剣の腕はまだまだ未熟です。特に最近のマスターの戦い方は魔剣に依存し過ぎです。魔剣の力を自分の力と勘違いしているから基本がおろそかになっているのです。これでは魔法の援護以前の問題です。落ち込む暇があったらもっと技術を磨いてください』


 手厳しい言葉が雨あられのように注がれ、容赦なく心の傷を抉っていく。

 だが、それらの言葉は相手を傷つける為ではなく、不甲斐ない主に活を入れる為に発せられたであろうことは、他でもない修介が一番よくわかっていた。


『もっとも、私個人としてはこのままマスターが心折れて大人しくしていてくれた方が気苦労がなくなって助か――』


「わかった! わかったから、それ以上は勘弁してくれ」


 修介はさらに捲し立てようとするアレサを鞘に手を添えて遮った。


「……おかげで目が覚めたよ」


 修介はよろよろと立ち上がる。


「俺はホント、ダメな奴だな。お前がいなきゃ、前を向くことすらできやしない」


 そう、まだ失ったわけではない。

 どちらも可能性が完全に失われたわけではないのだ。

 犯人の魔術師は何かしらかの魔法を使った、とシーアは言っていた。つまりその魔術師の魔法によって身体に異変が起こっている可能性だってあるのだ。例えばそれが呪いみたいなものの一種であれば、解除する方法だってあるかもしれない。ならば、捕えてそれを吐かせればいいのだ。

 なにより、アイナリンドは大切な友人であり、共に戦った仲間だった。命を救われた回数も一度や二度ではない。生きている可能性があるのなら、助ける為に最善を尽くす。今の修介にとってそれは絶対だった。


「――まずは、アイナを助ける。すべてはそれからだ」


 修介は決意を込めてそう宣言した。

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