第185話 良識と責任感

「こ、今度はトロルっ!?」


 ナーシェスが狼狽えた様子で叫んだ。

 いくら領地の南部とはいえ、日中の、それも街道からさほど離れていない場所で一日に中位妖魔に複数回遭遇するというのはそうそうあることではない。彼が狼狽するのも当然だった。


「シュウスケさんっ、どうする!?」


 クナルが焦りを滲ませた声で修介に問い掛ける。

 どうするかは考えるまでもなかった。

 一体ならまだしも四体のトロルを相手にして勝てる可能性はないに等しい。

 つまり「逃げる」というのが残された唯一の選択肢だった。

 だが、逃げるにしても先ほどの戦闘で疲労した状態で逃げ切れるのか、それが問題だった。


 修介は三人の顔を順に見る。

 全員が不安そうな面持ちで修介の方を見ていた。


(くそっ、またこのパターンか!)


 修介は心の中で吐き捨てる。

 それでも心に迷いはなかった。


「クナル、トッド。お前たちはナーシェスを連れてそっちから街道を目指して逃げろ」


 修介は左手を上げて向かうべき方向を指し示す。


「なに言ってんだよ、俺はまだ戦えるぜ!」


 クナルが剣を構えて威勢よく言ったが、彼の体力が限界なのは一目瞭然だった。


「そんなヘロヘロの状態でお前こそなに言ってんだ! 今の状態で戦えば間違いなく死人が出るぞ!」


 死人という単語を聞いてクナルは押し黙った。

 代わりにナーシェスが口を開く。


「シュウ君はどうするつもりなんだい?」


「俺はトロルを引きつける」


「まさかひとりで四体のトロルと戦うつもりなのかい!?」


「戦わねーよ。引きつけるだけだって。あいつらの体力は底なしだ。全員で一緒に逃げても延々と追いかけられる羽目になる。だから俺が奴らを反対方向に引きつける」


 修介のその言葉にクナルが食って掛かる。


「いくらなんでもシュウスケさんひとりじゃ無茶だ! 俺も行く!」


「いらん。俺ひとりで十分だ。それに俺には切り札もある」


「けど――」


「俺たちは冒険者だ。依頼人の安全を最優先に考える必要がある。お前はナーシェスを守って街を目指せ、いいな?」


 だが、クナルは首を横に振る。

 こうしている間にもトロルはどんどん近づいて来ていた。


「ああ、もう! 俺は上位妖魔グイ・レンダーと互角にやりあった男だぞ。トロル四体を捲いて逃げるなんてわけねぇ! むしろお前らがいると邪魔だ! 早く行け!」


 修介のその命令にも、クナルもトッドも動こうとはしなかった。


「ふたりとも、シュウ君の言う通りにしよう。私たちがいても足手まといになるだけだ。それに君たちが一緒にきてくれないと、私ひとりではとても街まで帰れそうにないからね」


 ナーシェスが諭すように言った。いつもと同じ飄々とした態度に見えて、その目には逆らい難い迫力があった。


「くそっ!」


 クナルは納得がいかないという顔をしながらも移動を開始した。トッドもその後に続く。


「……悪いな」


 修介はナーシェスに向かって小さく礼を言った。


「君が無茶をするのは例の魔獣の一件でよく知ってるからね。まったく、サラ君の普段の苦労が偲ばれるというものさ」


 ナーシェスはおどけたように肩をすくめてみせたが、すぐに真顔に戻る。


「――いいかい、街道で待ってるからちゃんと戻ってくるんだよ。じゃないと私がサラ君に殺されてしまうからね」


「わかってる、任せろッ!」


 修介は返事と同時にトロルの集団に向かって走り出した。

 走りながら、先ほどの自分の台詞を思い出す。


(上位妖魔グイ・レンダーと互角にやりあった男、か……)


 それが嘘なのは先ほどのオーガとの戦いぶりでバレてしまっただろう。

 それでもあんな物言いをしたのは、自分自身を鼓舞する為だった。


 ――仲間の為に自分を犠牲にする。


 そんな格好の良い理由に酔ったわけではない。

 まだ子供と言っていい年齢のクナルとトッドにそんな役目を押し付けるわけにはいかないし、依頼人であるナーシェスも守らなければならない。

 そんな良識と責任感に従った結果、「ああこれは俺がやらなければいけないことなんだな」という結論に至っただけのことだった。

 死ぬかもしれないという恐怖は、妖魔との戦いを散々繰り返したおかげか、完全に麻痺していた。

 自分がこの世界の戦士としてということに気付いて、修介は思わず苦笑した。


 先頭のトロルが大口を開けて迫ってくる。

 修介はその顔面に向かって懐から取り出した小袋を投げつけた。

 小袋から飛び散った粉末を浴びたトロルが悲鳴をあげながら地面をのたうち回る。


「マッキオ特製の催涙袋だ。高かったんだから存分に味わえ!」 


 修介はそう叫びながら倒れたトロルの足を叩き斬った。こうしておけばすぐには立ち上がれないだろう。

 続く二体目のトロルが繰り出してきた棍棒を大きく飛び退って躱すと、囲まれないようにアレサを大きく振り回して牽制する。

 トロルどもはアレサの切っ先から逃れるように距離を取った。


「まだあるぜ?」


 修介は懐からあらたな催涙袋を取り出して、これ見よがしに掲げてみせる。

 先ほど仲間がやられたのを見ていたからか、トロルどもは警戒するように一歩下がった。

 その様子に修介はにやりと笑う。

 ちなみにオーガに使わなかったのは、購入した際にマッキオから「オーガは鈍いからほとんど効果がない」という話を聞いていたからである。トロルには効かない、とは聞いていなかったので試しに使ってみたが、その効果は予想以上だった。


「いくぞコラァッ!」


 修介は大きく振りかぶって催涙袋を投げる――フリをした。

 すると、三体のトロルは揃いも揃って手で顔を覆って固まった。


「間抜けめッ!」


 修介はアレサを鞘に納めるとトロルに背を向けて脱兎のごとく逃げ出した。

 戦うという選択肢は最初からなかった。魔剣持ちになったからといって、トロルを同時に四体も相手にして勝てると思うほど自惚れてはいない。トロルに催涙袋を警戒できる程度の知能があったことに感謝しながら、修介は全力で走った。


 しばらく手で顔を覆ったまま硬直していたトロルだったが、自分たちが騙されたことに気付いたのか、怒りの咆哮を上げながら追いかけてくる。

 修介はちらりとナーシェス達がいた場所に視線を向けた。

 三人ともいなくなっていた。

 ちゃんと逃げてくれたんだな、と内心で安堵の溜息を吐く。

 あとは自分が逃げ切るだけだった。

 修介は走る足に力を込める。

 だが、トロルはオーガと違って足が速い。おまけに先ほどの戦闘で受けたダメージが残っているせいで身体が重く、思ったように引き離すことができない。

 途中で催涙袋を投げつけてみるも、走りながらでは狙いが定まらず、貴重な催涙袋を無駄にしただけだった。


(や、やべぇ――)


 もう息が限界だった。

 一か八か戦うか――修介がそう考えたとき、腰のアレサが大きく震えた。


『マスター、精霊の森に入ってください』


「――あ、あんだって?!」


 息も絶え絶えに修介は聞き返す。

 精霊の森に入って無事に出てこられた者はいない――そんな曰くのある危険な森に入るくらいなら、トロルと戦った方が生き残れる確率が高いように思えた。


『マスターが何を考えているのかはわかってます。その上で提案しています』


 アレサにそう言われて修介が迷うはずがなかった。

 修介は最後の力を振り絞って精霊の森を目指して走った。

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