第204話 突撃

 即応部隊が戦場に到着した時、フェリアンの部隊は妖魔軍に完全に包囲されてはいたものの、円陣を組んで激しく抵抗していた。

 最新の報告ではカシェルナ平原に残った妖魔の数は二千以上とされ、わずか数十騎で持ちこたえているのはまさに奇跡と言えた。


「このまま敵陣を突っ切ってフェリアン様の部隊と合流する! 歩兵隊と傭兵隊は死ぬ気で付いてこいッ!」


 トレヴァーは大声で指示を飛ばすと、掲げていた手を勢いよく振り下ろした。


「突撃ーッ!」


「おおおおおぉぉッ!」


 歓声と地響きを纏った一団が大地を駆ける。

 包囲網の外周付近にいた妖魔がその存在に気付いて反転し始めた。


(本気であの中に飛び込むのかよ!?)


 修介は津波のように押し寄せてくる妖魔の大群を見て、その迫力に圧倒された。数千の妖魔の群れの中に、たかだか百人程度で飛び込もうというのはどう考えても自殺行為でしかない。だが、窮地の味方を救う為には、それをやるしかないのだ。


「こうなりゃとことんやってやるッ!」


 直後に先頭の騎士達が妖魔の群れに突入した。構えた騎兵槍ランスが立ち塞がる妖魔どもを蹴散らし、強引に通り道を作り出す。その隙間を埋めるように歩兵隊がなだれ込んだ。

 修介も歩兵隊に続いて妖魔の群れの中へと飛び込む。

 そこは想像以上の修羅場だった。

 数千の生物が大地を踏みつける振動。むせるような血と臓物の臭い。金属が激しくぶつかり合う音に悲鳴と怒号が重なる。そして視界を埋め尽くす妖魔の群れ――五感の全てが殺戮と破壊に埋め尽くされ、頭が真っ白になった。


「足を止めるな! 止まれば死ぬぞ!」


 傭兵隊の先頭を走るダドリアスの大声で意識が現実へと引き戻される。

 その言葉通り、すぐさま左右から妖魔が大挙して押し寄せてきた。

 目が血走ったゴブリンは、いつもの討伐依頼で戦うゴブリンとはまるで別の生き物に見えた。戦場の空気がゴブリンを変えたのか、それとも自分の精神状態がおかしいのか。その答えを探す余裕などあるはずもない。

 次々と襲い掛かってくる妖魔をアレサでいなし、強引に押しのける。

 孤立すれば死ぬ――その恐怖に駆られ、修介は死に物狂いで騎兵隊の後を追いかけた。


「オラァ! 死ねやぁッ!」


 前方で大剣を振るっているゴルゾの姿が見えた。ゴルゾはその大柄な体格も相まって戦場ではやたらと目立つ。

 個人的な好悪は別として、修介は彼の戦闘力を高く評価していた。


(とにかくあいつに付いて行くんだ!)


 藁にも縋る思いでがむしゃらにゴルゾの後を追う。

 ふと視線を横に向けると、隣を走っていた傭兵の姿がいつのまにか消えていた。彼だけではない、前方を走る歩兵隊の数も明らかに突入前より少なくなっていた。

 次は自分の番かもしれない――そんな考えに捕らわれかけた時、周囲の視界が一気に開けた。

 最初の妖魔の群れを突破したのだ。


(ぬ、抜けたのかッ?!)


 安堵で走る足がわずかに緩みそうになる。息もそろそろ限界だった。


「旦那、気を抜くな! そのまま突っ走れッ!」


 間髪容れずに背後から声が掛かる。デーヴァンとイニアーが傭兵隊の最後尾を走りながら追いすがってくる妖魔どもを牽制していた。さしもの彼らも余裕というわけにはいかないようで肩で息をしている。

 まだ敵の第一波を突破しただけで、ほとんどの妖魔が無傷で残っているのだ。足を止めればあっという間に囲まれてしまうだろう。

 前方では味方らしき部隊が無数の妖魔と交戦している姿が見えた。

 ここがゴールではないのだ。

 むしろここからが本番だった。


「くそがぁッ!」


 修介はやけくそ気味に雄叫びを上げ、さらなる地獄へ向かって走るのだった。




――――――――――――――――




 今からおよそ二十年前、グラスター領に一体の上位妖魔が出現し、領地の南東一帯を荒らしまわった。

 その上位妖魔は本来群れで行動しないはずのオーガを多数引き連れ、いくつもの村を襲撃し、村人たちを殺戮していった。

 当時、領主になりたてで血気盛んな若者だったグントラムは、自ら兵を率いてその上位妖魔の討伐に向かった。

 そして、まだ駆け出しの冒険者だったトレヴァーも、その辺りの地理に詳しいという理由で道案内として雇われた。無論、あわよくば手柄を立てて多額の報奨金をせしめてやろうという、若者らしい野心も抱いていた。

 だが、その上位妖魔は若者の野心を容易く打ち砕くだけの力を持った化け物だった。

 二十名の騎士と百名の歩兵で編成された討伐隊は、たった一体の上位妖魔によって蹂躙された。

 勇んで戦いに臨んだはずのトレヴァーは、目の前で切り刻まれる騎士達の姿を目の当たりにし、恐怖で一歩も動くことができなかった。


 窮地に陥った討伐隊を救ったのは、冒険者ハジュマだった。

 当時のグラスターの冒険者ギルドは今ほどグントラムと近しい関係ではなかった。なので、ギルドは独自に上位妖魔を討伐すべく、王都で名を上げ始めていた冒険者ハジュマに依頼を出していたのだ。

 戦場に駆け付けたハジュマは十を超えるオーガを単独で撃破し、さらにはグントラムと共闘し、激戦の末に上位妖魔の撃退に成功した。

 深手を負った上位妖魔は何処かに姿を消し、その日以降、再び領内に姿を現すことはなかった。

 グントラムは幾度となく大規模な捜索隊を派遣したが、結局今日に至るまで発見には至っていない。

 しかし、圧倒的な暴力で討伐隊を蹂躙したその上位妖魔は、グラスター騎士団にとって決して忘れられない存在となったのである。




 トレヴァー率いる騎兵隊は、フェリアンの部隊の周囲に群がる妖魔どもを打ち払うべく、第一波を突破した勢いそのままに突撃を仕掛けていた。

 妖魔どもは目の前の人間を襲うのに夢中で、背後から迫る騎兵隊の攻撃に対して反応する素振りすら見せない。

 騎兵隊の突撃は成功するかのように見えた。


「グオオオオオォォ!」


 突然、凄まじい雄叫びが響き渡った。

 直後に一体の黒い妖魔が現れ、先頭を走るトレヴァーに襲い掛かった。

 トレヴァーは咄嗟に攻撃を長剣で弾いたが、バランスを崩して馬から放り出された。受け身を取ったものの、落下の衝撃を完全には吸収できなかった。


「ぐっ!?」


 立ち上がろうとして左足首に鋭い痛みが走り、トレヴァーは苦痛の呻き声を漏らす。おそらく左足は折れているだろう。この足ではまともに戦うことはもはや不可能だった。

 だが、他の騎士達は足を止めることなく突撃を敢行していた。

 何があっても途中で突撃を止めない――それがグラスター騎士団騎兵隊の鉄の掟である。

 その掟を部下が忠実に守ったことにトレヴァーは満足感を覚えた。


「――隊長ぉッ!」


 背後から追ってきた歩兵達の悲痛な叫び声で、トレヴァーは攻撃を仕掛けて来た妖魔を見やった。

 そして戦慄した。

 全身が黒い皮膚に覆われた面長の妖魔――その姿を忘れるはずがなかった。

 二十年の時を経て、あの化け物が再び姿を現したのだ。

 恐怖で全身に鳥肌が立つ。

 数多の戦場に立ち、数え切れぬ妖魔を屠ってきた。もうあの時の恐怖は克服したと、そう思い込んでいた。

 だが、身体は正直だった。

 心の奥底に刻み込まれた恐怖が呪縛となって全身を硬直させる。

 それでも戦士としての誇りが辛うじて剣を構えさせた。

 次の瞬間、黒い妖魔は一瞬で距離を詰め、トレヴァーの頭部目掛けて鉤爪を振り下ろす。

 トレヴァーは己の死を悟り、あらん限りの大声で叫んだ。


「――サリス・ダーだッ!」


 それが彼がこの世に残した最後の言葉となった。

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