第193話 即応部隊

 東の空が白み始めた頃、大きな軋み音を上げながら街の南門がゆっくりと開かれていく。

 門の周辺には夜明け前にもかかわらず多くの住民が押しかけていた。彼らの視線の先にいるのは、完全武装した兵士達の一団だった。

 即応部隊と呼ばれるこの兵団は、グラスター領内で大規模な妖魔の襲撃が発生した際に、すぐに現地に駆け付けられるよう常駐している部隊である。そのことを知っているが故に、見守る住民たちは一様に不安そうな表情を浮かべていた。


 南の大森林に異変が生じたという情報は、各所に設置された狼煙によってすぐにグラスターの街にも伝わっていた。ただ、具体的に何が起こったのかまでは狼煙ではわからない。遠方と連絡が取れる魔道具『伝言箱』があれば話は別だが、伝言箱は希少故に領内では王都との連絡用として領主の屋敷にしか置かれていない。

 早馬によって妖魔の群れが領内に侵入したという報告がもたらされたのは、砦が陥落してから三日後のことだった。しかも、妖魔の群れの規模や、その目的といった情報は依然不明のままである。

 そこで、領主グントラムは情報収集と領民の保護、そして討伐軍の編成が完了するまでの時間稼ぎの為に即応部隊に出動を命じたのである。


 即応部隊は二〇名の騎兵と六〇名の歩兵で構成されており、騎士団の中で最も多くの実戦を経験している精鋭部隊だった。全員が金属鎧ではなく革鎧を身に付けているのは機動力を重視している為である。

 そんな即応部隊の後方には傭兵の姿もあった。傭兵は戦いの規模や相手によって雇われたり雇われなかったりする、いわば臨時の兵士である。今回は戦力不足を補う為に急遽三〇名ほどの傭兵が集められていた。

 彼らは思い思いの装備に身を包み、即応部隊の後方におざなりに並んでいる。


 ――その最後尾に、修介はいた。


 昨晩、情報を得ようと冒険者ギルドに向かった修介は、結局ギルドの営業時間内に間に合わず、入口の前で途方に暮れることになった。

 諦めて帰ろうとしたところ、ちょうど中から出て来た男に声を掛けられた。

 その男とは、かつて先発隊で指揮官を務めたダドリアスだった。

 久々に会ったダドリアスは正式な騎士の甲冑を身に纏っていた。先の輸送部隊の一件でその活躍を認められ、つい最近騎士として登用されたのだ。そのことは修介も知っていたが、彼が即応部隊に抜擢されていることまでは知らなかった。

 ダドリアスは傭兵隊の隊長として傭兵を雇う為の諸々の手続きをしにギルドを訪れていたのである。

 冒険者ギルドは傭兵の斡旋も行っているのでそれ自体は別におかしな話ではない。おかしな点があるとすれば、ダドリアスの態度そのものだった。

 彼はあきらかに焦っていた。

 修介は南の街道ですれ違った騎士の話を持ち出し、ダドリアスに何が起こっているのかを問いただした。

 ダドリアスは苦い表情で南の地で起きた出来事を修介に説明した。本来であれば部外者に口外厳禁であろうその情報を彼が語った理由は至極単純だった。

 ダドリアスは修介に対し、傭兵として即応部隊に参加してほしいと、そう要請したのである。

 修介はその要請を迷うことなく承諾した。




「――おい、あの黒髪の奴、シュウスケじゃないか?」


 住民のひとりが、隊列の後ろにいる修介を指さしながら声を上げた。


「……本当だ。あの冒険者シュウスケが傭兵として参加しているのか!」


「魔獣ヴァルラダンから討伐軍を救った英雄! 彼がいるなら勝利は疑いないぞ!」


 それらの声に反応して周囲の住民達も騒めきだす。


(なんで俺に注目するんだよ……)


 住民たちの視線を一身に集めた修介は、居たたまれなくなって思わず首をすくめた。

 自分がこの街でそこそこ有名人になっているのは知っていたが、だからと言って目立ちたいわけではない。変に注目されるのは勘弁願いたいところだった。


「さすがは旦那、人気あるんすねぇ。手でも振り返してやったらどうっすか?」


 前に立っている軽薄そうな男が振り返ってからかうように言った。その隣では巨漢の男がつまらなそうに大きな欠伸をしている。

 彼らは傭兵兄弟という通り名でその界隈では名の通った傭兵だった。巨漢の男が兄のデーヴァン。軽薄そうな男が弟のイニアーである。

 修介はかつてこのふたりとパーティを組んで共に戦った経験があり、今ではすっかり打ち解け、気の置けない仲間となっていた。

 彼らがここにいるのは、言うまでもなく即応部隊に参加しているからだった。即応部隊の仕事は高額な報酬が約束されている。傭兵稼業を生業とする彼らにとって魅力的な仕事なのは間違いないだろう。


「人気で戦いに勝てるんならいくらでも振ってやるけどな。むしろ、そんなしょうもないことで騎士に目を付けられるのはごめんだよ……」


 修介はイニアーの肩越しにちらりと前を見る。

 数人の若い騎士がこちらを睨みつけてきていた。騎士を差し置いて冒険者が注目を集めているのだから、彼らからすれば面白くないのは当然だろう。

 騎士と冒険者が不仲なのは修介も知っていたが、出陣の直前に揉め事を起こしてわざわざそれを証明するのも馬鹿げた話だった。


「よし、全員聞け!」


 最前列にいる騎士のひとりが馬首を巡らし声を張り上げた。

 即応部隊の指揮官トレヴァーである。三十代半ばくらいの筋骨たくましい男で、一介の冒険者から騎士に取り立てられ、騎士長にまで出世したという異色の経歴を持つ。ヴァルラダン討伐戦では左翼の指揮官として冒険者部隊を率いていたので、修介も顔だけは知っていた。


「これより我々は南の地に赴き、なんの断わりもなく領内に侵入してきたクソッたれな妖魔どもに鉄槌を下しに行く! 日頃から安全な防壁に囲まれて惰眠をむさぼっている貴様らが役に立つ数少ない機会だ。せいぜい派手に暴れて自らの存在価値を示せ!」


 最前列にいる騎士達から「おっしゃーッ!」「一匹残らずぶっ殺してやるぜ!」と下品な声が次々と上がった。

 トレヴァーは片手を上げてそれを制し言葉を続ける。


「貴様らがやる気に満ち溢れていて俺も嬉しい。だが、決して優先順位を誤るな! もっとも優先すべきは領民の保護だ。うまくすれば不細工な貴様らでも美しい村娘を嫁に貰えるかもしれんぞ!」


 再び「おおーっ!」という歓声が上がる。

 どうやら、これが即応部隊のノリのようだった。


「士気だけは異様に高いっすね」


 イニアーが率直な感想を口にする。


「士気は高いに越したことないだろ」


 そう返しながらも、修介は騎士とは思えぬトレヴァーの発言に呆気に取られていた。以前耳にしたマシューやランドルフの真面目な訓示とは真逆である。

 とはいえ、即応部隊はトレヴァーの発言とは裏腹に、騎士団内でもっとも過酷で危険な任務を請け負う実戦部隊として有名だった。

 名誉と格式を重んじる騎士団にあって、その奔放な言動が度々問題視されてはいるが、その実力は折り紙付きであり、長年即応部隊を率いて多くの領民の命を救ってきたトレヴァーは領内で高い人気を誇っているのだ。

 部隊に配属された兵士達は、最初こそトレヴァーの非常識な言動に眉をひそめるものの、彼と戦場を共にしていくうちに徐々に感化され、気が付けば部隊の色に染まっているのだという。


 トレヴァーの訓示は依然続いていたが、イニアーは早くも興味を失ったのか、振り返って修介に話しかける。


「それにしても、旦那が即応部隊に参加してるとは驚きっすね」


「なんでだよ?」


「旦那は女の為にしか動かない男だと思ってましたからね」


 何気に聞き捨てならない言われようだったが、ここでむきになるのはイニアーの思うつぼだと考え、修介は無理やり悪そうな顔をしてみせる。


「何言ってんだよ、今の状況は領内にいる全ての美女の危機だろうが。そりゃやる気にもなるってもんだろ」


「はっ、そいつは違えねぇ」


 イニアーが声を上げて笑うと、デーヴァンもつられて「あーあーあー」と笑った。

 それを聞き咎めた歩兵のひとりが振り返って非難がましい目を向けてきたが、相手が巨漢のデーヴァンだとわかって慌てて前を向いた。


「俺はむしろイニアーたちがまだグラスターに残っていたのが意外だったよ」


 修介の言葉にイニアーは肩をすくめる。


「いやぁ、最近は西で傭兵やるよりもこっちで妖魔を狩ってたほうがいい稼ぎになるっすからね。兄貴もこの街が気に入ってるみたいだし、しばらくはこっちで稼がせてもらうつもりっすよ。な、兄貴?」


 話を降られたデーヴァンは「ああ」と答えた。

 修介はデーヴァンとイニアーを見比べながら「そっか」と返した。

 彼らにとっては領の存亡をかけた戦いも、金を稼ぐための仕事のひとつに過ぎないのだ。むしろ傭兵としてはそれが正しいのだろう。

 戦う理由など人それぞれなのだ。

 修介自身、自分がダドリアスの要請をあっさりと受け入れたことに驚いていた。

 半年前ならば間違いなく断っていただろう。仮に引き受けたとしても、それは相当悩んだ末でのことに違いない。

 無論、レナードの無事を確かめたいという気持ちはあった。義兄弟の契りを結んだ友の危機を黙って見過ごすことなどできるはずがない。

 しかし、即応部隊に参加したからといって、それが果たせるという保証はないのだ。即応部隊の目的は砦の奪還ではなく、侵入してきた妖魔に対処することだからだ。

 それでも修介は迷うことなく即応部隊に参加することを選んだ。

 その理由は、はっきりとはわからない。

 ひとつだけわかっていることは、大切な人達が暮らすこの街を守る為に戦うことを、自分がごく自然に受け入れているということだった。

 先日領主グントラムと会ったことが影響しているのかもしれない。我が身よりも領地と民の為に戦い続ける彼の生き方に強い感銘を受けたのはたしかだった。

 この場にいる傭兵や騎士は皆、様々な想いを抱えて戦いに赴く。

 それが正義であれ悪であれ、戦は理由に関係なく多くの命を奪っていく。もしかしたら自分もこの戦いで死ぬかもしれない。なればこそ、自分が納得のいく理由で戦いたいと、そう思わずにはいられなかった。


 ふと、修介は魔獣ヴァルラダン討伐軍への参加を決めた時のことを思い出した。

 あの時、自分を駆り立てたのは魔獣に対する怒りだった。逆に言えば、怒りの力を借りなければ恐怖を克服できなかったということでもある。

 だが、今回は違う。

 衝動的な感情ではなく、明確な意志を持って戦いに赴くことを選んだ。戦うこと、死ぬことを誰よりも恐れていたはずの自分が、こうして自ら率先して戦に赴こうとしているのだ。

 不思議な感覚だった。

 恐怖はあったが、それを上回る戦意が背中を押してくれていた。

 修介は、ようやく自分がこの世界に住む人たちと同じ地平に立てたような気がして、それを誇らしく感じていた。




「ところで旦那、変態女は一緒じゃないんすか?」


 イニアーの声で修介の思考は現実に引き戻された。


「ああ、急な話だったからな、今回は声を掛けてない」


「……それ、やばいんじゃないっすか?」


「そう思う?」


「旦那が変態女にボコされる未来しか見えないっすね」


「殴られるくらいで済めばマシだろうな……」


 修介は想像して思わず身震いする。今回の依頼のことを伝えれば、間違いなくヴァレイラは自分も参加すると言っただろう。黙って行ったと知れば、烈火のごとく怒ることは想像に難くない。

 とはいえ、修介は最初からヴァレイラを誘うつもりはなかった。病み上がりの彼女を戦場に引っ張り出すわけにはいかないからだ。そんな理由で声を掛けなかったと知られれば彼女を余計に怒らせるだけとわかっているので、修介は「時間がなかった」の一点張りで押し通すつもりだった。


「ま、変態女は別にいいとして、怒るという意味ではサラ嬢ちゃんのほうがやばそうな気がするっすけど、そっちにはちゃんと伝えてあるんで?」


 サラの名前を聞いて、修介の表情が一瞬で固まる。


「……いや、言ってない」


「旦那ぁ……」


 イニアーが呆れたような視線を向けてくる。


「な、なんだよ?」


「あの嬢ちゃんは旦那のことになると目の色が変わるんすから、こういうことはちゃんと言っとかないといかんでしょうが」


 隣のデーヴァンも同意だと言わんばかりに大きく頷いた。


「だから時間がなかったんだって!」


 修介はむきになって言い返した。

 修介がサラに伝えなかったのは、彼女を危険な戦いに巻き込みたくないという完全なる私情だった。

 サラの魔術師としての実力は本物で、魔法の力は戦場で間違いなく大きな助けになるだろう。自分よりもよほど役に立つのは間違いない。

 それでも修介はサラに戦場に立ってほしくないと思った。それが一方的な気持ちの押し付けであることはわかっていたが、どうしても無理だった。


 イニアーは修介の表情から何かを察したのか、「まぁ魔術師は戦場では真っ先に狙われるから、来ないってのは正解でしょうがね」と取って付けたようなフォローを入れてから、ぽんっと修介の肩を叩いた。


「大丈夫っすよ、女なんざ大金の入った報酬袋を目の前に放ってやりゃあ、あっという間に機嫌を直してくれますぜ」


 今の日本でそれを言ったら間違いなく炎上案件だな、と修介は思ったが、この場はイニアーのその気遣いに乗ることにした。


「いや、サラは金持ちのお嬢様だから、金じゃ機嫌は直らないって」


「んじゃ、きつく抱きしめてから押し倒せばいいんすよ。大抵のことはそれでうやむやにできますぜ」


 それは意外と効果がありそうだと思ったが、やったら最後、引き返せないところまで行ってしまうので、本気で実行するわけにはいかないだろう。修介は「考えておくよ」と適当にお茶を濁した。


 ちょうどその時、「出陣!」というトレヴァーの声が響き渡った。

 ゆっくりと前列の騎士達が進み始める。


「さて、がっぽりと稼がせてもらうとするか! な、兄貴?」イニアーがそう声を掛けると、デーヴァンが「ああ」と応じた。


 住民たちの激励の声を背に受け、即応部隊は南門を抜ける。

 修介は一度だけ街を振り返った。

 ふと、サラの顔が思い浮かんだ。

 なぜだろうか、もう二度と彼女に会えないような、そんな嫌な予感に苛まれた。

 一緒にアイナの冒険者登録をしに行くという約束をすっぽかしてしまったことへの後ろめたさがそうさせるのかもしれない。


(……帰ったらちゃんと謝ろう)


 そう思ったところで、修介は自分が死亡フラグのようなものを立ててしまっていることに気付き、苦笑するのだった。




 王国暦三一六年五月。

 十数年ぶりとなる人と妖魔の大規模な戦が始まろうとしていた。

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