第203話 獲物

 グラスター騎士団の対妖魔戦の基本戦術は、騎兵隊の突撃による敵陣突破と、後続の歩兵隊による強襲といった単純明快なものである。

 馬鹿の一つ覚えのように突撃を繰り返すグラスター騎士団は、諸外国や国内の諸侯からよく嘲笑の種にされていた。「グラスター騎士団はまるで猪の群れだ」というのは、人間同士の戦争が起こらないグラスターを揶揄するのによく用いられる言葉である。

 たしかに近年のストラシア大陸での戦争では、槍兵や弓兵の集団戦術の台頭によって騎兵隊は陽動や偵察、側面攻撃といった予備戦力として扱われることが多く、正面から突撃することは滅多になくなっていた。

 しかし、騎兵隊の突撃は戦術の概念を持たない妖魔相手だと有効に機能するのだ。

 それ故、グラスター騎士団は騎兵槍ランスによる突撃戦術を徹底的に訓練し、磨き上げる。

 そうして高い騎乗技術を身に付けた騎兵隊が縦横無尽に戦場を駆け巡り、妖魔どもを蹂躙するのである。

 今回の戦いでもフェリアン率いる騎兵隊は五〇騎に満たない数ながら、突撃戦術を有効に用い、これまで多くの妖魔を撃破していた。




 キリアンは当初、フェリアンの部隊の存在を気に留めてすらいなかった。

 所詮は寡兵、という侮りがあったからだが、そもそも彼自身がこの戦いの勝敗にあまり拘っていないというのが最大の理由である。

 だが、突如西側に現れた別の部隊が予想外の戦果を上げたことで、考えを改めざるを得なくなった。ふたつの部隊が合わさればそれなりの数になるし、グラスターの街から来る討伐軍と挟撃されれば、あっさりと負けてしまう可能性も出てくる。

 いくら勝敗に拘っていないとはいえ、あまりあっさりと相手に勝たれてしまっては興覚めも甚だしいし、必死に戦ってもらわねば自身の望みも叶わなくなる。

 そこで、キリアンは当初の予定を変え、南に向かっているフェリアンの部隊を潰すことにした。カシェルナ平原の中央に残った約二千の妖魔と共に一気に平原を縦断し、奇襲を仕掛けたのである。


 強襲を受けたフェリアンの部隊の反応は、キリアンの予想とは大きく異なるものだった。

 彼らは妖魔の軍勢を前に、逃げるどころか逆に突撃を敢行してきたのである。


「……ほう」


 キリアンは感嘆の呟きを漏らした。数十騎という騎馬が一糸乱れずに突撃する様は、まるで一本の巨大な槍を彷彿とさせた。あれだけの練度を誇っているのならば、自信満々に向かってくるのも頷ける。隊列も組まず、ただ群れを成しているだけの妖魔などいとも簡単に蹴散らされるだろう。


 キリアンのその予想は現実のものとなった。

 騎兵槍ランスを構えた騎士達が妖魔軍の脆弱な部分を狙って突入する。あちこちでがつっという鈍い音が響き渡り、何体ものゴブリンが宙を舞った。

 騎兵隊はそのままの勢いで突き進み、まるで柔らかい絹を引き裂くように妖魔の大群の中を突っ切っていく。

 わずか数十騎の騎兵によって、数千の妖魔軍は分断され、大混乱に陥った。

 突撃を成功させた騎兵隊は、大きく弧を描くように戦場を駆ける。もう一度突撃を行う意図があるのは明白だった。何度か突撃を行い、こちらを徹底的に混乱させてから撤退するつもりなのだろう。

 妖魔相手にただ逃げるのではなく、きっちりと力を誇示してから悠然と引き上げる。いかにも騎士団らしい誇り高き戦い方と言えた。


「……だが、今日は相手が悪かったな」


 迫りくる騎兵隊を目で追いながら、キリアンは従魔の錫杖を持った手をゆっくりと掲げた。

 背後に控えていたサリス・ダーが雄叫びを上げる。それに呼応するように何体かのオーガが近くにいるゴブリンを掴み、突撃してくる騎兵隊に向けて無造作に投げつけた。

 ゴブリンが情けない悲鳴をあげながら宙を飛んでいく。

 全力で疾走する騎馬にそれを躱せるはずもなく、幾人かの不運な騎士が被弾し、馬から転げ落ちる。突撃の最中に落馬すればただでは済まないだろう。

 だが、後続の騎士達は落馬した騎士には見向きもせずに突撃を敢行し、妖魔どもの群れを蹴散らした。

 それを見てキリアンの口角がわずかに上がる。

 獲物はそうでなくては張り合いがない。

 陥落させた砦にはおそらく彼らの同胞が大勢いたのだろう。再び向かってくる騎士達からは激しい怒りと憎しみがはっきりと感じ取れる。


 キリアンはもう一度錫杖を掲げ、サリス・ダーに合図を送った。

 上位妖魔を通じてキリアンの意志が伝わると、数十体のオーガが素早く集結し、ひしめくようにして肉の壁を形成した。

 オーガは己の行動の意味すら理解していないだろう。基本的にオーガは群れで行動しない。複数のオーガが訓練された兵士のように動くなどありえないことなのだ。

 そのありえない事態を前に、騎兵隊は進路を変更する暇もなく正面からオーガの肉壁に激突する羽目になった。

 激しい衝撃音とともに騎兵槍ランスがオーガの分厚い胸に風穴を開ける。本来であればそのままの勢いで突破できただろう。だが、いかに騎兵隊の突撃といえど、密集したオーガの肉壁を打ち破ることはできなかった。

 突入を阻まれた騎士は当然その場で落馬する。後続の騎士達も次々と巻き込まれ、騎兵隊の突撃は瞬く間にその勢いを失う。そこへ空腹の限界にあった妖魔どもが久々の餌にありつこうと我先にと襲い掛かった。


 騎士達は勇敢だった。

 勇敢であるが故に、哀れだった。

 圧倒的な数で押し寄せる妖魔相手に円陣を組んで必死に抵抗するも、数の差は歴然である。頑張れば頑張るほど地獄のような時間が長引くだけなのに、それでも彼らは諦めることなく剣を振るい続けている。

 キリアンは、そのひとりひとりに品定めするような視線を巡らせる。

 すぐにひとりの騎士が目に留まった。

 他の騎士達よりも意匠の凝らされた甲冑を身に付けていることから、おそらくこの部隊の指揮官だろう。まだ若いながらも多くの実戦経験を積んでいることが、その動きから伝わってくる。

 まずはこいつだ――キリアンは心の中で呟くと、その騎士に向かって無造作に近づいて行った。




――――――――――――――――




「バラバラになるな、密集して戦え! すぐ近くまで即応部隊が来ている! 耐え続ければ勝機はあるぞッ!」


 ホブゴブリンと切り結びながら、フェリアンは味方を鼓舞する為に声をからさんばかりに叫んだ。

 ほとんどの騎士が馬を失い、元々少数だった味方は妖魔に包囲され完全に逃げ場を失っていた。


 フェリアンはこの事態を招いた自分の失態を激しく悔いていた。

 一度目の突撃で退くべきだった。いや、そもそも襲撃を受けた時点で速やかに退くべきだったのだ。

 だが、ここに至るまでに二つの集落が妖魔の襲撃を受け全滅していた。それを目の当たりにしたことで騎士達の怒りは頂点に達していたのだ。フェリアン自身も怒りを抑えられなかったせいで冷静さを欠き、彼らを御しきれなかった。唯一それを諫めることができたであろうオズウェンをラハンに残してきたことも結果的には失敗だっただろう。


(反省するのは後回しだ!)


 フェリアンはホブゴブリンを斬り倒し、素早く視線を巡らせる。倒れた愛馬に無数の妖魔が群がっていた。そして、その向こうから悠然とした足取りで近づいて来る男の存在に気が付いた。


(……人間だと?)


 フェリアンは接近してきた男と正面から向き合う。甲冑ではなく見慣れぬ長衣を纏っていることから味方ではないと判断した。


「貴様が妖魔を率いているという人間か?」


 フェリアンは隙なく剣を構えながら問いかける。

 男は返答の代わりに無言で距離を詰め、拳を繰り出してきた。

 その拳を咄嗟に剣で弾く。


「――ぐッ!?」


 まるで鉄の塊を殴ったような衝撃だった。

 フェリアンは素早く距離を取りながら男を見据える。

 魔法で肉体を保護している可能性を考えたが、防護の術特有の淡い光の膜は見えない。


(……こいつ、本当に人間か!?)


 正体がなんであれ、状況的に考えてこの男が一連の不可解な妖魔の動きに絡んでいるのは間違いないだろう。

 一夜にして砦を陥落させた手口や、数千の妖魔を率いている方法……それらの謎の答えをこの男は持っているかもしれないのだ。この先のことを見据えるならば、捕えて情報を引き出すべきである。

 どの道、ここでこの男を倒さなければ活路はないのだ。


「おおおおッ!」


 フェリアンは気合の声と共に斬撃を叩き込む。

 だが、男は涼しい顔でそれを弾いた。素手で剣を弾いたというのに、男の拳には傷一つついていない。それどころかこちらの剣に刃こぼれが生じていた。

 それでもフェリアンは攻撃の手を休めない。

 剣が弾かれる度にガンッガンッという鈍い音が響き渡る。

 ふいに、男の姿が消えた。

 次の瞬間にはフェリアンの身体は仰向けに倒されていた。

 自分が足を払われたのだと気付いた時には、相手の拳が眼前に迫っていた。


「フェリアン様ッ!」


 叫び声と同時に何者かが横から男の拳を剣で弾いた。そのおかげでフェリアンは辛うじてこの世に留まることが許された。


「レナードか、助かったぞ!」


「フェリアン様、お下がりください。この者は私が相手をします」


「馬鹿を言うな! そいつは只者ではない。協力せねば倒せんぞ!」


「――あれをご覧ください」


 レナードが指し示した方角を見て、フェリアンは目を見張った。

 土煙を上げて近づいて来る一団の姿が見えたのだ。方角から考えて、その一団が即応部隊であることは明白だった。


「フェリアン様に指揮をとっていただかねば部隊が全滅します。どうか、ご自身の立場をお忘れなきよう」


 レナードは黙ったままふたりのやり取りを見ている男へと視線を向けた。


「……それにこの男は私が先約ですから」


 レナードの言葉を受け、男はわずかに口元を歪ませた。

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