第208話 反撃
「――ぶはっ!」
大きく息を吐きだした修介は、そのまま力尽きて膝をついた。ここが戦場のど真ん中であり、未だ激しい戦闘の最中であることはわかっていたが、これ以上は立っていられなかったのだ。
それほどまでに恐ろしい相手だった。
単純な暴力を振るってくる妖魔とは戦いの質そのものが違った。相手の裏をかこうとする細かい駆け引きが無数に行われ、その対処に極限まで集中力を要した。もしあのまま戦い続けていたら間違いなく殺されていただろう。今こうして生きているのは、もはや奇跡の範疇だった。
「――逃がさないッ!」
鋭い声に顔を上げると、レナードが獣人を追おうとしていた。
「待て、レナードッ!」
修介は慌ててその足に縋りつく。レナードの顔は訓練場時代でも見たことがないほどに険しかった。何が彼をそこまで駆り立てているのかはわからなかったが、追えば命がないことだけははっきりとわかっていた。
「離してくれ、シュウスケ。この妖魔の群れはおそらく奴が率いている。奴を倒せば、それで戦が終わるかもしれないんだ!」
「駄目だ! あいつにはまだ余力があった。追っても返り討ちに遭うだけだ! 俺達は組織で戦ってるんだ。それを忘れたら妖魔と何も変わらない!」
修介は以前イニアーに言われた台詞をそのまま口にした。こんな時に自分の言葉で語れない自身の浅さに情けなさを覚えるが、それ以上に説得力のある言葉が思い浮かばなかったのだから仕方がなかった。
「シュウスケ……」
プライドを捨てた説得の甲斐があったのか、レナードの足は止まっていた。
修介は安堵の息を吐く。
だが、ほっとしたのも束の間、それまで獣人との戦いを遠巻きに見ていた周囲の妖魔が一斉に襲い掛かってきた。
「――くそッ!」
修介は急いで立ち上がろうとしたが、足がもつれて尻もちをついてしまう。
すかさずレナードが修介を庇うように立ち塞がり、襲い掛かってきたホブゴブリンの攻撃を折れた剣で受け止めた。
しかし、その横から別のホブゴブリンが飛び掛かってくる。
「レナードッ!」
修介の悲痛な声は、別の声によってかき消された。
「――騎士達よ、彼らを守れッ!」
「おおッ!」
勇ましい声と共に背後から数人の騎士が修介の横を駆け抜け、ホブゴブリンに剣を突き立てる。そしてそのまま迫りくる妖魔どもを迎え撃ち、あっという間に全滅させた。
その様子を尻持ちをついたまま呆然と見守っていた修介に、騎士のひとりが近寄り声を掛けた。
「無事か?」
「あ、はい。助かりました。ありがとうございます」
修介は座ったまま頭を下げた。
「礼には及ばん。その恰好、即応部隊の傭兵だろう? ならば礼を言うのはこちらの方だ。お前たちが背後から強襲してくれたおかげで我々は全滅を免れたんだからな」
それを聞いて修介は安堵の息を吐く。即応部隊は無事にフェリアンの部隊と合流することができたのだ。
「その背後からの強襲に俺は参加してませんが……」
「だが、代わりにうちの若いのが世話になった」
「それこそ礼は不要ですよ。友達を助けただけですから」
その言葉に騎士は「そうか」と小さく笑った後、獣人が去った方角を見た。
「……それにしても、あの
「無茶を言わんでください。追い返しただけでも勲章モノでしょうが」
修介は冒険者代表として騎士に舐められてはならないと、頭の中でイニアーをイメージして軽口を叩いてみせたが、上手くできたかどうかは怪しいところだった。
すると、それまで黙っていたレナードが背後からそっと耳打ちしてきた。
「この方はフェリアン様だよ。領主様のご子息の」
「……へ?」
言われて修介は改めて目の前の騎士を見る。たしかに身に付けている鎧はレナードの物と比べて装飾が派手だった。それでようやく修介は突撃前に次期領主が云々とトレヴァーが言っていたことを思い出した。そして同時に顔面が蒼白になる。
庶民感覚が染み付いている修介は割と権威に弱い。相手が領主の息子と知って慌てて頭を下げた。
「こ、これは失礼しました!」
「気にするな、ここは戦場だ。言葉遣いを気にし過ぎて戦いをおろそかにされる方がよっぽど困る」
フェリアンはそう言うと豪快に笑った。その笑い方はやはりどこか父親である領主グントラムに似ているな、と修介は思った。
「ところでその黒髪……ひょっとして君は巷で噂になってる新進気鋭の冒険者シュウスケか?」
「し、新進気鋭かどうかは知りませんが、そうです」
「なるほど、それで納得した。どうやら噂に違わぬ実力の持ち主のようだな。どうだ、冒険者を辞めて俺に仕えてみないか?」
「え? その、えっと……」
場にそぐわぬ提案に修介は唖然として言葉が出ない。
フェリアンはその様子を見て「すまん、冗談だ」と苦笑すると、今度はレナードの方を向いて言った。
「レナードもよくやってくれた。身体は動くか?」
「大丈夫です」
「ならばすぐに合流地点に戻るぞ。まもなく討伐軍の騎兵がやつらの後背へ突撃を仕掛けるはずだ。それに合わせて我々も反撃に出るぞ」
レナードは一瞬だけ
「……心配しなくても、あの人獣はいずれ必ず始末する。その時にはお前の力が必要になる。だから今は堪えろ」
フェリアンはレナードの肩に手を置いてそう言うと、周囲の部下に声を掛けて移動を開始した。
取り残される形となったレナードはしばらく地面をじっと見つめていたが、やがて何かを吹っ切ったのか、いつも通りの柔和な笑みを浮かべて座り込んだままの修介に手を差し伸べた。
「……久しぶり。こんなところで会うなんて奇遇だね」
「奇遇って……相変わらずだな、お前は……」
修介はレナードの手を掴んで立ち上がった。
その手の感触に、毎日のようにロイとレナードと馬鹿をやっていた訓練場の日々が思い出されてなつかしさが込み上げてくる。
「とりあえず、お前が生きていてよかったよ」
「おや、もしかして心配してくれてたのかい? それは悪い事をしたね。でも、おかげで助かったよ。まさか君に助けられる日が来るとは夢にも思っていなかったけどね」
「昔の俺と一緒だと思うなよ? こう見えてそれなりに修羅場を潜ってきたんだ」
「みたいだね。訓練場にいた頃とは見違えるようだよ。……相変わらず世情には疎いみたいだけどね」
「ほっとけ」
修介は悪態をついたが、内心では訓練場にいた頃と変わらないレナードの態度に安堵もしていた。
「ところで、なんで君はひとりでいたんだい? 即応部隊の傭兵なんだろう?」
「う……」
修介は言葉に詰まる。昔とは違うと大見得を切った手前、乱戦の中で部隊とはぐれてしまったとはさすがに言い辛かった。
「おおよその察しはつくから無理に答えなくていいよ。……それで、君はこれからどうするんだい?」
「いや、部隊と合流するに決まってるだろ。ひとりで戦場を彷徨うのはもうこりごりだからな」
「わかった。遅れないようにちゃんと付いてくるんだよ? 乱戦の中で自分の立ち位置を見失ってしまうのは新兵あるあるだからね」
レナードはくすりと笑い、移動を開始した。
修介は「俺は新兵じゃないっての!」と応じつつその後に続く。
「この戦いが終わったらラハンの街まで来てよ。助けてもらったお礼に一杯奢るよ」
レナードの言葉に修介は少し考えてから首を横に振った。
「いや、それは駄目だ。戦場でその約束は死亡フラグになりかねないからな」
「フラ――なんだいそれは?」
「気にするな。助けられたのはお互い様だ。だから奢るのはなし。割り勘だ。あとお前がグラスターの街に来い。ロイも誘ってやらなきゃ可哀そうだろ?」
修介がそう言うと、レナードは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに口元に微笑を湛えて「わかった」と答えた。
(……あれ、割り勘でも死亡フラグになるのか?)
修介の頭にそんな疑問が浮かんだが、すぐに今はそんなことを考えている場合じゃないと思い直す。それでも、ずっと気になっていたレナードの無事が確認できたことで、心はだいぶ軽くなっていた。
後はこの戦いに勝利し、生き残るだけだった。
修介はアレサを握る手に力を込め、前を走るレナードの背を追った。
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