第179話 指名依頼

 王国暦三一六年五月。

 春を迎えたグラスターの街は、かつてないほどの活気に満ちあふれていた。

 昨年討伐された魔獣ヴァルラダンの素材が高値で取引されたことや、探索者マッキオによって新たな古代魔法帝国の地下遺跡が発見されたことで、多くの冒険者や探索者がやってきたのがその要因だった。

 市場には彼らに向けた商品が所狭しと並べられ、宿や酒場は多くの利用客で混みあっていた。


 宇田修介はそんな特需に沸く街の様子を他人事のように眺めながら、鼻歌混じりにのんびりと街路を歩いていた。

 穏やかな春の日差しと爽やかな風が肌に心地よく、まさに絶好の散歩日和と言えるだろう。市場の喧騒も離れて聴いている分には申し分ないBGMである。

 そんなことを考えながら冒険者ギルドの入口を潜ると、ちょうど出て行こうとする冒険者のパーティと鉢合わせになった。


「お、シュウスケじゃないか」


 先頭の顎髭が異様に長い男に声を掛けられた。

 彼とはかつて輸送部隊の護衛依頼で一緒になり、グイ・レンダーとの遭遇戦でも共に戦った間柄だった。その時に修介が囮になって皆を逃がしたことに恩義を感じているらしく、その後も何かにつけて声を掛けてくる気の良い男である。

 だが、驚いたことに修介はいまだに彼の名前を知らなかった。

 周囲の人間は彼のことを「顎髭」や「顎髭の」と呼び、誰も名前を口にしないのだ。ギルドの受付嬢であるハンナでさえ「顎髭さん」と呼んでおり、実は誰も彼の名前を知らないのではないかと修介は疑っているくらいである。

 誰かに聞けばいいだけなのかもしれないが、この世界独自の風習がある可能性を考えると、おいそれと尋ねるわけにもいかず、さりとて今さら本人に「お名前はなんでしたっけ?」と聞けるはずもなく、修介の中では「この人の名前は顎髭」ということですっかり落ち着いてしまっていた。


「お前さんがこんな時間にギルドに来るなんて珍しいな。どうだ調子は?」


 顎髭が気安い調子で修介の肩を叩く。


「ぼちぼちです。そっちはこれから仕事ですか?」


「いや、ちょうど終わって報告してきたところだ。討伐対象を探し出すのに二日間も山の中をうろついてたからよ、へとへとだぜ」


 たしかに顎髭のパーティは全員が薄汚れた格好をしていた。妖魔討伐の依頼では森や山に入る機会が多く、風呂に入れるわけないのだから当然だろう。

 そういえばサラなんかは湖や川があると隙あらば髪を洗おうとしていたな、と修介は思い出す。現代日本出身の修介も毎日風呂に入らないと落ち着かない性分だったので、慣れるまでには相当苦労したものである。


「そういや今日は相棒はどうした?」


「別にいつも一緒ってわけじゃないっすよ。今日は別行動です」


 相棒というのは修介がコンビを組んでいるヴァレイラのことである。

 コンビを組んでいると言っても、四六時中一緒に行動しているわけではない。お互いの都合で別行動することもあれば、他の冒険者と組むことだってある。別々に依頼を受けてはいけないというルールもない。その実、口約束の範疇を出ないあやふやなものなのである。


「そうかい。なら今日はひとりか」


「ええ、だから今日は久々に倉庫警備の仕事でもしようかと思ってます」


「おいおい、わざわざそんなかったりぃ仕事しなくても最近は妖魔討伐で相当稼いでるって話じゃないか」


 そう言って顎髭は指で輪っかを作ってみせる。


「そこまでじゃないっすよ。それに、あそこの商会には前から世話になってるんで、たまには顔を出しておかないと忘れられちゃいますからね」


 商会の仕事は妖魔討伐と違って危険が少ない分、報酬額は少ないが、安定した収入が見込めることから冒険者にとっては重要な仕事先のひとつである。積極的に顔と恩を売っておけば、万が一大怪我をして冒険者を引退することになったとしても新しい仕事を紹介してもらえる可能性だってあるだろう。

 そんな思惑をとつとつと語る修介に、顎髭は呆れたような顔をした。


「そんな先々のこと考えて冒険者やってるのはお前さんくらいなもんだぜ」


「そ、そうかな?」


「そうだぞ。若いんだからもっとこう、一山当てて一生遊んで暮らせるだけの財を築いてやるぜ、くらいの気概を持てよ」


 顎髭の言葉に修介は苦笑いを浮かべる。前世が平凡なサラリーマンだった修介からしてみれば、今でも十分に無理無茶無謀を繰り返していると思っているのだ。


「そういや受付のハンナ嬢がお前さんのことを探しているみたいだったぞ」


「ハンナさんが?」


「ああ、彼女の手が空いたら声を掛けてみたらどうだ?」


「そうします」


 修介は軽く手を振って顎髭と別れた。


 ギルドの中は昼前という時間帯にもかかわらず混雑しており、受付の窓口もすべて埋まっていた。とてもすぐにハンナに声を掛けられる状況ではなさそうだった。

 仕方なく修介は大人しく順番が来るのを待つことにした。

 番号札を片手に依頼書の貼り出された掲示板をなんとはなしに眺める。

 最近は真面目に文字の勉強をしていた甲斐もあって、ひと頃に比べるとだいぶ書かれている内容がわかるようになっていた。


「……やっぱり西よりも南の妖魔討伐依頼が増えているみたいだな」


 最近は妖魔討伐の依頼で南に行く回数が増えていた。

 元々、妖魔は南の大森林から出没すると言われているのだから、別におかしなことではない。むしろ西に妖魔が多く出没していたここ最近が異常だったのだ。

 そうして時間を潰しているうちに、ようやく受付から呼び出しがかかった。


「朝から姿を見かけないからどうしたのかと思ったじゃない」


 ハンナは修介の顔を見るなりため息を吐いた。

 最初の頃は丁寧な言葉遣いで話してくれていたハンナも今ではすっかりため口である。そこに時の流れを感じて修介はなんとなく感慨にふける。


「いや、しばらくは俺ひとりだから午後から倉庫警備の仕事でもしようかと思ってたんですけど……っていうかハンナさんは事情知ってるでしょ?」


「あ、そういえばそうだったわね……ごめんなさい」


 ハンナはすぐに申し訳なさそうに頭を下げた。


 修介がひとりで依頼を受けに来たのには事情があった。

 相棒であるヴァレイラが先日受けた依頼の最中に負傷して、現在療養中なのだ。

 受けた依頼は、オークの群れに目を付けられた村の警備という珍しくもない討伐依頼だった。

 ただ、襲撃してきたオークの数が事前に村人から申告のあった数よりも遥かに多く、パーティは村の中で戦う羽目になり、その際にヴァレイラは子供を庇って負傷したのだ。

 傷自体は大したことがなかったのだが、傷口から菌が入ったらしく、ヴァレイラは街に戻る途中で高熱を発して倒れた。

 修介が必死に担いで生命の神の神殿に駆け込んだことで一命は取り留めたものの、衰弱が激しかったのと、魔法治療による後遺症が酷く、しばらくは療養が必要だと診断されたのである。

 ヴァレイラは自分が負傷したことをあまり周囲に知られたくないらしく、このことを知っているのはごく限られた人物だけで、ハンナはそのうちのひとりだった。


「でも、それならそれでちょうど良かったかも……」


 ハンナはそう言いながら机の引き出しから一枚の紙を取り出した。


「そういえば俺を探してるって聞きましたけど?」


「そうなのよ。実はシュウスケさんを指名で一件依頼があるのよ」


「俺に? ヴァルじゃなくて?」


「ええ、依頼人はシュウスケさんをご指名よ」


「マジっすか!」


 修介は歓声を上げる。

 名指しで依頼されることは冒険者にとって一人前の証である。

 ヴァレイラとコンビを組んで以来、修介は妖魔討伐の依頼を精力的にこなしてきた。特に魔剣を手に入れてからの活躍は目覚ましく、ここ最近の妖魔討伐数はギルド内でも上位の成績を収めていた。

 その実績が評価されて指名に結びついたのだとしたら、嬉しくないわけがなかった。


「それで、どんな依頼です? 俺はどの妖魔を討伐すればいいんですか?」


 指名依頼に気をよくした修介は思わず身を乗り出していた。


「やる気満々のところ申し訳ないけど、依頼内容は妖魔討伐じゃないわよ」


「へ?」


「薬草採集」


「実績ってそっちのかよ……」


 修介はがっくりと肩を落とす。

 たしかに薬草採集に関して一時期は薬草ハンターと呼ばれるほどの実績を残していたが、アレサのセンサーを使うという、いわばチートで作った実績なので、修介自身はそこを評価されても何も嬉しくなかった。


「そんな露骨にがっかりしないの。あなたに頼みたいってわざわざ依頼してくれた人がいるのよ。それは十分に凄いことなんだから」


 ハンナに諭すように言われ、修介は素直に頭を下げた。


「……そうですね、すみません。それで依頼人はどんな人なんです?」


「直接会った方が早いわ」


「すぐに会えるんですか?」


「ええ、朝一で依頼に来て、あなたのことを待ってるわ。来るかどうかわからないですよって言ったんだけど、お昼までは待つって言ってきかないから、二階の応接室で待ってもらってるの」


「だとすると結構な時間待たせちゃってますね……。こう言っちゃなんですけど、薬草採集ですよね? そこまでして俺に依頼するようなものでもないと思うんですけど……」


「私もそう思ったんだけど、依頼人がどうしてもあなたにお願いしたいって言ってるのはたしかなのよ。それも、あなたの評判を聞いてきたというよりは、元々あなたのことを知ってるみたいな口ぶりだったわ」


「俺のことを知っている……?」


 この世界に転移してきて一年にも満たない修介にはあまり知己はいない。しかも、わざわざ指名依頼を持ってくるような人物となると皆目見当がつかなかった。


「悪いんだけど依頼人とはひとりで会ってもらっていい? 本来なら私も同席すべきなんだけど、御覧の通りで忙しいのよ」


 ハンナは修介の背後に視線を向けつつため息交じりに言う。


「別に構いませんよ」


「これ依頼書ね。依頼人に会う前に目を通しておいて。実際の依頼内容が依頼書と全然違っていたら断ってくれて構わないわ。あと、依頼を受けたら出発する前に必ず私の所に顔を出してね」


「わかりました」


 修介は依頼書を受け取ると、カウンターを離れ足早に二階に向かった。

 混雑している一階と違い、二階にはほとんど人はいなかった。

 修介はアレサの柄を握って手渡された依頼書に目を通す。


「えっと、依頼人の名前は……ナーシェス?」


 先ほどのハンナの口ぶりからてっきり知っている名が書いてあるかと思ったが、その名に心当たりはなかった。

 依頼内容は薬草採集。採集対象は『カランデュラ』という聞いたことのない花だったが、書かれている依頼内容に別段おかしなところはないように思えた。

 もっとも、修介はこの世界の文字の読解に関してはまだ自信がないので、念のため頼れる相方に確認することにした。

 周囲に人がいないことを確認してから小声で腰の剣――アレサに話しかける。


「どうだアレサ、何か気になることはあるか?」


『二点あります』


「なんだ?」


『ひとつは依頼人が現地に同行するという点です』


「……ほんとだ」


 たしかによく見ると現地には依頼人も同行すると記載されていた。

 薬草採集は現地に行って地味な作業をするのが面倒だからこそ金を払って他人に任せる類の仕事である。それが依頼人も一緒に行くとなるとだいぶ話が変わってくる。


「もうひとつは?」


『採集場所の候補地をよく見てください』


 言われて修介は候補地の欄を見る。

 そして目を見張った。

 そこには『採集候補地:精霊の森』と書かれていたのだった。

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