第176話 人獣

 さすがと言うべきか、レナードは先頭を走りながら襲い来る妖魔を斬り倒し、見事に突破口を切り開いていた。

 生き残った兵士達は裏門を抜け、ラハンの街に向かってひた走る。

 オドリーは先頭をレナードに任せ、自身は最後尾で追ってくる妖魔を食い止める役目を引き受けていた。


(この俺を騎士にしなかったことを後悔させてやるッ! 多くの兵の命を救った英雄として俺を称えやがれッ!)


 この苦境にあってオドリーの戦意を支えていたのは、そんな歪んだ思いだった。

 一介の衛兵として何年も真面目に働き、地道に剣の腕を磨いてきた。それが認められて騎士団所属の歩兵として最前線の砦に赴任した。そこでも手柄を上げ、着実に実績を積み重ねてきた。

 しかし、それでも騎士にはなれなかった。

 自分を採用しなかった騎士団上層部への怒り。苦手を克服できなかった不甲斐ない自分自身への怒り。平和を脅かす妖魔への怒り。それら全部をひっくるめて剣に込め、振り回す。

 決して褒められた戦い方ではないだろう。

 だが、彼の奮戦は間違いなく多くの兵士達を危地から救っていた。


 ふいに、追ってくる妖魔どもの足が止まった。

 俺の強さに恐れをなしたのか――オドリーは一瞬そう思ったが、すぐに妖魔どもの様子がおかしいことに気付く。

 すると、妖魔の群れがまるで道を空けるかのように左右に分かれ、そこからひとりの男が姿を現した。


 ぼろ布を纏い、灰色の長い髪を無造作にひとつに結んでいるその男は、あきらかに砦の兵士ではなかった。

 右手に持つ黄金に輝く長い錫杖が男の異様さをより引き立たせているが、オドリーの目を引いたのは男が左手に持っているものだった。

 それは人間の首だった。

 その首を見てオドリーは息を飲む。

 虚ろな目で宙を見つめているそれは、間違いなくこの砦の守備隊長の首だった。


 今すぐ逃げるべきだ――オドリーの直感がそう告げる。


 妖魔の群れの中にあって平然としているだけでもおかしいのに、妖魔に襲われるどころか、まるで群れを従えているかのような佇まいは、どう見ても普通の人間ではない。

 だが、ここで逃げれば撤退中の兵士達はすぐさま追い付かれ、この男に虐殺される。そう思わせるだけの圧倒的な暴力の気配を、オドリーは目の前の男から感じ取っていた。


「オドリー殿ッ!」


 異変に気付いたレナードが引き返そうとしていた。


「来るなッ!」オドリーは叫んだ。「ここは俺に任せて君は皆を連れてラハンへ向かえ!」


「しかし――」


「自分で言ったことを忘れたのか! ここを生き延びた兵士達は領地や民を守る為の大事な戦力なんだぞ! こんなところで無駄死にさせる気かッ!」


「それはあなたも同じです!」


「俺は自分の役目くらい心得てるつもりだ。それに、どうやらこいつは俺をご指名のようだしな」


 オドリーは視線を男へと向ける。

 どういうつもりなのか、男はレナードとのやり取りを黙って見ているだけで、すぐに襲ってくるつもりはないようだった。

 だが、その気まぐれもいつまで続くかわからない。

 オドリーはもう一度叫んだ。


「いいからさっさと行けッ! ガキは引っ込んでろッ!」


 とんでもない暴言だというのはオドリーも自覚していたが、レナードに勝っているのが年齢以外になかったのだから仕方がない。

 だが、その甲斐あってか、こちらに向かおうとするレナードの足は止まっていた。そして冷静沈着な彼にしては珍しく狼狽もしていた。

 その姿が見られただけでオドリーは満足だった。

 いかに才気に溢れていようがレナードはまだ若い。若者の未来を守ることこそが、大人の役目だとオドリーは思っていた。


「……ラハンの街で待っています」


 レナードは絞り出すような声でそう告げて、残った兵を引き連れて夜の闇へと消えていった。

 それを見届けてからオドリーは剣を構えて男に声を掛ける。


「……貴様何者だ?」


 その問いかけに、男は「ただの戦士だ」と短く答えた。


「とてもそうは見えんが、もし貴様が妖魔どもを従えているというなら、このまま彼らを見逃してはもらえないか?」


「条件次第だ」


「条件、だと?」


「この場で俺と戦え。お前が俺と戦い続けている限り、妖魔どもはここを動かん」


 予想外な男の言葉にオドリーは眉をしかめる。

 そんなことをする理由がわからなかった。

 だが、男の言葉通り妖魔どもは殺気を漲らせながらも襲ってくる様子はない。口からだらだらと涎を垂らす姿はお預けを喰らった犬のようだったが、その状態で我慢させられているという事実が、男の言葉が嘘ではないことを裏付けてもいた。


「……いいだろう」


 男の言葉を信じたわけではなかったが、もとよりこの場に残った時点でオドリーは自分の死を覚悟していた。

 男は手にした錫杖を地面に突き刺し、拳を構える。

 その全身から放たれる殺気にオドリーは思わず一歩下がった。武器を持たない相手に気圧されたのは生まれて初めてだった。


「でやあぁっ!」


 オドリーは恐怖を振り払うように気合の声をあげて斬りかかる。

 体重の乗った鋭い一撃だった。

 しかし――

 男は斬撃を避けようともせず、平然と片腕でオドリーの剣を受け止めていた。


「――なっ!?」


 素手で刃を受けたのだ。普通の人間がそんなことをして無事ですむはずがない。

 だが、驚愕はそこで終わらなかった。

 剣を受けた男の腕が大きく隆起した。腕だけでなく全身の筋肉が盛り上がり、みるみるうちに髪と同じ灰色の体毛に覆われていく。

 そして、人間だったはずの男の頭部は獣――狼の顔に変貌していた。


人獣ライカンスロープ……」


 信じられないといった表情でオドリーは人型の獣を見つめる。

 見た目は普通の人間でありながら、自らの意志で獣の姿に変身できる特殊な能力を持った一族。その戦闘能力は人間を凌駕しており、一説によると群れを成した人獣はドラゴンをも倒すと言われていた。

 だが、人獣は六百年前の魔神出現によって大陸から姿を消し、今ではドラゴンと同様に物語や昔話でのみ語られる伝説上の存在だった。

 そんな伝説上の生物が目の前に現れ、しかも妖魔の大軍と行動を共にしているのだ。


 ありえない事態を前にオドリーは狼狽し、集中が乱れた。


「――ッ!?」


 その一撃を躱せたのは奇跡だった。

 一瞬前まで頭があった場所を暴風と共に何かが横切った。

 男の拳だった。灰色の毛に覆われた手には鋭く研ぎ澄まされた爪が生えており、完全に人間のものではなくなっていた。

 オドリーは慌てて後方に跳び退り距離を取った。


「き、貴様の――」


 目的はなんだ、そう問いかけようとして、その無意味さに気付いてやめた。

 その答えがなんであろうと、己のやるべきことは変わらない。

 殺すか殺されるか、この場にはその二択しか答えは用意されていないのだ。

 オドリーは呼吸を整え、剣を正眼に構える。


 それを見て、男はゆっくりと腰を落とした。


(来る――ッ!)


 オドリーがそう思ったのと同時に、男は放たれた矢のように勢いよく飛び出し、鋭く右腕を突き出した。

 その凄まじい速さにオドリーはまったく反応できなかった。

 気付いた時には男の拳に鎧ごと腹を貫かれていた。口から血を吐き、膝から崩れ落ちる。確認するまでもなく致命傷だった。


「いか、せ、ない……」


 最後の力を振り絞り、人獣の脚にしがみ付いた。

 兵士オドリーの人生はそこで終了した。




――――――――――――――――




 もたれ掛かるように崩れ落ちていく人間の戦士を、キリアンは満たされぬ思いで見つめていた。

 たしかにかなりの腕前を持った戦士だった。この男ならもしやと思って獣人化したが、結局本気を出さねばならないほどの相手ではなかった。

 それでも、死してなお掴んだ手を離そうとしない男の気概は、同じ戦士として尊敬に値するとキリアンは思った。


 周囲にいるゴブリンどもが汚い声で喚きながら何かを訴えてくる。

 その死体を寄こせと要求しているのだろう。砦内のほとんどの死体をオーガなどの中位妖魔が独占しているせいで餌にありつけずにいるのだ。


「……好きにしろ」


 その言葉を合図にゴブリンどもが一斉に死体に群がる。

 弔ったところで、どうせ他の妖魔どもに漁られ、喰われるだけだ。

 どのような生物であろうと、死ねばただの肉の塊である。

 生者のみが勝者になる資格を与えられるのだ。


 キリアンは獣人化を解き、脱ぎ捨てた長衣を拾って身に纏う。そして地面に突き刺したままの錫杖を回収した。

 それは『従魔の錫杖』と呼ばれる人工遺物アーティファクトだった。その名の通り、妖魔を強制的に従属させることができる力を持つ。

 キリアンはこの人工遺物を使って妖魔の大軍を率いていた。正確には、妖魔の軍勢を統率している上位妖魔を調伏し、従わせているのだ。

 この錫杖がなければ妖魔の群れは統率を失い、キリアンは一瞬にして妖魔の餌になるだろう。


「それもまた一興か……」


 キリアンは自嘲気味に笑う。服従を強いられている自分が、道具を使って妖魔の親玉を支配しているという状況は皮肉以外の何物でもなかった。


 兵士の死体に群がる妖魔どもを冷ややかな目で一瞥すると、キリアンは砦の中へと戻った。従えている上位妖魔にすぐにこの砦から移動するよう命令を伝える為である。

 脱出した兵の追撃は行わないよう徹底しておいたので、砦の陥落はすぐに領主の耳に入ることになり、遠からず大規模な軍が動くことになるだろう。

 それこそがキリアンの目的であり、主が望んだ状況だった。


「ラハンからの追撃が来るのが先か、グラスターから軍が来るのが先か」


 いずれにせよ、この先の戦いを止めることはもう誰にもできないだろう。戦いの結末がどのようなものになるのか、キリアンは興味がなかった。

 唯一、現れる相手が己が望みを叶えてくれるような強者であることを心から願っていた。

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