第178話 命令違反

「それで若、いかがなさいますか?」


 一連のやり取りを黙って聞いていたオズウェンがフェリアンに向かって問いかけた。


「知れたことを! 兵を集めてやつらを追う!」


 返ってきた答えにオズウェンは顔をしかめる。


「この者の言うことが本当だとしたら不用意に追うのは危険ですぞ」


「危険は承知の上だ。それが奴らを追わない理由にはならん!」


「ですが敵は一夜で砦を落とすほどの軍勢。ここの戦力だけでは到底止めることは叶いますまい。それに我らが兵を動かせば大森林から新手の妖魔が押し寄せてきた場合に対処できなくなりますぞ」


「すでに領内に妖魔の侵入を許しているのだ、来るかどうかもわからん新手よりも、目の前の妖魔に対処すべきだろう!」


「おそれながら若、領内に侵入を許してしまった妖魔の対処は騎士団本部が行う取り決めとなっております。すでに騎士団本部へは早馬を出しております。遠からず討伐軍が編成されましょう。奴らの対処は討伐軍に委ね、我らは大森林への警戒を強めるべきかと存じます」


 オズウェンのその言葉にフェリアンはまなじりを上げる。


「討伐軍が編成されるまでにはどんなに急いでも数日は掛かる。奴らを野放しにすれば間違いなく途中の村や集落を襲う! 下手をすればそのままの勢いでグラスターの街に攻め入るやもしれん! お前はそれを黙って見過ごせと言うのか!」


「黙って見過ごせとは申しませぬ。今からでも周辺の村には逃げるよう使いを出すべきでしょう。されど我々は敵の正確な数も、率いている者の正体も掴めておりません。ここは情報収集に努め、いつでも討伐軍に協力できるよう戦力を温存すべきです」


「あくまでも兵を動かすなというのか……」


 オズウェンの主張に理があることはフェリアンにもわかっていた。

 フェリアンが与えられている命令は、各砦への支援とラハンの街の守護である。一度侵入を許してしまった妖魔を追って兵を動かし、大森林への警戒を緩めることは、あきらかな命令違反だった。

 さらに厄介なのは、街の評議会から早々に街の防備を固めるよう要請されていることだった。

 ラハンの街は領主の直轄地だが、元々が商人の街ということもあって、実際の運営は街の代表者達が評議会を開いて行っている。フェリアンの現在の立場はあくまでも防衛指揮官に過ぎない。

 ただでさえ次期領主であるフェリアンが防衛指揮官として赴任したことで領主と評議会との間に軋轢が生まれているなか、勝手に兵を動かせば後々問題になるのは必至だった。

 オズウェンが兵を動かすことに反対しているのは、頭に血が上りやすいフェリアンを諫めるという意味合いだけでなく、そういった事情も加味しているのだ。


 父の指示を仰ぎたい――フェリアンの心の中に弱気の虫が顔を出す。


 騎士達の視線が自分に集中しているのがわかる。

 一刻も早く彼らに適切な命令を下さねばならない。

 だが、父グントラムは遠く離れたグラスターの街におり、ここにはいない。


(もし、父がこの場にいたらどうするだろうか?)


 偉大過ぎる父の背中を追う日々の中で、その思考法はフェリアンの癖になっていた。そして同時に支えでもあった。

 妖魔の脅威から民を守る為、ライセット家の人間は戦場では常に陣頭に立ち、最前線で戦ってきた。それ故に短命の内に人生を終える者がほとんどだったが、それは彼らにとって誇るべきことなのだ。

 父グントラムはその生き方を体現していた。

 そんな父ならば、命令に固執したまま民を見捨てることなど絶対にしないだろう。

 そして、その意志と血は間違いなく自分にも流れている。


「俺がお前を最前線の指揮官に据えた意味をよく考えろ」


 それは出立の際に父に言われた言葉だった。

 この状況に至って、フェリアンはようやくその言葉の意味が理解できたように思えた。

 命令に盲目的に従うような人間に領主など務まらない。

 領主とは全ての責任を背負って民を導く存在でなければならない。

 今、自分はその器量があるかどうかを試されているのだ。


 フェリアンは腹を括ると、顔を上げて騎士達に告げた。


「兵を出す! すぐに準備しろッ!」


「若っ!」


「勘違いするなオズウェン。全ての兵を出すわけじゃない。出すのは騎兵隊のみ、それも半数だけだ。残りはこの街を守らせる。それなら文句ないだろう」


「大有りです! これはあきらかな命令違反ですぞ!」


「最前線の指揮官に与えられた権限とはな、命令違反をする為にあるのだ!」


 フェリアンは声高に言い放った。

 そして絶句するオズウェンに向かってさらに言葉を続ける。


「足の速い騎兵隊ならば妖魔どもに先んじて村や集落に危険を知らせることもできよう。それに情報収集が必要だと言ったのはオズウェン、お前ではないか」


「し、指揮官自ら赴かれるなど言語道断です! その任は他の者に任せ、若はこの場に残って指揮を執るべきです!」


「それでは駄目だ。この辺りの民は自分たちの土地から離れることを何よりも嫌う。他の者では説得に時間が掛かる。ならば俺が行ったほうが手っ取り早い」


「ですが、あまりにも危険すぎます!」


「だからこそ俺が行く価値がある!」


 グラスターの民、特に南方に住む民は郷土愛が強い。妖魔が蔓延る危険な地で懸命に村を守り、発展させてきたのだから当然だった。その彼らに村を捨てて逃げろと言っても、首を縦に振らない者が必ず出てくる。

 だが、次期領主たるフェリアンが自ら赴き「いつか必ず村に帰す」と約束すれば、彼らの多くは説得に応じるだろう。


 尚も大声で諫めてくるオズウェンを無視して、フェリアンは配下の騎士達に矢継ぎ早に指示を出していく。


「――フェリアン様」


 レナードがすぐ傍で跪いていた。


「なんだ?」


「私も同行させてください」


「その傷でか?」


「傷はたいしたことありません。どうか私に名誉を挽回する機会をお与えください」


 フェリアンはレナードの目を見る。

 普段あまり感情を表に出さないこの若い騎士の目には、珍しく強い感情の揺らぎが見て取れた。仲間を殺された怒りか、砦を落とされた悔しさか。そのいずれにせよ、冷静さを欠いているようならば同行を認めるわけにはいかなかったが、少なくともフェリアンの目には彼は落ち着いているように見えた。

 どの道、妖魔を率いているのが人間であるというならば、その姿を実際に見ている者の同行は必須だった。


「……いいだろう。だが、まずは傷の手当てを受けろ。それから身体に付いた血も落としておけ。そんな姿では民を怯えさせるだけだからな」


「はっ!」


 レナードは踵を返し、足早に部屋を出て行った。


「……よろしいのですか?」


 オズウェンの問いかけに、フェリアンは頷いた。


「本人が大丈夫だと言っているのだ。好きにさせてやるさ」


「そうではありませぬ。本当に若ご自身が行かれるおつもりなのですか?」


「くどいぞ」


 その答えに、オズウェンは半ば諦めた表情でため息を吐いた。今の質問も翻意を促すというよりは自分自身を納得させる為にしただけだった。


「評議会の連中がここぞとばかりにあれこれ言ってきますぞ」


「好きに言わせておけ。自分の身の安全と財産の事しか考えていないような連中だ。どうせ金で雇った私兵がいるのだから、いっそのことそいつらに街を守らせればいい」


「この場の指揮はどうなさるおつもりですか」


「ほんの一か月前まで指揮官だった者がいるだろう。そいつに任せる。なんならオズウェン、お前がやってもいいぞ?」


「ご冗談を」そう言ってオズウェンは首を横に振った。「お父君がこのことを知ればさぞお怒りになられるでしょうな」


「思ってもいないことを口にするな。父上ならば内心でよく言ったと褒めてくださるだろうよ」


 その通りだ、とオズウェンは思った。

 この場にグントラムがいたら、間違いなく同じ決断を下したことだろう。その苛烈さこそが、グラスター領の領主にとって最も必要とされる資質なのだ。

 だが、オズウェンはフェリアンの本質は母親譲りの優しさにあると思っていた。

 弟の才能に嫉妬しながらも、他者を引きずり落とすのではなく、自身を高める為に正しく努力できるその姿勢は、間違いなくフェリアンの美点だった。

 その優しさは時に優柔不断さとなって現れるが、それでもオズウェンはフェリアンが領主として相応しい器を持っていると信じて疑わなかった。

 だからこそ、こんなところで大切な後継ぎを失うわけにはいかない。同行する騎士には選りすぐりの者を選ばねばならないだろう。

 オズウェンは迷いを捨てたフェリアンの顔を見てもう一度ため息を吐いてから、自らの役目を全うすべく部屋を後にしたのだった。

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