第199話 招かれざる客

 修介が戦場で雄叫びをあげていた頃、討伐軍の出陣を翌日に控えたグラスターの街は、戦を前にした独特の喧騒と忙しない空気に支配されていた。

 南の大森林から出現した数千の妖魔がグラスターの街を目指して北上している、という情報は瞬く間に広まり、住民達を恐怖のどん底に陥れた。

 昨年の魔獣ヴァルラダンとの戦いで騎士団の戦力が激減していることは、グラスターの街に住む者であれば誰もが知る事実である。いくら勇猛で鳴らしたグラスター騎士団でも今度ばかりは勝てないのではないか――そう口にする者も決して少なくなかった。

 当初、領主グントラムは妖魔の軍勢に関して箝口令を敷こうとしたが、それが無駄だとわかると、すぐさま大々的に傭兵や民兵を募る方針に変更した。

 昨今の特需によって、多くの傭兵や冒険者がグラスターの街を訪れていたことが幸いしたのだろう。討伐軍は騎士百名と正規の歩兵四百名を中心に、冒険者や傭兵、そして志願した民兵を合わせて千名を超える規模となった。さらに、別件で呼び寄せていた王都の魔法学院所属の魔術師が事情を知って協力を申し出てくれたことで、妖魔の軍勢に対抗しうるだけの戦力を整えることができたのだった。

 グントラムは自らが討伐軍を率いることを派手に公表し、住民の混乱を最小限に抑えることに成功したのである。

 だが、その直後に妖魔の軍勢がすでにグラスターの街からわずか二日の距離にあるカシェルナ平原にまで迫っていることが判明し、住民たちは再び迫りくる妖魔の脅威に怯えることになったのだった。




 そんな不穏な空気に包まれた街の郊外にある屋敷では、ひとりの魔術師が落ち着かない時間を過ごしていた。


「はぁ……」


 サラは深いため息を吐くと、読んでいた魔術書から顔を上げた。

 いつもならば魔術書を読んでいると時間を忘れるはずなのに、この日はまったく集中できていなかった。

 その原因となっている人物の顔を思い出し、苛立ちをぶつけるように魔術書をテーブルに置いた。衝撃で飲みかけのティーカップが乾いた音を立てる。


「あの馬鹿……」


 そう呟き、テーブルの上に置かれた水晶玉に目を向けた。

 それは先日、地下遺跡で手に入れた物だった。王都に持っていって祖母と一緒に調べるつもりでいたのだが、肝心の修介が依頼を受けては領内を飛び回っているせいで都合がつかず、未だに彼女の手元にあった。


 修介が即応部隊に参加したという話をサラが聞かされたのは二日前……アイナリンドの冒険者登録をしにギルドに赴いたときだった。

 約束の時間になっても一向に現れない修介への愚痴をアイナリンドにこぼしつつ先に受付を済ませようとしたところ、ハンナから「シュウスケさんなら即応部隊の傭兵として、今朝早くに街を出られましたよ」という情報と共に、一通の封書を渡されたのだ。

 その封書は修介が書いたアイナリンドの推薦状だった。中にはいかにアイナリンドが素晴らしい人物で冒険者に相応しいかが汚い字で書き連ねてあった。


「――あの馬鹿、なに考えてるのよ!」


 当然サラは激怒した。約束を反故にされたことも、なんの相談もなしに勝手に戦に赴いたことも、推薦状の字が汚いことも、何もかもが気に入らなかった。

 だが、なによりも自分に何も告げずに行ってしまったことがショックだった。彼にそんな義理がないことはわかっていたが、それでもせめてひとこと言ってほしかった。

 パーティの仲間という関係以上の強い絆があると思っていたのは、自分だけだったのだろうか。彼にとって自分はそこまでの存在ではなかったのだろうか……そんな思考で頭が埋め尽くされる。

 サラは推薦状を床に叩きつけると、ハンナに詰め寄り詳しい説明を求めた。

 だが、ハンナは「わ、私も昨晩は当番ではなかったので、詳しい状況はわからないんです」と困惑顔で答えるだけだった。

 受付担当に詳細が知らされていないという事実から、それだけ緊急の依頼だったということがわかる。

 このままでは埒が明かないと、サラは困惑するハンナとアイナリンドをその場に残し、ギルド長の執務室へ赴き、オルダスの襟首を締め上げ問い詰めた。

 そうしてサラは初めて南の地で起きている出来事を知ったのである。同時に、三日後に討伐軍が出陣することが決まっており、ギルドにも冒険者の参加要請が来ていることも聞かされた。

 サラはその場で自分も討伐軍に参加することを告げ、ギルドを後にした。

 アイナリンドの冒険者登録を失念していたことに気付いたのは、屋敷に戻り、当のアイナリンドから心配そうな顔で声を掛けられた時だった。




 そして現在、出発を翌日に控え、サラは苛立ちを抱えたまま落ち着かない時間を過ごしているのである。

 窓の外に目を向けると、中庭でヴァレイラが病み上がりの身体を慣らす為に素振りをしていた。そのすぐ傍ではアイナリンドが心配そうな表情でそれを見守っている。

 ちなみに、ナーシェスは大抵は工房に籠っているか、出来上がったポーションを売る為に外出しているかのどちらかで、この二日間で食事の時以外はほとんど顔を合わせていない。


「オラァッ!」


 ヴァレイラの荒々しい声が耳に届く。

 剣術に疎いサラでも、彼女の剣筋が荒いことが一目でわかった。あれは稽古というよりはただの憂さ晴らしなのだろう。

 彼女が怒るのも当然だった。相棒がなんの相談もなしにひとりで依頼を受けて戦いに赴いてしまったのだ。しかも、間違いなく彼女の体調を慮って、だ。そういう気遣いのされ方を彼女が最も嫌っていることをサラはよく知っていた。

 そんなヴァレイラも当然のように討伐軍への参加を決めていた。


 サラはアイナリンドに視線を向ける。

 彼女も討伐軍に参加することを希望したが、冒険者登録が済んでいないことと、大規模な戦いに不慣れな彼女では万が一があるといけないという理由から、サラはそれを認めなかった。

 不満そうにするアイナリンドに、「別にシュウが危機に陥ってるわけじゃないんだから、心配しなくても大丈夫よ」と諭したが、その言葉はどちらかと言えば自分自身に言い聞かせていると、口にしてから気付いた。


 たしかに修介は戦士として目覚ましい成長を遂げていた。その点は相棒であるヴァレイラも認めているようだった。

 だだ、成長と並行するかのように、ここ最近の修介の戦い方がどんどん危うくなっているとサラは感じていた。

 あきらかに無茶をする回数が増えているのだ。

 戦いに慣れてきた戦士にはよくあることさ、とヴァレイラは言っていたが、どうしてもそれだけとは思えなかった。

 最近の修介を見ていると、背負わなくていい重荷を背負ってしまっているような、そんな悲壮感が漂っているように感じられるのだ。

 そういう時、彼は決まって命に関わるような大怪我をする。

 杞憂であってほしいと思っているが、このタイミングで修介が妖魔との戦に赴いてしまったことが不吉に思えてならなかった。

 とにかく、前線で会ったら思い切り引っ叩いてやろう。サラはそう決意して再び魔術書に手を伸ばした。


 だが、彼女のその行動は扉をノックする音で中断させられた。

 部屋に入ってきたのは使用人のランダンだった。この道四十年のベテランで、サラがこの街に赴く際についてきてくれた、もっとも頼りにする使用人である。


「お嬢様、お客様がお見えになっております」


「……今日は来客の予定はなかったと思うけど?」


 サラは首を傾げながらそう返したが、直後にランダンの背後にひとりの男が立っていることに気付いた。

 ランダンは主人に確認を取らずに客人を通したことはこれまで一度もない。もっとも信頼する使用人のその行動は、サラの警戒心を最大にまで引き上げる理由として十分だった。


「――誰ッ!?」


 サラの鋭い誰何の声に、男はゆっくりと前に進み出る。

 三十歳くらいの、痩身で色白の男だった。よく見れば目鼻立ちは整っていると言えなくもないが、街中ですれ違っても数秒後には忘れているであろう、そんな特徴のない顔。無論、面識はない。

 唯一、指に嵌めている大きな宝石のついた指輪が目を引いた。

 男がその指輪を嵌めた手を翳すと、ランダンは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。


「ランダンッ!」


 サラは使用人の元に駆け寄ろうとしたが、全身に怖気が走り思わず立ち止まった。目の前の男から放たれるただならぬ気配に、素早く立て掛けてあった杖を手に取る。


「……あなたのような人を招待した覚えはないけど、一体何の用かしら?」


 サラは油断なく杖を構えながらそう問いかける。


「お前などに用はない。用があるのはそれだ」


 男はそう言って、テーブルの上を指さした。


「――ッ!?」


 サラの表情が一瞬で強張る。

 男が指し示したのは、例の水晶玉だった。

 水晶玉のことはごく限られた者にしか話していない。知っているのはパーティの仲間と、シンシアと酒場に行った時のメンバーくらいのはずである。王都の魔法学院にすらまだ報告していないのだ。

 サラは男の視線から水晶玉を隠すように体の位置をずらす。


「……この水晶玉がなんなのか、あなたは知っているというの?」


 男はその質問には答えず、テーブルに近づこうと無遠慮に室内に入ってくる。


「動かないでッ!」


 サラは警告の意味で杖を掲げてみせる。

 だが、男はそれを一瞥しただけで足を止める気はなさそうだった。


(こいつ――ッ!)


 サラは男に向けて眠りの術を行使しようとした。

 だが、体内の魔力が上手く操れず、魔法の詠唱に失敗した。


(こ、これは……っ!?)


 その時になって、サラはようやく自分が膨大な魔力の渦に捕らわれているということに気付いた。もう一度詠唱を試みようとしたが、全身に絡みつく魔力のせいで、体内のマナを操ることさえ困難だった。


「――無駄だ。お前はすでに俺の魔力場の中にいる」


 男はそう告げると、呆然とするサラの横を素通りし、テーブルの上の水晶玉を手に取った。その際、隣に置かれていた魔術書にちらりとだけ視線を向けて「ふっ」と鼻で嗤った。


「なるほど……バーラングの言っていた通り、この時代の魔術師はかなり程度が低いようだな。杖に頼らなければ魔法を扱えぬというのも納得がいく」


 サラには男が何を言っているのかわからなかったが、自分の魔法が馬鹿にされたということだけはその口調からはっきりと理解した。

 彼女にとって魔法は人生を懸けて学ぶに値する奇跡の力だった。その習得の為に膨大な知識を学び、様々な実験に身を捧げ、冒険者として数多くの実戦もこなしてきた。文字通り、血のにじむような努力をしてきたのだ。

 それを馬鹿にされて平然としていられるはずがなかった。


「――このッ!」


 サラは怒りに任せて手にした杖を振り上げ、男に殴り掛かろうとした。

 男は冷笑を浮かべながらゆっくりと手を翳した。


「あぐッ!?」


 次の瞬間、見えない手で首を絞められ、サラは喘いだ。

 男が手を上に動かすと、それに合わせて身体がゆっくりと宙に浮いて行く。

 サラは見えない何かを引きはがそうと必死に首の周りに手をやるが、その手はむなしく宙を掴むだけだった。

 喉が圧迫され、呼吸ができなくなる。視界が端から闇に覆われていき、意識が遠のいていく。

 その時、窓ガラスが割れる音が室内に響いた。

 窓をぶち破って飛び込んできたのは、怒りの形相を浮かべたヴァレイラだった。


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