第191話 修介とサラ
「あいつ、結構いい家に住んでるんだなぁ……」
修介は立派な作りの門を見上げながら感心したように呟いた。
さすがに領主の屋敷とは比べるべくもなかったが、サラの家も十分に豪邸と呼ぶに相応しい佇まいだった。
「そりゃ貴族なんだから当然でしょ――っていうか来たことないのかい?」
同じように呆けていたナーシェスが驚いて修介を見る。
「ああ、サラが郊外の屋敷に住んでいるってことは知ってたけど、訪ねる機会なんて今までなかったからな」
修介はそう返しながら門を潜ると、よく手入れされた庭を通って玄関へと向かう。そして、これまた立派な扉を前に若干気後れしつつ、「いくぞ」とナーシェスに声を掛けてから扉をノックした。
ややあって玄関の扉を開けて出てきたのは初老の紳士だった。
「どちらさまですかな?」
てっきりサラが出てくると思い込んでいた修介は素で慌てた。よくよく考えてみればこれだけ立派な屋敷なのだから使用人がいて当然である。
「あ、俺、いや私はサラ……さんの、えーっと、友人でして、名前は修介と申します。あの、サラさんは御在宅でしょうか?」
これでは初めて女子の家に遊びに行った中学生である。
隣でナーシェスがくっくと声を殺して笑っていた。
「サラお嬢様の……少々お待ちください」
使用人は表情ひとつ変えずにそう言うと、屋敷の中へと戻って行った。
しばらくして戻ってきた使用人に案内されたのは、高そうな調度品がいくつも並んだ広い部屋だった。中央には背の低いテーブルとソファーがあり、屋敷の主であるサラが優雅な手つきでお茶を飲んでいるところだった。その隣ではアイナリンドが若干落ち着かない様子でちょこんと座っている。
その姿を見て修介はほっと安堵の息を吐き出した。
「随分と遅かったじゃない」
サラが部屋に入ってきた修介を見て意地の悪い顔をしながら言った。
「どっかの誰かさんに置いてけぼりにされたからな」
そう憎まれ口を返したところで、修介はテーブルを挟んだ対面に座っているもうひとりの人物に気付いた。
「……なんでヴァルがここにいるんだ?」
「あん? あたしがここにいたら悪いってのか?」
ソファーにふんぞり返っていたヴァレイラが修介の物言いに剣呑な空気を醸し出す。
「いや、だってお前、療養中のはずだろ? 家で大人しくしてないと駄目じゃないか」
「だからこうして家で大人しく療養してるだろうが」
「いや、ここはお前の家じゃないだろ?」
わけがわからないという顔をする修介に、早くもヴァレイラの苛々が頂点に達した。
「察しの悪い野郎だな! あたしもここに住んでるんだよ!」
「……へ? そうなの?」
修介が視線を向けると、サラは頷いてみせた。
「クルガリの街から帰ってきてからそうしてるのよ。彼女、今までは依頼であちこち飛び回っていたからあなたと同じで宿屋住まいだったんだけど、あなたとコンビを組んだことで、しばらくはこの街を拠点にするからって、宿を引き払って私の家に勝手に転がり込んできたのよ。……っていうかコンビを組んでいるのにそんなことも知らなかったの?」
「知らんかった……」
冒険者同士は互いの私生活には干渉しないという暗黙のルールがあることから、修介は仲間の私生活については詮索しないようにしていた。ヴァレイラが宿屋住まいだったことも今知ったくらいである。
「ヴァルもシュウには教えておけばいいのに」
「別に言う必要ねぇだろうが」
サラの言葉にヴァレイラは不機嫌そうに吐き捨てると、テーブルの上にある焼き菓子を乱暴に掴んで口に放り込んだ。
その様子から、ここのところ怪我で動けなかったせいでかなりフラストレーションが溜まっているんだろうな、と修介は察した。
「んなほほより、ふひろのひゃふがひごごひわるほうにひてるほ」
ヴァレイラが口をもごもごさせながら修介の背後を顎で指し示す。
「あ、そうだった」
振り返るとナーシェスがいじけたように杖で床の溝をなぞっていた。
修介は慌てて彼のローブの袖を引いて前に出すと、サラに来訪の目的を告げた。
それを聞いてサラは露骨に嫌そうな顔をしたが、ナーシェスのプライドをかなぐり捨てた平身低頭からの頼み込みと修介の口添えの甲斐もあって、渋々ながらもナーシェスの滞在と工房の使用を了承した。
ナーシェスがサラに連れられて部屋を出て行ったのを見届けると、修介は「じゃ、俺は帰るわ」と言って踵を返した。
「なんだ、もう帰んのかよ」
ソファーにふんぞり返ったままおざなりに言うヴァレイラに修介は苦笑する。
「元々アイナの無事を確認しにきただけだからな。それにまだギルドで報酬を受け取ってないんだよ。早く行かないとギルドが閉まっちまうだろうが」
修介はそう理由を口にしたが、本当の理由は別にあった。
街道で見た慌ただしく駆け抜けて行く騎士の姿――。
あれはどう見てもただ事ではなかった。
普段であればそれほど気にはしなかっただろう。
ただ、修介はかつて訓練場で一緒だったレナードが南の砦に赴任した、という話をつい先日ロイから聞かされたばかりだった。
修介にとってレナードはロイと同様にこの世界で出来た数少ない友人だった。不本意ながらも義兄弟の契りまで結んだ仲でもある。南の地で何かが起こったのだとしたら、その安否はどうしても気になった。
ギルドに行ったところで騎士団の情報が得られる可能性は限りなく低いが、それでも胸の内に生じた不安を少しでも和らげておきたかった。
「シュウスケさん、帰っちゃうんですか?」
残念そうな口調で言うアイナリンドに、修介は申し訳なさそうに頷いた。
「ごめんな。今日はちょっと行くところがあるんだ。アイナが冒険者登録をしに行く時は俺も付きそうから。サラがいれば大丈夫だろうけど、一応な」
アイナリンドは一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたが、「わかりました」と答えただけでそれ以上は何も言わなかった。
部屋を出て廊下を歩いている途中で、背後からぱたぱたという足音が聞こえてきて修介は振り返った。
サラが小走りに追いかけてきていた。足を止めて彼女が追い付くのを待つ。
「別に見送りはいらないぞ?」
「そうじゃなくって。せっかく久々にアイナに会ったんだからそんな急いで帰ることないじゃない。積もる話だってあるでしょ?」
「街の外でサラを待ってる時にアイナとはたくさん話をしたから大丈夫だよ」
「なら、せめて夕飯だけでも食べていけば? 今日はアイナがいるからいつもより腕によりをかけて作るわよ」
「サラが?」
「シェフが」
「だよな……」
サラはどう見ても料理をするタイプには見えなかった。
豪勢な料理や、サラやアイナリンドと一緒に囲う食卓は魅力的だったが、修介は少し考えてから「悪いな、また今度にするわ」と答えた。
「……本当は何かあったんじゃないの?」
鋭い、と修介は内心舌を巻く。
とはいえ、具体的な何かがあったわけではなく、漠然とした不安を抱いているというだけの話である。それをわざわざ口にしてサラの手を煩わせるよりは、アイナリンドのことに集中してもらいたい、そう修介は考えた。
「別に何もないよ。さっきヴァルにも言ったけど、早くギルドに行かないと報酬を受け取れないから急いでるだけだって」
「本当に?」
探るようなサラの視線を修介は正面から受け止める。
しばらくするとサラは諦めたかのように盛大にため息を吐いた。その態度から、彼女が納得していないのは明らかだった。
「まぁいいわ……。明日のお昼ごろ、アイナの冒険者登録の手続きをしにギルドに行くから、シュウもちゃんと来なさいよね。あなたも一応は名の通った冒険者なんだから、何かあった時にいるだけでもそれなりの圧力にはなるでしょうし」
サラのその発言から、修介は彼女がアイナリンドを最初からエルフだと正体を明かした上で冒険者登録させるつもりなのだと理解した。
はたしてトラブルにならずに登録できるのかは未知数だが、嘘を吐いて後からバレて問題になるよりはいいと判断したのだろう。その点は修介も同じ考えだった。
それに、サラならばどのような手段を使ってでも登録させるに違いない。経験上、修介にはそれがよくわかっていた。
「わかった。俺もちゃんと行くよ。……それじゃ邪魔したな」
そう言って修介は玄関を出ようとしたが、サラがまだ何か言いたそうな顔をしていることに気付いて足を止めた。
「……まだ何かあるのか?」
サラは少し慌てたように目線を逸らした。
「と、特に何ってわけじゃないんだけど……そ、そう! 前に家を探してるって言ってたけど、見つかったの?」
「へ? ……ああ、そういうのに詳しい人をおやっさんに紹介してもらって、いくつか物件を見てみたんだけど、なかなかピンとくるのがないんだよな」
いきなり話題が飛んだことに面食らいつつも修介は律儀に答える。
「ふーん、そうなんだ……」
修介の返答にサラは何気ない風を装っていたが、何かを決意したかのようにいきなり顔を上げた。
「それならさ、いっそのこと私の家に下宿しない?」
「は?」
「べ、別に一緒の部屋に住もうって言ってるわけじゃないわよ? 御覧の通りうちは結構広いから、部屋はいっぱい余ってるし。それにヴァルと同じ家に住んでいた方が何かと便利でしょ?」
「それはそうかもだけど……」
「それにほら、あなたは宿代が浮くし、私はいつでも実験ができるから、お互いにとっても悪い話じゃないでしょ?」
「しかしなぁ……」
実験はさておき、宿代が浮くというのは魅力的だった。とはいえ修介の家探しの目的は、この世界での自分が帰る場所を手に入れることなのだ。他人の家に厄介になるのは振り出しに戻るようなものだった。
「……やっぱり遠慮しておく。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
「そう……」
サラは残念そうに呟いたが、すぐにいつも通りの笑顔を浮かべる。
「気が変わったらいつでも言って。あなたに相応しい専用の実験し――部屋を用意しておくから」
「……いま実験室って言おうとしただろ?」
修介の突っ込みにサラは「なんのことかしら」と空惚ける。
「まぁいいや……。とりあえず、今はアイナのことをよろしく頼むよ。ついでにナーシェスも。任せっきりで申し訳ないけど……」
「私がしたくてしてることだから気にしなくていいわよ。ナーシェスには借りもあるしね。それよりも早く行かないとギルドが閉まっちゃうわよ?」
「そうだった――って、引き留めたのはサラだろうが!」
修介は慌てて玄関の扉を開けて外に飛び出した。
「シュウ!」
サラの呼びかけに修介は振り返る。
「いってらっしゃい」
サラはそう言って笑顔で手を振った。あきらかに状況に合っていないその言葉は、からかう意図があって発せられたものだろうが、なぜか修介の心に違和感なく入ってきた。
「……ああ、いってくる」
修介はそう答えると、照れくささを誤魔化すように走り出した。
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