第207話 代償
「うおおおおぉぉッ!!」
キリアンの放った拳は、気合の声と共に跳び込んできた何者かの剣によって防がれた。並の剣であれば折れて当然の一撃を、その剣は耐え抜いていた。そのことに戸惑いを覚えながらも、キリアンは強引に拳を振り抜く。
「うわぁッ!?」
何者かは若い騎士を巻き込むようにして派手に地面を転がるも、すぐさま起き上がり剣を構えた。
キリアンはあらためて闖入者を見る。
黒髪の若い戦士だった。姿格好から騎士ではなく傭兵だと判断した。
「……次の相手はお前か? 黒髪の戦士よ」
殺気のこもった目を向けると、黒髪の戦士はそれに気圧されたのか、半歩下がった。
だが、自身の背後に若い騎士が倒れていることに気付き、すかさず「でやぁッ!」と気合の声を上げて斬りかかってきた。
キリアンはその斬撃をなんなく躱す。そして躱しざまに右の裏拳を相手の頭部に向けて放った。
黒髪の戦士は上体を捻ってそれを避けた。
「ほう」
キリアンは黒髪の戦士の反応の良さに素直に感心する。
さらに試すように二度、三度と拳を振るったが、そのすべてを防がれた。それどころか、三度目はあきらかにタイミングを合わせて刃を当ててきた。
キリアンは拳を口元へ運び、滴る血を舐めとった。
肉体を傷つけられたのは久々だった。
「魔剣か……」
それもかなり強力な魔力を帯びた魔剣だった。あの魔剣ならばこの忌まわしい肉体を傷つけることも可能だろう。久しく感じる痛みが心の奥底で眠っていた熱いものを呼び覚まさせる。
キリアンは目の前の黒髪の戦士に俄然興味が湧いていた。
一方の黒髪の戦士――修介にそんな余裕はなかった。
わずかな立ち合いで彼我の実力差を嫌と言うほど思い知らされた。今も攻撃するどころか、繰り出される拳を防ぐだけで精一杯だった。それができているのも、相手が魔剣であるアレサを警戒して深く踏み込んでこないからである。
獣人の動きからはこちらの限界を探ろうとする余裕さえ感じられた。徐々に鋭さを増していく攻撃がそれを物語っている。いずれ防ぎきれなくなるのは必至だった。
「その魔剣、どこで手に入れた?」
突然話しかけられ、修介は思わず獣人の顔をまじまじと見てしまった。だが、人ならざる獣の顔からは、何を考えているのかを読み取ることはできなかった。
「そんなのてめぇには関係ねぇだろうが!」
「もっともだ」
キリアンは心の底からそう言うと、凄まじい速度で距離を詰め、拳を放つ。今度はあえて体ではなく魔剣を狙った。
乾いた音を立てて魔剣が跳ね上がる。キリアンは素早く拳を戻すと、無防備になった胴体を狙って突き出した。
その拳は相手の胸を貫いたかに見えた――が、修介は仰向けに倒れることでそれを躱すと、すぐさま跳ね起きて魔剣をまっすぐに突き出した。
その切っ先がキリアンの肩を掠め、灰色の体毛がぱらぱらと地面に落ちる。
(――なんだこいつは?)
抑えようのない高揚感がキリアンの全身を駆け巡った。
目の前の黒髪の戦士は先ほどの若い騎士と比べれば剣の腕は数段劣るだろう。だが、反応速度はあきらかに常人離れしていた。相当な修練を積んだ戦士ですら到達できない領域にいると言っていい。それでいて、この黒髪の戦士からは長年戦場に身を置いてきた者が放つ武の気配をまるで感じないのだ。
何よりも、目の輝きが今まで戦ってきた者と根本的に異なっていた。
憎しみや怒りにも染まっていない、純粋に何かを守ろうとする者の目だった。
キリアンは高揚感に誘われるまま、今度は爪を立てて凄まじい速度で腕を振り回した。爪が肩当てを弾き飛ばし、鎧を削り、腕や足にいくつも細かい傷を負わせる。
だが、どんなに攻撃しても、なぜか致命傷を与えることができない。この黒髪の戦士は致命的な一撃だけはきっちりと躱すのだ。
「どうした、避けるだけでは俺は殺せんぞ!」
いつのまにか、キリアンは夢中になっていた。全力の攻撃を躱し続ける黒髪の戦士の動きに魅了されていたと言った方がいいかもしれない。
――それ故に、横から跳び込んでくる者の存在に気づくのがわずかに遅れた。
キリアンが右腕を振り上げたタイミングを見計らって、レナードは声すら上げずに飛び掛かった。その手にある折れた剣は、正確にキリアンの首を狙っていた。
キリアンはその攻撃を無視すべきだった。折れた、それも魔力を帯びていない剣では当たった所で致命傷にはならない。
冷静であったならばその判断もできただろう。だが、キリアンは修介を攻撃するのに夢中になりすぎていた。レナードの攻撃に反応してしまったのは、いわば戦士としての本能だった。
キリアンは咄嗟に左腕でレナードの一撃を防いだ。
防いでから己の失敗に気付く。
「うおおおぉっ!!」
修介は雄叫びをあげながら下から掬い上げるようにアレサを繰り出した。
躱せないと判断したキリアンは右腕で魔剣の一撃をまともに受けた。
骨が寸断される不気味な音が響き渡り、キリアンの右腕は肘から先が切断され、鮮血を巻き散らしながら宙を舞った。
「くっ……!」
キリアンは大きく後ろに飛び退き、ふたりから距離を取った。そして、ちらりと地面に転がった自分の右腕に目をやる。
魔法によって強化されたこの肉体は高い再生能力も持っている。急いで接合すれば、おそらく元に戻るだろう。
だが、とても拾おうという気にはなれなかった。
キリアンは若い騎士を取るに足らない相手と侮り、思考から消していた。
それを逆手に取られた。あの若い騎士はずっと息を潜め、機を窺っていたのだ。それに気付けぬほど自分が傲慢になっていたということだった。魔法によってもたらされた強靭な肉体を疎ましく思いながら、いつのまにかその肉体で戦うことに慣らされ、甘えていたのだ。
右腕は、そのことを思い出す為に必要な代償だった。
その時、離れた場所から大きな歓声が上がったのが耳に届いた。
確認するまでもなく、領主の軍が戦場に到着したのだとわかった。
「ここまでか……」
キリアンは自分の腕を斬り飛ばしたふたりの戦士を見た。
彼らはいつでもお互いを庇いあえるように立っていた。そして、その目には大切なものを守ろうとする強い意志の光が宿っていた。
片腕を失った状態でも、おそらく負けることはないだろう。だが、この場で殺してしまうには惜しいとキリアンは思った。
なにより、久々に心が躍っていた。
キリアンは残った左腕で地面に突き刺していた従魔の錫杖を回収すると、ふたりの戦士に背を向け、その場を後にした。
このまま領主の軍と命果てるまで戦うという選択肢もあったが、キリアンは自らの意志で生き残ることを選んだ。ルーファスにこの戦に勝つよう命令されていなかったことも幸いしただろう。
領主の軍が到着したことで、この戦の趨勢は決まった。
所詮、烏合の衆に過ぎない妖魔では、統制の取れた人間の軍隊には勝てない。妖魔に出来るのは狩りであって、戦ではないからだ。
だが、圧倒的な暴力は時としてその常識を覆す。
そして、それを可能にする妖魔がこの戦場には存在している。
キリアンは疾風のごとく戦場を駆け抜け、その妖魔の元へと赴いた。
すでに多くの人間を殺したのか、サリス・ダーの全身は返り血で赤く染まっていた。それでもまだ殺したりないのか、口からは威嚇するような呻き声が漏れ出ている。
キリアンは従魔の錫杖を向け、最後の命令を下した。
その内容は至極単純だった。
――その命が尽きるまで人間を殺せ。
「グオオオオオオォォォッ!」
サリス・ダーは大地を揺るがすような咆哮をあげると、命令を忠実に実行すべく、全身に付いた血を巻き散らしながら再び戦場へと駆けて行った。
キリアンはそれを見送りながら、あの若い戦士たちがこれから始まる殺戮劇から生還することを心から願うのだった。
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