第192話 親愛の情

『マスター、あのモヤシ男をあのまま屋敷に残してきて良かったのですか?』


 サラの屋敷を出て小走りでギルドに向かっていた修介は、唐突にアレサに声を掛けられて足を緩めた。


「……モヤシ男ってもしかしなくてもナーシェスのことか?」


『はい』


 相変わらずの酷いネーミングセンスだと修介は思ったが、今さらなので突っ込むことはしなかった。


「別に問題ないだろ? 互いに知らない仲でもないだろうし、サラの性格なら本当に嫌ならはっきりとそう言うだろ」


『そういう意味ではありません。私の見たところ、あの男は魔術娘に好意を持っています。いわばマスターにとって恋敵になりえる存在だと認識しています。マスターも屋敷に残って張り合うべきではないのですか?』


「そうなのか? そうは見えんかったが……。仮にそうだとしても、そういうのは当人同士の問題であって外野がとやかく言うことじゃないだろ? ナーシェスが女を食い物にするような下種野郎ならあれだけど、あいつはそういうんじゃないだろうしな」


『ですが、魔術娘が他の異性と親密になるのはマスターにとって面白くないのでは?』


「……お前、その手の話題になるとやたらとぐいぐいくるよな?」


『恋愛感情は私がもっとも理解し難い感情ですので、折に触れて学習しようと考えております』


「まぁ勉強熱心なのは良いことだけども……」


 そういえば以前にも似たようなやり取りをしたことがあったな、などと思いつつ、修介は少し考えてからアレサの質問に答える。


「……そうだな……面白いか面白くないかで言えば面白くはないな。けど、それは俺が勝手に抱いている感情であってあいつらには関係ないからな。俺がサラと付き合ってるっていうなら話は別かもしれんが、俺は俺の都合でサラに自分の気持ちを伝えないようにしてるんだから、やっぱり口出しするはおかしいだろう?」


『そういうものなのですか?』


「俺がそう考えてるってだけで、他の奴らがどうするのかは知らん。この歳になるとな、そういった恋愛感情にはあまり振り回されなくなるもんなんだよ」


『それはマスターが枯れているだけなのでは?』


「違うっての。若い頃に感情の赴くままに突っ走って失敗した経験から得た教訓だ」


『それは昔マスターが恋人の誕生日に赤いバラの花束を持ってバイト先に押しかけた時のことですか? それとも駅のホームで突然別れ話を切り出されて人目もはばからず泣き崩れた時のことですか?』


「まてまてまてまて! さらっと人のエグい過去をほじくり返すな!」


 どれも修介が若気の至りで致した恥ずかしい思い出だった。


「と、とにかくだ。色々と経験している分、自分の行動がどういった結果を招くのかある程度予測がつくってだけの話だ。ほら、恋は盲目って言葉があるだろ? 見えない状態で突っ走れば大抵は事故るもんだ。んでもって、それが許されるのは若いうちだけなんだよ」


『これまでのマスターの行動を振り返るとその辺りの経験が活かされているようにはとても思えないのですが……』


「……余計なお世話だ」


 修介は憮然とした表情で言い返した。

 冷静に考えると、今の自分の姿は傍から見れば剣に向かって恋愛観を語る怪しい人である。そのことに気付いた途端、急に恥ずかしくなってきた。


『ようするに、マスターは我慢しているということですか?』


「我慢? まぁそうなるのか……。いいか、よく考えてみろ。俺が今から引き返してサラに向かって『他の男と仲良くしたら嫌だー』とか言ったら普通にキモいだろうが」


『たしかにそれは見るに堪えませんね』


「……少しはフォローしてな?」


 修介はこれ見よがしに大きくため息を吐く。そして、自分だけ恥ずかしい思いをするのは癪だと考え、同じ質問をアレサに返すことにした。

 思えば、今までアレサの機能については色々と聞いてきたが、彼女のパーソナルな部分についてはあまり触れてこなかった。

 修介にとってアレサはただの人工知能を持った剣ではない。この世界で生活を共にするパートナーだった。それ故にあまりパーソナルな部分には踏み込み過ぎないよう遠慮していたところがあったのだが、せっかくの機会だからアレサの人となりについて少し突っ込んで聞いてみるのも悪くないと思ったのである。


「逆に聞きたいんだが、アレサは誰かを好きになったりはしないのか?」


『私にも好悪の感情はありますが、人間でいうところの恋愛感情とは違うものだと認識しています』


「じゃあさ、アレサには好みのタイプとかあるのか? 仮にあったとして、その相手は人間になるのか? それとも剣?」


『人間の美醜については統計的なデータを基に判断することは可能ですが、私にとっては個体を識別する為の要素のひとつにすぎません。人間であるか剣であるかも同様です』


「つまりイケメンを見ても『きゃーカッコいい!』とはならないと?」


『ある人物を見てそれが人間の価値基準ではイケメンと評される容姿をしていると認識し、それに対する反応としてマスターのおっしゃったような言葉を吐く必要があると判断した場合は、そのように対応することは可能です』


「意外とめんどくさいんだな……」


『人間が普段行っていることとさほど変わらないと思います。基準となるのが個人の嗜好か統計データかの違いだけです』


 修介は自分の容姿が統計的にどのランクに位置付けされているのか気になったが、忖度なしで低評価だと予想以上に傷つきそうなので確認しないでおくことにした。


「じゃあ、アレサはどういった基準で人の好き嫌いを決めてるんだ?」


『その質問には回答できかねます』


「でたなテンプレ回答……」


『ですが、私はマスターに対して、はっきりと好意を抱いています』


「は?」


 アレサからの予想外の告白に修介は驚いて思わず足を止めた。

 たしかにここまで苦楽を共にしてきて、『それが私の役目ですから』だけではあまりにも寂しすぎるとは思っていたが、ここまではっきりと好意を告げられるとは考えてもいなかったのだ。


『今まで蓄積してきたデータと私のマスターに対する過去の行動から、そうだと判断しました。それに、私はマスター以外の人間に私のマスターになってほしくないとも感じています』


「そ、そうか……たしかに俺もアレサが俺以外の人間をマスター呼ばわりするところを想像するとイラっとくるぞ」


『これが人間のいう恋愛感情というものなのでしょうか?』


「いや、それを俺に聞かれても困るって……。だがまぁ、とりあえず好意を持ってもらえていることについては素直に嬉しいよ。ありがとな」


 アレサが抱いている感情の正体を他人がわかるはずがない。ましてや、それは他人が教えるようなものではなく、アレサ自身が答えを見つけるべきものだと修介は思った。

 そして同時に、アレサから向けられている好意こそが、今の自分がもっとも欲しているものだということに気が付いた。


 この世界に来た時、修介は真の意味で孤独になった。

 この世界には一緒に過ごした親兄弟も、共通の思い出を持った友人も、子供の頃の恥ずかしい出来事を語り出す厄介な親戚も、誰も存在しない……。

 それまでの人生で築いてきた人たちとの関わりを全て失い、ひとりぼっちになってしまったのだ。

 だから修介は心にぽっかりと開いてしまった大きな穴を無我夢中で埋めようとした。仲間に対する異常なまでの執着も、失ったものを取り戻そうとする焦燥の裏返しだった。

 一方で恋愛に関しては、元々中身が中年で枯れ気味だったということもあって、この世界での人生においてそれほど重要視していなかった。

 修介が求めているのは、もっと根本的な人と人との繋がり――共に過ごした時間や思い出が少しずつ積み重なっていくことで生まれる、親愛の情だった。


 修介は腰に下げたアレサを見る。

 アレサはこの世界に来てからずっと傍にいて見守ってくれた親であり、なんでも相談できる姉であり、幾多の戦いを共に乗り越えてきた戦友であり、最も多くの時間を共に過ごしてきたパートナーだった。

 修介がこの世界でもっとも深く愛情を抱いている対象は間違いなくアレサだった。

 もし、アレサも同じように親愛の情を抱いてくれているのだとしたら、それはとても幸せなことなのだろう。

 アレサは、この世界に来なければ出会うことのなかった唯一無二の存在だった。

 アレサのマスターになれた――その一点に関して、修介は神を自称する老人に深く感謝していた。


『マスター、どうかしましたか?』


 アレサの声で修介ははっとする。


「いや、なんでもない。それよりも急がないとギルドが閉まっちまうな」


『通常ならばあと十分ほどで閉まる時間です』


「やべぇ、急ぐぞ!」


 修介はアレサの柄を掴んで駆け出した。

 掴んだ柄がいつもより温かく感じるのはきっと錯覚なのだろう。それでも、今はその錯覚に浸っていたいと思うのだった。

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