第190話 指名理由
「アーイーナーーっ!」
この世界に道交法があれば間違いなく切符を切られているであろうスピードで走ってきた馬車から飛び出してきたのは、他でもないサラ・フィンドレイその人だった。
サラは一直線にアイナリンドの元へ駆け寄ると、彼女を力いっぱい抱きしめ、そのままの勢いで小柄な体をグルグルと振り回す。
そのまま空に飛んで行ってしまうのではないかと修介が不安になったところで、サラはようやくアイナリンドを解放した。
「元気そうね、また会えて嬉しいわ!」
サラの言葉に最初こそ戸惑い顔だったアイナリンドもすぐに笑顔を浮かべる。
「私もサラさんにまたお会い出来て嬉しいです」
「サラさん、だなんてそんな他人行儀な呼び方しないで。サラって呼び捨てにするか、もしくはお姉さまって呼んでくれてもいいのよ?」
「おい調子にのんな」という修介の突っ込みにもサラはどこ吹く風である。ただ、アイナリンドが「え、えっと、すぐには難しいので、そのうちということで……」と言うとあっさり引き下がった。
サラ・フィンドレイ――伯爵夫人の孫娘というれっきとした貴族であり、ギルドの相談役として方々にも顔が利き、なおかつアイナリンドを妹のように可愛がっているという、まさに修介が求めていた理想の人物だった。
修介はナーシェス達に先に街に入ってもらい、ギルドを通してサラに街の外へ来るよう伝言を頼んだのである。そして彼女が来るまでの間、アイナリンドと一緒に南門から少し離れた場所で待機していたという次第だった。
実のところ修介が外で待つ必要はなかったのだが、アイナリンドひとりを外で待たせるのは可哀そうだというクナルやトッドの主張でそうなったのである。
「事情はナーシェスから聞いたわ。安心して私に任せてちょうだい」
サラは胸を張って言った。
「けど、私のせいでサラさんにご迷惑をお掛けするわけには……」
「なに言ってるの、ちっとも迷惑なんかじゃないわ。むしろ頼ってくれて嬉しいわ」
申し訳なさそうな顔をするアイナリンドに向かってサラは優しく微笑みかけ、これでもかと言わんばかりに頬ずりした。
「悪いな、わざわざ呼び出したりして」
修介がそう声を掛けると、サラはようやく修介の方を向いた。その視線がやけに冷ややかなのが修介は気になった。
「アイナの為だもの、こんなのなんてことないわ。――さ、アイナ、馬車に乗って」
サラはアイナリンドの手を引いて優しく馬車へ誘導する。そして自分も乗り込むと、後に続こうとする修介の目の前で扉を閉め、御者に馬車を出すよう言った。
「あ、あのっ、シュウスケさんがまだ――」
慌てて止めようとするアイナリンドに、サラはにっこりと笑って答える。
「あの馬鹿を一緒の馬車に乗せられるはずないでしょう? 私はわざわざ北門から街を出てここまで来たんだから」
「あ……」
修介は己の迂闊さに気付く。街の住人が街を出入りする場合、出た門から入るという規則がある。なので、当然修介は南門から入らねばならない。
だが、アイナリンドは馬鹿正直に南門から入る必要はなく、彼女だけならもっとも安全で警戒の緩い北門から入ってもらうのが良いに決まっていた。
とはいえ、それでもトラブルになるリスクはあるので、より確実に街に入る為にサラを頼ろうとした判断は間違ってはいない。サラの視線が冷たいのは「北門の近くでアイナを待たせておきなさいよ、この馬鹿」という意味である。
「まぁ、私を呼び出す判断をしたのは、シュウにしては上出来だったけどね。
……というわけで、アイナは私が責任をもって屋敷に連れていくから、シュウはひとり寂しく歩いて帰ってね」
サラは片目をつぶってそう言うと、再度御者に馬車を出すよう指示した。
ふたりを乗せた馬車は、修介を残し軽快な音を立てて走り去って行ったのだった。
とぼとぼと歩いて街に戻った修介を出迎えたのはナーシェスだった。
「その様子だとちゃんとアイナ君をサラ君に引き渡せたようだね」
「ああ、後は何事もなく街に入れてればいいんだけど……」
「心配しなくても大丈夫だと思うよ。貴族の馬車に乗った者の素性を細かく詮索するような真似は衛兵もしないだろうし、この街では師匠――ベラ・フィンドレイ伯爵夫人は人気があるみたいだからね。その孫娘であるサラ君に失礼を働くようなこともしないはずさ」
「ならいいんだけど……。ところで、ナーシェスはギルドからわざわざ
「まぁね。一応、依頼主としてちゃんと結果を伝えておこうと思ってね……。おかげさまで予定よりも多くの薬草を採取できたよ。君の働きにはとても満足している。君の分の報酬はギルドの受付に渡してあるから、後で受け取っておいてくれ」
「わかった。わざわざすまないな」
「ギルドへの依頼完了の報告はクナル君達がちゃんと済ませていたよ。ふたりとも良い経験になったって君にとても感謝していたよ」
「そうか、それは何よりだ」
上から目線で説教しまくった挙句、情けないところを随分と見せてしまったような気もするが、彼らを無事に帰還させることができた点については誇ってもいいだろうと修介は思った。
「あとふたりから、アイナのことをくれぐれもよろしく頼む、って伝言を託されたよ」
「……」
なんでこっちが託される側になってんねんと修介は思ったが、それだけ彼らがアイナリンドと親しくなったという証でもあった。このまま友情を育んでいけば、今後のアイナリンドの冒険者生活の大きな助けになってくれるに違いない。あまり親しくなりすぎるのも、それはそれで考え物だが。
「――で、本当にそれを伝える為だけにここで待ってたってわけじゃないんだろ?」
修介はにやにやと笑っているナーシェスに問いかける。
「おお、シュウ君にしては珍しく察しが良いね。実は君にひとつ頼み事があるんだ」
「頼み事? 今回の依頼とは別にってことか?」
「ああ、友人として君にお願いがあるんだ」
頼みごとの前に友情をちらつかせる人間は信用できないと常々思っている修介だが、それでも無下にできない程度にはナーシェスに親しみを覚えているのも確かなので、とりあえず話だけでも聞くことにした。
「実のところ君たちに報酬を支払ったことで、今の私はすっからかんなんだ」
「……お前馬鹿だろ?」
「失礼な。君の助言に従ってクナル君とトッド君を急遽雇ったんだぞ。あれは想定外の出費だったんだ」
「そうは言っても、あいつらがいなかったら無事に帰ってこられなかったのも事実だろ?」
「そんなことはわかってるよ。――でだね、早急に金を調達する為にも、手に入れた薬草を使って早速ポーションを作りたいんだ。この街ではポーションの需要が高いから、結構良い稼ぎになるんだよ」
そう言ってナーシェスは指で輪っかを作ってみせる。魔術師と言えば俗世との関係を絶った世捨て人というイメージを修介は勝手に持っていたが、今のナーシェスの顔はどう見ても欲まみれだった。
「ならさっさとポーション作って売ればいいじゃないか」
「言っただろう? 今の私はすっからかんだって。今夜の宿代すらないんだ」
「……まさか俺の部屋に泊めてくれってか?」
「惜しい!」
「違うのか?」
「ヒントその一。ポーション作りにはそれ相応のスペースと設備が必要です」
「いや、素直に答えを言えよ……」
「ヒントその二。私と君の共通の知人にそれらを持っている人がいます」
それを聞いた瞬間、修介の脳裏に該当人物の顔が浮かんだ。
「……お前、まさか――」
「どうせこのあとサラ君の家に行くつもりなんだろう? なら私も一緒に連れて行って、彼女の工房を使わせてもらえるよう話を付けてほしいんだ」
「なんで俺が!? お前だってサラと知り合いなんだろう? 自分で頼めよ」
「そうしたいのは山々なんだけど、私自身は言うほどサラ君と親しくないんだよ。っていうより、ついこの間まで存在すら忘れられていたくらいだ。その点、君は彼女と親しいんだろう? 君が口添えしてくれれば、きっと承諾してくれるはずだ」
「……お前、最初からそれ込みで俺を指名したな?」
修介が睨むと、ナーシェスはなんのことかわからないという体で目を泳がせた。
「とにかく、このままだと生活できないから頼むよ。ポーションが売れたら一杯奢るからさ」
「まぁ口添えするくらいなら別にいいけど、オッケーが貰える保証はないからな」
「大丈夫、私の見たところ彼女は随分と君に甘そうだからね、きっと受け入れてもらえるはずさ」
「冗談はよせ。あいつは俺にはやたらと厳しいぞ? さっきもアイナを北門で待たせておかなかっただけですげー冷たい目で睨みつけられたからな」
「そうなのかい? そいつは困ったね」
その言葉とは裏腹にナーシェスには絶対の自信があった。魔獣ヴァルラダンとの戦いで修介が瀕死の重傷を負った時のサラの取り乱しようを見ているし、なによりつい先ほど彼女に事情を説明した際にも、真っ先に修介の安否を確認してきたのだ。普段から相当気に掛けている証拠である。
ただ、魔法学院時代のサラを知っているナーシェスからしてみれば、今の彼女はまるで別人だった。
当時の彼女は魔法の研究に対する情熱は人一倍あったが、その反動なのか、周囲の人間に対しては関心が薄く、社交的に振舞ってはいても、どこか冷たい印象を与える人物でもあった。
何がきっかけで彼女が変わったのか、その詮索をするのは野暮というものだろう。
ちなみに、魔法学院時代のナーシェスはサラに憧れを抱く男のひとりであったが、名前すら覚えてもらえなかったという悲惨な結果に終わっている。
「まぁ断られたらその時はその時さ。サラ君の家は街の郊外にあるんだっけ? さっさと行かないと日が暮れてしまうよ」
ナーシェスはそう言うとサラの屋敷がある郊外の方へと歩き出した。
「ったく……」
修介は仕方なくその後を追うのだった。
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