第十一章 プロローグ

 その男は広大な地下空洞にぽつんと置かれた玉座に座っていた。

 壁に備えられたマナ灯から放たれる淡い光が、男を青白く照らし出している。

 周囲の暗闇に溶け込みそうな黒いローブに身を包み、指には大きな宝石があしらわれた指輪をはめている。顔立ちは平凡だが、肌は病的なまでに白い。

 男は名をルーファスという。魔術師であり、玉座の主でもあった。


 遠雷のような轟きが響き渡り、巨大な地下空洞の壁を揺らした。揺れに合わせて天井から砂塵が降り注ぐ。


「来たか……」


 ルーファスは手にした水晶球に視線を落とす。そこには何百という数の妖魔がこの地下空洞を目指して突入する姿が映し出されていた。その大半は『魔術師殺し』と呼ばれる上位妖魔グイ・レンダーである。

 各所に配置しておいた魔動人形ゴーレムでは上位妖魔の大軍は止められない。そう時を置かず、ここに殺到するだろう。


「一四〇〇年に渡り世界を支配してきた魔法帝国も、滅びるは一瞬か……」


 ルーファスは自嘲気味に呟く。

 すると、近くで影が揺れた。

 姿を現したのは、忠実な僕であるマンティコアだった。


「我が主よ、最後の結界が破られました。まもなく敵がここへやってきます。お急ぎくだされ」


「案ずるな、バーラング。こうなることはわかっていたのだ。今さら慌てるようなことでもあるまい」


 そう、三年前に皇帝マティウスが魔神の王に殺害された時に、魔法帝国イステールが滅ぶことは決まっていた。

 皇帝を失った帝国に魔神の軍勢を止めることは不可能だった。特に上位魔神と呼ばれる十三体の魔神の強さは想像を絶していた。

 十二人いた魔法王もほとんどが上位魔神に殺された。世界各地では残った魔術師たちが懸命に魔神に抗っているらしいが、勝利など到底おぼつかないだろう。

 このままではルーファスも滅びの道を歩むのは避けられない。

 無論、そうならないよう手は打っていた。


「向こうの準備は整っているのだろうな?」


「すべてぬかりなく……」


 そう答えたマンティコアの顔には、言葉の割に懸念の色が強く出過ぎていた。


「何か言いたそうだな、バーラング」


「……ご不興を覚悟の上で申し上げまするが、断絶結界と封印魔法の併用はあまりにも危険です。どうかご再考のほどを……」


「今更だな。それくらいしなければ魔神どもの追撃から逃れることはできん。奴らのしつこさはお前も知っていよう」


「それはもちろん……」


「どの道、ここに留まっても待っているのは確実な死だ。ならば、わずかでも可能性がある方法を取るべきではないか」


「……御意」


「それよりも、他の使い魔はどうしている?」


「残っているのはキリアンとデヴァーロの二体のみ。彼奴等にはこの玉座の間の入口を守らせております」


「そうか。ならばここへ呼ぶがよい」


「我ら使い魔もお連れくださるのですか!?」


 驚く使い魔に、ルーファスは鷹揚に頷いてみせた。


「おおおっ」


「もっとも、お前が滅びゆく帝国と運命を共にしたいと言うのであれば話は別だが」


「まさか! わたくしめはルーファス様の忠実な下僕。どこまでもお供いたしますぞ」


 使い魔のマンティコアは恭しく頭を垂れた。

 その姿をルーファスは冷めた目で見つめる。

 彼にとって使い魔は道具にすぎず、憐憫の情など一切持ち合わせてはいない。使える駒は多いに越したことはないというだけの話だった。


「では、さっそく呼んでまいります」


 マンティコアは獣の身体を翻し、入口へと走り去った。


 再び空洞内が大きく揺れた。

 ルーファスは玉座からゆっくり立ち上がる。

 目の前の床には巨大な魔法陣が描かれていた。 

 それは決められた場所に一瞬で移動する『転移の術』を発動する為の魔法陣だった。空間を歪めるこの魔法は、ごく一部の魔術師にしか扱えない高等魔法である。


 転移先はここよりさらに地中奥深くにある場所だった。そこではあらゆる魔力の痕跡を断絶する結界魔法がいつでも発動できるように準備されている。

 そこでルーファスは自らの肉体を仮死状態にして封印するつもりでいた。

 無論、それで魔神から逃げ切れる保証はない。それどころか、自らの意志で封印を解くことはできず、下手をすれば二度と目覚めないかもしれない。仮に目覚めたとしても、世界は間違いなく魔神どもの跳梁する暗黒の世界となっているだろう。あまりにも分の悪い賭けである。

 それでも、ルーファスはあらゆる手を尽くして死の運命から逃れるつもりだった。


 魔法帝国の支配の根幹は知識の独占にある。皇帝マティウスは地上を支配する為の決定的な秘術を独占したままこの世を去った。

 ルーファスはその秘術にあとわずかというところまで迫っていた。あとほんの少し時間があれば、その境地に到達できたかもしれないのだ。

 だからこそ、こんなところで死ぬわけにはいかなかった。

 命さえあれば、可能性が閉ざされることはないのだから。


 ルーファスは使い魔が揃ったことを確認すると、魔法の詠唱を開始した。詠唱が進むにつれて魔法陣の光が強くなっていく。


「今は敗北を認めよう。だが、俺はいつか必ず復活し、魔神どもを討ち滅ぼし、皇帝ですら到達しえなかった魔導の遥か高みへと至ってみせる!」


 魔法が発動した。強烈な光が空洞を埋め尽くす。

 その光の残滓が消えた後、玉座の間には主を失った玉座だけがぽつんと取り残されていた。


 地上に生命の神が降臨し魔神が消え去ったのは、ルーファスが自らに封印を施した数時間後のことである。




 ――それから六百年。

 目覚めたルーファスを待っていたのは、魔神はおろか魔法文明も消え去り、人々が地下ではなく地上で生を謳歌する、まったく新しい世界だった。


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