第189話 浅知恵
「――ところでシュウ君」
グラスターの街まであとわずかというところで、修介はナーシェスに声を掛けられた。
「なんだ?」
「彼女をあのまま街に連れて行くつもりなのかい?」
そう言ったナーシェスの視線はアイナリンドに向けられていた。今の彼女は頭の布を外している為、長い耳が完全に露出していた。誰であっても一目でエルフだと気付くだろう。
「……やっぱりまずいかな?」
「アイナ君が良い子なのは私も理解したけど、彼女が本気でグラスターの街で冒険者になろうと考えているのなら、街での身の振り方はよく考えた方がいい。さっきのクナル君たちのような反応はさほど珍しいことじゃないからね。誰彼構わず正体を晒すことはあまりおすすめできないね」
「そう言う割にナーシェスはアイナと普通に接してたじゃないか」
「そこはほら、君も言ったじゃないか。自分の目で見て判断しろって。私はそれを実践しただけだよ」
「ほう……」
修介は胡散臭げな目でナーシェスを睨む。
それを受けてナーシェスはすぐに両手を軽く上げてみせた。
「まぁ真面目な話、君という人間を通じて彼女と出会ったからさ。もし赤の他人から彼女を紹介されたとしたら、また違った反応をしたと思うよ。私自身、やっぱりエルフに対する恐怖心や警戒心は持ってるからね」
「そうか……」
この世界の人間の多くは大なり小なりエルフに対する負の感情を持っているのだ。ナーシェスは単にそれを表に出さない分別がある、というだけ話だった。
ただ、自身の本音を偽らずに語ってくれるナーシェスという人物に、修介はあらためて好感を抱いた。
「あとは我々魔術師は世間からエルフとそんなに変わらない扱いを受けているから、なんていうか、他人事とは思えないっていうのもあるかな」
魔術師が世間から嫌われているのは、かつて彼らが魔法の力で人々を支配し、魔神を召喚して世界を破滅の一歩手前まで追い詰める切っ掛けとなったからである。エルフはそれを人間という種族そのものの悪行として認識しているからこそ人間を嫌っているのだ。
ただ、それはエルフが人間を嫌う理由であって、人間がエルフを嫌う理由にはならない。先ほどクナルが言っていた故郷の村でのエルフの扱いは、単に相手に嫌われてるから、で片づけるには過剰なように修介には思えた。
「そもそも人間とエルフってなんでそんなに仲が悪いんだ?」
「えっ?」
ナーシェスが驚いた顔で修介を見た。
その反応で修介はすぐに己の失敗を悟った。
人間とエルフの不和の原因はこの世界で生まれ育った者ならば知ってて当然の、いわばこの世界の常識なのだ。それを尋ねるのは小さな子供くらいなものだろう。
修介は慌てて「いやなんでもない」と言って誤魔化した。
ナーシェスは不思議そうなに首を傾げながらも、特に追及はしてこなかった。
(あぶねぇ……)
修介は内心で冷や汗を拭う。この世界での暮らしに慣れてきたせいか、最近は油断しているとすぐにボロがでる。その手の知識はこの場でナーシェスに訊かなくても、後でアレサに訊くなり自分で調べるなりすればいいだけの話である。
人間とエルフの不和。過去にその原因となるような出来事があったとして、数百年も続く不和ともなれば、それ相応の出来事だったに違いない。
だが、たとえそれがどのような出来事であろうとも、アイナリンドが不当な扱いを受ける正当な理由にはならないはずだと修介は思っていた。
「――ところで、仮にアイナがエルフだとばれたとして、グラスターの街に入ることはできると思うか?」
修介は気を取り直してナーシェスに尋ねる。
「どうだろうねぇ。エルフが人の街に現れるなんて滅多にないから、前例がないんじゃないかなぁ……」
「ならとりあえずアイナの正体を隠したまま、ひとりで旅をしていた女の子を保護しましたっていう体で正面から堂々と入ってみるのもありなのかな……」
「それはどうかなぁ。危険な南の地で女の子がひとりで旅をしていたというのはどう考えても不自然でしょ。私が衛兵なら絶対に詳しい事情を聞くだろうね。見たところアイナ君は嘘を吐くのが下手そうだから、高確率でボロを出すような気がするな。まぁ案外すんなりと入れてもらえるかもしれないけど……」
「うーん……」
以前に聞いた話では、アイナリンドは姿隠しの魔法を使ったり、深夜に壁を飛び越えたりと、まともな方法では街に入っていないようだった。真面目な彼女がそうしたということは、それ以前に普通に街に入ろうとしてトラブルになった可能性が高い。
念のためアイナリンド本人に確認してみると、案の定、彼女は精霊魔法を使って街に入るつもりでいるようだった。
となると、今回もとりあえず似たような方法で街に入り、正体を隠したまま冒険者登録を行ってしまうのが手っ取り早い方法に思えた。
(いや、それは駄目だな……)
修介はすぐさまその考えを否定する。
街への不法侵入は人間の法では犯罪である。
せっかく実績と信頼を積み重ねてきたのに、過去の悪行がばれて破滅する人間を前の世界でも嫌というほど見て来た。これからグラスターの街を拠点に冒険者として活動するなら、初手でそういった軽率な行動は慎むべきだろう。
それに、彼女は何も悪いことをしていないのに、なぜそんなこそこそした真似をしなければならないのか、そんな怒りにも似た感情が心の内に確実に存在していた。
自分でも安っぽい正義感だと思ったが、彼女には堂々と街の門をくぐってほしいと、修介は思わずにはいられなかった。
視線の先ではクナルとトッドもアイナリンドが街に入る為のアイデアを出し合っていた。その内容はナーシェスのローブを着て彼になりすまして入るだの、馬車を調達して荷台に隠れて入るといった程度のもので、とても採用に足るアイデアとは言えなさそうだった。当のアイナリンドも困ったような笑顔を浮かべている。
「あ、じゃあさ、いっそのこと記憶喪失の女の子を保護したってことにすればいいんだよ! そうすればあれこれ詮索されないだろ?」
クナルがこれしかないと言わんばかりの顔で言った。
「うーん、いくらなんでも安直すぎるよ。絶対に上手くいかないと思う」
トッドがちらりとアイナリンドの方に視線を向けてから駄目出しをする。
「そんなのやってみなきゃわからないだろ!」
「記憶喪失なんてそうそうなるものじゃないし、衛兵だってそんな簡単には信じないよ。みんながみんなクナルみたいな単純馬鹿じゃないんだから」
「誰が単純馬鹿だっ! ――でもそうかぁ、駄目かぁ。良いアイデアだと思ったんだけどなぁ……」
そんなふたりのやり取りを聞いていた修介は、その安直なアイデアを実践している身として苦笑せざるを得なかった。
たしかに精霊の森の近くにまで赴いていたのだから、その手が使えないわけではない。
ただ、シンシア相手に記憶喪失設定が通用したのは、彼女の性格が素直だからという以上に、命を救ったという強力なバフが掛かっていたからである。トッドの言う通り、衛兵相手には通用しない可能性が高い。
それに、アイナリンドの前で精霊やエルフの呪いといった言葉を口にするのは、やはり慎むべきである。おそらくトッドもその辺りのことを考えて駄目出しをしたのだろう。
だが、クナルのアイデアをきっかけに、修介は自分自身のことをすっかり棚に上げていたことに気が付いた。
異世界からの転移者である修介は、この世界でもっとも胡散臭い人間である。その胡散臭い人間がどうやってグラスターの街の門をくぐったのかを思い出したのだ。
「そうか、権力者の力を借りればいいのか……」
修介が街に簡単に入れたのは、領主の娘であるシンシアの馬車に乗っていたからである。例えそれがどんなに胡散臭い人間だったとしても、領主の娘相手に面と向かって異を唱えられる者はそうそういないだろう。
つまり同じような方法を使えば、アイナリンドは後ろ暗い思いをせず、権力に守られて堂々と街に入ることができるということになる。
(いや待て……)
修介は再び自分の思考に待ったをかける。
権力者は権力者で色々としがらみが多い。後々になってエルフに手を貸したことが知れ渡れば大きな問題となるかもしれない。この世界の常識に疎い自分の浅知恵で、何も知らないシンシアを巻き込むべきではない。
「――となるとやっぱあいつしかいないか……」
それなりに権力を持っていて、なおかつ頼まれなくても率先してアイナリンドの力になってくれるであろう人物。
修介はそんな都合の良い人物にひとりだけ心当たりがあった。
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