第195話 何もない
騎士団の天幕に連行された修介は、なぜかダドリアスとともにトレヴァーと談笑していた。
トレヴァーはダドリアスの監督不行き届きを軽く叱責しただけで、修介に対しては特に何も言わなかった。それどころか、修介の冒険者活動についてやグイ・レンダーとの戦いについてやたらと聞きたがり、それが一段落すると今度は自身の冒険者時代の話や経験に基づいたアドバイスをし始めた。途中からは酒まで振舞われる好待遇である。その強面には終始にこやかな笑顔が張り付いたままでかえって不安を煽られたが、その後は何事もなく、修介は頭に大量の『?』を付けたまま解放された。
天幕を出るとダドリアスが疲れた顔で声を掛けてきた。
「頼むからあまり問題を起こしてくれるな。ただでさえ俺は冒険者上りの新参者で部隊内では肩身が狭いんだ」
「すいません……」
輸送部隊の一件でも彼には相当な迷惑を掛けてしまった自覚があるだけに、修介は素直に頭を下げた。
聞いた話によると、騎士団には出身によって派閥があるらしく、貴族出身が多い訓練場上がりの派閥と、現場たたき上げの歩兵出身の派閥。そして少数ながら冒険者出身の派閥があるらしい。冒険者出身のダドリアスが、そのしがらみの中で色々と苦労しているであろうことはなんとなく想像がついた。
当の本人は空を見上げながら「まったく、せっかく騎士になったってのになんで傭兵隊のお守なんだ」とぼやいている。
修介は申し訳ないなと思いつつも、とりあえず抱いていた疑問を口にした。
「それにしても、なんで俺、お咎めなしだったんですか?」
ダドリアスは自分が無意識のうちに愚痴をこぼしていることに気付いたのか、慌てて咳払いをしてから口を開く。
「傭兵同士の喧嘩をいちいち咎めたりはしないさ。まぁさすがにあれだけ派手な騒ぎになったら止めざるをえんが、元々トレヴァー騎士長は喧嘩を止めに行ったのではなく、君に会いに行ったんだ。そこでたまたま君たちが喧嘩をしてたってだけの話だ」
「……俺に会いに?」
修介は首を捻る。トレヴァーとは直接面識はない。騎士長の立場にいる人間がわざわざ一介の冒険者に会いに行く理由が咄嗟には思い浮かばなかった。
そんな様子の修介に、ダドリアスは大袈裟にため息を吐く。
「君は自分の立場に少々無頓着が過ぎるようだな。魔獣ヴァルラダン討伐戦や、その後の君の活躍ぶりは騎士団内でも話題になっているくらいなんだ。冒険者出身のトレヴァー騎士長が君に興味を抱くのは当然だろう?」
言われて修介も納得がいった。先日も似たような理由で領主グントラムに呼び出されたばかりである。先ほどのゴルゾにしたって、修介が名を上げているのが面白くないからこそ絡んできたのだろう。実績を積み重ね、名を売るというのは、そういうことなのだ。
「ああ見えても義理堅い人だからな。あれでヴァルラダン討伐戦での借りを返したつもりなんだよ」
「そういうことでしたか」
「とはいえ乱闘騒ぎの主犯をまったくのお咎めなしで帰したとなると風聞がよろしくないからな。隊に戻る時はせいぜい油を搾られた体で戻ってくれ」
「わかりました」
修介は隊の元へ戻ろうと踵を返しかけたが、ダドリアスが何か言いたそうな顔をしていることに気付いて足を止める。
「……まだなにか?」
「あ、いや、ゴルゾのことなんだがな……」
その名前を聞いて修介は露骨に不快感を露わにする。この世界で一番嫌いな奴は誰かと問われたら真っ先に名前があがるくらいにはゴルゾを嫌っていた。今回の件で、その思いはより一層強くなった。
「さっきの乱闘……君は自ら主犯だと名乗りを上げていたが、実際のところは彼が原因なんだろう?」
「たしかに絡んできたのは向こうですが、先に手を出したのは俺ですから」
修介の言葉にダドリアスは疲れたように首を横に振った。
「……彼が過去に君にしたことについては色々と噂は聞いているよ。君が彼のことを快く思っていないのは当然だろう。しかし、それを承知で、今回の件は俺の顔に免じて水に流してくれないか?」
「ダドリアスさんがそれを言うのは筋違いでしょう。向こうが謝ってくるなら考えなくもないですが、はっきり言って俺はあいつを許すつもりはありませんよ」
修介はきっぱりと言い切った。自分が馬鹿にされる程度ならばまだ我慢できたが、相棒であるヴァレイラを侮辱されたことについて許すつもりは毛ほどもなかった。
「君の気持ちはわかるつもりだ。それでも俺は隊を預かる者として、戦いを前になるべく部隊内にしこりを残しておきたくないんだ。彼と協力し合えとは言わないが、これ以上の揉め事は起こさないようにしてくれないか?」
まるでそっちが折れろと言わんばかりのダドリアスの言い様に、さすがの修介も気色ばむ。
「それを俺に言われても困りますよ。少なくとも向こうから絡んでこなければ、俺からどうこうするつもりはないんですから。
……それとも、ダドリアスさんは俺が戦いのどさくさに紛れてゴルゾを背後から襲うとでも考えてるんですか?」
「そんなつもりはない! すまん、俺の言い方が悪かった」
ダドリアスは深々と頭を下げた。
「いえ、俺の方こそ言い過ぎました。
……でも、なんでダドリアスさんがそこまでゴルゾの奴を庇うんです?」
「庇っているわけじゃないんだ。君も知っての通り、あいつは女癖は悪いし、酔うと誰彼構わず喧嘩を売るし、おまけに人の成功を妬むどうしようもない奴だ。だが、性格に難があっても、その実力は本物だ」
修介は憮然としながらも頷いた。
たしかに今日の喧嘩も止められていなければ負けていたのは自分の方だった。この一年間、真面目に鍛え続け、多くの実戦を潜り抜けてきただけに、ひょっとしたら勝てるかもと考えていたが、ゴルゾはそんな生易しい相手ではなかった。
「――妖魔の軍勢はいまだにその規模はわかっていないが、入ってきている情報では少なくとも数千はいるとのことだ。間違いなく激しい戦いになるだろう。だからこそ、君との折り合いが悪いのをわかっていて、俺はあいつにも声を掛けたんだ」
修介がゴルゾに絡まれた遠因は自分にある、とダドリアスは言いたいのだろう。ただ、彼の態度は隊長としての責務から来るものではなく、どちらかと言えば友人を慮っているように修介には感じられた。
ダドリアスは修介の表情から何かを感じ取ったのか、気まずそうに言葉を続ける。
「……実はな、ゴルゾとは同郷なんだ。以前はコンビを組んでいたこともある」
これはまた意外な繋がりが出てきたな、と修介は驚く。無論、顔には出さない。
ダドリアスは「俺がこの場であいつのことを勝手に語るのは良くないんだろうが」と前置きしたうえで話し始めた。
「……あいつは数年前に嫁さんを病で亡くしていてな。さらに、残された一人娘も同じ病を患っているんだ。神聖魔法でも完治できないらしく、定期的に治療を受けねばならないらしい。当然神殿での治療には金が掛かるし、薬代も馬鹿にならんだろう。得ている報酬のほとんどは娘さんの治療代に消えてるって話だ。今回も詳しい依頼内容も聞かずに報酬額を聞いただけ話に乗ったくらいだ。ああいう性格だから問題を起こしてばかりだが、あいつにはあいつなりに守りたいものがあって今回の戦いに参加しているということだけはわかってやってほしい」
「……そうですか」
そんなこと言われても困る、というのが修介の率直な感想だった。
だが、同時にある意味では納得もしていた。ゴルゾが危険な魔獣ヴァルラダン討伐戦に参加していたのも、今回の即応部隊に参加しているのも、単に金や名声を得る為ではなく、娘を守る為なのだ。ダドリアスの言う通り、ゴルゾにはゴルゾの守りたいものがあり、戦う理由があって当然なのだ。
それがわかったところで相棒を侮辱されたことを許すつもりはなかったが、ダドリアスの話を聞いたせいで、共に守りたいものの為に戦う同志であるという認識を植え付けられてしまったのはたしかだった。
そこまで計算して話をしたのだとしたら、ダドリアスという男はとんだ食わせ者だと修介は思った。そうでなくては傭兵隊の隊長など務まらないのかもしれないが。
修介が黙りこくってしまったのを受けて、ダドリアスは「すまん、余計なことを言ってしまったみたいだな。俺もだいぶ余裕を失ってしまっているらしい。忘れてくれ」と言った。
それに対して修介は「忘れませんよ。忘れたらうっかりゴルゾの奴を背中から斬ってしまうかもしれませんからね」と冗談めかして、その場を後にした。
ダドリアスと別れた修介は、少し頭を冷やそうと、まっすぐ傭兵隊の野営地には戻らず適当にあたりをふらつくことにした。
ヴァレイラを侮辱された怒りは、派手に暴れたおかげで一応は収束していた。
だが、落ち着きを取り戻した途端、ゴルゾが放った言葉がしつこく脳内を駆けまわっていた。
――あの女はな、組んだ相棒をふたりも死なせてるんだよ。
その言葉を鵜呑みにしたわけではないし、仮に事実だったとしても、ヴァレイラへの信頼は微塵も揺らいではいない。
仲間の死は冒険者として戦い続けていれば誰にでも起こりえることだ。彼女が他人を盾にするどころか庇って倒れてしまうような奴だということは、共に戦っている修介が一番よく知っていた。
むしろ、出会った当初の彼女の無謀な戦い方や、コンビを組む際に誰かの為に戦おうとする修介の態度に忌避感を示した、その理由の一端を知ることができたと前向きに考えられていた。
問題は自分自身の側にあった。
(俺はヴァルのことを何も知らないよな……)
それは彼女に限った話ではない。サラやノルガドといった他の仲間についても、修介はほとんど何も知らなかった。
たしかに冒険者は互いの過去には不干渉であることを求められたが、修介はそれを言い訳にして意識的にその手の話題に触れないようにしていた。
無関心なのではない。怖いのだ。
他人の過去を知ろうとすれば、必然的に自分の過去についても話さなければならなくなる。
だが、修介はこの世界の人間ではなく異世界からの転移者である。つまり、この世界で積み重ねてきたもの――話せる過去が何もないのだ。そして、記憶喪失などという嘘で塗り固めた設定で周囲に壁を作っている。
やむを得ない部分があるとはいえ、人との絆を求める人間の在り方として、これほど矛盾していることもそうそうないだろう。ゴルゾに殴られた傷の痛みよりも、その事実の方がよほど痛かった。
気が付くと、傭兵隊の野営地まで戻って来ていた。
「お勤めご苦労さんです」
待ち構えていたかのようにイニアーに声を掛けられる。その隣にはデーヴァンの姿もあった。
「なんか色々と迷惑を掛けてすまなかったな」
そう言ってふたりに頭を下げると、デーヴァンにぽんぽんと頭を撫でられた。おそらく「気にするな」と言ってくれているのだろうと解釈し、修介は「ありがとう」と礼を返した。
「それにしても、まさか旦那があのゴルゾに喧嘩を売るとは驚きましたぜ」
イニアーが感心しているのか呆れているのか判別し難い顔で言った。
「別に売りたくて売ったわけじゃないって」
「おかげで面白いもんを見させてもらいましたよ。もっとも、途中で邪魔が入ったせいでこっちは儲け損ねちまいましたがね」
「邪魔が入らなかったら今頃俺はぼこぼこにされてたっての。……っていうか儲け損ねたって、賭けに参加してたのかよ!」
「そりゃ参加するに決まってるでしょうが」
「決まってるって……」
溜息を吐く修介に、イニアーは悪びれる様子もなく言葉を続ける。
「ま、なんにせよ無事に釈放されたみたいで何よりですぜ。あの部隊長は軍律違反を犯した奴には相当厳しい罰を与えることで有名みたいですからね」
「お、おう……」
罰を受けるどころか歓待された身としては信じられない話である。とはいえ、それを言うわけにもいかないので、修介は露骨に話題を変えた。
「――ところで、参考までに聞いておきたいんだが、イニアーは俺とゴルゾ、どっちに賭けたんだ?」
「それはもちろんゴル――って、そんな過去の話はどうでもいいじゃないっすか。それよりもあっちで飲みなおしましょうや」
そう言うとイニアーは逃げるようにそそくさと歩きだした。
すると、デーヴァンが「うう」と唸り、修介の肩を叩いてから自分自身を指さした。おそらく「俺はお前に賭けた」と主張しているのだろう。
「ってか、デーヴァンも賭けに参加してたのかよ……」
「ああ」
「それなのに喧嘩に加わっちゃ駄目じゃないか」
「うう……」
「でもおかげで助かったよ。ありがとな、デーヴァン」
「ああ」
デーヴァンは珍しくそれとわかる笑顔を浮かべると、イニアーの後を追って大股で歩いて行った。
その背中を追いかけながら、修介は自分が無意識に笑っていることに気付いた。
彼らとのくだらないやり取りが、思った以上に気持ちを軽くしてくれていた。
なんてことのない日常の一コマが大切な思い出になる。一度死んで全てを失ったからこそ、誰よりもそのことを知っているはずなのに、すっかり忘れていたのだ。
修介は大きく深呼吸をする。
語れる過去がないのならば、これから作っていけばいいのだ。
その為にも今は目の前の戦いのことだけに集中しよう。
妖魔どもを倒し、グラスターの街を守る。
守れなければ、思い出を積み重ねていくこともできないのだから――
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