第206話 衝動

「ちくしょう、どうしてこうなった!」


 修介は刃を交えていたホブゴブリンを斬り捨てたあと、我知らず吐き捨てた。

 乱戦のなかでイリシッドの姿を見かけたのがケチの付き始めだった。

 イリシッドの突き出た目は、部隊の先頭で獅子奮迅の活躍を見せるふたりの大柄の戦士に向けられていた。

 ここでひとりが魔法で操られてしまえば部隊の全滅は必至である。

 そう思った時には、修介は単身でイリシッドに突っ込んでいた。


 果たして、イリシッドの撃破には成功したが、群がってくるゴブリンの相手をしているうちに方向感覚が失われ、修介はひとり戦場を彷徨う羽目になった。

 初めて大規模な戦場に立つ修介に戦況の見極めなどできるはずもなく、強そうな妖魔からひたすら逃げることでなんとか生き延びているといった有り様だった。妖魔どもが組織立った動きをしていないことも幸いしただろう。よほど飢えているのか、生きている人間を襲うよりも死体に群がる妖魔の姿が目立つ。


『――マスター、そっちではありません。十時の方向です』


 見かねたアレサのガイドが修介にとっての命綱だった。


「わ、わかってるって!」


 そう応じたものの、いつの間にか戦場に立ち込め始めた霧のせいで、周囲の状況を把握することさえ困難だった。

 とにかく部隊と合流することが目下の命題である。可能な限り戦いを避け、この視界の悪さを逆に利用して味方と合流する。それが修介の考えだった。

 あの恐ろしい上位妖魔については、出くわさないよう祈るしかなかった。


『マスター、後ろです!』


 悲鳴と怒号が飛び交う戦場にあって、アレサの声だけは耳にはっきりと届いた。

 修介は迷うことなく前方に転がった。

 直後に何かが大地に叩きつけられる音が響く。

 振り返ると、棍棒を振り下ろしたオーガの巨体が目に入ってきた。


「ここでオーガとかマジかよ……」


 脳裏に以前にオーガと対峙した時の記憶が蘇る。

 あの時、自分が臆したせいでクナルとトッドを危険に晒したのだ。同じ轍を踏むつもりはもうなかった。


「うおおおおぉッ!」


 修介は雄叫びを上げてオーガに斬りかかる。

 振り回される棍棒を限界まで身をかがめて躱すと、魔法を帯びた刀身を閃かせた。

 オーガの肘から先が千切れ飛ぶ。

 それでもオーガは痛がる素振りすら見せずに、もう一本の腕で殴り掛かってきた。


「うぉらぁッ!!」


 渾身の力でその拳にアレサを叩きつけた。凄まじい衝撃が手に伝わってくる。

 並の剣であれば折れていただろう。

 だが、アレサは並の剣ではない。

 オーガの拳がぱっくりと裂け、派手に血を巻き散らす。

 両腕を破壊されたオーガは呻き声をあげながらたたらを踏んだ。

 修介の目の前に無防備なオーガの胴体が晒される。心臓を貫きたいという衝動に駆られるが、それではオーガは即死しない。確実に殺すなら首を落とす。これも今までの戦いで学んだことだった。

 修介は素早く足元へ跳び込んで膝を叩き斬る。そして、下がったオーガの頭部に向けて全力でアレサを振り下ろした。

 首から上を失ったオーガは悲鳴をあげることなく地面に突っ伏し、絶命した。


「はぁはぁ……や、やったぞ……」


 修介は荒い呼吸を懸命に整えながら、小さく拳を握りしめる。

 だが、オーガを単独で倒したという高揚感は、戦場という異質な空間においてはそれほど長持ちしなかった。むしろ自分が孤立しているという危機感を改めて覚え、すぐさま仲間の姿を求めて戦場を見渡した。


 すると、すぐ近くで不自然にぽっかりと空白地帯ができていることに気付いた。

 その空白地帯の中心で、ふたりの人間が戦っている姿が見えた。周囲の妖魔どもはその戦いに介入しようとはせず、遠巻きに様子を窺っている。

 人間と妖魔が争う戦場で人間同士が戦っている。しかも片方の男はボロ布を纏っただけで甲冑すら身に付けていない。

 しかし、修介の目を引いたのはその男と戦っている騎士の方だった。


「――レナードッ!?」


 レナードが生きていた。

 湧き起こった感動は、目の前で繰り広げられる戦いを見て急速に冷めた。

 一見、レナードが一方的に押しているように見える。

 だが、すぐにそうではないことに修介は気付いた。

 攻撃を繰り出しているレナードの表情が苦悶に歪んでいるのだ。それに対し男は涼しい表情のまま息を乱してすらいない。


「な、なんだあいつは……」


 男の尋常ではない動きに、嫌な予感がどんどん膨らんでいく。

 このままではレナードが殺される――そう思った時には修介の身体は勝手に動いていた。




――――――――――――――――




 鋭い斬撃が目の前を通り過ぎる。

 レナードと呼ばれた若い騎士の攻撃を躱しながら、キリアンは大きな失望を感じていた。

 目の前の騎士に対して、ではない。

 むしろ剣士としてはかなり優秀な部類だろう。先ほどの拳を弾いた動きや、こちらの攻撃を寸でのところで躱しながら強烈な斬撃を打ち込んでくる技量は相当なものだった。

 そんな素晴らしい才能を持った戦士ですら対等な戦いになりえないという事実に、キリアンは失望しているのだ。

 いくら強靭な肉体を持つ人獣ライカンスロープといえど、剣で斬られれば血を流すし、下手をすれば命を落とす。

 だが、キリアンだけはその理の外にいた。

 彼の肉体はルーファスの魔法によって半永久的に強化されていた。並の剣では傷ひとつ付けられないだろう。

 その事実がキリアンの心に深い影を落とす。

 この肉体の強靭さは鍛錬による成果ではなく魔法によって与えられたものなのだ。人獣族最高の戦士と謳われたキリアンにとって、それは屈辱以外の何物でもなかった。


 キリアンは鋭く繰り出された剣を片手で無造作に掴むと、そのまま空いている拳を叩きつけて半ばから折ってみせた。

 若い騎士はすぐさま後方に飛び退いて距離を取った。そして折れて半分の長さになった剣を構える。表情に焦りこそあったが、その目はまだ闘争心を失っていなかった。


 それを見て、キリアンは言い知れぬ昂りを覚えた。

 勝てないことは、この若い騎士もとっくに気付いているだろう。

 それでも懸命に死の運命に抗おうとしている。

 哀れだとは思わなかった。

 むしろ自らの心の赴くままに戦える若い騎士を羨ましいとすら思っていた。

 人は勝てぬとわかっていながら、家族や友を守る為に、己が野心を満たす為に、命を燃やして立ち向かってくる。

 その魂の輝きとも呼べる光はキリアンが遥か昔に失ったものだった。

 キリアンは自分ではどんなに望んでも手に入れられない輝きを持っている人間が羨ましかった。そして憎くてたまらなかった。

 いつしか、その光を消すことに無上の喜びを感じるようになっていた。それがただの代償行動に過ぎないことは理解していた。

 だが、そうでもしなければ己を保つことができなかったのだ。 


 殺戮への衝動を抑えきれず、キリアンは雄叫びを上げて獣人化した。

 若い騎士の目が驚愕に見開かれる。

 希望が絶望に変わり、命の輝きが消え去る瞬間――そこに訪れるであろう恍惚感を求め、キリアンは拳を繰り出した。

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