第172話 祭り

 領主とその娘の親子喧嘩を見させられるという心臓に悪い試練をなんとか乗り切った修介は、逃げるように屋敷を後にした。

 屋敷を出る直前、いつものように門まで見送ってくれたメリッサから、「この近くで待っていてください」と耳打ちされたので、なんだろうと訝しみながらも、言われた通りに門が見える場所で待つことにした。


 修介は空を見上げて息を吐きだす。

 吐き出した息はもう白くならない。

 祭りが終わるころには、長かった冬も終わるのだ。

 そんなことを考えていると、人目を憚るようにふたりの人影が門から出てきた。地味な色の外套を身に纏い、目深にフードを被った二人組の正体は、あろうことかシンシアとメリッサだった。


「シンシアお嬢様!?」


 驚く修介にシンシアは「しーっ」と人差し指を唇に当ててみせる。そして屈託のない笑顔を浮かべて「さぁシュウスケ様、一緒にお祭り見物にまいりましょう」と宣言したのだった。


 それから数分後、修介の視界の先には物珍しげに次から次へと屋台を見て回るシンシアの姿があった。

 貴族の令嬢が護衛も付けずに街なかをうろつくのがこの世界の常識なのか非常識なのかはわからなかったが、少なくともあの領主が許すことは絶対にないだろう。

 修介はシンシアに向かって「勝手に屋敷の外を出歩かれるのはまずいのではありませんか?」と声を掛けてみたものの、「領主の娘が統治している街を好きに歩けない方が問題なのではありませんか?」と笑顔で返されてしまい、肩を落とす結果となった。


「……お嬢様はよくこうやって護衛を連れずに外出されるんですか?」


 修介は隣にいるメリッサに小声で問いかける。


「いいえ、これまでも何度かひとりで街に出たいとおっしゃられたことはありましたが、実行に移されたのは今回が初めてです」


 それを聞いて修介の肝が冷える。シンシアの身になにかあれば、あの強面の領主に間違いなく殺されるだろう。いや、ランドルフが先だろうか。


「や、やっぱりまずいんじゃないですかね? 今からでもお屋敷に戻ったほうがよくないですか? もしくはランドルフさんを呼んでくるとか……」


「お嬢様は一度言い出されたらそう簡単には引き下がらないご性分ですので」


「それは知ってますけど……」


 修介からしてみれば完全に巻き込まれ事故である。何か問題が起こる前にさっさと屋敷にお帰りいただきたいというのが本音だった。


「とにかく、ここまで来てしまった以上、シュウスケ様には責任をもってお嬢様をエスコートしていただかないと」


 無茶を言ってくれる、と修介は思ったが、シンシアがこのタイミングでこんな暴挙に出ているのが、先ほどの親子喧嘩によって彼女の反抗心に火が付いた結果だとしたら、責任の一端が自分にないとは言い切れなかった。


「ご安心ください。叱られるときは私も一緒ですから」


「いや、俺は叱られるだけじゃ絶対に済まないと思うんですが……」


 一転して柔らかい笑みを浮かべるメリッサに、修介はつい愚痴をこぼしてしまった。

 とはいえ、楽しそうに屋台の軒先を覗き込んでいるシンシアの姿を見ていると、少しくらいは自由に遊ばせてあげたいとも思う。

 以前に聞いた話では、シンシアが街に出る時は多くの騎士を引き連れているせいで、どうしても物々しい雰囲気になってしまい、ああやって気軽に街を見物することもできないらしい。


(ま、今の俺がシンシアにしてあげられることはこれくらいしかないしな……)


 要人の護衛経験がない修介にとっては荷が勝ちすぎる役目だったが、引き受けてしまった以上は全力でお守りし、少しでもシンシアに祭りを楽しんでもらいたかった。


 腹を括った修介は、目を皿のようにして周囲を警戒する。

 シンシアは目立たないようにと地味な服装をしているおかげで、一目で彼女が領主の娘であると気付く者はそうそういないだろう。

 むしろ問題は護衛する修介の方にあった。

 修介は魔獣討伐の英雄としてグラスターの街では結構な有名人である。おまけに特徴のある見た目のせいで黙って立っていてもそこそこ目立つ。

 今回のようなお忍びの令嬢を護衛する人間としては、これ以下はないくらい不適格な人材と言えた。


 それでも、しばらくは何事もなく平和な時間が過ぎていった。

 シンシアは屋台で売られている焼き菓子を食べては幸せそうに頬を綻ばせ、大道芸人の芸を見ては「わぁ!」と興奮して手を叩いていた。

 メリッサがいるのでデートというよりは家族で遊びに来ているような感覚だったが、そのおかげで修介は己の役割を見失わずに済んでいた。


「そういえば、シュウスケ様」


 唐突にシンシアが顔を寄せて小声で話しかけてきた。


「はい、どうかなさいましたか?」


「今日はアレサ様はご一緒ではないのですか?」


「はい?」


 アレサならここにいますよ、と答えようとして修介は固まった。

 グントラムとの予期せぬ邂逅のせいで、アレサのことをシンシアにどう説明するか、すっかり忘れていたのだ。

 突然のことに頭が真っ白になった修介は、思わず先ほどアレサに駄目出しされた設定をそのまま口にしていた。


「あ、えっとですね、アレサのやつ、なんかパワーアップしたみたいでして、こんな見た目になっちゃったんですけど……これがアレサです」


 そう言って修介はアレサを鞘に納めたままシンシアの目の前にかざした。


「……これがアレサ様なのですか?」


 シンシアはきょとんとした顔で修介に聞き返す。


『ごきげんよう、シンシアお嬢様』


 アレサはシンシアにだけ聞こえるように挨拶をした。

 いつも通りの平坦な声だったが、そこに「仕方なく」という感情が多分に含まれているのが修介には手に取るようにわかった。


「古代魔法帝国時代の魔剣というものは摩訶不思議なものなのですね……」


 シンシアは感心したように呟く。


「ほ、ほんと、そうですね」


 剣の見た目が変わるというありえない事態を前にしてもシンシアが平然としていられるのは、元々彼女の興味がアレサという剣に宿った人格に対してあっただけで、剣そのものには関心がないことが大きいのだろう。

 そのことにほっとしつつも、疑う素振りすら見せないシンシアを前に、修介の胸は例によって良心の呵責でじくじくと痛むのだった。





「おう、シュウスケじゃないか!」


「――ッ!?」


 ほっとしたのもつかの間、いきなり名前を呼ばれて修介の心臓が跳ねる。

 振り返ると、そこにはだらしなくシャツを着こみ、手に酒瓶を持った髭面の男が立っていた。


「ブルームさんじゃないですか!」


 修介は思わずガッツポーズをした。


「なんだ、そんなに俺に会えて嬉しいか。そうかそうか」


 満更でもなさそうな顔をするブルームだったが、すぐに修介の隣に女性がいることに気付いて今度は嫌らしい笑みを浮かべる。


「……さすがは勇者殿。女連れで祭り見物とは隅に置けんな」


「せっかくなのでブルームさんもご一緒しませんか?」


「おいおい、そんな野暮なことを俺にさせる気か?」


「いえいえ、野暮なんてことはありませんよ。ぜひご一緒してください!」


 修介はブルームを巻き込む為に執拗に誘い続ける。護衛の人数は多い方が良いに決まっているし、なにより責任を押し付ける相手として神聖騎士ブルームはこれ以上ない人材だった。


「おぬしがそこまで言うなら付き合わなくもないが……それにしても、てっきりシュウスケは年上趣味だと思っていたんだがな、まさかそんな――」


 そこまで言ったところで、ブルームはシンシアの顔を見て瞬時に固まった。


「――げっ!」


 いくら変装していようが、さすがに騎士の地位にいる者としてブルームは一目でシンシアの正体に気付いたようだった。


「これはブルーム殿、このようなところで何をなさっておいでですか?」


 シンシアは穏やかな微笑みを浮かべながらブルームに話しかける。


「はっ、いえっ、あのっ、祭りの騒ぎに乗じて悪さをする者が現れないよう、見回りを行っている最中であります!」


 ブルームは直立不動の姿勢でそう答えるも、手にしている酒瓶が言葉を完全に裏切っていた。


「それはご苦労様です。みなさんが安心してお祭りを楽しめるよう、職務に励んでくださいね」


 シンシアがにこりと笑う。その笑顔の裏に「見逃して差し上げますから、そちらも見逃してくださいね」という言外のメッセージが込められているであろうことは想像に難くなかった。


 その後、ブルームは「くそう、こんなことになるなら声なんて掛けるんじゃなかった……」と文句を言いながらも修介たちの後に付いてきていた。


 そのまま立ち去らなかった理由を尋ねる修介に、ブルームは「知ってしまったからにはほっとくわけにはいかんだろうが」と恨めしそうに言って、手にした酒瓶をその辺の酔っ払いに押し付けていた。

 シンシアは監視の目が増えたことに不満そうだったが、修介としては肩の荷が半分くらい下りた気分だった。

 あとは何事もなく祭り見物を終えて、ブルームにシンシアを屋敷まで送ってもらえれば万事解決である。


 だが、そんな修介の思いを踏みにじるかのように新たな招かざる客が現れる。


「おっ、シュウスケの旦那じゃないっすか」


 修介はとにかくこの街では目立つ存在なのである。

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