第181話 魔術師ナーシェス

 グラスターの街から南に向かう街道はいくつかあり、一番大きな街道を六日ほど歩くとラハンの街にたどり着く。

 目指す精霊の森は途中でいくつも枝分かれする街道を南東へ向かって半日ほど歩いたところにある。

 夜に街道から離れるのは危険なので街道の傍で夜営して、翌日の早朝から精霊の森に赴き、そこで薬草採集を行って夕方には街に帰還する、というのが修介とナーシェスの立てた計画だった。


 パーティは修介をリーダーとして、昼過ぎにグラスターの街を出発した。

 周囲を緑の絨毯に囲まれた街道を徒歩で進む。五月の暖かい日差しと爽やかな風が心地よく、今が依頼中でなければその辺の草むらに寝転びたいくらいの陽気だった。

 だが、向かう先は妖魔が多数生息しているとされる南の地である。

 道中ではそのことを思い出させてくれるかのように、ディンガルという犬のような見た目をした魔獣の群れと遭遇した。

 ディンガルはゴブリンの騎乗用の魔獣としてよく見かけるが、獰猛そうな見た目に反して、狩りをするよりも人間や妖魔の腐肉を漁ることの方が多いハイエナのような魔獣である。

 ところが、遭遇したディンガルの群れはよほど腹が空いていたのか、パーティの姿を見ると一斉に襲い掛かって来た。

 修介はクナルとトッドの実力を確認しようと、ふたりに前に出るよう指示した。


「そうこなくっちゃ!」


 威勢よく飛び出したクナルが先頭の一匹を剣で斬り捨てると、トッドが側面からクナルを狙おうとしていた一匹を弓矢で射抜いた。

 その後乱戦になったが、クナルが二匹、トッドが一匹仕留めると、残りのディンガルはあっという間に逃げて行った。


 ナーシェスを護衛していた修介は、ふたりの戦いぶりを見て素直に感心していた。

 クナルの剣の腕前は粗削りながらもなかなかのもので、天性の運動神経も相まって十分に戦力になりそうだった。

 一方のトッドは体つきも細く、あまり接近戦には向いていなさそうだが、父親が猟師とのことで、剣よりも弓の扱いに長けているようだった。

 ふたりの実力は新人としては申し分なく、オーガにでも出くわさない限りは問題なく依頼を遂行できそうだと修介は判断した。

 その後の旅は順調そのもので、日暮れ前には予定通り精霊の森の近くにまで到着することができた。


「ふぅ……」


 揺らめく焚き火の炎を見つめながら、修介は小さくため息をついた。

 大きなトラブルのない順調な旅路だったが、思った以上に疲労していた。身体的なものというよりは、どちらかといえば気疲れの類である。

 今まではノルガドやヴァレイラといった経験豊富な仲間がいて、彼らの言うことを聞いているだけで良かった。なにより「見守られている」という安心感があった。

 だが、今回は自分が先達として若い冒険者を引っ張らねばならない。

 それ自体は前世での社会人生活で何度も経験したことだったが、仲間の命を預かっているとなると、圧し掛かる重圧は桁違いだった。


(……とはいっても、いつまでも甘えているわけにはいかないもんな……)


 この一年近くを遊んで過ごしてきたわけではない。修介は今回の依頼を冒険者として独り立ちする良い機会だと前向きに考えていた。


 少し離れた場所では夕食を終えたクナルとトッドが剣の手合わせをしていた。

 ふたりは同じ村出身の幼馴染らしく、冒険者となって一旗揚げようとしたクナルが、村を出る際になかば強引にトッドを連れ出したとのことだった。

 勝ち気で積極的なクナルに、大人しく控えめなトッド。

 トッドの様子を見ている限りでは嫌がっている感じではないので、おそらくそれがふたりにとっての自然な関係なのだろう。今も互いに剣を打ち合わせながら、時おり笑顔が浮かんでいる。


 一方のナーシェスは杖の先に魔法の光を灯して分厚い本に視線を落としていた。読んでいるというよりは眺めているといった感じである。

 灯された魔法の光を見て修介はサラのこと思い出した。


(そういえば、サラに今回の依頼のこと言ってないな……)


 ヴァレイラとコンビを組んでからも、サラはなんだかんだ文句を言いながらも一緒に付いて来ることが多かった。

 今回の依頼のことも知っていたら付いてきたのだろうか。ひとりで勝手に依頼を受けたと知れば怒るかもしれない。

 そんなことを考えていると、ふいに顔を上げたナーシェスと目が合った。


「なんだい?」


「あ、いや……その、ナーシェスって他にどんな魔法が使えるんだ?」


 修介は気まずさを誤魔化すように尋ねる。元々、彼の魔術師としての実力がどの程度のものなのかは知っておきたいと思ってはいたのだ。


「私が使える魔法か……」


 ナーシェスはふぅ、とため息を吐いた。


「たしか君はサラ君とは知り合いだったよね。彼女から私のことは何か聞かされているかい?」


「え? いや、俺の治療を手伝ってくれたってこと以外は特には……」


「まぁ天才の彼女からしてみれば、私なんて取るに足らない存在だろうからねぇ」


「天才? サラが?」


「ああ、彼女は天才だよ。魔術師として類まれな才能を持ってる。魔力も強いし、なにより魔法を扱うセンスがある。ほら、君が魔獣と戦ったときに、彼女は魔法でブレス攻撃から君を守っただろう? あんなことができる魔術師はそうそういないよ。彼女に比べたら私の魔法なんて児戯に等しいね」


「そうなのか……」


 今まで修介が行動を供にした魔術師はサラしかいなかったので、彼女の魔法がこの世界の基準となっていたのだが、どうやら彼女の魔術師としての実力はかなり上位に位置しているようだった。


「私は魔力がすごく弱くてね……そのくせマナだけはやたらとあるから、魔法学院にいた時は『マナ貯蔵庫』なんてあだ名で呼ばれていたくらいさ」


 ナーシェスは自嘲気味な笑みを浮かべながらそう言った。


「マナ貯蔵庫……」


 元々マナがない修介にはぴんとこなかったが、その名称が相手を馬鹿にする目的で付けられたであろうことは何となく想像がついた。


「そもそも、ナーシェスはどうして魔術師になろうって思ったの?」


 修介はぶしつけだとは思いつつも尋ねた。そこまで魔力が弱いのなら別の道を模索してもよさそうなものである。


「私は小さい頃に原因不明の病に罹って生死の境をさまよったことがあってね……その病は神聖魔法でも癒すことができなくて、もう助からないと家族も諦めていたんだ。ところが、ある日ひとりの魔術師が私の元に現れて、その病を治療してくれたんだ」


「ほうほう」


「我ながら単純だと思うけど、それ以来古代語魔法の魅力に憑りつかれてしまってね。両親の反対を押し切って王都の魔法学院の門戸を叩いたんだ。そうしたら私の身体に人並み外れたマナが宿っていることがわかって、一時期は百年にひとりの逸材とまで言われて持て囃されたものだよ」


 ナーシェスは遠い目をしながら話を続ける。


「……でも、すぐに魔力が弱いことが判明してね。そうしたらみんな急に手のひらを返したように私を馬鹿にするようになった。師の元で色々な修行を試したけど、結局、私の魔力はちっとも強くならなかった。それでも私は魔術師になりたかったから、才能もないのに今でもこうしてその道にしがみ付いているのさ」


 ナーシェスは傍目にもはっきりとわかるほど落ち込んでいた。

 落ち込んでいるところに追い打ちをかけるようで心が痛んだが、修介はリーダーとして彼の魔法が実戦で使えるのか確認しておくべきだと考え、心を鬼にして確認する。


「魔力が弱いって、具体的にはどのくらい弱いの?」


「そうだなぁ、例えば『魔力の矢』という魔力の塊をぶつける魔法があるんだけど、私の全力の魔力の矢よりも、たぶん君がその辺の石ころを投げたほうが威力があるよ」


「……そ、それは素直に石ころを投げた方がよさそうだな」


「その通りさ」


 ふっ、と寂しそうな笑みを浮かべるナーシェス。


「で、でもほら、なんだっけ……そう、防護の術とか! 魔法の膜を張って防御力を高める魔法とかもあるんだろ?」


「脆過ぎて掛かってないのと同じだって言われたことがあるね……」


 紙装甲という単語が修介の脳裏に浮んだ。


「わかっただろう? 私の魔法は実戦では使い物にならないって」


 その通りだと修介は思ったが、さすがにそれは口に出せなかった。

 それならば戦闘以外のことで有用な魔法があるだろうと懸命に頭を捻る。


「そ、そうだ。魔術師って使い魔とかいるんだろ? ナーシェスは何かいないのか?」


 使い魔の有用性は先発隊にいた使い魔の魔術師が実証していた。もし使い魔がいれば偵察や索敵といった用途で活躍してくれるだろう。


「……一応、いることはいるよ」


「おおっ!」


 以前、使い魔を使役するには高度な魔法技術が必要だとサラから聞いていた修介は、予想外の答えに期待に胸を躍らせる。


「それで何を使役してるんだ? 猫か? 鳥か?」


「……これさ」


 ナーシェスは気が乗らないという体で手のひらを上にして前に出した。


「……何もいないじゃないか」


「よく見てよ」


 そう言われて修介はナーシェスに近づいてもう一度手のひらを見る。


「あっ……」


 指の隙間から小さな蜘蛛が現れた。


「……もしかしなくても、このちっこい蜘蛛が使い魔?」


 ナーシェスは申し訳なさそうにこくりと頷いた。


「動物を使役する為にはそれなりの魔力が必要でね。私の魔力だとこれが限界なんだ。文字通り虫けら並の魔力だって学院で嗤われたものさ……。あ、でも棚の下に銀貨を落としたときに見つけてくれたりとか、まったく役に立たないわけじゃないんだよ。それに一緒にいるとなんだかんだで愛着も湧くしね」


 そう言ってナーシェスは愛おしそうに指先で蜘蛛をつつく。


「……なんかもう色々とすまん」


 修介は居たたまれなくなって思わず頭を下げた。

 マナのない体質に散々悩まされてきた修介にとって、ナーシェスのコンプレックスは他人事とは思えなかった。

 修介は責任を感じて、なんとか彼を励まそうと再び頭を捻る。


「で、でも、そこまで魔力が弱いのに魔術師やってるってことは、それだけ魔法が好きってことだよな? 今もそうやって勉強してるくらいだし」


 修介はナーシェスの持っている分厚い本を指して言った。


「これは魔術書じゃなくて薬学の本だよ」


「薬学? ……そういや、そもそも今回の依頼だってポーションの材料集めだもんな。ナーシェスは魔法よりもそっちが得意ってことか」


「ま、まぁ、ポーション作りに関しては自分でもちょっとしたものだと思ってるけど……。ポーション作りに魔力の強さはあまり関係ないからね」


 ナーシェスは満更でもないような顔で言った。


「いいじゃないか、ポーション。作ったポーションが人の役に立つんだ。素晴らしいことじゃないか。それにナーシェスは魔力が弱くてもマナは大量にあるんだろ? その点、俺なんかマナそのものがないからな、魔法を扱う以前の問題だよ」


 修介の言葉にナーシェスははっと顔を上げる。


「そういえば君にはマナがないんだったね……」


「そ、そうだぞ。それでもこうして元気に生きているんだぞ」


 自分でも何を言ってんるんだと思いながら、修介は無理やり笑顔を浮かべる。


「……シュウ君はすごいね」


 ナーシェスが感心したように言う。


「ん? 何が?」


「マナがないなんて私だったら絶望しているよ。でも君はそれに負けず前向きに生きているじゃないか。魔力が弱いってだけでいじけていた自分が恥ずかしく思えてくるよ」


「そ、そんな大層なもんじゃないでしょ」


 修介にしてみればマナがないのが普通で、むしろマナがある状態がわからないから絶望のしようがないというだけのことだった。


「いや、君は自分の体質のデメリットを理解した上で冒険者を続けているんだろう? それはとてもすごいことだ思うよ」


「ま、まぁ、なければないで色々とメリットもあるし、そういう体質の俺にしかできないことがあるってわかったからな」


 そう思えるようになったのも、自分の体質と向き合いながら様々な経験を積んできたからだった。そして何より、多くの仲間の支えがあったからだと修介は思っていた。


「自分にしかできないこと、か……」


 ナーシェスは独り言のように呟く。


「あるだろ? ポーション作りだってそうだし、なによりナーシェスの大量のマナは俺の命を救ったんだ。ナーシェスがいなければ俺は死んでたってサラが言ってたぜ? 天才サラですら不可能だったことを、ナーシェスはやってのけたってことじゃん」


 修介の言葉にナーシェスは顔を上げた。


「なるほど、そんな風には考えたことなかったな……。うん、なんとなくだけど少しだけ前向きな気分になれた気がするよ。ありがとう」


 真面目な顔で礼を言われ、修介は急に照れくさくなってぶっきらぼうに「おう」とだけ答えた。

 すると、ナーシェスがおもむろに荷物からいくつかの小瓶を取り出して並べ始める。


「……それってもしかして?」


「ああ、私が作ったポーションさ。さっきも言ったけど私の本業はこっちなんだ。色々なポーションを用意してきたから、安心して怪我してくれ」


「なんで怪我する前提なんだよ」


「――あ、でもマナがない君にはポーションは効果がないのか……」


 ナーシェスは、しまった、という顔をする。


「いや、そんなことはないよ」


 修介はサラが過去にやったマナ譲渡の術を使ったポーション治療法を説明した。

 ナーシェスはそれを聞いて「……そんな方法を思いついてしれっと実行するあたり、やはり彼女は天才なんだと実感させられるねぇ」と感心したように呟いた。


「そ、そういえば、俺の体質についてサラのおばあさんに言ったりとかは……?」


 修介はおそるおそる尋ねる。


「ん? 言ってないよ。サラ君から『言ったら殺す』って脅されてるからね」


「サラのやつ、そんなことを言ってたのか……」


 たしかあの時は「一応口止めした」程度のことを言っていたはずだが、どうやら実際は予想以上に物騒なことを口にしていたようだった。


「……そうか、私の大量のマナがあれば、君も安心してポーション治療を受けることができるのか……。たしかに君の言う通り、それは私にしかできないことだね」


 ナーシェスはそう言って顔をほころばせた。

 その笑顔を見て修介は、こいつとはいい友達になれるかも、と思うのだった。

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