第180話 恩人と新人と
応接室で修介を待っていたのは、枯れ木のようにやせ細った若い男だった。
薄灰色のローブを身に纏っていることからおそらく魔術師だろう。ソファーがあるにもかかわらず、立ったまま壁の方を向いて、しかもぶつぶつと独り言を呟きながら分厚い本を読んでいる姿は、控えめに言っても変な奴だった。
男は本から顔を上げると修介の方を向いて笑顔を浮かべた。
「やあやあ、やっと来てくれたね。待ってたよ」
第一印象からは想像も付かない爽やかな声だった。
「えっと、シュウスケです。この度はご指名ありがとうございます」
言ってから何か違うような気がしたが、修介は深く考えずにとりあえず頭を下げた。
「久しぶりだねぇ。その様子だとちゃんと完治したみたいだね」
気安い調子の男に、修介はおずおずと尋ね返す。
「えっと……失礼ですが、どこかでお会いしたことありましたっけ?」
「え? やだなぁ、冗談きついよ」
男は困ったような顔つきでそう言ったが、間近でその顔を見ても、修介の記憶には何も引っ掛からなかった。
「……すいません、やっぱり初めてお会いすると思うんですけど、どこでお会いしたか教えてもらってもいいですか?」
修介の態度から冗談ではないと察したのか、男は思案顔を浮かべる。そしてすぐに、ぽんっ、と手を叩いた。
「ああ、そうか! そう言えば君はあの時ずっと眠っていたんだっけ」
「眠っていた……?」
「瀕死の君を救うために何度も何度もマナ譲渡の術を使わされたからねぇ……私の方は君の顔をよく覚えているけど、君が私の顔を覚えているわけないよね」
「……あっ!」
修介はようやくこの男の正体にたどり着いた。
「もしかして魔獣討伐の時に俺の治療を手伝ってくれたっていう……?」
修介の言葉に魔術師は笑顔で頷いた。
魔獣ヴァルラダンとの戦いで瀕死の重傷を負った際に治療を手伝ってくれた魔術師がいたという話を修介はサラから聞いていた。目の前の男がその魔術師だったのだ。
「そっか、あなたがあの時の魔術師だったんですね!」
「そういえば名乗ってすらいなかったね。私はナーシェス。一応、魔法学院に籍を置いている魔術師だよ」
「シュウスケです。あの時は結局お礼も言えないままで……その節は本当にありがとうございました。俺がこうして生きていられるのもあなたのおかげです!」
「流れで手伝っただけだからね、そんなに感謝されると逆に恐縮しちゃうなぁ」
ナーシェスはそう言って照れたように頭を掻くのだった。
感動の再会(?)をひとしきり喜び合ったところで、ふたりはソファーに座りようやく本題に入った。
「えっと、それで薬草採集でしたっけ?」
修介は依頼書をテーブルに置きながら尋ねる。
「ああ、巷で薬草ハンターと呼ばれている君の力をぜひとも貸してほしいと思ってね」
大袈裟なナーシェスの物言いに、あれはどちらかというと蔑称なんだけどな、と内心ぼやきながら修介は笑顔で頷いた。
「命の恩人からの依頼ですから、犯罪以外のことでしたら喜んで力になりますよ」
修介がわざわざそういう言い方をしたのは、依頼書に『精霊の森』と記載されていたからだった。
精霊の森はエルフやら森の精霊やらの呪いで一度入れば無事に出てこられないという危険な場所であることから、領主によって立ち入りが禁止されており、勝手に入れば罪に問われることになる。
とはいえ、広大な精霊の森すべてに見張りを置いて監視するのは現実的に不可能なので、その気になれば誰でも簡単に侵入できるというのが実情である。薬草目当てで森に入ろうとする者がいたとしてもおかしくはない。
そんな修介の懸念を察したのか、ナーシェスは苦笑を浮かべた。
「大丈夫、精霊の森の中に入るわけじゃないよ。その点についは受付のお姉さんにも口酸っぱく注意されたしね。カランデュラの花は精霊の森の周辺に咲いているから安心してくれ」
「そ、そりゃそうですよね」
修介はほっと息を吐きだす。よく考えれば、ギルドが違法とわかっていて依頼を受けるはずがないのだ。犯罪以外のことでしたら、などと持って回った言い方をした自分が急に恥ずかしくなった。
「そういえば依頼書にはナーシェスさんも同行するって書いてありましたけど、本当に一緒に行くつもりなんですか?」
「そのつもりだけど、何か問題があるのかい?」
「問題っていうか……わざわざ付いて来なくても、俺に任せてここでのんびり待っていた方が安全だし、何より楽じゃないですか」
「それはそうだけど、採取した薬草はポーションの材料として使うつもりなんだ。こう見えて私はポーションの調合が得意でね。できれば素材はこの目で見て入手したいんだ。ほら、一流の料理人は素材にもこだわるって言うだろう? あれと同じさ。それにひとりよりふたりの方が持って帰れる量も多くなるしね」
「なるほど……まぁそういうことでしたら、わかりました」
修介としてはひとりの方が気が楽だし、何より同行者がいるとおいそれとアレサのレーダーが使えないという切実な理由もあるのだが、依頼人の意向に可能な限り沿うことも冒険者の仕事である。
「でも、精霊の森まで行くとなると日帰りは難しいですね。南はいま結構妖魔が出没しているらしいので、どこかで夜営するとなるとちょっと危険かもしれません」
「そうなのかい? 一応、君には護衛役も兼ねてもらうつもりだったんだけど、君ひとりだとやっぱり厳しいのかい?」
「うーん……東や西なら大丈夫でしょうけど、南の……しかも精霊の森まで行くとなると、正直俺ひとりだと厳しいですね」
街道付近であれば、よほど運が悪くない限り妖魔に遭遇することは滅多にない。
だが、南の妖魔は徒党を組んでいることが多い。もし妖魔に遭遇してしまった場合、相手がゴブリンだったとしても、その数が十匹以上ともなれば、さすがに依頼人を守りきる自信は修介にはなかった。
「そういえば、受付のお姉さんにも南に行くなら最低三人は雇ったほうがいいですよって言われたっけ。あまりお金をかけたくないんだけどなぁ……」
「命には代えられないと思いますけど?」
「だよねぇ……」
「ちなみにナーシェスさんは――」
「ナーシェスでいいよ。あと敬語もいらないよ。一緒に旅をすることになるんだから、その方がいいだろう?」
「わかりまし――わかった」
修介は戸惑いながらも頷く。ナーシェスは見た目の印象は完全に陰の者なのに、それ以外の要素が陽の者なので、そのギャップにいちいち困惑させられるのだ。
「――それで、ナーシェスは魔術師なんだよね?」
「一応ね」
「となると接近戦は無理だろうから……あとふたり、戦士が欲しいかも」
修介のその言葉にナーシェスはやれやれと首を左右に振った。
「君もその辺の凡百の輩と一緒で、人を見た目で判断するタイプの人間なのかい? とても残念だよ。僕が弱いと勝手に決めつけないでもらいたいね」
「え、もしかして接近戦もできるの?」
修介は驚いてナーシェスを見る。
ナーシェスはどこからどう見ても立派なモヤシである。この世界に来たばかりの頃の自分よりも弱そう、というのが修介の率直な感想だった。
「なんなら試してみるかい?」
ナーシェスは不敵な笑みを浮かべると、すっと立ち上がってソファーから離れる。
その自信ありげな態度に修介は興味を引かれた。
ギルドの応接室で暴れたら確実に怒られるとわかっていたが、好奇心の方が勝ってしまったので、立ち上がってナーシェスの前に立つ。
「――さぁ、どこからでもかかってきたまえ」
ナーシェスはそう言うと両手を上げて怪しげな構えを取った。
それを見て修介は「隙だらけだな」と思ったが、これも相手の油断を誘うテクニックかもしれないと警戒する。
「こないのならこちらから行くぞ!」
言うと同時にナーシェスは右拳を突き出した。
修介はその手首をなんなく掴むと、後ろに回り込んで捻り上げる。
「いだだだだだだっ! ま、まいった、まいったから!」
ナーシェスは秒で降参した。
「滅茶苦茶弱いじゃねーか!」
あの無駄に自信ありげな態度はなんだったのか、修介は徒労感を覚えつつ掴んでいた手首を離した。
「ふっ、さすがは魔獣討伐の英雄……合格だ。君の実力ならば申し分ないよ」
「なんで俺が試験される側になってるんだよ……。とりえあずナーシェスに背中は預けられないってことがわかったから、やっぱりあとふたり雇ってくれ」
「わかったよ……」
ナーシェスは腕をさすりながら渋々頷いたのだった。
「初めまして、クナルっす!」
「ト、トッドです。よろしくお願いします」
ふたりの少年が深々と頭を下げた。
「どうも、シュウスケです。で、こっちが依頼人のナーシェス氏」
「よろしくねー」
爽やかに挨拶するナーシェスに、ふたりの少年はもう一度頭を下げた。
薬草採集は不人気な仕事である。
採取した薬草の量によってマージンがあるとはいえ、妖魔討伐に比べれば報酬額は安い。それに加えて今回は依頼人であるナーシェスの護衛もせねばならない。
果たして引き受けてくれる物好きがいるのだろうか、と修介が不安に思っていたところに、「それならちょうどいい子たちがいるわ」とハンナが紹介してくれたのが彼らだった。
ふたりとも先月冒険者になったばかりの新人で、年齢はどちらも一五歳。本格的な妖魔討伐依頼の経験はないものの、ゴブリンやオークといった下位妖魔との戦闘経験はあるらしく、まったくの素人というわけではないとのことだった。
「あのシュウスケさんと一緒のパーティに入れるなんて光栄っす!」
元気一杯といった感じの少年――クナルが興奮気味に修介に話しかけた。
「俺のこと知ってるの?」
「もちろん! 魔獣討伐の英雄だって故郷の村でもシュウスケさんの名前は轟いてますよ! だよな、トッド?」
水を向けられた大人しそうな少年――トッドはこくこくと頷いた。
「マジか……」
グラスターの街ではそこそこ名が知られていることは修介も知っていたが、インターネットのないこの世界で地方の村にまで知られているというのは予想外だった。
「あ、あの、それってもしかして魔剣ですか?」
トッドが修介の腰にあるアレサを指さしておそるおそる問いかける。
「え? ああ、このあいだ地下遺跡で見つけたんだ」
そう言って修介はアレサを掲げて見せた。
「「おおおっ!」」
ふたりの声が見事にハモった。
「や、やっぱりシュウスケさんほどの冒険者になると、使ってる武器も半端じゃないんっすね!」
クナルが目を輝かせながら食い入るようにアレサを見つめる。
「まだ武器に振り回されてるだけのひよっこだけどな」
修介はそう謙遜してみせたが、興奮しているクナルには通じなかった。
「またまたぁ、一級賞金首を一騎打ちで倒したって聞いてるっすよ」
「いや、あれは一騎打ちというわけじゃ……」
実際はアレサの能力を使った不意打ちである。
「それに上位妖魔グイ・レンダーとも互角に戦ったって」
「ご、互角?」
互角に戦ったのは修介ではなくデーヴァンである。
修介は随分と話に尾ひれがついてるなと呆れつつも、いちいち訂正するのも情けない話なので、そのままにしておくことにした。
「俺もシュウスケさんみたいに活躍して、いつか故郷の村に俺の名を轟かせてやるのが夢なんですよ! その為にも今回の依頼で色々と勉強させてもらいます!」
クナルがこぶしを握り締めてそう言うと、「ぼ、僕も!」とトッドが追従した。
期待に満ちあふれたふたりの視線に、修介はいまだかつて感じたことのない重圧を感じていた。
もし彼らの期待を裏切れば、瞳に込められた憧憬の念が強い分、失望に変わった時の反動もさぞ大きくなることだろう。
実際、これまでの活躍のほとんどが実力ではなく、運だったりアレサの能力のおかげだったりするのだ。
その自覚があるだけに、とても浮かれることなどできなかった。
名声に実力を追い付かせる――それが最近の修介の課題であり目標でもあった。
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