第174話 喧騒と静寂と
誰が言ったか知らないが、人生には三度のモテ期があるという。
たしかに修介には前世で三度のモテ期があった。いずれも学生時代である。社会人になってからまったくモテなくなったのは、人間性に問題があるからではなく、すべてのモテ期を使い切ったからだと本人は頑なに信じていた。
そして今、本来ならば訪れることがなかったはずの四度目のモテ期到来に、修介はあらためて自分が二度目の人生を送っているのだと実感していた。
サラとシンシア、ふたりの女性に挟まれている修介の姿は、他人から見たら羨望の的であり、両手に花とはまさにこういう状況を言うのだろう。
互いにけん制し合いながら酒を注ごうとしてくるふたりに、「護衛役が酔っ払うわけにはいかないので」ときっぱりと断りながらも、修介は酒の代わりに果実水の入った杯を片手にふたりの間を右往左往していた。
まるで爆弾処理に奔走させられるギャルゲーの主人公になったようで、我ながら何をやっているんだと思わなくもなかったが、あきらかに自分で蒔いた種である。
「サラ様はこういったお店にはよくいらっしゃるのですか?」
シンシアが若干固い笑顔でサラに話しかける。
「ええ、依頼を終えた後はよく来ますわ。最近はシュウと一緒に依頼を受けることが多かったので、よくふたりで来てますね」
「……そうなのですか?」
修介を見るシンシアの視線にわずかながら棘が含まれる。
「違いますよ。パーティの仲間とたまに来る程度です」
修介はきっぱりと訂正してから、サラの方へ振り返って「嘘を吐くな」と睨みつける。
だが、サラはそれを無視して何食わぬ顔で「シュウはこの肉料理、好きだったわよね?」と修介の小皿に甲斐甲斐しく肉料理を取り分け始める。無論、普段の彼女はそんなことしない。
以前の宴の時のようにシンシアをからかう意図があってやっているのかと思ったが、今のサラには愉悦の表情は浮かんでいない。むしろプライドを懸けた戦いに臨むような真剣さすら滲んでいるように感じられた。
サラは小皿を修介の前に置くと、シンシアに向かって話しかける。
「そういえば、このあいだシュウと一緒に古代魔法帝国の地下遺跡を探索したんです」
「一緒に、ですか?」
シンシアの頬がわずかに引きつる。
「ええ、それでその時にとても貴重なまけ――んぐっ?!」
サラが『魔剣』と言おうとしているのを瞬時に察知した修介は、素早く手を伸ばして彼女の口を塞いだ。
サラの言う魔剣と、シンシアの知る魔剣は同じ物を指していながら、その中身はまったく異なるのだ。魔剣の話題をこの場でするのは地雷原の中でブレイクダンスをするようなものだった。
「そ、そう! その時にとても貴重な水晶玉を見つけたんだよな? それで、あの水晶玉についてなにかわかったのか?」
水晶玉と聞いてサラの目が見開かれた。口を塞いでいた修介の手をむんずと掴んで引きはがすと、「そうだった! その件でシュウにお願いがあるのよ!」と興奮気味に顔を近づける。
「お願い?」
サラの勢いに若干引きつつも、修介は尋ね返す。
「あれからずっとあの水晶玉を調べてるんだけど、私一人の手には余りそうだから、王都の魔法学院に持っていって、おばあさまと一緒に調べようと思ってるの。それでね、あれを王都まで運搬するのをあなたに手伝ってもらいたいのよ」
「なんで俺が?」
「だってほら、あなたほどあれを持ち運ぶのに適した人はいないでしょ?」
たしかにマナのない修介ならば魔道具や
「でもなぁ、サラのおばあさんに会うのはちょっとなぁ……」
「別にあなたが直接おばあさまに会う必要はないわよ。王都まで運んでくれたら、あとは好きにしてくれていいから。王都までの旅費も私が持つし」
「まぁそういうことなら……わかった、手伝うよ」
「ありがと、助かるわ」
そう言うと、サラはこれみよがしに修介の肩に寄りかかってみせた。
「お、おい――」
修介はびっくりしてサラを引きはがそうとしたが、思いのほか強い力で腕に絡みつかれて引きはがすことができなかった。
左側の気温が一気に下がったような気がしておそるおそる振り返る。
案の定、シンシアがはっきりそれとわかるくらいに危険なオーラを発していた。
「そ、そういえばシンシアお嬢様、前に剣の稽古を始められたと伺いましたが、その後はいかがですか?」
修介は取り繕うようにシンシアに話しかける。
「……まだ始めたばかりですから、ランドルフに注意されてばかりです。でも、思いっきり身体を動かすのはとても気持ちがいいですね」
シンシアは笑顔で答えたが、視線は修介の腕に固定されたままだった。しかも、その目は一切笑っていない。
「だ、誰でも最初はそんなものですよ。俺も訓練場に入ったばかりの頃はぜんぜん訓練についていけなくて教官に怒鳴られてばかりでしたから」
言いながら修介は必死にサラの腕を振りほどく。
「でも、シュウスケ様はすぐに上達されたと伺っておりますけど?」
「いやいや、ぜんぜんそんなことないです。それこそ先ほどの領主様との手合わせではこてんぱんにやられてしまいましたから……」
それを聞いてシンシアが気づかわしげに修介の腕に残った痣を見る。
「先ほどのお怪我はもう大丈夫なのですか?」
「え? ああ、大丈夫ですよ。ちょっと痣になってるだけですから」
「お父様が無茶をさせてしまったようで、本当にごめんなさい……」
「いえいえ、とても有意義な時間でしたから、むしろ感謝してるくらいです」
「お父様が稽古であそこまで夢中になることって滅多にないんです。よほどシュウスケ様との手合わせが楽しかったのでしょう。一年にも満たない期間でそこまで上達されたシュウスケ様は本当に凄いと思います」
「そ、そうですかね?」
修介は気恥ずかしさを誤魔化すように頭に手をやる。お世辞だとわかっていても、努力していることを褒められて悪い気はしなかった。
「ランドルフ殿に教われば、きっとシンシアお嬢様もすぐに上達すると思いますよ」
「ありがとうございます。……でも、わたくしとしては、シュウスケ様に剣術を教えていただきたいなと……そう思っております」
おもむろに伸ばされたシンシアの指先が修介の左手にそっと触れた。
「――っ!? そっ、そんな恐れ多いです。俺のような未熟者には荷が勝ちすぎるかと……」
「いいえ、そんなことはありません」
修介を見つめるシンシアの瞳に熱が帯びる。それがアルコールによる影響なのか修介には判断がつかなかったが、まだ少女だと思っていたシンシアが見せる女の一面に、不覚にもどきりとさせられた。
「……わ、わかりました。俺でよければいつでもお声がけください。でも、ランドルフ殿の許可はちゃんと取ってくださいね?」
じゃないと俺が殺されます、とシンシアに聞こえないように付け加える。
「はい。約束ですよ?」
嬉しそうに微笑むシンシアを見て、とりあえずこれで機嫌は直ったな、と修介はほっと胸を撫でおろした。
慣れない緊張を強いられているせいか、やたらと喉が渇く。空になった杯に果実水を注ごうとテーブルにある瓶に右手を伸ばす。
すると、横から袖を引っ張られた。
釣られて視線を向けるとサラがジト目でこちらを睨んでいた。
「な、なんだよ?」
「……別に」
「ならなんで袖を引っ張る?」
「そこに袖があったからよ」
「なんだそりゃ?」
言っていることは意味不明だったが、サラが気分を害していることだけははっきりとわかった。
「随分とシンシアお嬢様には優しいのね」
「そ、そりゃ当然だろう?」
「ふーん、当然なんだ」
不貞腐れたようにサラは言う。
この状況下でそういった態度を取られれば、いくら修介でもサラの気持ちがわかろうというものだった。
だが、それでも修介はあえて鈍感を装うことにした。
「……もしかして酔ったのか? 俺の果実水飲むか?」
そう言って修介は自分の杯に果実水を注いでサラに差し出した。
サラは不満そうな顔で差し出された杯を睨みつけながらも、大人しくそれを受け取り、一瞬ためらってから口をつけた。
その様子を見て、修介は自己嫌悪に陥る。
(最低だな俺は……)
サラに対する好意をはっきりと自覚しておきながら、その気持ちを告げる気も、相手の気持ちに応える気もないのだ。そしてそれはシンシアに対しても同様だった。
いつまでも逃げ回っていてはいけないとわかっていながら、自分の都合や感情を優先させてしまうのだから、呆れた身勝手さだった。いっそのこと権力者にでもなってハーレムを作ってやる、くらいの気概があればよかったのかもしれないが、そんな性格ならば前の世界でもっと成功していただろう。
「ふう……」と小さくため息を吐く修介。
すると、唐突に襟首を掴まれて椅子ごと後ろに引きずり倒された。
やったのはヴァレイラだった。
「サービスタイムは終了だよ。あんたはあっちでむさくるしい男どもと飲んでな」
ヴァレイラは倒れた修介に向かってしっしっと追い払うように手を振ると、修介と入れ替わるようにシンシアとサラの間に座った。
追い出された修介はすごすごと隣のテーブルへと向かう。どこかほっとしているのは、後ろめたさがある証拠だった。
「なかなか見物でしたぜ、旦那」
「女の扱いに関してはまだまだのようだな、勇者殿」
ヴァレイラの言うむさくるしい男どもとやらにそう声をかけられ、修介は憮然とした表情で「うるせぇ」と応じた。
その後、しばらくは男同士で気軽に杯を交わしていた修介だったが、気になってそっと隣のテーブルの様子を窺った。
先ほどまでの微妙な空気から一転、ヴァレイラがデーヴァンに腕の筋肉を披露させることで上手い具合に場を盛り上げていた。
サラが「相変わらず凄い筋肉ねー」とデーヴァンの腕をべたべた触れば、シンシアも一緒になって「すごいです」と感心しながらしきりに指先でつついている。
デーヴァンは相変わらずの無表情だったが、「兄貴があんなに嬉しそうにしてるの初めて見た」とイニアーが感心していることから、本人も満更ではないのだろう。
皆が楽しそうにしている様子を見て、修介の頬は自然と緩む。
目の前に広がる光景は、この世界で手に入れた大切な宝物だった。
この宝物を守る為にも、もっと強くならなければ――そんなことを思いながら、修介は幸せな気分に浸っていた。
……このあとイニアーとブルームの娼館トークに巻き込まれ、狂ったように振動するアレサのプレッシャーに延々と耐え続ける羽目になることを、この時の修介は知らないのであった。
――――――――――――――――
グラスターの街が祭りの喧騒に包まれていた頃……耳が痛くなるほどの静寂に包まれた地下遺跡の奥深くに、その男は音もなく姿を現した。
周囲の闇に溶け込みそうな黒色のローブを身に纏った痩身の男だった。ローブの袖から覗く腕は色白で、すらりと伸びた指には大きな宝石が付いた指輪がはめられている。見る者が見ればその指輪に強力な魔力が付与されていることに気付くだろう。それ以外は武器すら手にしておらず、少なくとも、地下遺跡の探索に赴くような恰好ではなかった。
男は無言のまま手のひらを翳した。すると、そこから小さな光の玉がいくつか生み出され、部屋の方々へと散って周囲を照らしだした。
最初に目に付いたのは干からびたマンティコアの死体だった。
「……バーラング」
男は小さく呟いた。口にしたのはこの獣の名前だった。
バーラングという名のマンティコアは、イステール帝国が造り出した
数百年の時を生き、高い魔力と優れた知能を持つバーラングは、並の魔術師では到底太刀打ちできないだけの力を持っていた。
だが、眼下にいるそれは戦いに敗れ、無残な死体に成り果てていた。
男は氷のように冷たい視線で死体を見下ろす。そこには使い魔に対する憐憫の情など欠片もなかった。
(……誰にやられた?)
眼球さえ残っていれば、そこから多くの情報を取り出せただろうに、バーラングを倒した何者かはわざわざ首から上を持ち去っていた。バーラングの正体が使い魔だと見抜いて情報を渡さない為にわざわざ首を取っていったのか。そうであれば相手もかなり手練れの魔術師ということになるだろう。
いや――男は考えを改める。
使い魔の死体には剣で斬られたような傷跡がある。魔法の力がなくても人間は無力ではない。マンティコアを倒せるだけの力を持った戦士がいたというだけのことだった。
男は顔をあげると死体の背後にある扉に目を向けた。
サーヴィンが術を施していたであろう扉は、その役目を果たし終えたかのように大きく開け放たれていた。
男にとって使い魔が殺されたことはさしたる問題ではなかった。
扉が開かれていることこそが問題だった。
この部屋の中に求めている物があるのだ。そして、それを持ち帰ることが使い魔に与えた使命でもあった。
男は部屋の中へと足を踏み入れると、いくつもある棚には目もくれず、部屋の奥にある台座を目指す。
だが、そこにあるべきはずの小さな黒い箱はなくなっていた。
使い魔を倒した何者かが持ち去ったのは明白だった。
(……まぁいい)
邪魔をされたことに対する苛立ちはあったが、かつて味わった絶望や、そこから現在に至るまでの長い時間に比べたら、この程度の事は障害にすらならなかった。
部屋にあったはずの他の財宝がなくなっているということは、あれも一緒に持ち出されたということだった。財宝の中には魔力が付与された物があったはずだ。そこから辿ることはさほど難しい事ではない。
自分以外の人間にあれがなんであるかわかる者はいないだろう。使い方がわからなければ、ただの水晶玉に過ぎない。
故に焦る必要はまったくなかった。
男は部屋を出ると、倒れている使い魔の死体に視線を向けた。
死体は青い炎に包まれ、瞬く間に灰燼に帰す。
炎が消えた時には、男の姿もその場から消えてなくなっていた……
――長い冬が終わり、グラスターの地に騒乱の春が訪れようとしていた。
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