第198話 勝利

 修介は意識を集中し魔法に備えた。備えたところで抵抗も何もないのだが、ここで対処を誤れば危険を冒した意味がなくなってしまう。自然と緊張で身体が固くなる。

 次の瞬間、黒い霧が全身に纏わりついた。

 身体に何かが侵入してくるようなお決まりの違和感。そして、それが抜け落ちていく感覚もいつも通りだった。


「シュウスケッ!」


 ダドリアスの叫び声が聞こえた。それが認識できたいうことは、魔法によって意識を奪われていないという証だった。

 だが、修介はあえて魔法に掛かったフリをした。


「うぐおおおぉぉッ!」


 手で顔を覆い、身体をくの字に折って呻き声を上げる。あからさまに演技だとわかるレベルだが、妖魔に人間の演技の良し悪しなどわかるはずもなく、周囲に群がっていた妖魔は慌てて離れていった。魔法で精神を操られた者の近くにいればどうなるのか、ゴルゾの傍にいた同胞の末路を見ているだけに当然の反応と言えた。


「――馬鹿めッ!」


 修介はそう言い放ち、放たれた矢のように一直線に飛び出す。その目はしっかりとイリシッドの姿を捉えていた。

 イリシッドはあきらかに動揺しているようだった。その証拠に、慌てて魔法の詠唱らしき動作に入っている。

 直後に伸ばした手から黒い炭の塊のようなものが放たれた。


(――来たッ!)


 修介は足を止めアレサの柄を握り直すと、素早く身体を横向きにし、顎を左肩に乗せるようにして上段に構えた。

 それは剣術を習ってからはずっと封印してきたバッティング戦法だった。

 魔法を切り裂くのではなく剣の平で打ち返す――魔剣を手に入れた日から、こういう機会があるかもと、日々の素振りの中にバッティングの練習も取り入れていたのである。ヴァレイラからは奇異な目で見られ、アレサからは『正気ですか?』と言われたが。


「――どっせぃッ!」


 高速で飛来する黒い塊を全力で弾き返す。

 不運なゴブリンが打ち返された魔法の直撃を受け、全身を黒く変色させながら血を吐いて絶命した。

 ゴブリンに当たったのは完全にまぐれだったが、魔法を無効化しただけでなく、魔法を打ち返し、あまつさえそれを敵にぶち当てるという一連の行動に、敵も味方も度肝を抜かれ、完全に動きが止まっていた。

 修介は一気にイリシッドに肉薄する。

 それを阻める者はもはや誰もいなかった。


「喰らえッ!」


 低い体勢から勢いよく放たれた渾身の突きは、イリシッドの触手の間を縫って正確に顎の下を刺し貫いていた。

 イリシッドは「ぐ」と「ぬ」の中間のような奇妙な音と、どす黒い液体を口から巻き散らし崩れ落ちる。

 修介はその頭部に容赦なくアレサを振り下ろして止めを刺した。

 そして、拳を突き上げて大声で叫ぶ。


「――討ち取ったぞおおぉぉッ!!」


 一瞬の静寂の後、傭兵達が一斉に「うおおおーッ!」と歓声を上げてそれに応えた。


 最大の脅威であるイリシッドが倒れたことで、形勢は一気に人間側に傾いた。

 勢いづいた傭兵達は次々と妖魔どもを討ち取っていく。

 だが、修介は一転して危機に陥っていた。

 ひとりで妖魔の群れの中に飛び込んで行ったのだ。イリシッドが倒されたことへの動揺よりも、孤立した獲物を喰らいたいという欲求が勝ったのか、修介は殺意に満ちた妖魔に完全に囲まれていた。

 次々と襲い来る妖魔を必死に斬り倒すも、あまりにも多勢に無勢だった。

 背後からゴブリンに背中を斬りつけられ、修介はもんどりうって地面を転がった。

 傷は浅かったが、倒れてしまったのは致命的だった。立ち上がろうとしたところに二体のオークに飛び掛かられ、抵抗虚しく仰向けに倒される。


「くそがっ!」


 修介は必死に逃れようとするも、二体のオークに圧し掛かられては身動きできるはずもなかった。

 三体目のオークが雄叫びを上げて手にした棍棒を振り上げた。

 それを躱す術を修介は持ち合わせていなかった。すぐに訪れるであろう衝撃を想像し、思わず目を瞑る。


 ――だが、衝撃は訪れなかった。


 代わりに、がつっ、という何かが激しくぶつかる音が響き渡り、身体に圧し掛かっていた圧力が消えた。


 修介の危機を救ったのはゴルゾだった。

 正気を取り戻したゴルゾが包囲網を突破し、大剣で修介に圧し掛かっていたオークを吹き飛ばしたのだ。

 ゴルゾは倒れている修介を一瞥すると「ちっ、生きてやがったか」と悪態をついた。

 何が起きたのか瞬時に理解できなかった修介だったが、背後からゴルゾに迫るゴブリンを見てすぐさま立ち上がり、一刀の元にそれを切り伏せる。そしてそのままゴルゾと背中合わせになって剣を振るった。


 なんでこんな奴と共闘してるのか、そんな疑問を頭の片隅に抱きながらも、修介は目の前に現れる敵と戦い続ける。

 お互いに嫌い合っているのは間違いない。

 一度たりとも目を合わせないし、声も掛けない。当然、連携も糞もない。

 それでも、修介は背後の敵のことは一切気にしなかった。完全にゴルゾに背中を預けて戦っていた。

 たとえ気に食わない相手でも、可能な限り同業者は見捨てない――ゴルゾも冒険者としての不文律をしっかりと守ったのだ。よほど腹に据えかねているのだろう、ひと振りごとに「死ねッ、死ねッ!」と吐き捨ててはいるが。

 そんな悪鬼のごときゴルゾの戦いぶりに恐れおののいたのか、妖魔どもはやがて蜘蛛の子を散らしたように逃げ始めた。


「逃がすな、一匹残らず始末しろッ!」


 ダドリアスの命令で傭兵達は逃げる妖魔を追撃し、その多くを討ち取ることに成功した。運良くその場を逃れられた妖魔も、合流したイニアーとデーヴァン、そして騎兵隊によってほぼすべて討ち取られ、戦いは即応部隊の圧勝で終わった。




「シュウスケっ!」


 ばん、と強く背中を叩かれる。

 振り返ると、ダドリアスが興奮を抑えきれない様子で立っていた。


「よくやった! 本当によくやってくれた! あのイリシッドの魔法をものともしないとは、さすが魔獣討伐の英雄だ!」


「い、いやそんな……たまたま上手くいっただけです」


 修介はそう謙遜してみせたが、興奮を抑えきれずに声が上ずっていた。

 自分の勇気と行動が味方を勝利へと導く切っ掛けとなった。これまで積み重ねてきた経験と努力が無駄ではなかったことが証明されたのだ。

 言葉にできない高揚感に全身が包まれる。

 張りぼての英雄だった自分が、本物の英雄になったのだ。

 傭兵達が次々とやってきては、頭や肩を乱暴に叩いていく。なかには、「イリシッドハンター!」「魔法潰し!」と妙な異名を口にする者もいた。

 みなから口々に称賛され、修介の顔に自然と笑みが浮かんでいた。


 ふと顔を上げると、デーヴァンとイニアーが少し離れた場所に立っていた。

 彼らが無事だったという喜びもあって、修介は柄にもなく大きく手を振った。

 すると、目が合ったイニアーが無言で拳を上へ繰り出す仕草をした。

 勝鬨を上げろ、と言っているのだ。

 修介は一瞬だけ躊躇したが、興奮に後押しされるように力強く拳を振り上げた。


「うおおおおおおぉッ!」


 その声に呼応して周囲の傭兵達も雄叫びを上げた。

 修介は感情の赴くまま何度も叫んだ。そして傭兵達にもみくちゃにされながら、しばし勝利の余韻に浸るのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る