第196話 開戦

 翌日、即応部隊が南から避難してきたと思しき村人の一団と遭遇したのは、太陽が中天に差し掛かろうかという時刻だった。

 村人たちは数名の騎士に護衛されていた。

 その騎士達の所属を聞いてトレヴァーは驚いた。彼らはラハンの街にいるはずのフェリアン配下の騎士達だというのだ。しかも、フェリアン自らが騎兵隊を率い、妖魔の軍勢に先んじて周辺の村に避難するよう呼び掛けているのだという。

 次期領主が自ら危険を冒して村人に避難を呼びかけているというのは、あまりにも常軌を逸していた。勇気というよりは蛮勇と呼ばれる類の行為である。


「ただのお坊ちゃんじゃないとは思っていたが、ここまで大胆なことをするとは……なかなかやるじゃないか」トレヴァーは部下に向かってそう漏らしたものである。


 斥候に出していた部下と、フェリアン配下の騎士によってもたらされた情報によると、妖魔の数は五千を超えており、すでにここから南に一日ほど行った先にあるカシェルナ平原までやってきているとのことだった。

 ただ、その直後にいくつかの集団に分かれ、本隊と思しき約二千を残して方々に散って行ったのだという。


「なぜ妖魔の軍勢はカシェルナ平原で足を止め、方々に散ったのでしょうか?」


 部下の問いかけにトレヴァーは昼食の干し肉を強引に飲み込んでから答える。


「――大方腹が減って餌を探しにでも行ったんだろうよ……ってか俺に聞くな。少しはてめぇの頭で考えろや」


 妖魔に補給の概念などあるはずもなく、それだけの数の腹を満たせる食糧を用意しているとは考えにくい。となれば、食糧はすべて現地調達となる。

 だが、妖魔の軍勢はわずか三日でカシェルナ平原まで到達しており、道中で周辺の村や集落を襲うような時間的余裕があったとは考えにくい。カシェルナ平原は肥沃な土地で、周辺には多くの村や集落が存在している。方々に散った妖魔がこれから周辺の村を襲う可能性は極めて高いだろう。

 そういう意味では、妖魔に先んじて北上したフェリアンの行動は間違いなく多くの民を救う英断だったと言えた。

 ただ、フェリアンの部隊だけですべての村を回ることは不可能である。報告ではフェリアンの部隊はカシェルナ平原の東側の村を回っているとのことだった。


 トレヴァーはフェリアン配下の騎士にそのまま村人達を護衛してグラスターの街を目指すよう伝え、同時に腕の立つ二名の部下をフェリアンの元へ使いに出した。フェリアンがこちらの動きを知っているはずもなく、即応部隊の存在と討伐軍本隊の情報は伝えておかねばならないからである。

 そして自らはカシェルナ平原の西側へ向かう旨を部下達に伝えた。


「フェリアン様の隊と合流しないのですか? 多くの妖魔が方々に散っている今が中央に留まっている敵の本隊を叩く好機だと思われますが……」


 そう進言した部下にトレヴァーは「ばかやろう」と返す。


「優先すべきは民の保護だと言っただろうが。俺らが本隊を潰したところで、その間に周辺の村が全滅したら意味ねぇだろうが。血の気の多い馬鹿は嫌いじゃないが、優先順位を守れない馬鹿は俺の部下にはいらんぞ」


「も、申し訳ありません……」


「本隊が動いてないってんなら足止めする必要もないってことだ。俺らは周囲に散った妖魔から潰していく。やつらは相当腹を空かせているはずだ。急がないと周辺の村が危ない。すぐに出立するぞ!」


「はっ!」


 即応部隊は村人の一団と別れ、カシェルナ平原西部に向けて進軍を再開した。




 トレヴァーの予測が正しかったことは、すぐに証明された。

 即応部隊がカシェルナ平原の北西部にある村にたどり着いた時、村はまさに妖魔の襲撃を受けている真っ最中だった。

 村を囲う柵が打ち破られた形跡があり、中からは激しく争い合う音と、逃げ惑う村人の悲鳴が聞こえてくる。

 さらに、すでに侵入している妖魔の他に、百を超える新手のオークの群れが村目掛けて殺到していた。


「――騎兵隊で後続のオークどもの足を止める。歩兵隊は後に続け。傭兵隊は村の中に入り込んだ妖魔ども片付けろ! いいか、一匹残らずぶち殺せッ!」


 トレヴァーの号令一下、騎兵隊が一斉に突撃を開始する。

 ぶもっ、ぶもっ、と汚らしい声を上げながら突き進むオークの群れの横腹に騎兵槍ランスを構えた騎兵隊が突っ込んだ。馬上から槍を突き刺されたオークが次々と地面に転がっていく。


「す、すげぇ……」


 修介は初めて目の当たりにする騎兵隊の戦いぶりに思わず見惚れる。わずか二十騎とはいえ、その突撃の迫力は想像以上だった。

 オークの群れを側面から喰いちぎった騎兵隊はそのまま弧を描くように反転し、もう一度突撃する。二度の突撃によってオークの群れは大混乱に陥った。

 そこへ歓声を上げて歩兵隊が突入し、次々とオークを討ち取っていく。


「ぼけっとするなッ! 俺たちも行くぞ!」


 ダドリアスの合図で傭兵隊も一斉に村に突入した。

 破壊された柵の間から村に入った修介は、その凄惨な光景に思わず息を飲む。

 村の入口付近には何十という数の人と妖魔の死体が転がっていた。その中のいくつかに複数のゴブリンが群がっている。それが村人の死体であることは確認するまでもなかった。

 傭兵隊の面々がすぐさま死体に群がるゴブリンに攻撃を仕掛ける。

 修介もそれに加わろうとしたところで、すぐ近くから呻き声が聞こえてきて足を止めた。見ると、血まみれの男が仰向けになって倒れていた。


「おい、大丈夫か――ッ!?」


 修介はすぐさま男に駆け寄るも、その傷口を見て絶句する。

 どう見ても致命傷だった。

 即応部隊には二名の神聖騎士の他に、神聖魔法を扱える傭兵がひとり参加している。

 神聖魔法なら助けられるかもしれない――そう考え、修介はその傭兵の名を大声で叫び、倒れている男の手を強く握った。


「今助けを呼んだから、頑張れ!」


 だが、男は小さく首を横に振った。


「お、女子供が、広場の、集会所に……よ、妖魔も、そこへ……たの、む……妻と、娘を……」


「わ、わかったから喋るな!」


 失われゆく命を前に修介は激しく動揺した。

 それを悟られぬよう、もう一度傭兵の名を叫ぶ。駆け付けた傭兵がすぐに神聖魔法を唱えようとしたが、ふいに握っていた男の手から力が抜けた。


「――駄目だ、死ぬなっ!」


 叫びながら男の肩を揺すったが、もう反応は返ってこなかった。

 傭兵がゆっくりと首を横に振った。そして、男の顔を手で覆って目を閉じさせ、短い祈りの言葉を捧げる。


 修介はたったいま目の前で死んだ男の顔を見つめる。

 この男は最期まで家族の身を案じていた。大切なものを守ろうと必死に戦ったのだ。

 だが、それが叶わず命を落とした。

 握った男の手から、その無念が伝わってくるようだった。

 大切なものを守り切れずに死ぬ……今の修介にとって、目の前の現実は到底受け入れられるものではなかった。

 心に激しい怒りの炎が燃え上がる。


「……絶対に許さねぇ……ッ!」


 修介は勢いよく立ちあがると、怒りに身を任せて駆け出そうとした。

 だが、「ちょいと待った」という声と同時に背後から身体を抱え上げられる。首だけで振り返るとデーヴァンに羽交い絞めにされていた。


「なにすんだ、離せッ、デーヴァン!」


「いいから少し落ち着きましょうや。ひとりで突っ走るのは旦那の悪い癖っすよ」


 いつのまにか隣に立っていたイニアーが呆れたような顔で言った。その場にそぐわないのんびりとした口調に修介は憤慨する。


「呑気なこと言ってんじゃねぇ! 村の集会所に妖魔どもが向かったって――この人の家族もそこにいるんだ!」


「だったらなおさら旦那ひとりで行っちゃ駄目でしょうが。侵入した妖魔の数は思ったよりも多い。こっちも頭数揃えなきゃ返り討ちですぜ。俺らは組織で戦ってるんだ。それを忘れたら妖魔と変わんないっすよ」


 その言葉に修介ははっとする。

 これまで感情の赴くままに戦って散々痛い目に遭ってきたことを思い出したのだ。

 ひとりならばそれもいいだろう。だが、イニアーの言う通りひとりで突っ走って殺されてしまえば、それですべてが終わってしまうのだ。

 常に冷静であらねばならないとわかっていても、ちょっとしたことですぐに取り乱してしまう自身のメンタルの弱さに情けなさを覚える。

 修介は逸る心を抑える為、大きく深呼吸をした。それで多少の冷静さを取り戻すことができた。


「……もう大丈夫だ。下ろしてくれ、デーヴァン」


 デーヴァンは修介の頭をぽんぽんと叩いてから、ゆっくりと地面に下ろした。

 修介が落ち着いたことを確認すると、イニアーは大声でダドリアスを呼んで状況を説明した。


「――よし、すぐに広場の集会所へ向かうぞ!」


 ダドリアスの号令で傭兵隊はすぐさま集結し、集会所に向かって移動を開始する。

 だがその時、村の入口から妖魔の雄叫びが聞こえてきた。騎兵隊が討ち漏らしたであろうオークの群れがそのまま村の中へ侵入してきたのだ。


「はっ、騎士団のやつらも案外だらしねぇな」


 鼻で嗤うゴルゾをダドリアスは咎めるように睨みつけたが、特に何かを言うこともなく、すぐに周囲に向かって指示を飛ばす。


「このままでは後背を突かれる。先にあいつらを排除するぞ!」


「おうっ!」


 傭兵隊はオークの群れを迎え撃つべく反転しようした。

 それを「待った」と制止したのはイニアーだった。


「全員が残る必要はないだろう。あんたらは早く集会所へ行け。あいつらは俺と兄貴だけで十分だ。――だよな、兄貴?」


「ああ」


 巨大な戦棍メイスを肩に担いだデーヴァンが大股で前に出る。


「……わかった、ここは任せたぞ」


 ダドリアスは迷わずにそう応じた。

 侵入してきたオークの数は軽く二十を超えていた。さらにその後方にはオーガの姿も見える。たったふたりでそれら全てを相手にするなど、常識で考えれば不可能だろう。

 だが、ダドリアスの判断に異を唱える者は誰もいなかった。

 傭兵兄弟の異名を持つこのふたりの戦士が常識の範疇に留まらない猛者だということを、この場にいる誰もが理解しているからである。特にデーヴァンの強さは王国一の冒険者と謳われるハジュマや、最強の騎士の誉れ高いランドルフにも匹敵するのではないかと噂されているくらいだった。


「イニアー、気を付けろよ! デーヴァンも無茶するなよ!」


 修介はふたりの背に向かってそう声を掛けた。


「その台詞はそのまま旦那に返しますぜ。とにかく冷静に頼んますよ。旦那に死なれると、兄貴の遊び相手がいなくなっちまいますからね」


 イニアーのその言葉にデーヴァンも大きく頷いている。

 修介は「もう大丈夫だ。任せろ!」と力強く応じると、ふたりに背を向けて走り出した。




 傭兵隊がこの場から去ったことを確認すると、イニアーは好戦的な笑みを浮かべて隣にいる兄に声を掛ける。


「……さてと、お仕事の時間だぜ、兄貴」


 だが、デーヴァンは呼びかけに応えず、傭兵隊が向かった先をじっと見つめていた。

 そんな兄の様子にイニアーは苦笑する。


「旦那が心配か? たしかに、あれは戦場じゃ長生きできねぇタイプだな。集中すると前しか見えなくなるから、あっさり背中からやられるってね」


「うう……」


「そんな顔しなくても旦那なら大丈夫だって。悪運だけはやたらとあるみたいだからな」


 それで納得したのかは不明だが、デーヴァンはようやく前を向くと、戦棍を掲げて近づいて来るオークに向かって「オオオオオッ!」と威嚇するように雄叫びを上げた。


「なんだよ、いきなりそんなやる気になっちまって。さっさとここを片付けて旦那のところへ行こうってか?」


 妬けるじゃないか、イニアーは口の中でそう呟きつつも、やる気を漲らせる兄の姿に満足げに頷いた。

 こうなった兄を止められる存在はそうそういない。それこそ上位妖魔のグイ・レンダーでも連れてこない限り不可能だろう。


「さぁ兄貴! 奴らは全員敵だ。敵味方の区別を付ける必要はねぇ。全部ぶち殺せッ! ここにいる妖魔はすべて俺たち兄弟の獲物だッ!」


「オオオオオッ!」


 イニアーの声に応じ、デーヴァンは再び咆哮を上げて押し寄せるオークの群れに正面から突っ込んでいった。

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