第173話 修羅場再び

 現れたのはデーヴァンとイニアーの傭兵兄弟だった。

 イニアーはブルームと同じように酒瓶を手にしており、デーヴァンは両手に鶏の肉を持ってご満悦の表情だった。


「旦那も祭り見物ですかい?」


 気安い調子で話しかけてくるイニアーに、修介は背後にいるシンシアにちらりと視線をむけつつ「ま、まぁな」と答えた。


「そういや聞きましたぜ旦那、地下遺跡でぼろ儲けしたらしいじゃないっすか。かーっ、俺たちもあやかりたかったぜ、なぁ兄貴!」


 同意を求められたデーヴァンは鶏の肉にかぶりつきながらこくこくと頷いた。


「なんでイニアーが遺跡のこと知ってるんだよ?」


「その手の噂話は隠してても勝手に広まるものですぜ。それよりも、俺たちこれからいつもの酒場に飲みにいくつもりなんすけど、せっかくなんで旦那もご一緒にいかがっすか? それとも、旦那はこっちの方がいいですかい?」


 そう言ってイニアーは小指を立ててみせた。


「ちょっ――!」修介は慌ててその小指を掴んで隠す。「わ、悪いけど、今日は都合が悪いんだ。飲みにはまた今度付き合うから」


「旦那ぁ、傭兵相手に『また今度』なんて通用するわけないでしょう。そんな連れないこと言わずに一緒に行きましょうや」


 イニアーはそう言って馴れ馴れしく修介の肩に腕を回す。


「いやいや本当に今日は駄目なんだって! 連れがいるんだよ!」


 その言葉でイニアーは修介の背後にいるシンシア達の存在に気付いたようだった。


「あれま、お連れさんがいたんですかい。でもま、俺たちはぜんぜん気にしませんよ。なんでしたらお連れさん方もご一緒に――」


 そこまで言ったところで、イニアーはシンシアの顔を見て表情を一変させた。そして修介を強引に引き寄せて耳打ちする。


「ちょ、旦那! なんで領主の娘さんが旦那と一緒にいるんすか!?」


 さすがと言うべきか、輸送部隊の護衛の時に一度見かけただけだろうに、目ざといイニアーはしっかりとシンシアの顔を覚えていたようだった。


「……成り行きとしか言えない」


「さ、さすがは旦那……領主の娘さんと逢引きとは隅に置けないっすね」


 ついさっきも同じような台詞を聞いたな、と思いつつ修介はさらに声を潜める。


「そういうんじゃないから。でもわかっただろ? 今回はマジで勘弁してくれ」


「マジデ?」


「ああもう! ――とにかく、今回は無しってことで頼むよ」


「仕方ないっすね。今度奢ってくださいよ?」


「わかったわかった」


 手早く話をまとめると、修介は愛想笑いを浮かべてシンシアに向き直った。


「シュウスケ様、そちらの方々とはお知り合いなのですか?」


 シンシアが微笑をたたえながら問いかけてくる。イニアーが「様っ!?」と驚きの声を上げたが、修介はそれを無視してシンシアにイニアー達を紹介した。


「失礼しました。こいつら――この者達はデーヴァンとイニアーといいまして、以前に輸送部隊の護衛依頼で一緒にパーティを組んだ冒険者仲間です」


 修介に紹介され、イニアーは愛想よく頭を下げる。デーヴァンはお近づきの印のつもりか、手にした喰い掛けの鶏の肉をシンシアに差し出そうとしてイニアーに全力で止められていた。


「デーヴァン様とイニアー様ですね。その節は大変お世話になりました。あなた方のおかげで多くの領民達が苦境を脱することができました。感謝しております」


 シンシアは丁寧に頭を下げた。相手が誰であろうと礼を尽くす姿勢を忘れないのは間違いなく彼女の美点だろう。


「こ、こいつはどうもご丁寧に……」


 頭を下げられるとまでは思っていなかったのか、イニアーが珍しく動揺していた。


「――ところで、イニアー様たちはこれから酒場にお酒を飲みに行かれるご予定なのですよね?」


「へ? ええまぁ、そのつもりでしたが……」


 イニアーは戸惑いながらも頷き返す。


「それでしたら、ぜひわたくしどももご一緒させていただきたいのですが……」


「「えっ!?」」


 唐突なシンシアの申し出に修介とイニアーは同時に声を上げる。


「冒険者の方々がどのようなお店でお酒を飲まれるのか、とても興味があります」


「お、俺は別に構いませんが……」


 イニアーはそう言いながら修介の方を見る。


「い、いやぁ、さすがに酒場に行かれるのはまずいんじゃないかと……」


 予想外の展開に修介は動揺を隠しきれない。


「どうしてですか?」


「その、店内は薄暗くて汚いですし、料理だってお嬢様のお口に合うかどうか……」


「店内が汚れていてもわたくしは気にしませんし、出された料理に文句を言うことも決してしません」


 大抵の貴族の令嬢ならば庶民の酒場になんて興味すら抱かないだろうに、シンシアの寛容さが今だけは恨めしいと修介は思った。


「それに、客はガラの悪い連中ばかりで危ないですし……」


「何かあってもシュウスケ様が守ってくださいますよね?」


「そ、それはもちろん」


 全幅の信頼を寄せられ、修介は思わず頷いてしまった。


「でしたらぜんぜん問題ありませんよね?」


「ええっと……」


 修介が返答に窮していると、ブルームが近寄ってきて「下手に街なかをうろつかれるより、店の中に入ってくれたほうがいい」と耳打ちしてきた。

 修介は小さく頷き返すと、シンシアの方を見て言った。


「……わかりました。でも少しだけですからね?」


 修介のその言葉にシンシアは「はいっ!」と嬉しそうに手を合わせた。

 すると、今度はイニアーが「本当にいいんですかい?」と顔を寄せてくる。

 修介は「ちょっと雰囲気を味わってもらうだけだって」と応じたが、イニアーは何やら落ち着かない様子だった。


「なんだよ、なんかあるのか?」


「あー、いやね、なんというか……まさかこうなるとは思ってもいなかったんで、旦那には申し訳ないことをしたなぁと……」


「不可抗力だろ。気にしなくていいよ」


 修介はそう言ってイニアーの肩を叩いた。

 だが、彼はこのすぐ後にイニアーの発言の真意を理解することになる。





「なんであいつらがここにいるんだよ!」


 いつもの酒場にやってきた修介は、先にテーブル席に着いていたふたりの人物の顔を見て、小声でイニアーに詰め寄った。


「だから、『本当にいいんですかい?』って聞いたじゃないっすか」


「知ってたら全力で止めてたっての!」


 店の奥のテーブル席には、サラとヴァレイラが座っていたのである。

 なんてことはない。イニアーが地下遺跡の話を知っていたのは、修介たちと会う前に彼女たちと会っていたからだった。


「だいたい、イニアーとヴァルは犬猿の仲だったろうが! なに仲良く酒飲む約束なんてしてんだよ!」


「いやぁ、あの変態女が珍しく奢ってやるなんて言ってくるもんだから、つい……。傭兵はただ酒飲ませてくれる奴とは仲良くするもんなんすよ」


「適当なこと言いやがって……」


 修介は横目で奥のテーブル席を見る。

 こちらの存在に気付いたサラが大きく手を振っていた。

 これで黙って店を出て行くという選択肢も消えた。


「どうかなさいましたか?」


 背後から興味深げに店内の様子を窺っていたシンシアが、そう声を掛けてくる。


「いえ、なんでもありません」


 修介は無理やり笑顔を浮かべてそう答えた。

 討伐軍出陣前夜の宴でのサラとシンシアのやり取りを思い出し、背中に冷たい汗が流れる。修介にとってサラとシンシアは会わせてはいけないランキングの堂々一位の組み合わせだった。

 とはいえ、ここまで来たら腹を括るしかなかった。上手い具合にふたりの席を離せばなんとかなるだろう。そう考えて修介は店の奥へと向かった。



「……それでどうしてこうなる?」


 修介の思惑を超える力が働いた結果、六人掛けのテーブル席には、修介の右隣にサラ、左隣にシンシアが座るという、考えうる最悪な席順となっていた。

 修介とサラの前には巨体のデーヴァンが二人分の席を独占しており、いつものように表情ひとつ変えずに酒を飲んでいる。その横に座るメリッサも、我関せずとばかりにデーヴァンに黙々とお酌をしていた。

 隣の四人掛けのテーブル席には、ヴァレイラとイニアー、そしてブルームの三人がまるで十年来の友のように親しげに杯を酌み交わしている。


「……あいつら、普段は仲が悪いくせにこういう時だけは結託しやがる」


 視線の先でイニアーとヴァレイラが時おりこちらを見てにやにやしていることから、この席順が彼らの意図によって出来たことは明白だった。


 盛り上がっている隣のテーブルとは正反対に、修介たちのテーブルには緊迫した空気が流れていた。


「――それで? どうしてシュウがシンシアお嬢様と一緒にいるのよ?」


 サラが咎めるような視線を修介に向けた。


「えっと、それはだな――」


「わたくしがシュウスケ様に祭りの見物に同行していただくようお願いしたのです」


 修介が答えるよりも先にシンシアが答えた。


「護衛も連れずにわざわざシュウに頼んだのですか?」


「はい」


「随分と彼を信頼していらっしゃるのですね?」


「ええ、シュウスケ様はランドルフ卿と同じくらい頼りにしている方ですから」


 シンシアは満面の笑みでそう答えた。

 それを聞いて修介の頬が緩む。ランドルフと同等ということは彼女にとって最大級の信頼を寄せているという意味である。男として嬉しくないわけがなかった。


「……よかったわねぇ?」


 サラのこめかみがひくついているのを見て、修介は己が置かれている状況を思い出し戦慄するのだった。

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